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第一話


 馴染みの店で貴重なローズマリーの葉をオマケしてもらった。人参に、ジャガイモ、それから玉ねぎ。これで鶏肉が手に入ったら今日は根菜のたっぷり入ったポトフを作ろう。フォルテューナは弾むような足取りで肉屋を目指す。

 

「ああ、よかった! ここにいたんだね!」

「アンナさん、どうしました?」

「どうもこうも、あんたに預かってもらいたい娘さんがいるんだよ!」

「ちょうど今は来客の予定もないですし、いいですよ」

「そうかい、助かるよ! このあたりで若い女の子を預けられるのはフォルテューナくらいしかいないからね」

 

 惣菜屋さんの経営者でもあるアンナさん。彼女が作るお惣菜は絶品だとこの界隈では大人気なのだ。人参のマスタードサラダに、ふんわりオムレツはフォルテューナのお気に入り。そんなアンナさんは無類の世話焼きでもある。いい意味でおせっかいというか、困っている人を放っておけない性格というか。


「それで、この子なんだけどね……」


 見た目から判断して十代前半の少女。身綺麗にしているし、着ている服は地味だけれど仕立ては悪くないから、裕福な商家か下級貴族の娘かもしれない。衝動的に飛び出してきたのだろうか、着替えや日用品は何も持っていないようだ。それなのに腕には特殊な形状の道具箱をしっかりと抱えている。


「家出してきたのでしょうね」

「そうだと思う」


 フォルテューナはアンナに囁いた。普段なら店で預かりつつフォルテューナがなだめておいて、探しにきた親へ引き渡して終わるのだけれど、この子の場合はそれをしてはいけない気がする。顔色が悪く、痩せ細り、明らかに栄養失調だ。しかも挙動不審、視線は忙しなく動いて常に周囲を警戒している。この怯え方はただ事ではない。彼女が誰かを調べる前に、まずは体調を整えてからだ。フォルテューナは道具箱だけを持ち、着の身着のままで飛び出してきたような少女から戻りたくないという悲壮感のようなものを感じていた。匿うには身分が庶民階級でないところは警戒が必要だけれど、まあなんとかなるだろう。


 さて、どんな愛が詰まっているのかしらね。かすかだけれどフォルテューナは彼女から愛情(商品)の残り香を感じていた。ありきたりだけれど、誰も救われないもの。無意識のうちに垂れ流されるのは、凝縮された悪意の残骸だ。


「では、このまま連れて行きます」

「任せたよ。そうそう、これを持ち帰って一緒に食べな!」


 籠にかかった布をめくるとアンナさん手製の惣菜が詰まっている。やった、オムレツがある。口角が上がりかけたところで少女の視線を感じ、そっと布を閉じた。

 ……勘違いしないでね。アンナさんの世話焼きに手を貸すのは断じて食べ物に釣られたからというわけではないわよ。フォルテューナは、まだ少女と呼ぶに相応しい歳のころと思われる彼女へ手を差し伸べた。


「はじめまして、私の名前はフォルテューナ。裏通りで魔道具店を営んでいるの」

「……、ま、魔道具店!」


 弱々しく掠れた彼女の声が弾んでいた。大きくうなずいて、フォルテューナは道具箱を指しながら微笑んだ。


「あなたの抱えている道具箱は、たしか魔法薬を作ったり、調合したりするときの補助器具が入っているものよね?」

「そそ、そうです。よ、よくわかりましたね!」

「大きさや形が独特だもの。商売柄、何度かお見かけしたの。気が合いそうな方でよかったと思って、それで……お名前を聞いてもいいかしら?」

「……っは、はい。レティツィアです」

「じゃあ、レティと呼んでもいいかしら? そのほうが、かわいいもの」

「かかかかわいいですか⁉︎ そそそんなこと言われたことがなくて……!」


 口ごもったり、言葉に詰まったりするのは人と話す機会が少なかったからだろうか。そのあたりにも事情がありそうだ。心配いらないよと微笑んでから、アンナさんは彼女の肩を軽く叩いた。


「じゃあ、まずは一晩ゆっくり休むんだ」

「……は、はい、っありがとうございます」

「明日朝また様子を見に行くからね」


 アンナさんに手を振って別れると、レティと手を繋いだ。歩き慣れていない様子で、足取りのおぼつかない彼女を支えながら、ゆっくりと帰り道を歩く。


「ああ、そうだ。()()()()()をかけておきましょう」

「おまじないですか?」

「ええそう、この五叉路(ごさろ)を使うのよ。ちょっと歩くけれど、体力は大丈夫かしら?」


 自信はなさそうだったけれど、レティは小さくうなずいた。二人の目の前には古びた噴水がある。石柱にまとわりつくガーゴイルが水を吐き出すという少々不気味なデザインのものだ。レティの視線がガーゴイルの目と合った。じっくりと見られている。まさか生きて……いないわよね?

