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第三話


 扉が静かに開いた。音に反応して長女のビアンカが期待を込めた眼差しで椅子から立ち上がる。


「お父様、解毒剤は?」

「……できなかった。秘密裏に解毒剤が得意な部下に任せてみたけれど手も足も出ないそうだ」

「そんな……」

 

 ロアルディ家の居間に重い沈黙が落ちた。ガタリと音を立てて、誰もが椅子に座り込む。彼らの視線が机の上に置かれた薬瓶に自然と引き寄せられた。一切澱みのない無色透明な液体は、厚みのある薬瓶の内側で澄んだ輝きを放っている。


 ――――毒なのに、どうしてこんなに美しいのだろう。


 無垢でありながら残酷で、まるでレティそのものだ。

 誰しもの心を占めるのは、矛盾と思えるような現実だった。


 レティツィアは天賦の才を持っている。これが家族の総意だ。飽くなき探究心も、真面目で頑固な性格も、薬師となるために必要なものを全て与えられたような娘だった。あの子が、どれだけ素晴らしい特効薬を生み出すのか楽しみにしていたというのに。

 それが、まさか毒特化だったなんて――――。一瞬にして、レティツィアが自分達とは別の生き物になったような気がした。


「まさか、本当にレティツィアが完璧な毒を作ってしまうなんて思いもしなかった」

「ああ、なんて悪魔を生み出してしまったの!」


 頭を抱えた当主オズヴァルトの呟きに、妻のベルティアは嘆いた。ビアンカが兄のジェラールに鋭い視線を向ける。


「お兄様、なんとかならないの?」

「私だってなんとかしたいさ。毒を中和するためにあらゆる薬を試したんだ。でも無理だ」

「お兄様の適性は黄銅(おうどう)でしょう、白銀に次ぐ二番目の! 解毒の適性もあるのに、どうしてできないの!」

「私の得意分野は回復薬だ! さまざまな食材から効果効能のある成分を抽出し、より早く効率よく回復させる薬を作りたい。それに適性の話なら、ビアンカだって赤銅だろう! 毒には詳しいはずじゃないか、どうして分析結果を報告してこない!」

「それは……わ、私だっていろいろ忙しいのよ!」

「買い物や婚約者と出かけるのは忙しいというのか?」

「それをいうならお兄様だって食事をするためだけに地方にまで足を伸ばしているじゃないの!」

「私のは仕事だ!」

「二人とも、うるさい!」


 父親の叱責に二人は黙り込む。再び、全員の視線が毒に向いた。


「今話し合うべきはこれをどうするかだろう」


 どのような影響があるかわからない以上、安易に捨てることもできない。かといって、誰かに飲ませるわけには……そのとき意図せず全員の脳裏に一人の少女の顔が浮かんだ。


「ダメよ、レティツィアの作る麻酔薬と麻痺薬は今もっとも需要のある商品なのだから」


 商会長の顔をした母親が、すぐさま冷ややかな声で打ち消した。誰もが気まずい顔で視線をそらす。


「……まあいい、そのうち新たな薬が開発されれば毒の効果を打ち消すものもあるかもしれない」

「そ、そうだ、! 未開の地には新たな効能を持つ食材が育っている可能性もあるしな!」

「私も出掛けた先で新たな薬の素材になりそうな情報を収集してくるわ」


 それぞれが自分にとって都合のいい結論にたどり着いたところで、ビアンカが口角を上げた。


「ねえ、こうなったら用心に用心を重ねるというのはどうかしら?」

「どういうことだ?」

「戸籍上であの子を死んだことにするの。そうすれば誰もあの子に接触しようなんて思わないでしょう?」


 きれいに整えられた爪が軽くテーブルを叩いて、ビアンカの真っ赤に塗られた唇が大きく弧を描く。


「悪しき心根の人間に利用されないように、あの子の存在そのものを消してしまうのよ。材料も機材もないのだから、あの子はもう毒を作れない。家を出ることもできないから自分で素材を集めに行くこともできないわ。つまりあの子がこれと同じ毒を作ることは二度とできないの。爪を失い、牙を抜かれたあの子は無害な仔猫と同じ。それなら存在を消して、一生この家に留め置いたほうが安全よ。そう思わない?」

「だが、そこまでしなくても……」

「ならばもし、あの子にお見舞いにくる人が来たらどう断るの? 建前上は病気療養中よ? 医師にも見せないで、薬だけで治療するにも限界があるからと、誰かがおせっかいをして医師を帯同してきたらどうするのよ」

