第六話
カラン、カラン。ドアベルの音がする。
「またくるよ」
「はい、お待ちしております!」
お客様を送り出したフォルテューナの視線が水平線をとらえる。水面に光が弾け、波の音の隙間ににぎやかな声で挨拶を交わすカモメの鳴き声がした。
「いい天気だわ!」
珍しい魔道具が手に入ったフォルテューナはご機嫌だった。売る相手は見極めが必要だけれど、名のある魔道具師が作ったもので効果は絶大らしい。
このあとは自由時間、絶好の窓掃除日和だ。裏庭に洗濯物を干して、フォルテューナは雑巾とバケツを握りしめる。朝から一心に掃除をしてようやく終わったころにはお昼を完全に過ぎていた。少し遅くなってしまったから、食事は屋台で済ませよう。ささっと身だしなみを整えて、鞄を斜めがけにしたら準備万端だ。さて、今日は何を食べようかしら?
「そろそろお肉が恋しくなってきたのよね」
このあたりは有名な漁場があり、種類も豊富で珍しい魚介類が獲れる。新鮮だし、安くて美味しいので毎食必ずと言っていいほど食べてきたが、今日は久しぶりにお肉が食べたい気分だった。
「そうだ、東市場を見に行ってみよう」
宿屋の女将さん曰く、西市場が魚介類専門だとすれば東市場にはそれ以外の食材が集まるという。普段はあまり足を運ばない場所だけれど、きっと肉類もあるに違いない。フォルテューナは弾むような足取りで華やかな装飾に彩られた東門をくぐった。
「わ、すごい人出ね!」
地元の人だけでなく観光客の姿もある。なんでも今日はお祭りなのだとか。これは屋台の数にも期待できるのではないかしら? 浮かれた気持ちで露店を覗きつつ、お肉を探す。ああ、アレがいいわ! フォルテューナは匂いに誘われて一軒の屋台に吸い込まれていく。
「おじさん、牛肉の焼き串一本ください!」
「あいよ!」
わーい、肉だ! 塩と香辛料だけの味付けなのにどうしてこんなに美味しいのかしら! 咀嚼して飲み込むと次のお店を物色する。次は豚肉か鶏肉がいいわ! そうそう、煮込み料理もいいわね!
「ずいぶんとのんびりしちゃったわ」
思いっきり屋台の料理を楽しんで、普段は買わない肉や地場の野菜も買って。収納と現状維持の魔法がかかった斜めがけの鞄に詰め込んだフォルテューナは夕暮れの道を歩く。そういえば東門へ向かう道は街灯が少なくて暗いのだ。あまりこの時間に歩くことはないから、すっかり忘れていた。
「ちょっと、道の真ん中に立たれると邪魔よ!」
暗い道を歩いていると、無精髭を生やし、にやけた顔をした三人の男が暗がりから突然姿を現した。そしてフォルテューナをぐるりと囲む。視線はお世辞にも品のいいもではなく、どうやらこちらを品定めしているようだ。
「へえ、きれいな顔をしているじゃないか」
「な、ずっと目をつけてたんだ」
「気が強いところも人気が出そうだな!」
ただの酔っ払いではない、人さらいだ。宿屋の女将さんがこのあたりは海沿いで船の出入りが激しいからこういう犯罪が多いのだと注意を促していたけれど、まさか自分が遭遇するとは思わなかった。
「さあ、怪我したくなければ一緒に来てもらおうか」
じわじわと距離を詰めながら男が伸ばした手をフォルテューナは弾き返す。いやもう、ほんとめんどくさい。浮かれていた気持ちが一気に萎んだ。このやるせない気持ち、どうしてくれるのよ!