 フォルテューナはレティの手を引きながら、一本ずつ道を進んでいく。


「噴水を中心にして放射状に五本の道が作られているの。まずは一本目の道。歩きながら獅子が描かれたタイルを踏んで」


 タイルは道の中心に置かれている。レティがタイルを踏んだことを確認して、突き当たりを右に曲がる。今度は二本目の道にぶつかるのでそのまま歩いて再び噴水の前まで戻るのだ。


「二本目では蛇のタイルを踏んでね」


 三本目では狼のタイル。四本目はカラス、五本目はネズミ。最後のタイルを踏み、道を抜けてぐるりと一周まわる。最初の道に戻るとレティがハッと息を呑んだ。


「空気が違う……今までよりもずっと澄んでいて、清浄だわ」

「さすが魔力がある人は違うわね。この国でもあなたのレベルはなかなかいないわ!」


 まだ若いのに素晴らしい。道具や魔力の扱いからして、どうやら彼女は希少価値の高い薬師らしい。レティはうれしそうな顔で道具箱を抱え直した。興味津々という顔で周囲を見回している。


「魔道具を使ったのかしら。これはどういう効果があるのです?」

「空間をずらしたの。ガーゴイルが()()()()()()()()()()()()()()惑わせてくれる」


 たとえるなら、一階にいる追っ手は二階にいるレティにたどり着くことはできない。説明を聞いたレティは顔色を悪くしてビクリと肩が跳ねた。やっぱりそう、この子は逃げてきたのだ。フォルテューナは心配いらないと彼女の背を優しくなでた。


「大丈夫、引き渡す気はないわ。そのためのおまじないだもの」

「あ、ありがとうございます」

「納得するまで、いつまででもいていいわ。だから安心して体を休めて」

「で、でも、迷惑かけてしまう……」

「大人びて見えるけれど、あなたはまだ子供でしょう? 大人には甘えていいの。いいこと、勝手に出て行こうとしてはダメよ? 空間をずらしたから、下手に動き回ると戻れなくなってしまう」

「……もう元の世界には戻れないの?」


 怯えた顔をしたレティに、フォルテューナは首を振った。


「あなたが元気になったら外に逃してあげる。アンナさんにお礼も言えるし、その後は自由に好きな場所へ出掛けて行くこともできるわ」

「そ、そこまでは、まだ……先のことはまだ、何も考えられない」

「あなたが落ち着くまでいていいわ。何よりも最優先しなければいけないのは健康な体を取り戻すことよ。レティは痩せているし、体も弱っている。医者に診てもらって、回復薬や治療薬のお世話にならないとダメかもね」


 回復薬や治療薬と聞いて彼女は悲しそうな顔で下を向いた。フォルテューナの視線が彼女の抱える道具箱に向いた。一般的に薬師が得意とするのは治療薬や回復薬の調合とされる。つまり傷ついていたとしても彼女なら自分のために薬を調合することができるはずだ。

 でも彼女の体に治療薬や回復薬が使われた痕跡がなかった。薬師だけれど回復薬や治療薬が作れないという話は聞いたことがない。それなのになぜだろう? 口にはしないけれど、彼女に対する違和感がフォルテューナの脳裏にずっとこびりついている。だからフォルテューナは知りたかった。この子がどんな秘密を隠し持っているのかを。


 逡巡して、レティは諦めたようにフォルテューナへ頭を下げた。


「……み、見合った対価は渡せないかもしれませんがお世話になってもいいですか?」

「ふふ、安心して。宿代は取らないし、おとぎ話みたいに太らせて食べたりもしないから」

「たたたた食べ……!」

「だから冗談なの! さあ、ここが店の入り口よ」


 カランと音を立てて扉が開く。


「わあっ、そこかしこに魔道具がいっぱい!」

「家具に馴染むよう隠したのに、それでもわかるの?」

「はい! 調合には一滴に含まれる魔力の量ですら気を使うので感覚が鋭くなるのです!」


 あら、この子。魔力や魔法薬のことになると滑らかに話せる。つまり説明には慣れているけれど、日常会話に慣れていないだけということか。短期間でもたくさん話をする練習をすれば、もっと上手く話せるようになるだろう。今後のためを考えてこれは練習させようと心に決めた。


「店舗が一階、住居の場所は二階。あとで客間に案内するわ。そこを使っていいわ。それより先に食事にしましょう。レティは好き嫌いがあるかしら?」

「好き嫌い、ってなんですか?」

「普段の食事は何を食べているの?」

「っと……硬いパンが一つと、具のない塩スープが一皿です」

「まさか、それを一日三食ということはないわよね?」

「ちちちちがいます、一日二食です。しかも気に入らないことがあると食事を抜かれることもあったから……!」


 レティは涙目になった。鬼のような形相でフォルテューナが虚空を睨んでいる。生かしておくだけの最低限の食事。いつからか知らないが、量も栄養も全く足りてないじゃないの。絶対に許さないわ!


