次元戦記TORU番外編 その妹美少女につき
東京。その一角にある杉野森学園。その高等部二年に、とんでもない喧嘩バカがいた。
その名は矢田通。チビッ子なのに、強烈に強い。同級生はおろか、その辺りのワル共は皆、その名を聞くだけでビビり、その声を聞くだけで逃げ出すほどだ。
そんな矢田通の噂を聞き、他の地域のワルが彼を倒しに来るが、誰一人として敵う者はなく、矢田通の不敗神話は磐石だった。遂には暴力団からスカウトが来るほどになったが、通はそのスカウトを叩きのめして、暴力団の組長の家まで乗り込み、全員半殺しにし、組長に、
「もう二度とこのような事は致しません」
と念書を書かせた。
何故彼がここまで強いのかは誰も知らない。
一説によると、一度死にかけてから更に強くなったらしい。
そんな事で、一時は誰も矢田通に挑もうとする連中はいなくなった。
しかし、そのままですむほどワルの世界は大人しくはない。
そんな大人しくしていられない連中の中に、特に矢田通に恨みを持つ男がいた。そいつの名は、石動允。杉野森学園とはライバル校関係にある大東苑学院の生徒だ。
「俺達は正直過ぎた」
允は仲間を集めて、体育館倉庫で作戦会議中だった。もちろんまだ授業中である。
「あの喧嘩バカに真正面から挑むなんて、無謀だった」
允の言葉に皆が頷く。
「あれほどの男にも、弱点があったのさ」
おお、とどよめく。允は得意満面で、
「奴の妹の久美子を掻っ攫う。んで、奴を大人しくさせてボコる」
と言った。しかし、異論が出た。
「俺は久美子ちゃんにはそんな事したくない」
「そうだ。あの子は本当にいい子だ。あいつの妹だなんて信じられないくらいな」
允は唖然とした。
「お前ら、矢田の妹に惚れてるのか?」
「おう!」
そいつらは、允に向かって右腕の袖を捲った。二の腕に「久美子命」とマジックで書かれている。
「バカ共が……」
允は呆れた。
「消えろ」
允の目つきが変わった。「久美子親衛隊」は、逃げるように倉庫から出て行った。残りは五人だ。
「だけどさ」
残った中の一人が言った。
「何だ?」
まだ不満があるのか、と允はそいつを睨んだ。
「久美子には、いつも大山がついてるぜ」
大山とは、矢田の舎弟を自称する、久美子の同級生だ。身長は二メートルを超え、体重は百キロを超える巨漢だ。喧嘩も滅法強いと言われている。
「確かに奴も強いが、五人がかりなら潰せる。でも手早くやらねえと、矢田に気づかれる」
「ああ」
皆、「矢田」と言われただけで、額に汗を滲ませる。
「てめえら、ビビり過ぎなんだよ。奴の名前くらいで汗掻いてるんじゃねえよ」
「お、おう」
允はニヤリとして、
「決行は今日の放課後。いいな」
と言った。
矢田久美子、中学二年。
杉野森学園の中等部に通っている。
兄とは似ていず、同学年は言うに及ばず、上級生、下級生、高等部、果ては他校にまで親衛隊やファンクラブがあるほどの美少女だ。でも本人は至って謙虚で、そんな事で自惚れたりしない。
その性格の良さが、更にファンクラブ増加を加速させているが、彼らは決して久美子に近づこうとはしない。遠くから見ているだけだ。何しろ、久美子の兄は、ヤクザもビビる矢田通なのだから。下手な事をすれば、命が危ないのだ。一度久美子に手紙を渡した阿呆がいて、通にもう少しで殴られるところだった。久美子が間に入り、その阿呆は助かった。
それからというもの、久美子には男が全く近づかなくなり、体育大会のフォークダンスの時も、兄貴が見に来るのではないかとクラスの男子が怯え、久美子は参加を見合わせた。
でも久美子は兄を嫌ったりしない。幼くして両親を事故で同時に失い、兄と二人きりで生きて来た彼女は、兄が自分を大切に思っている事をよく知っているので、やり過ぎの兄を怒らない。
時々寂しくなる事もあるが、それでも彼女は暗くなる事もない。
「また明日ね」
久美子は校門の前でクラスメートと別れ、家路に着いた。
「久美子さん」
後ろから大山がついて来る。