「抵抗するだけムダだ。大人しくしていたほうが痛い目を見なくて済む」
「……よ」
「なんだ、こわいのか?」
「肉は渡さないわよ!」
「は?」
斜めがけの鞄を抱きしめ、睨みつけるようにしてフォルテューナは叫んだ。この肉を守ってトマト煮込みを作るのよ。そして明日は料理を堪能しつつ、買ってきたお酒を飲んでのんびり過ごすの! 想定外の態度をとったフォルテューナに男達は不意を突かれた様子で、一瞬、動きが止まった。
「ガーゴイルよ、フォルテューナが命ずる」
その隙をついてフォルテューナは声を張り上げた。号令に従って噴水にまとわりついていたガーゴイルの石像が動き出し、続けて飛び立つような羽音がする。さあ、徹底的にやっちゃって……と命令しようとしたのだけれどね。
「そのまま動くな。おとなしくしていろ」
黒い影が耳元で囁いた。吹き抜けるような風を感じて目を閉じる。そして目を開けると全てが終わっていた。怪しい男達は三人ともに倒れ伏してぴくりとも動かない。黒い影は背後から腕を伸ばすとフォルテューナを包み込んだ。この懐かしい感じ……もしかして。
「自分よりも肉を守る人間がいるんだな」
「でしょうね、私もはじめての経験だもの。それで、この人たち生きてる?」
「気を失わせただけだ。もうすぐ警備隊が来るから引き渡す」
「あらそう、誰なのこの人たち」
「最近、周辺を騒がしていた人さらいの一味だ。結構な数の被害者がいて、領主の名で指名手配されている。ただ、こいつらは誰かさんと同じで逃げ足が早くてな。手に余るということで国に依頼がきていたんだ。で、ちょうどいいからついでに捕まえた」
「あらヤダ、意外と大物だったのね……それで、何がちょうどいいのかしら?」
呆れたような口調には覚えがあった。置いてきたはずなのに、どうして。するとフォルテューナの顔の横で青白い瞳が瞬いた。
「もちろん逃げた猫をつかまえにきたに決まっているじゃないか」
「自分からつかまりにくるなんてどうかしている」
「人さらいに囲まれて自分よりも肉を死守するんだぞ? そんな危なっかしい奴を放っておけるか」
不機嫌そうな表情で、まとわりつく黒い影――――リゲルはフォルテューナを包み込んで離さない。ああやっぱり。困った顔をしたフォルテューナは深々と息を吐いた。
「なんで追いかけてくるのよ。ほんと物好きなネズミよね!」
「置き手紙で煽ったフォルテューナが悪い。だからあきらめてつかまってくれ」
「あれはねー、意趣返しのつもりだったの。手紙だけ残されて途方に暮れる相手の気持ちがわかったでしょう!」
フォルテューナは、ふふっと笑った。
「でも最初は置き手紙なんて残す気はなかったの」
「そうなのか?」
「きっとリゲルなら見つけてしまうもの。ただ同じようにいなくなるにしても、あなたは手紙を残していったでしょう? それなら私も何か書き残さないと公平でないと思っただけよ。それだけの気持ちで書いたもの。もちろんあんなことを書くつもりもなかった」
いなくなる理由を記して、きちんと別れの言葉を綴って。絶対に追ってこないよう、仕上げに突き放すような言葉を書けばよかった。それが正解だと、頭では理解していたはずなのに。
「どうしてもあの言葉しか浮かばなかったの。なんでかしらね?」
この場所に引っ越してきて狩人座の美しい青を見つけるたびに思い出すのだ。いつか、つかまえにくるのではないかと。
「この気持ちは、何なのかしら?」
「……フォルテューナ」
「期待してしまうのよ、つかまえてくれないかなって」
途方に暮れた顔でフォルテューナは瞳を揺らした。この野生のネズミのような男は容赦なく人の領域に踏み込んできて、勝手に縄張りを踏み荒らして。頭にきて追い払っているうちに、こんなにも深く侵食されていたなんて思いもしなかった。
「おかしいでしょう? 自分で突き放したくせに、姿が見えないと不安になるの」