「それは……」

「世間に疎いあの子には、安全な場所で麻酔薬と麻痺薬を作り続けることが幸せなのよ! だったら、そういう環境を整えてあげることが家族としての優しさじゃない?」

「麻酔薬や麻痺薬のことで聞かれたらどうするの?」

()()()()()()、私が答えるわ。適性のある私なら品質のいい麻酔薬や麻痺薬が作れることは当然のことだもの。特に吹聴しなくても、皆私が作ったと思っているからその思い込みを利用するの」


 それまでの淡々とした表情から一転、悲しそうな顔でビアンカは呟いた。


「レティツィアは、かわいそうだと思うわ。でもあの子の場合、ありのままで生きるほうがつらいのよ。それなら存在を消してあげて、心穏やかに暮らせる環境を整えてあげることがあの子の幸せに繋がると思うの」


 父も母も兄も、感心したようにビアンカを見つめている。


「優しい娘だ」

「ええ、優しい姉を持ってレティツィアは幸せ者ね!」

「ビアンカの口からそんな優しい言葉が出るなんて、見直したよ」

「もう、失礼ね!」


 家族団欒のような、和やかな笑い声が弾けた。


 ――――


「……ということがありました」

 

 フォルテューナは思わず声を失った。生きたまま戸籍と功績を奪われて、どこが幸せなのか。


「その感覚は、もはや普通ではないわね」

「でも私の家族にとっては、これが普通のようです」


 特殊な環境ゆえに、少しずつ歪んでいったのだろうか。淡々とした表情で話すレティもまた、自分のことなのにどこか冷めている。


「そんな状況でよく逃げられたわね」

「いつもであれば部屋の外から鍵がかけられるのですが、毒の存在がよほど衝撃的だったのでしょう。珍しく鍵をかけ忘れたのです」

「それで逃げたの?」

「いいえ、まだそのときは逃げようなんて思っていませんでした。むしろ自由に動ける状況にうれしくなって居間にある本を取りに行きました。部屋に備えている本は全て読み尽くしてしまったし、家族みんなで読めるようにと、本の新刊はいつも居間に置いてあったことを思い出したので」


 そこで本を物色しているうちに、扉の外から家族の話し声が聞こえた。見つかったら、きっとひどく怒られる。こわくなったレティはカーテンの裏に隠れた。そこで全ての話を聞いてしまったらしい。


「それで家を出たのね」

「いいえ、これも理由の一つではありますが、きっかけは別にあります」

「まだあるの⁉︎」

「きっかけというか、私の気持ちの問題なのですが……」

 

 レティはカーテンの隙間から姉の顔を見てしまった。悲しげな表情をした姉の口元が愉悦に歪んでいることを。そしてようやく姉が意図的に自分のものを奪っていたことに気がついた。


「私の婚約者、私の功績、そして最終的には私の存在まで。姉は私の全てを消して、自分の存在で上書きしたかったのです」


 姉が自分の何を気に入らなかったのか、今でもレティにはわからない。ただ姉自ら望んで婚約者を交代したことも、家族から麻酔薬や麻痺薬の出来栄えを褒められることがなかったということも。疑問に思っていたことはこれで全て納得がいった。そして息を殺して家族の言葉を聞きながら、レティはずっと考えていたのだ。


「私のポケットには家族に渡したものと同じ毒が入っていました。処理に困った彼らがこの毒を私に使おうとしたのはわかっています。……けれどもし、逆に私がこの毒を彼らに使ったらどうなるのでしょうね?」


 フォルテューナは言葉を失った。

 そうよ、レティだけが特別じゃない。ときには人の愚かさが彼女のような悪魔を生むのだ。


「もしここにいる家族全員が命を落としたとしたら、残るのは私一人になります。数年前から病気療養中とされた私の容姿を知る人間はそこまで多くはありません。友人もいませんし、親族も多くはない。そして今はやつれて面影はないですが、姉と私の容姿は実のところよく似ているのですよ。上手く事を運べば姉と入れ替わることができるかもしれないと、そう思いました」