「いいこと、何ヶ月かかってもいいから健康を取り戻すわよ。食事は私が管理する」

「は、はひ……」

「必要に応じて治療薬や回復薬も用意するから服用するのよ。運動もして体力を取り戻すの」

「はひ、はひ……」

「そして仕上げに容姿を美しく磨き上げてあげるわ! 私にはわかる、あなたは磨けば光る原石なのよ!」

「はひ、よよよろしくおねがいします……!」


 レティは涙目で何度もうなずいた。フォルテューナはアンナから預かった籠の中を覗き込む。栄養価が高く、食べやすいものを選んでくれているようだ。それなら量を減らして種類を多くして食べさせよう。飢えた体に一気に栄養価の高いものを詰め込むと逆に体を壊してしまうから、消化のいいものを食べながら少しずつ体を慣らしていく。


「さあ、まずは食事よ! そのあとお風呂に入ったら、すぐに寝る。いいわね!」


 こんな体で逃げてきたのだ。心配かけないようにと無理しているけれど顔色は良くない。とにかく一刻も早い休息が必要だ。手早く食事をすませて、お風呂に入れて、客間に案内する。レティはベッドに潜り込んだ途端、意識を失うように眠りに落ちた。色の悪かった頬にほんのり赤みがさして、寝顔は穏やかだ。……もしかしてこの子にとって眠ることだけが安らぎなのだろうか。

 レティの髪をなでながら、フォルテューナの目は冷ややかに窓の外を見つめる。彼女への追っ手はガーゴイルに翻弄させて、道に迷わせ追い払った。残念ね、失ってから価値に気づいたって遅いの。今の彼女を取り巻くものは、かつて愛だったものの成れの果てだ。


 本人が望むのならば歪んだ愛も愛と呼ばれるかもしれない。

 でも望まないのなら、それはもはや愛ではないわ。


「いらないなら買い取ってしまいましょう。今は休んで早く元気におなりなさいな」


 ――――


 そこから丸二日もレティは眠り続けた。様子を見にきたアンナさんとも話して、三日目の朝になっても起きないようなら医者を呼ぶことになっていたが、二日目の夜中に一度目を覚ました。ここがどこかわからず混乱する彼女に、客間であることを思い出させるために説明する。安心した彼女に水を飲ませ、再び彼女は眠りについた。そしてようやく昼過ぎに起きてきたと思うと、真っ青な顔で階段を駆け降りてきたのだ。


「すみません、寝こけてしまいました!」

「大丈夫よ、それだけ疲れていたのでしょう?」


 彼女は安堵するように、深々と息を吐いた。


「そうでした、ここは実家ではないですものね」

「どうしたの?」

「……じ、実家で一度だけ寝過ごしたことがあるので……ひ、ひどく怒られたのです。怠け者だと食事を抜かれるのがつらくて」

「ひどいことをするわね。安心して、ここではそんなことはしないから」

「っ、では何かお手伝いできることはありますか? こんなにもよくしていただくのが申し訳なくて」

「いい子ね、でも何度も言っているけれどまずは体調を取り戻すのが先よ。午後、お医者様に診ていただくからそのときに大丈夫か聞いてみましょう?」

「はい、何から何までありがとうございます」

「お昼ごはんにしましょうか? 今朝アンナさんがお惣菜を持って来てくれたのだけれど食べる?」

「はい、食べます!」


 レティの瞳が輝いた。うん、かわいい。ちょっと目尻がつりあがっているのが仔猫みたいな愛嬌があって、さらにかわいい。フォルテューナは彼女の頭をなでるとテーブルに食事を並べた。食べる量は少ないけれど、栄養は少しずつ体に行き渡っているようだ。真っ白だった顔色も、今日は頬に赤みがさしている。


「いい? ゆっくり食べるのよ? なくなったり、取り上げられることはないから」

「……はい、ありがとございます」


 あわてて食べる彼女の姿に、たぶんそうかなと思ったけれど……やっぱりね。ゆっくりと味わうように彼女は食べ物を口に運ぶ。そして突然、ぽろぽろと涙を流した。


「レティ、大丈夫⁉︎ お腹が痛いの? 大変、お医者様を呼ばないと!」

「ち、違います……とてもおいしいのです」

「レティ?」

「アンナさんみたいな優しい味がして、食べることがとても幸せで。だからこそ、余計に悲しい」


 柔らかく包み込むようなベット、栄養のあるおいしい食事。そしてこうやって誰かと話しながらテーブルを囲む温かい時間。忘れかけていたのに、他者の幸せを願う愛がどんなものかをレティは思い出してしまった。

 

「ずっと私のためだという家族の言葉を信じていたのです」


 そこには愛があるものと信じていたのに。そう呟くとレティは食器を置いた。


「フォルテューナさんに聞いてもらいたいことがあります」

「もちろん、レティの話ならいくらでも聞くわ」


 彼女の瞳の奥が怒りに燃えている。そうよ、怒れ。怒りを生きる力に変えるの。

 レティは爪を切られ、鳴き声を封じられてきた仔猫だ。


 その仔猫が、ついに牙を剥いた。


 

原題は『パラドックスの檻』でした。書き始めたら全く違う内容になって一番焦ったお話です。

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