そして不安はかすかな痛みを伴ってフォルテューナを責め立てるのだ。この選択は本当に正しいものだったのか、と。覚えのない激情に突き動かされたフォルテューナの声が震える。
「なんでもっと早く追いかけてこないのよ!」
逃げたくせに。呆れたように笑ってリゲルはフォルテューナの小さな体を抱き寄せる。さんざん翻弄しておきながら自分勝手でわがままな言い草だ。でもここまで自分を求めてくれる人は彼女だけ。見上げた夜空に浮かぶ星に彼を重ねるのもまた、彼女だけだ。
気の強さも、わがままも。彼女がリゲルにぶつけてくる感情は、どこか不恰好で不器用だ。リゲルが首筋にそっと唇を寄せると陽だまりのような香りが匂い立った。彼女の肌が少しだけ色づく。
不恰好で不器用でも、彼女は揺らぐことなくリゲルだけを見て、彼だけに囚われている。この首筋を赤く染めるのもまた、リゲルだけだと知っているから。
だからこそ追いかけてでもつかまえたくなる。
「すまない、遅くなったけれど迎えにきた」
「……本当よ、もう」
ふてくされている小さな声が、ちょっとだけ気まずそうだ。これはわがままを言っている自覚があるからだろう。リゲルは吹き出すように笑った。結局、こういうところがあるから許せる。つまり今でも気持ちは変わることなく彼女が好きだということだ。
「フォルテューナ」
「なあに?」
「覚えておいて。私が勝手に君を好きなだけだから、無理に愛を返そうとしなくてもいい」
「リゲル……」
「その代わり、ずっとそばにいさせて」
ここは負けておこう。それで愛する人がそばにいてくれるのなら。
リゲルは指笛を吹いた。すると近隣を捜査していたらしい兵士が駆けつけてくる。これでリゲルの任務は終わり。あとは彼らが領主に罪人を引き渡す手筈になっていた。
兵士に合図を送ってから、リゲルは軽々とフォルテューナを抱き上げる。もちろんフォルテューナが死守した肉も忘れない。
「ちょっと、リゲル! どこに行くのよ⁉︎」
「肉を持って家に帰るんじゃないのか?」
リゲルの安定した足取りは着実にフォルテューナの店がある海沿いの家を目指している。
「どういうことよ、なんで家の場所を知ってるの⁉︎」
「特定したあと、ときどき様子を見にきていたからだ」
「もっと前から知っていたってこと⁉︎」
リゲルは口角を上げた。フォルテューナは知らなかったようだけれど、置き手紙一枚でも情報はけっこう集まるものだ。
「フォルテューナは私が国外に出られないことを知っている。なのにつかまえろということは、君は国内にいるということだ。そしてあの紙にはわずかだが潮の香りが残っていた。海に接した領地は国内でもそんなに多くはない」
「でもそれだけでは……」
「君は店に誇りを持っている。愛を集めるためにも店の名前は変えたくない。とすれば店名はフォルテューナ・パンタシア魔道具店に近いものと推測した」
「……そこまで当たると逆にこわいのだけれど?」
「でもまさか、店名がまるで一緒だとは思わなかったな。そういう大胆さというか、ふてぶてしいところはさすがだ」
「それ褒めてない」
「褒めているよ、制度の穴を利用したのだろう? 申請先の領地が違えば、店名と管理者名が同じであっても別の店舗とみなされる。申請する時代が違ったり、途中で店名を残しつつ店舗スペースだけを誰かに貸し出して管理者を変更すれば余計バレにくい。ここはいわば複数存在するフォルテューナ・パンタシア魔道具店の一つというわけだ」
「嘘でしょう、そこまでバレて……というか居場所知ってて放置してたの?」
「だってフォルテューナが楽しそうに暮らしていたから、しばらく自由にさせてあげたほうがいいかなと思って?」
リゲルの口元が弧を描く。
「どうせ最後はつかまえるのだから」
フォルテューナは青ざめた。なんてこと……フォルテューナが謎の罪悪感に苛まれて悶々としていたころ、この野生のネズミのような男はすでにこの付近をウロチョロしていたなんて。ちょっとかわいそうなことをしたかな、なんて思った私がバカみたいじゃない!