 姉がしてきたように、今度は私が姉の全てを奪う。レティの呟いた言葉の重さにフォルテューナは黙り込んだ。


「私の作った毒は体内に痕跡を残さないのです。つまり、毒が命を奪ったことは誰にもわからない」

「……」

「そして私はたまたま運良く難を逃れたことにするのです。家族を一度に亡くしたために精神的に参ったふりをして数ヶ月は姉の部屋に閉じこもる。その間に、服や癖を真似て、体型を取り戻していけばいい。性格はさすがに似せることはできなくても、変わったのは深く傷ついたせいだと思ってもらえるでしょう。姉の一番近いところにいる他人――――婚約者は、気遣いのできる優しい人でしたから」


 婚約者はもともとレティのものだ。そして評判のいい麻酔薬や麻痺薬もレティが作った。そして自分の存在を失う代わりに、今度はレティが自由を手に入れる。


「全部元どおりとは言えません。ですが奪われたものは取り戻せる」

「……レティ」


 揺れるカーテンの影をまとい、レティはにっこりと笑う。とてつもなく陰惨なことを言ってのけたくせに、無垢な瞳はどこまでも澄み切っていた。困ったわ、どこまで本気か判断がつかない。困惑するフォルテューナと瞳が交わって、レティはクスクスと笑った。


「……と、思ったのですけれどね。結局のところ、何もしませんでした」

「でしょうね、そんなことが実際にあったら大事件だもの!」

「ふふ、冗談ですよ! びっくりしましたよね!」


 あまりにも真に迫っていたから一瞬信じかけたわ……安堵してフォルテューナは深く息を吐く。ロアルディ商会長とロアルディ家の当主のどちらかだけでなく、どちらも亡くなったのだったとすれば世間が大騒ぎだろう。


「もう、心臓止まるかと思ったわよ」

「さっき食べるとか脅されたのでお返しです」


 楽しそうに笑って、子猫のように目を細める。


「我に返ったとき、家族の命を奪うという発想をした自分が恐ろしかった。それと同時に、そこまでこだわる価値がロアルディ家にあるのかと思いました。そこでもう一度、よくよく考えてみたら、そうでもなくて。これが逃げようと思ったきっかけです」


 レティは視線の先にある道具箱に視線を注ぐ。


「あの箱には調薬するための道具がしまわれています。父と母が、死んだように生きる娘を憐れんで揃えてくれた最後の贈り物です。あの箱には薬師である私の全てが詰まっている。裏を返せば、あの道具箱さえあれば、私はどこにいたとしても生きていけるのです」

「非力で繊細そうなのに、意外と大胆なことをするのね!」

「薬師の正道である回復薬や治療薬を作ることはできないのです。精神的に図太くなければ生きていけませんでした。ですが、使い方によっては毒も便利な薬になるのですよ」


 最後にどこかすっきりとした顔でレティは笑った。


 午後になり、レティは診察を受けた。半年は医師の診察が必要で、治療薬と回復薬の服用を指示された。栄養失調の身体で回復が遅れていることが大きな原因だったが回復を遅らせている要因が、もうひとつあることがわかった。


「わずかだが、体内から毒が検出されたよ」

「……なんてこと」


 レティの体から少量の毒の痕跡が見つかった。まさか、こんな小さな体が毒に蝕まれていたなんて。ただ蓄積しない種類のものではあるようで、内臓にも損傷は残らないそうだ。どうやら食事の回数が減らされていたことが、むしろ功を奏したらしい。お医者様の処方した毒消しを飲ませながら、それだけは唯一の救いかもしれないと思ったらちょっと泣けてきた。

 診察の最後に、レティはいつになったら働けるようになるかお医者様に聞いていた。今は養生が必要な自分のことだけを考えればいいのに、健気な子だわ!


「まあ、いますぐ働くのは難しいけれど寝たきりというのもよくない。様子をみながら、体調の良いときは家事をするくらいなら大丈夫だろう」

「ありがとうございます」


 生真面目な顔で頭を下げたレティが、医師に聞こえない音量でフォルテューナに囁いた。


「他国には、毒をもって毒を制すという言葉があるのをご存知ですか?」

「え、どういうこと?」

「使い方によっては毒も便利な薬になるのですよ」


 仔猫でも、しっかり爪と牙は隠し持っているものね。そして彼女なら毒から新たな薬が作り出せたかもしれない。可能性を手放したのは他でもない、彼女を愛して、愛されたはずの家族。

