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第五話


 今日、レティは新天地へと旅立つ。


 セントアイルには風光明媚な観光地がいくつもあって、地上の楽園と呼ばれている。戻ったらライアン先生は診療所を開設するそうで、レティは薬師ギルドに登録し、麻痺薬と麻酔薬専門の薬師として働く。もちろん診療所で使う麻酔薬もレティが調合するそうだ。それだけは譲れないのだと幸せそうに笑った。


「元気でね、幸せになるのよ!」

「はい!」


 差し出したレティの左手には婚約指輪が輝いている。先月、善は急げとばかりにカメリア様立ち合いのもと、教会でライアン先生と婚約式を挙げた。私の用意したとっておきのアンティークドレスを纏ったレティの美しさはもはや国宝級だった。招待客とはいってもダリオ先生とアンナさんと私だけだけれど、控えめに大絶賛だった。ライアン先生なんてまともに顔も見れなくて……ふん、まだまだ精進が足りないわね!


 ちなみに入籍の手続きに必要な書類は事前に準備しておいて、すでにセントアイルの役所に郵送している。婚姻届の立会人はダリオ先生とアンナさん。セントアイルの法律では婚姻届の受理と同時に相手の戸籍に入るから、これでレティは名実共にセントアイル王国民になった。水面下で根回しに奔走した私は正直クタクタです! 


 ふふ、ロアルディ家だろうがセアモンテだろうがどんとこいよ。レティの影すら踏ませるものですか。それでなくても婚約が決まって幸せでいっぱいのレティに、かつての暗い影は残っていない。まるで蛹が羽化するように、しなやかさと優雅さを兼ね備えた大人の女性に変貌していたから。家族であっても、ちょっと見ただけでは本人とわからないのではないかしら?


 こんなに大人びてしまうともう仔猫と呼ぶことはできないわね……。

 残念だわ、あんなかわいかったのに!


 旅行鞄を携えたレティはアンナさんがあげた青いワンピースを着ている。青は幸せの色、レティの一番好きな色だそうだ。出発前、ライアン先生が迎えにくるまで最後のお茶会をしようとテーブルに座る。お茶にするハーブもまたレティの好きな種類にした。一口飲んで頬をゆるめると彼女はフォルテューナに小さな木箱を渡す。木箱には、二種類の薬を入れた薬瓶が五本ずつ並んでいた。


「フォルテューナさん、これは頼まれていたものです」

「さすがね! これ、レシピがあるのにどれだけ腕のいい薬師でも作れなかったのよ」

「素材から判断して、これは毒の一種です。適性のある人間にしか作れないものだからでしょう」


 淀みないレティの答えにフォルテューナはただ微笑んだだけだった。レティは知らないけれど、理由はそれだけじゃない。かつて麻痺薬や麻酔薬を調合できる薬師に頼んだこともあったけれど作ることができなかった。つまり毒特化の……青鈍の適性を持つ薬師にしか作れないということになる。


「こちらのうっすら赤みを帯びたほうが()()()。こちらの青みを帯びたほうが()()()です。ラベルを貼っているので大丈夫だとは思いますが、万が一にも取り違うことのないように、食紅で色をつけておきました。効果効能には影響がありませんのでご安心ください」

「さすが、気が効くわね!」

「両方ともはじめて作りましたが、素材や調合の割合など参考になるものが多かったです。ですがこの惚れ薬……相手に服用させるのではなく、自分が飲むものなんて需要があるのですか? こんなもの飲まなくても、好ましい相手なら好きになりそうなものなのに」


 レティの視線の先にはうっすら赤みを帯びた薬瓶があった。愛を捨てた彼女には、無理してでも愛を得ようとする行為が理解できないのだろう。でもこの薬が救いになる人もたしかにいるのだ。それがこの世界の不思議なところ。


