第四話
季節は変わり、朝晩が肌寒くなるころ。
レティを連れて店舗の隣にある女子修道院に足を運んだ。
「こちらには何をしにいらしたのです?」
「お掃除と片付けの手伝いね」
興味津々という表情で笑うレティは、もうすっかり体調を取り戻している。
体内から見つかった毒もすっかり抜け、医師から日常生活に支障はないと太鼓判を押されていた。
今日の彼女は襟と袖口に白いレースをあしらったチェック柄のワンピースを着て、滑らかな髪は後ろでひとつに結えていた。
結えた髪がまるで猫の尻尾みたいに揺れる。
どちらもレティの仔猫のような雰囲気によく似合っていた。
フォルテューナは誇らしげに胸を張る。
「全方向完璧よ、死角はないわ!」
「何が完璧なのです?」
「レティが今日もかわいいという話よ!」
「フォ、フォルテューナさん」
照れたように笑う顔もかわいい。
レティが愛を捨てた日から、およそ六ヶ月が経っていた。
あの日を境に、レティは遠い場所を思い浮かべるような目をしなくなった。その代わりに、しっかりと前を向いて毎日幸せそうに笑っている。
そうよ、それでいい。
フォルテューナは微笑んで、まぶしそうに目を細める。
「それにしてもレティが目の覚めるような美少女だとは思っていなかったわ」
「なななななにをいきなり言って……!」
レティは赤くなった頬を手で隠した。
特徴的なのはやはり目元。ぱっちりとしてちょっとだけ吊り目。それがなんとも言えない愛嬌がある。肌は白くて、頬はふっくら、唇はほんのり赤い。
一見すると気の強そうな美少女なのに、実は口下手で、照れ屋さん。
そんなレティがはにかみながら上目遣いで微笑んでごらんなさいな。若い男の子なら一撃でしょう。元婚約者も一目惚れだったみたいだし。
周囲を見回したレティは瞳を輝かせる。
「修道院に奉仕までされているなんて、フォルテューナさんは働き者ですね!」
「修道院という場所がね、いろいろと便利なのよ。愛を求める人が集う、そういう場所だから」
口元に指先を当てながら、フォルテューナは謎めいた表情を浮かべて笑った。
「レティ!」
「アンナさん!」
「ちょっと見ないうちにずいぶんと育ったね!」
道の向こう側から籠を抱えたアンナが姿を現した。
レティは満面に笑みを浮かべる。フォルテューナが籠を受け取ると、レティはアンナへ抱きついた。
「あらまあ、甘えちゃって!」
うれしそうに表情をゆるめたアンナがレティの背をなでながらフォルテューナにそっとささやいた。
「こうしているとね、迷子の仔猫を手懐けた気分になるんだ」
「ふふ、わかります。実は私もなのです」
保護した仔猫の傷を手当てして、ご飯を食べさせて。元気になるようにと願うところまで一緒だ。
「これから修道院のお掃除かい?」
「はい、カメリア様に頼まれていたのです」
「あの方も高齢だからね。フォルテューナが手伝ってくれるなら喜ぶだろう」
カメリア様はこの寂れた修道院を一人で切り盛りする修道女だ。
親切で、優しい人。レティと初めて会うけれど、きっとかわいがってくれるに違いない。
「私もお手伝いします!」
「うんうん、レティは良い子だ。しっかりと働くんだよ!」
頭をなでられて喜ぶレティは、やっぱり素直で良い子なんじゃないかなと思う。
「レティ、籠を台所に置いてきてくれないかしら?」
「はい!」
レティは元気よく駆け出した。仔猫の尻尾のような髪が見えなくなるまで見送って、フォルテューナは口を開く。
目の前にいるアンナが何か言いたそうな顔をしていた。
「もしかしてレティのことですか?」
「ああ、そうだ。少しずつだけど噂になっているよ」
アンナは、先ほどまでとは一変して厳しい表情を浮かべている。
その表情にフォルテューナは察するものがあった。
「ロアルディ家はレティをあきらめていないのですね」
「連れ戻したからといって、すべて丸く収まるわけがない。浅はかな人達だ」
フォルテューナは、彼女にだけレティの生い立ちと逃げ出した理由を教えている。仕事柄、周囲に人が集まるから情報が集まりやすいと思ったからだ。隙を見て、ロアルディ家の手が届かない場所にレティを逃すためにも情報は大事。
