03 紅之蘭 著 『天才紅教授の魔法講義 其の十四』
嫌な夢を見た。だけど、どんなものだったかは憶えていない。そう、あまりにもおぞましくて、脳機能がオートマチックな反射作用で記憶消去してしまった――くらいに嫌な夢だった。だが壁に掛けた全身を映す鏡に映っていたのは、SF映画『エイリアン』に登場するような、甲殻生命体だった。お腹には何本もの弓形のすじにわれていて、背中はこんもりと盛り上がっている。
窓の外はスコールだ。
――なんじゃこりゃあ!
黄戸村立大学魔法科・紅教室――
推定・昭和生まれ、年齢不詳の自称美女、ついでながら私の里親でもある紅教授。その人の教授室だ。
「朝、起きたら毒虫になっていたと……なるほど――」
「教授、どういうことですか?」
「つまり、あれだ。お年頃というやつだよ」
「お年頃で甲殻が生えますか?」
「なにを言うか。わけが分からないのがお年頃っていうもんだろが!」
私はいらっとした。
「ならばピラミッドの石積みがクレーンを使ったものか、砂で傾斜をつくり、人出で押したのかということも、未解読のクレタ聖刻文字も皆、謎はお年頃だっていうんですか?」
「ぽきっ、キンタロー ……縫目ちゃん、つまるところ君は呪いをかけられたのだよ」
「脈絡もなくなんでキンタローが出てくるんですか?」
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい……」壁際のキャビンに置いた電気ケトルが沸騰したので、紅教授はポットに給湯し、カップに紅茶を注いだ。「まあまあ、一杯飲みたまえよ。一杯は君のために、一杯は私のために、そしてもう一杯はポットのために。――ポットのための一杯が解呪の秘訣かもしれないしね」
「それも、なんですか?」
紅茶で魔法が解けたら、魔法使いはいらない。
にやけ顔をしていた紅教授が急に真顔になって、私の顔に近づいてきた。
「昔、アラブの偉いお坊さんが、恋を忘れた憐れな男に、琥珀色をした紅茶をふるまった。ふんわりふわふわいい気持ち、たちまち男は若い娘に恋をした――なんて話しもある。――さよならだけが人生だ」
「アラブの偉いお坊さんが男にふるまったのは、紅茶ではなくて珈琲じゃないですか? ――さよならだけが人生だ――って?」
「なんとなく、韻を踏んでいるみたいで、詩的じゃないかしら?」
村上春樹『海辺のカフカ』の元ネタはフランツ・カフカの『失踪者』だが、カフカ作品でもっとも有名なのは中編の『失踪者』だ。
お国のために従軍し、帰国後は年老いた両親と年端もいかぬ妹のために、家族を養っていた青年が突然、大きな毒虫になる。最後には家族全員が見放してしまうほど、とんでもなくグロテスクな甲殻虫だった。――主人公は外見こそ変わったが内面は家族思いのまま変わっていない。父親は主人公にリンゴを投げつけて致命傷を負わせ、世話をしていた妹はそれを放棄し、主人公の部屋はいつしか物置部屋になった。そして主人公の死後、両親と家族は、嫌なことを忘れるべく、記者旅行をしながら転居の話などをしていた。――なんて薄情な家族なんだ。
物語についてある人は、「内面よりも外見って大事だよねっていうのが趣旨ですよ」ってことだとか、またある人は、「物語が書かれた当時、ナチズムが台頭していたので、そういう偏見思想に、自分が知らず知らず毒されていきそうで怖い」と思ったことを書いたのだと論評していたのを、ネット掲示板で視たことがある。
やがて――
ガラガラっと音を立て、ドアが開けられた。
「紅教授、縫目ちゃん、います? 野球しない?」
私のストーカー軍団・メガネ君一味だ。――なんで、私を野球に誘う?
メガネ君たち三人組は私の姿を見てから、互いの顔を見合って、
「ぎゃー、エイリアンだ!」
きゃつらめらは、手にしたバッドで私を打ちのめし、かたや、ヘルメッドの紐をぶん回してぶつけ、とどめはメガネ君が剛速球をもって、私の甲殻胴体にボールをめり込ませた。
「恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。――自分、不器用ですから――生まれて来てすみません……」
それから――
事件は一気に片がつく。
紅教授が、
「そこに愛はないのか! ――来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる」
と叫び、メガネ君達を蹴って、狂乱を鎮めた。
結果的にはこのショック療法功を奏して解呪はなった。
とはいえ私はボコボコにされた。
治ったら同じ目に遭わせやる。
了