「ここから先は、あなたにも秘密よ。でも悪いことに使うわけではないからそこは信用していいわ。さあ、これが対価よ。受け取ってちょうだい」


 フォルテューナは卓上に金貨の詰まった小袋を置いた。袋の中で硬貨が擦れ合うざらっという音がする。


「対価なんていりませんよ! フォルテューナさんには部屋を貸していただきましたし、食事や服、日用品まで揃えてもらったのです。婚約式のときは素敵なドレスまで……これ以上はもらいすぎです」


 恩返しのつもりだったのに。困った顔で眉を下げたレティの手をフォルテューナは握った。


「現実は甘くないわ。あなたはこれから一人で生きて行かなければならないの。言葉も不自由な土地で、ライアン先生の支援以外、誰の手を借りることもできない。そういう状況の中で、あなたが自由にできるお金はいくらあっても邪魔にはならないわ。これで専門家の知恵を借りることもできるし、人手が足りなければ人を雇うこともできる」

「フォルテューナさん……」

「だから好意だと思って持っておきなさないな。それでも返したいと思うのなら、仕事が軌道に乗ったところで麻痺薬と麻酔薬を私の店に卸してちょうだい? 品質のいい魔法薬は大歓迎よ!」


 そう答えて、フォルテューナはにっこりと笑う。勘を取り戻したいからというので麻痺薬と麻酔薬の材料を渡して何度か作ってもらったのだが、効果の差は歴然としていた。一度でもレティの薬を使ってしまえばロアルディ家の卸す薬は使えない。フォルテューナとしては新たな仕入れ先も確保できるし、ちょうどよかった。


「フォルテューナさんは……どうして、そこまで親切にしてくださるのですか?」


 口に含んだお茶を飲み込んだフォルテューナは、窓の外へと視線を向けた。レティの視線の先にはいつもと変わらない表情で窓の外を見つめるフォルテューナがいる。


「安心していいわ。レティのためだけではないの。自分のためでもある」

「……」

「この店はね、私が失ったものを取り戻すために作ったの。取り戻せないものもあるけれど、それでも取り戻せるものもあるはずだと信じて作った最後の希望。明日を生きる理由で、私の誇り」


 そう、いつもと変わらない表情のはずなのに。陰りを帯びた横顔はレティの知らない別の誰かに見えた。


「だからね、店と私の未来のためにレティには幸せになってほしいのよ」


 視線を戻したフォルテューナは、冗談めいた口調で軽やかに笑った。


 話さないのは、レティが聞かないほうがいいことだから。彼女にどんな過去があるかわからないけれど、この魔道具店が支えなのだということはレティにも理解ができる。

 レティが薬を作ることでお店を残す手伝いができたら恩返しになるだろう。薬師としてフォルテューナを支えたい。そう決めたレティはフォルテューナの手を握り返した。


「落ち着いたら連絡します。もし困ったことがあって手助けが必要であれば、いつでも連絡してください」

「ふふ、ありがとう。レティは優しいわね!」


 フォルテューナはレティの頭をなでた。なでられてうれしそうに頬を染める彼女は、やっぱりフォルテューナの知る愛らしい仔猫のままだ。


「そうそう、もしあなたのようにどうしても愛を捨てたいと願うお嬢さんがいたら、この店をこっそり紹介してもいいわよ。愛を買い取ってくれる店があるからと」

「い、いいのですか?」

「もちろんよ。ただし、口の堅いお嬢さんだけにしてね? 女性のおしゃべりは罪ではないけれど、厄介ごとを呼ぶ種にはなるから」

「は、はい。私も気をつけます」

 

 真剣な表情をして彼女はうなずいた。そのとき、フォルテューナは、ハッと顔を上げる。


「あら、ガーゴイルのところにライアン先生がついたみたいよ?」

()()()()()のところですね!」

「ガーちゃんね……あの奇妙な像が好きなの?」

「はい、最初はこわかったけれど……よく見ると愛嬌があってかわいいです!」


 レティはどういうわけかガーゴイルの石像が気に入ったようで、()()()()()とあだ名で呼んでいた。レティの新たな一面を発見してしまったわ。独特の感性をしているというか……あれがかわいいとは。フォルテューナはハタと思いついた。


 だったら結婚祝いにガーゴイルの中にいる精霊をつけてあげましょう!


