第39話 相手が望む距離感
生徒玄関に着き、降り続く雨を少しの間眺める。
今日は夜から雨なんだっけ。
天気予報、ちゃんと当たったな……。傘、持ってきておいてよかった。
下駄箱から自分の下足を取り出す。
玄関を出てすぐに傘をさし、いつもの下校ルートを辿る。
……終わったらすぐ戻るって言ったのに。……約束、破ってしまった。
これだけ待たせてしまえば、宇月さんが帰ってしまうのも当然だ。
歩きながらピチャピチャと音を立てていた俺の靴は、今日も濡れて重くなっていた。
"明日は必ずやってくる" というよく聞くフレーズがあるが、本当にその通りなのだと痛切に感じる。
大人しく自分の部屋に籠っていたら、いつの間にか朝になっていた。
昨日は家に帰って、何を考えるわけでもなくボーッと天井を眺めていたはず。そこから浅い眠りと覚醒を何度も繰り返し……気付けば太陽がおはようと言っている。
毎朝のルーティン通り支度し、いつもの時間に家を出た。
昨日とは打って変わって全開で顔を出している太陽が、自分の影の暗さをより際立たせてくる。
……宇月さんに会ったら、昨日の事をちゃんと謝ろう。
頭の中はその事で一杯で。身体の疲れは取れていないはずなのに、学校に着くまで不思議と眠気すら襲ってこなかった。
教室に入り、自分の席に着く。
毎朝元気に挨拶してくる宇月さんは、今日、隣の席には座っていなかった…………。
「朝のホームルーム、始めるぞ」
聞こえてきた声に反応し、ずっと窓の方に向けていた顔を前に戻す。
教壇には、いつの間にか佐藤先生が立っていた。
「今日、宇月は休みだ。熱を出したらしくてな」
隣に目をやる。
あるのは、誰の荷物も置かれていないただの無機質な机だけ。
休み……か。
不安なのか安心なのか、言葉では言い表せられない感情が出てきて、ついに自分の身体の疲れを自覚する。
今日、謝りたかったのにな……。
「宇月がいなくてタイミングは残念なんだが……今から席替えをしようと思う! みんなからずっと要望を出されていたからな」
クラスからは、"よしっ"と小さく声を上げる生徒がちらほら。
ここに来て、初めての席替え。
ずっと居心地が良かったこの大当たり席とも、ついにお別れか……。
そのままホームルームの時間に、席替えはくじ引きで行われた。
俺が引いたのは5番。
黒板の座席表を見ると、5番の席は今俺が座っている端っこの席。つまり、何も移動はなかった。
頬杖をつきながら、皆が机を動かしているのを眺める。
「松村さん。宇月さんの席、あっちになったので……。移動させてもいいですか……?」
委員長が申し訳なさそうな顔で宇月さんの席を動かしに来た。
「うん、大丈夫だよ。ありがとう」
「いえ……すみません」
なんで委員長が謝るんだ……。
宇月さんの机が運ばれていくのを横目で眺める。
すると、前の席に座っていた男子が話しかけてきた。
「松村、またその席なのか?いいなぁ」
「いいでしょ。ラッキーだったよ」
「それならお前、もっと嬉しそうにしろよなー」
そう言って彼は自分の机を運んでいった。
……俺はどんな顔をしていたんだ。
窓側の一番後ろの席。やはりどこよりも大当たりポジションだろう。
嬉しいに、決まっているのに。
隣の席に来たのは、特に話したこともない女子。
名前がうろ覚えだから、しばらく呼ぶことは控えなければ。
そして運ばれた宇月さんの席は、教室のちょうど真ん中あたり。
こちらからの視界には入るが、決して話すことも絡むこともない、そんな距離だった。
────その日の放課後。
皆が部活の準備をして世話しなく教室を出ていく中、天羽さんが俺の席に近寄ってきた。
「蒼汰くん、またこの席だったんだね」
「うん。いいよねこの席。みんなに羨ましがられるよ」
「そうだよね~。私も、一度ぐらいはこの席になってみたいなぁ」
「ふふっ、譲らないけどね?」
「あ~? そう言ってられるのも今だけだからね~? 次のくじは私も本気出していくからっ」
「くじの本気って……ハハハ」
なんだか今日、初めてまともに人と会話した気がするな……。
「天羽さんは今から部活?」
「ううん。宿題とか届けてあげないといけないし、今日は明澄の家にお見舞いに行こうと思って」
「そう、なんだ。熱があるって言ってたもんね」
「うん。明澄さ、昨日の朝『傘持ってくるの忘れた!』って言ってたから、もしかして濡れて帰ったのかなって思ったんだけど……。よく考えたら昨日雨が降り始めたのは夜からだったし、さすがにその頃には家に帰ってるよね」
「そう、だったんだ……」
「中学の頃は風邪で休んだことなんてなかったのに。珍しい日もあるんもんだよ」
「そっか……」
「…………蒼汰くん、どうしたの?大丈夫?」
天羽さんが心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「え……?」
「なんか暗い顔だったから」
「あっ、いや。ちょっと寝不足なだけだよ。あと、宇月さんの事も心配で」
「そうだよね。……あっ。お見舞い、よかったら蒼汰くんも一緒に来る?」
「……いや、せっかくだけど遠慮しておくよ。俺が行っても迷惑になるだけだろうし」
急に行ってしまうと、男に見られたくない姿とか、そういうのもあるかもしれない。
……分かってる、それは建前だ。
本当は、自分から踏み込んでいくのが少し怖かった。
「そっか、わかったよ。じゃあ私、もう行くね」
「うん、気を付けて」
「蒼汰くんも。気を付けて帰るんだよ」
そうして天羽さんは心配そうな顔で手を振り、教室を出ていった。
宇月さんが風邪引いたの、俺のせいだ……。
あの日彼女は、遅くまで待っていてくれたのに。
早く謝りたい俺の気持ちとは裏腹に、次の日も彼女が学校に来ることはなかった……。