話を聞いたアンナは激しく怒り狂い、ロアルディ家とロアルディ商会の情報をすごい勢いで集め出したのだ。
しかもこれがまた、おそろしいほどに精度が高い。これだけの情報をどこからどうやって集めたのかやり方はわからないけれど、一番敵に回してはいけないのは彼女のような人だ。
「レティが逃げ出してから半年以上経つだろう? とうとう在庫も尽きたようで、このところロアルディ商会の扱う麻酔薬と麻痺薬の質が明らかに悪くなったそうだ」
「質が悪いというか、元の品質に戻っただけなのですけれど。一度でもレティが調合した薬を使ってしまうと、効果の差は歴然ですからね」
この半年でレティの「適性は誇張でも飾りでもない」という言葉が、フォルテューナにもわかった気がする。
レティの作る麻酔薬と麻痺薬は看板商品になっていたから、ロアルディ商会の受けた打撃も大きかったようだ。
取引先からは契約を打ち切られ、輸出量も目減りしているらしい。
売り上げも当然下がるから、今までのように遊び歩くなんてこともできない。
「そのうえ軍の討伐にまで影響が出るようになってね。褒賞を授けたのに怠慢だと国からお叱りを受けたそうだ。しかもそれだけでは怒りが収まらないようで、今後改善が見られなければ子爵家と商会に査察が入るそうだよ」
「査察はいつ頃だと聞いていますか?」
「今日発表されて、半年くらいは猶予を与えると聞いているよ。それでも改善が見られなければ、査察を行って結果を公表するそうだ」
「魔法薬の販売は国益にも関わります。半年も我慢できるかどうか……患者が増える冬の頃、せいぜい三ヶ月が限度でしょうね」
国の行う査察を甘く見てはいけない。厳しいと評判の取り調べを受けたら、おそらくロアルディ家はレティのことを話すだろう。そうしたら国は総力を挙げてレティを探すに違いない。適性が毒特化だと知れたら余計にだ。
その前に、あの子をこの国から逃さなければ。
アンナは思案するフォルテューナの顔を心配そうな顔で見つめていた。
「手はあるのかい?」
「いくつか心当たりがありますが、正規の手続きで出国するのはむずかしい。できれば彼らの想定の上をいく、意外性のある逃走経路がいいですね」
ここから先はフォルテューナの腕の見せどころだ。
しっかりとうなずいたところで、レティが駆け戻ってくる。
「アンナさん、帰るのですか?」
「そんなさみしそうな顔をするんじゃないよ。また来るからね。じゃあフォルテューナ、頼んだよ」
「ええ、お任せください」
「まだ来たばっかりなのに」
「アンナさんにはお店の開店準備があるからね。あなただってこれから往診があるでしょう?」
その後、カメリア様に挨拶をして教会の掃除を手伝い、午後には店へ戻った。
するとちょうどそこに医師――――レティの主治医であるダリオ先生が姿を現した。彼はフォルテューナとも長い付き合いのある医師だった。
「ようこそ、ダリオ先生。あら、今日はライアン先生もご一緒なのね!」
「ああ。忙しいくせに、どうしても一緒に行きたいと粘られてな」
「ちょ、ちょっと、先生! それは言わない約束でしょう!」
先々月くらいから、ダリオ先生の助手であるライアン先生が一緒にくるようになった。セントアイル王国で医師免許を取得し、経験を積むためにこの国にきたそうだ。ちなみにライアン先生はダリオ先生の甥っ子にあたるのだとか。
レティは先ほどからそわそわしていたが、視線がライアン先生と合うと彼女の頬が赤く染まった。
「あ、あの、よろしくお願いします……」
「こちらこそ」
フォルテューナは目を丸くした。
おやおや……さっきまで元気いっぱいだったのに、恥ずかしいのか。
そしてライアン先生の頬も、ほんのり赤かった。あわてて眼鏡の位置を直しているが、フォルテューナの目はごまかせない。
ほんの少し頬の赤いライアン先生が、真っ赤な顔をしたレティの手をとった。
「じゃあ店に戻ったら、いつものように診察しようか」
「ライアン、主治医は私だが?」
「夜勤を代わってあげたでしょう? レティは私が診察します。そばで見るだけにしてください」
「ええー、ってわかったよ。わかったからにらむんじゃない」
おやおやおやおや……これは、もしかして?