「大山君。どうしたの?」
久美子は立ち止まって大山を見上げた。彼女も身長百六十センチと女子では大きい方だが、それでも大山は遥かに大きい。
「妙な噂を耳にしました」
「え?」
「大東苑学院の石動が、矢田さんを狙っているとか」
大山は小声で言った。久美子は顔をしかめて、
「仕方ないわね、お兄ちゃんは。やり過ぎなのよ、相手に対して」
「はあ」
久美子は通が喧嘩ばかりしているのを嘆いている。もちろん、兄だけが悪いのではないが、挑んで来た相手を足腰立たなくしてしまうので、余計怨まれるのも事実なのだ。
「でも、手加減すると、連中が付け上がるんですよ」
大山はまるで上級生に話すように久美子に言う。久美子は歩き出して、
「まあ、お兄ちゃんはアメリカ軍と戦っても負けないだろうから、心配してないけど」
「それはそうなんですが」
大山は久美子を追いかけながら言った。そして、二人が角を曲がった時だった。
「グオ!」
大山の後頭部を、いきなり金属バットが襲う。
「何?」
久美子が振り返ると、大山が倒れるところだった。
「大山君!」
久美子が大山に駆け寄る。
「に、逃げて下さい、久美子さん……」
大山は頭から血を流しながら言った。
「へへへ、さてと。一緒に来てもらおうかね、矢田久美子さん」
石動允が、金属バットを背負い、ニヤニヤして言った。
「どこへ行くの?」
「いいとこさ」
「嫌だと言ったら?」
久美子は怯まない。さすが矢田通の妹である。允はフッと笑って、
「そしたら、このデブをボコる」
「……」
久美子は大山を見てから、
「わかったわ。行きましょう」
「ものわかりがいいや。兄貴とは違うねえ、久美子ちゃん」
允は久美子の肩に手を回した。
「や、やめろ、てめえ……」
大山がフラフラしながら立ち上がる。
「まだ寝てろ、デブが!」
允以下六人が、大山を蹴った。
「く……」
大山はまた倒れた。
「さあ、行こうか、久美子ちゃん」
允はけたたましく笑い、久美子を連れて去ってしまった。
「く、くそ」
大山はポケットから携帯を取り出し、通に連絡した。
「矢田さん、やばいっす。久美子さんが、大東苑学院の石動に……」
大山は通の返事を聞いて、
「わ、わかりました……」
と携帯を切った。
久美子達は、河川敷に来ていた。
「ここがいいところなの?」
久美子は允を睨んだ。すると允は、
「おお、目だけは兄貴と同じで、凄みがあるねえ、久美子ちゃん。でも、全然怖くないよお」
とバカにしたように言って笑った。
「さてと」
久美子は持っていた鞄を地面に置き、周囲を見渡した。
「見物の人が来ないうちに、終わりにするわね」
「は? 何言ってんのさ、久美子ちゃん?」
允がヘラヘラしながら久美子に近づく。その時だった。
「えい!」
いきなり久美子の正拳が、允の鳩尾に炸裂した。
「グエエエエ……」
允は涎を垂らしながらそのまま前のめりに倒れた。
「な、何だ?」
他の五人は、ギョッとして久美子を見た。
「いくらお兄ちゃんが強くても、いつも守ってもらえるとは限らない。だから私も強くなったのよ」
まさに瞬殺であった。久美子の蹴りと突きが次々に決まり、阿呆共はたちまち倒れ伏した。
「良かった、誰にも見られなくて」
久美子はニコッとして鞄を持つと、
「じゃあね」
と言い、河川敷を去った。
「あ、甘かった……」
地獄の苦しみを味わいながら、允は呟いた。
「久美子さん!」
大山が走って来た。久美子は驚いて、
「ダメよ、そんな状態で走ったりしたら」
「平気っす。それより、連中は?」
大山は辺りを見回しながら尋ねた。久美子はニコッとして、
「もう帰ったわよ。用がすんだみたい」
「そ、そうですか」
大山は何故か汗を掻いていた。
(矢田さんに心配するなって言われたけど、もしかしてあの六人、久美子さんに……)
「何、大山君?」
久美子は不思議そうな顔で大山を見上げた。
「あ、いや、何でもないです」
ある意味久美子さんの方が矢田さんより怖い、と思う大山だった。