 お医者様が帰ったあと、テーブルに向かい合って座るとフォルテューナは囁いた。


「ねえ、レティ。あなたにその愛はいるかしら?」


 握ったカップから芳しい香りがたちのぼる。心落ち着かせる、天然のハーブの香りだ。


「どういうことですか?」

「もしいらないならば、この店で買い取りましょう」


 ますます意味がわからない。レティは首をかしげた。


「あなたは彼らを愛していた。だから家を出たのよね。これ以上奪われたら憎んでしまいそうで」

「……」

「家を出た今、あなたにその愛は必要かしら?」


 レティの顔が、大きく歪んだ。


「でも家族があんなふうに変わってしまったのは、私のせいなの」

「いいえ、彼らが変わってしまったのは断じてあなたのせいではないわ。どう変わるかは彼らの気持ち次第。だって彼らは地位も職もある大人だもの、自分が生きる道を好きに選べるわ。あなたと違ってね」

「彼らが変わったのは、私のせいではないと?」

「そうよ。それにね、彼らはレティの自由を奪って生み出す利益を搾取した。家に縛りつけて、自分の代わりに薬師の仕事をさせたのよ。愛想を尽かされて逃げられても仕方ないわ」

「……っ!」

「本当にあなたを愛しているのなら、適性を隠すのではなく共に戦うべきだった。今はまだ仔猫でも、あなたには立派な爪や牙があるもの。あなたなら自分の技量で世間に価値を認めさせることができたでしょう」


 レティにはそれだけの価値がある。


 柔らかく微笑んだフォルテューナに、レティはハッと息を呑んだ。やがて、ぽつり、ぽつりと頬を滑り落ちた涙が彼女の膝を濡らす。


「両親も兄も姉も。面と向かって言うことはありませんでしたが私を疎ましく思っていることは感じていました。でも信じたくなかった……まさか自分が家族に愛されていないなんて信じたくなかったの」


 その気持ちはフォルテューナにもよくわかった。自ら望んで青鈍の適性を持って生まれたわけじゃない。彼女が望んだ言葉はたった一つ。レティツィアは悪くないと、そう言ってもらいたかった。


「でも私が愚かでした。期待するから失望するのですよね」


 それでも期待してしまうのは、自分はまだ愛されていると信じたいから。でも彼らの愛は幻想だと理解した今は、もうこの愛はいらない。そしてそこには熱烈に愛を囁きながら簡単にレティを手放した婚約者への愛も含まれる。


「もし(すべ)があるなら、この愛を買取っていただけますか?」

「もちろん、喜んでお買い取りいたします」


 商人の顔になって、フォルテューナはにこやかに微笑んだ。


「ですが、まずは体を休めましょう。買い取るのは一ヶ月後ね」

「わかりました」


 レティは真剣な表情でうなずいた。期間をあけるのは、冷静になって心変わりする可能性もあるから。愛を捨てないこと、それもまた彼女が選んだ結果だとフォルテューナは受け止めている。


 そして、一ヶ月後。


 鍵を揺らしながらフォルテューナはレティと一緒に螺旋階段を降りていた。この一ヶ月でレティの顔や体つきがちょっとだけふっくらしている。顔色もいいし体の動きも滑らかになって、長時間動き回ることもできるようになっていた。まだ万全とは言いがたいけれど、本人がどうしてもと望むからここにいる。

 

「呼び鈴を渡すから体調が悪くなったら鳴らしてね。迎えにいくわ」

「わ、わかりました」


 呼び鈴を手にしたレティは、ありふれた四角い扉を選んだ。鍵を彼女の手のひらに置く。終わったら、鍵をかけること。最後にフォルテューナは唇に指を添えた。


「いいわね、この先で見たことは秘密にするのよ」

「はひ……そう言われると、なんだか緊張しますね」

「大丈夫、こわいことは何もないわ」


 大きく息を吸って、吐いて。レティは扉を自ら開ける。

 そして扉を閉める前に、彼女はフォルテューナを振り返った。


「家族が望んだように私の存在を消すわけです。ね、私って家族思いだと思いませんか?」


 笑っているはずなのに、フォルテューナには泣いているように見えた。


 血の繋がった家族だろうと、性格や考え方に違いがあるのだから他人と同じだ。そこに無償の愛があるからこそ家族として繋がっていられたのに。


「彼も私から解放されるの。何の憂いもなく、きっとお姉様と幸せになれるわ」

「……レティ」

「これでやっと、みんなの望みが叶う」


 さようなら、愛した人達。諦めたように笑って、レティは扉を閉めた。



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