「今すぐ私の台詞を返しなさいよ!」
「もっと早くつかまえにというあたりか。あれはかわいいから却下だ」
「いいから今すぐに忘れなさい!」
真っ赤な顔をしたフォルテューナがリゲルの胸元を叩く。リゲルは声をあげて笑った。
「ちなみに王太子殿下が感謝していたよ。制度の抜け穴があることを教えてくれたって。今ごろ側近と一緒に嬉々として埋めているところだ」
「ちょっと待って、困るわよ! いろいろ便利なんだから!」
「安心していいぞ。嫌われて国外に出ていかれると困るから現存するフォルテューナの店は全部残してくれるそうだ。『散歩と昼寝には最適なのんびりとした土地ばかりだし、把握している範囲内で悪さしないでくれたらあとは自由にすればいいと伝えてくれ』って」
把握している範囲内で散歩に昼寝。まるで野良猫の首に鈴をつけたような扱いだ。
「それって自由なの、本当に?」
「その代わり、新店の許可申請は却下された」
「嘘でしょう……せっかくいい土地を見つけたところだったのに」
湖畔の一等地が。ああ、山の幸が遠のいていく。そして最後までリゲルに抱き上げられたままフォルテューナは店にたどり着いた。やだもう、しっかりバレてる。リゲルはフォルテューナを下ろすと、肉の入った袋を掲げた。
「これはどこに置くんだ?」
「ああ、貯蔵庫があるからそこに……って、なに自然体で侵入してるのよ!」
「大丈夫、肉を置いたら帰るよ」
「帰るって、どこに?」
途端にリゲルの口角が上がる。無意識に聞き返したことをフォルテューナは思いっきり後悔した。
「不安そうな顔をしているけれど、もしかしてこわいのか?」
いつもとは違う柔らかな表情に不覚にもうろたえた。リゲルはここぞとばかりにフォルテューナを追い詰める。フォルテューナの体はテーブルとリゲルの体に挟まれて身動きが取れない。テーブルに手をついてフォルテューナの両脇を挟むとリゲルは耳元で囁いた。
「こわいなら泊まっていこうか?」
「バ、バカなこと言うんじゃないわよ!」
油断も隙もない。つかまえたと思った途端、タガがはずれたようにいきなり甘やかさないでよ。
「冗談だ。周辺地域を巡回するよう警備隊に指示している。奴らの拠点も潰したし、このあたりを狙って悪さをする組織はすでに壊滅させた」
だから、こわがらなくていい。
そう囁いたリゲルの腕が伸びてフォルテューナを抱き寄せると髪を優しくなでた。そこはかとなく物騒な単語が紛れていた気がするけれど、守られているのは間違いないみたいだ。それにしても接触が多いような。これって自覚あるの、それとも無自覚なわけ⁉︎
「今日は宿に戻るよ。ここから一番近い宿屋に泊まっているから、何かあればそこにおいで」
「ああ、話好きの女将さんがいるあの宿屋ね!」
「そう。その話好きの女将さんから聞いた話によると、魔道具店の店主はリゲルがよく見えるからという理由でここに店を構えたらしいな」
「……」
長い前髪の隙間から、腹立たしいほどに美しい青がフォルテューナの瞳の奥を覗き込んだ。
「気に入ってくれたみたいで光栄だよ」
乙女の秘密を暴くとは許すまじ。フォルテューナがとっさにつかんだ売上台帳に強化の魔法をかけて振り向いたときには、すでにリゲルの姿はなかった。逃げたわね、ちょこまかとあのネズミのような男は! 程なくして、闇の奥から姿は見えないけれど声だけが響く。
「肉は貯蔵庫にしまっておいた」
「ありがとう……っていつのまに⁉︎」
貯蔵庫の場所、教えてないよね。もしかしてあの男、また……フォルテューナは今度こそ仕留めようと売上台帳を構えた。けれど声のした方角とはまた別の場所からリゲルの真剣味を帯びた声が響く。
「そういえば裏庭の洗濯物は触れないから干したままだ。下着もあるし、さすがに取り入れたほうが……」
「ギャー!」
しっぽを踏まれた猫のような叫び声をあげてフォルテューナは声がした方角に凶器をぶん投げた。もうほんと、これは親切なのか、デリカシーがないのかどっちなの⁉︎
弾けるようなリゲルの笑い声が聞こえて振り向くと、誰もいない空間に売上台帳だけが行儀よく残されている。頭にきたフォルテューナはついにキレた。
「に……」
「に?」
「二度とくるなー!」
「心配するな、また明日くる」
何が心配するな、だ。全然違う! 抗議しようとしたフォルテューナの唇に柔らかな口づけが落ちた。リゲルは何度も角度を変えて、存在を刻みこむように口づけを繰り返す。断りもなく、いきなり襲うのはダメって言ったでしょうに。熱に浮かされ、ぼんやりとした視界の先には青白い星が浮かんでいた。人の話なんて聞きやしないのだからこの男は!