 気にいるということは、中にいる精霊との相性もいいということだ。精霊も一緒に行きたいようでソワソワしているから、きっと喜んでついていくに違いない。


 人の世で、ガーゴイルの像は魔除けの役割を果たすとされる。悪意を持つ者を惑わせて、近づけないようにするからだ。庭にでも置けば家の守護者としてきっと役立つだろう。


「気に入ったのならガーちゃん連れて行っていいわよ。移動の負担にならないようにするから、あっちでもかわいがってあげてね」

「えっ、そ、そんなことできるのですか?」

「荷物に化けて勝手についていくわ。いつの間にか庭にいるけれどびっくりしないでね」

「石像の魔道具がついてくる、しかも勝手に……フォルテューナさんの魔道具店はなんでもありですよね。そっちのほうがびっくりです」

「驚かないのは経験値が違うだけよ。それで引き取ってくれる?」

「もちろん!」


 そして快くガーゴイルは引き取られていった。ああ、また新しい精霊と契約しないと……。今度はもうちょっと長続きしてくれるといいな。


「あ、ライアン先生です!」

「もう先生ではないでしょう? 婚約者なのだから呼び捨てにしてもいいのに」


 フォルテューナがからかうと、ボフッと音がするくらいにレティの顔が赤くなる。いけないとわかっているけれど、からかうのってちょっと楽しいわね。到着したライアン先生はレティの真っ赤な頬に軽く口づけると、フォルテューナに頭を下げた。


「フォルテューナさん、今までレティがお世話になりました」

「必ず幸せにしてくださいね」

「お約束します」

「レティ、アンナさんはお店で待っているそうだから心残りのないようにね」

「はい、フォルテューナさんにも今までお世話になりました!」


 深々と頭を下げたレティはライアン先生と手を繋ぐと微笑みながら背を向けた。その迷いのない背中がまぶしくてフォルテューナは目を細める。


 ――――ねえ、レティ。過去、ロアルディ家に生まれた青鈍の適正を持つ娘達がどうなったのか、記録は残されていないと言ったわよね? 命を奪われたのか、それとも一生隔離されたのか。行方も生死すらはっきりとはわからない、と。それはどうしてかしらね? 


 フォルテューナの脳裏で同じように見送った別の背中が重なる。


 記録に残さなかったのではなく、()()()()()()()()()としたら? たとえば彼女達もあなたと同じように逃げる道を選んだとすれば、どうかしら?


 たしかに取り戻せないものはある。でも取り戻せるものだってきっとあるはずだと信じて。


 二人の姿が見えなくなると同時に、ガーゴイルの気配も消えた。あの子、挨拶もせずに消えたわ。ガックリとフォルテューナは肩を落とす。それなりに付き合いはあったのに薄情ね。まあしょうがない、精霊とは気まぐれなものだから。


 ちなみに国に戻ったライアンが建てた診療所は、しばらくすると近隣住民に()()()()()()()()()と呼ばれるようになったそうだ。理由は庭の隅に玄関から見えるか見えないかという絶妙な角度でガーゴイルの石像が置かれているから。件のガーゴイルは妙に愛嬌のある顔をしていて、どういうわけか患者や子供に怖がられることもなく、いつの間にか不動のアイドル的地位を確立していた。

 ライアンとしては石像が自分よりも人気があるのは微妙にうれしくない。だがレティが喜ぶからまあいいかと許しているうちに、今度は自分が()()()()()()()()と呼ばれるようになった。本人は不本意だったが――――これは全て、これから起きる未来のお話。