ニンマリとフォルテューナの口角が引き上がった。そのままの体勢で、そそっとダリオ先生に近づく。
「いいのですか?」
「いいわけないだろう、公私混同も甚だしい」
「でも許してらっしゃる?」
「レティを診察できる腕はあるからな。症例にしか興味のなかった甥にも遅い春が来たみたいだ」
年齢的にはレティの五歳年上。事前調査では医師として優秀で、生活面にも大きな問題を抱えてはいなかった。
レティを一人前の淑女として扱ってくれるし、彼女もそれが嫌ではないらしい。レティはライアンの手に自分の手を添えて幸せそうに笑っている。
レティと並んで歩きながらライアンは微笑んだ。
「診察が終わったら、致死性の毒をどこまで無害化できるか相談したいんだけど」
「はい。ちなみに即効性と遅効性、どちらの毒を想定していますか?」
「できれば両方かな。解毒が間に合わなかった場合の臓器への影響も調べたい」
「でしたら、解毒が間に合わないことを前提に考えたほうが効率的ですね」
「なるほど、それは盲点だった。ぜひ詳しく聞かせてほしい」
レティの瞳が輝く。役に立てると思ってよろこんでいるのだろう。
慈しむように笑って、ライアンはレティの顔をのぞき込んだ。
「ものすごく楽しそうなのですが、内容は物騒なんですよねー」
「レティの専門知識が甥の研究分野と丸かぶりらしい。無防備にあんな会話……私はライアンが毒殺魔と勘違いされて兵士に連行されないかが不安だ」
「今まで連行されてないから平気じゃないですか?」
ダリオと並んで歩きながら、フォルテューナは背後から二人の姿を観察する。
「確実にお付き合いまで秒読みですね。結婚も視野に入れていたりして」
「レティも成人しているからな。まぁ本人同士が納得しているならいいだろう」
「そういえばライアン先生はセントアイルのご出身でしたよね?」
「ああ、そうだ。そういえば滞在許可証の更新手続きのために、近々、セントアイルへ戻るらしいぞ」
その瞬間、フォルテューナはひらめいた。
これよコレ、この意外性が大事なのよ!
「彼、いいですね。もらってもいいですか?」
「まさか、おまえさんが? 春が来るには、いくらなんでも遅すぎないか?」
「いろいろな意味で失礼ですね! 私じゃありませんよ、どう見ても相手はレティでしょう!」
さて吉と出るか、凶と出るか。
時間も惜しいところだし、軽くレティを突っついてみよう。
先生達が帰った後、フォルテューナはぼんやりと窓の外を見つめる彼女にハーブティーを満たしたカップを差し出した。
「ライアン先生にお付き合いを申し込まれたのかしら?」
ハッとして振り向いた彼女の顔は夢見る少女のものではなかった。
覚悟を決めた、立派な大人の女性のもの。
「そう、すでに愛しているのね」
「おかしいですよね。愛を捨てたばかりで、すぐに別の誰かを好きになるなんて」
「違うわ。愛を捨てたからこそ、新しい愛を手に入れる余地ができる」
フォルテューナはうつむいたレティの頭をなでた。
彼女はこんなに呆気なく、誰かを好きになるなんて思わなかったのだろう。
「この店で愛を買い取るのはそれが理由なの。愛に縛られて幸せになれない人から、いらなくなった愛を買い取る。人間は器が小さいから、一度にはたくさんのものは持てないのよ。だからね、愛を失ったレティがライアン先生を好きになるのはむしろあたりまえのことなの」
「でもまた失ったらと思うと、こわくて……」
回復薬や治癒薬を作れないことを、彼女はいまだに欠点だと思い込んでいた。
自分に自信がないから、あと一歩を踏み出せないでいる。
フォルテューナは眉を下げた。
本当は言いたくないけれど。仕方なく、カードを切った。
「よく聞いて。ロアルディ家があなたを探している」