手首が優しく壁に縫い止められて、フォルテューナはあきらめたように瞳を閉じる。小さく嗤う声がして、侵食するように口づけが深くなった。ああもう、なんてこと。
「逃げきったと思ったのに」
「残念、もうつかまえた」
だから私のものになって。
獣のような眼差しで、吐息混じりに囁かれて。つかまってしまったのだと思い知らされた。
――――
ここは王都の外れ、スウォル通り。
極度のあがり症のせいで女性の手はいつも冷えて震えていた。
「本当、こんなところに魔道具店があるのね」
道をまっすぐ進んで、突き当たりを右に曲がったところにある荒屋と教会の間。女性の視線の先には鬱蒼と繁った木の隙間から生えるように建っている変わったお店があった。
これが探していた店だろうか。
とある高貴な身分の方が教えてくれたのだ。看板には掲げていないけれど、この店には愛を買い取る魔法が残されていることを。魔法の失われつつある世界で、魔道具店を名乗るのは古き良き時代の名残り。ほとんどが魔道具とは名ばかりの土産物を販売する雑貨屋ばかりだ。この店もその一つだろうと、最初は期待なんてしていなかったのに。
追い詰められた挙句、こんなところまで来てしまった。
さてどうしよう。自分が決して良好な状態ではないことに気がついている。緊張は極限まで達して、女性はあと一歩がどうしても踏み出せずにいた。
すると店のドアを開けて、箒を握りしめた女性と黒い上着を持った男性が姿を現した。男性が少しだけ腰を屈めると女性が何事か囁いて頬に口づける。
加護。あれもまた古き良き時代の名残り。遡れば魔法使いの家系である彼女は、それが騎士を戦場に送り出すときに淑女が捧げる呪いであることを知っていた。
軽く頬をなでる女性の仕草に、遠目からでも男性の口元がふわりと笑ったのが見える。仲のいい恋人同士のようね。見守っていると、今度は男性が箒を持った女性の耳元に何事かを囁いた。すると目を見開いた女性はワナワナと震えて……なぜか箒を振り上げたのだ。
「今日という今日は容赦しないわ。覚悟なさい!」
……ええと、仲のいい恋人同士なのよね?
状況は全くわからないけれど、アレは大丈夫なのかしら? 容赦なく振り下ろされる箒を器用に避けた男性は笑いながら軽やかに身をひるがえし、叫ぶ女性の脇を通り過ぎる。そして彼女の揺れる髪を一房掴み、見せつけるようにそっと唇を寄せた。これまた胸焼けがするくらい愛あふれる仕草だ……そう、箒の存在さえなければ。
喧嘩するほど仲がいいとは、こういうことなのね。
たおやかな女性が箒を振り上げたときは驚いたけれど、目の前で繰り広げられた珍妙なやりとりのおかげで、極限まで高まっていた女性の緊張がするりととけた。
納得すると同時に、小さく胸が痛む。
軽く手をあげて男性が姿を消すと、箒を握りしめた女性はほっと息を吐いた。そして少し離れた場所から見つめていた女性に気がついて、あわてて白いベンチに箒を立てかける。そして紺色のローブをさばき女性の元まで駆け寄ると、にこやかに微笑んだ。
「お客様とは知らず、見苦しいものをお見せしまして大変失礼いたしました。ようこそ、フォルテューナ・パンタシア魔道具店へ! 私は店主のフォルテューナと申します」
「こちらは魔道具を扱っているお店で間違いないのかしら?」
「はい、当店では古今東西の珍品から日用品まで、魔道具であれば幅広く取り扱っております。ごく一部ではありますが魔法薬や魔法書のお取扱いもございますので、お探しのものがあればおうかがいしますわ」
両手を強く握りしめて、意を決した女性は口を開いた。
「買い取りはなさらないの?」
そうでなければ、私は前に進めない。
女性の決意を感じ取ったフォルテューナの微笑みが一層深くなった。彼女のしなやかな手が、店舗の奥に置かれたテーブルを指す。
「それではどのような商品なのか、あちらで教えていただけますか?」
「ええ、人に聞かせるような面白い話ではないけれどいいかしら?」
「もちろん。だからこそ買い取る価値があるというものです」
店主自らが白い扉を開けるとカラン、カランという賑やかなドアベルの音がした。テーブルへと誘いながら、フォルテューナは茶葉の入った缶を手に取る。
「そうですわ、お客様。ご承知のこととは存じますが」
軽く見開かれた女性の目の前でフォルテューナは、そっと唇に指を当てる。
――――この先で見たことは、くれぐれも秘密に。
最後までお読みいただきありがとうございました。これで本編は完結です。フォルテューナとリゲルの関係は、猫とネズミが仲良く喧嘩する海外アニメを参考にしました。最後に、どのお話が気に入ったか教えてくださるとうれしいです。今後の参考になります。
あと、本編に含むか迷ったフォルテューナの過去に少しだけ触れる後日談を最終話として追加します。ただちょっと間に合わなかったので一旦ここで完結とします