 フォルテューナは店に戻ると、薬棚にレティの調合した薬をしまって厳重に鍵をかけた。ガラス越しに光を浴びた薬瓶が鈍い光を放つ。一瞬、あまりの美しさに魅入られて深々と息を吐いた。レティの作る薬はどれも毒とは思えないほどに美しい。うっかり魔性に惹かれて口にした人間は、己の身を深く侵食されるまで、これが毒だなんて思いもしないだろう。


 そう、彼女の家族も同じだ。レティの全てを奪ったつもりで、実は自分達のほうが消せない毒に支配されていたなんて思ってもいなかったでしょうね。


 店先で、カランカランとドアベルの音がする。振り向いたフォルテューナは、すでに店主の顔だ。


「フォルテューナ・パンタシア魔道具店へようこそ。私が店主のフォルテューナですわ。さて、本日はどのような品物をお探しでしょう?」


 魔道具か、それとも魔法薬、魔法書。もしくは……買い取りかしら?

 柔らかく微笑んだフォルテューナは客を日当たりのよいテーブルに案内して、茶葉の入った缶を手にした。


 そこからさらに二ヶ月後。フォルテューナは霜を踏み締める音の隙間で、とある噂を聞いた。


 ロアルディ子爵家とロアルディ商会に査察が入ったそうだ。容疑は褒賞の不正受給と、虚偽申請に文書偽造。理由は明確に示されなかったけれどフォルテューナにはわかる。間違いなくレティ絡みだろう。査察後、間をおかずしてロアルディ子爵家の取り潰しとロアルディ商会の解散が王によって命じられた。そしてもうひとつ、王の命によって騎士団に一人の少女の捜索が指示される。


 娘の名はレティツィア・ロアルディ。


 家族によって病気と偽り閉じ込められていた悲劇の娘。閉じ込められた理由は明らかにされなかったけれど、子爵家の名を高めた麻痺薬と麻酔薬は彼女が作ったものだと発表された。つまり家族は、まだ成人前の娘を閉じ込めて働かせている間に、自分達だけは賞賛と利益を享受していたことになる。彼女の置かれていた劣悪な環境を使用人達が証言したこともあり、当然のことながら、世間はロアルディ元子爵家の人間を激しく非難した。


 ちなみに病気を理由として婚約者を姉に変更したレティツィアの元婚約者は、事実が明らかになってすぐにロアルディ家に婚約破棄を突きつけたそうだ。


『元々、レティツィアに一目惚れしたから婚約したんだ。婚約者を変更したのは家の都合というだけでビアンカを愛したことなんてない』

『そんな……私を大切にしてくれるって言ったじゃない!』

『政略結婚の相手として大切にするという意味だ。私の捧げる愛は今も昔も変わらずレティのもの』

『どうしてよ、なぜいつもあの子ばかりが愛されるの! 薬師としての才能も、婚約者も、私が欲しいものは全部あの子が持っていってしまう。だったら返してもらったっていいじゃない!』


 婚約者から婚約破棄を突きつけられた姉は、こう言って泣き崩れたという。こうして地位も名誉も職も、愛すら失ったレティツィアの家族は必死になって娘を探した。彼女を取り戻せば全てが元どおりになると信じたからだ。だが、娘の行方はようとして知れず、数年経ったところで国の捜査は打ち切りとなった。それでも家族は諦めきれずに探し続けていたようだが、いつの間にか彼らの行方もまたわからなくなったという。


 そんな彼らは行く先々で人々から聞かれるたびに、こう答えていたらしい。


『我々は娘を愛していた。娘も愛されていると知っていたはずなのに、なぜ逃げたのかわからない』

『ただ我々を困らせようとしただけで、あの子もまた我々を探しているのだ』

 

 あの子はきっと帰ってくる。

 だって家族を愛しているのだから、と。

 



レティのお話はここまで。一見すると目立たない子ですが、彼女の存在は以降のお話に深い影響を与えます。

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