居候とSP
「おりひめぇ、おりひめぇー」
さきほど目覚めてからずっと泣き止まず、私の左腕に掴まっているデネブさんこと前世の私の父親。
事情を聞いたところ、宇宙の王であるデネブさんは闇に覆われていたのではなく、石化されていたらしい。しかし、年月が過ぎていくとともに石化の力も少しずつ脆くなり、なんと今日、石化が解かれたらしい。
「そんなに泣かないで下さい、デネブさん」
前世とはいえど、父親が娘の腕に抱きついて泣いているなんて、何だか恥ずかしい。
たとえ星の形をした人形でも、中身は父親なのだ。
…これは、しばらく泣き止みそうにないね。
肩をすくめながらそう判断して、教室に歩き始めようと保健室のベッドから右足を下ろした。
「遅刻ホシね」
保健室にかけられていた壁掛け時計には、十三時をとっくに過ぎていた。
…このままじゃ、成績がもっと悪くなって退学処分になってしまう。それは、絶対にダメだ。
保健室を出て右向きに体を向け歩き始め、しばらくすると見え始める階段をのぼる。
…毎回階段を上る度に思うことだけど、この学校の階段急すぎじゃないかな。
一歩間違えれば、人が雪崩のように落ちていくだろうね。
一階から四階まではやっぱり慣れなくて、四階に着く頃にはじんわりと額に汗がにじんでいた。
デネブさんは階段を上っている途中に、開けられていた小窓からどこかへ飛んでいってしまった。
ギーッと音がする年期が入った扉を開ける。クラスからの視線が、私に集まった。
教室の中を一通り見渡し、一つの席が目に入った。
…まただ。
窓側の一列目、一番後ろの席は入学してからずっと空席だ。
噂によると学校には毎日来ているが、その席に座ることはなく学校の敷地内のどこかにいる。
ひっそりとため息をつき席に座ると、顔に影が落ちてきた。
「こんにちは、天際さん」
「海月先生」
顔を上げると、一年一組担任の海月先生がニコッと微笑んでいた。
「実は朝のショートホームルームでプリントを配ったのよ。そのプリント、今週中にサインが欲しいんだけど、影山さんが…ね」
私の机に『防災学習の実施について』と書かれたプリントを一枚置いた。
影山つぼみさん。
入学式ですら学校に来たことがなく、当然その顔を見たものはこの学校には一人もいない。それなのにクラスでは暴力団の一人という不名誉な噂が流れている。
何を証拠にと言いたがったが、私も影山さんが暴力団ではないという証拠があるというわけでもないから何も言えなかった。
「ただいま」
玄関の扉を開き、靴を揃えているとお父さんが珍しく私よりも早く帰宅していた。
「おかえりまこ」
今すぐにでも鼻歌を歌い出しそうなほど上機嫌だ。
「何か良いことがあったの、お父さん」
そう言うと、「実はな」とリビングをチラチラと見ながら私の肩を掴んだ。
「まこに姉妹が出来たんだ!」
…え。
衝撃のあまり声が出ないということは正にこういうことか、と開いた口を戻すことも出来ず呆気にとらわれていた。
「つぼみちゃーん!」
頭に電流が走った感触がした。
つぼみと聞いて思い出したのは同じクラスの『影山つぼみ』さん。いや、そんなまさかと頭を振りながらその考えを打ち消した。
リビングから現れたのは、腰ぐらいまでありそうな長く綺麗な髪をポニーテールでまとめ、スラッとしたモデル体型をした女の子が目を細めながら微笑んだ。
その笑顔に、同姓の私もドキッとした。これが、世にいう美人の一発ノックアウトか。
「よろしくね。私、田中つぼみ」
「天際まこです。こちらこそ、よろしくお願いします」
動揺を悟られないように、ゆっくりと自己紹介をした。
…美しい。容姿端麗とは彼女のためにある言葉だろう。
ぷっくりと柔らかそうな唇に、鼻筋が通った高い鼻、無駄な肉がついていない頬、温かいぬくもりを宿した綺麗な二重の瞳。それに加え、細くて華奢な腕、スラッと伸びた細い足。
これは学校でも高嶺の花として見られていそうと他校の私でも確信した。
「まこさん…素敵なお名前だね」
「あ、ありがとうございます」
緊張して声が掠れてしまう。きっと彼女と話す人みんなこんな感じに違いない。
どの角度から見ても完璧な顔。
日焼けして黒くなっている肌を持つ私とは比べられないほど白いマシュマロ肌。
「つぼみちゃんは親戚のお家の子でな、急な出張で一時的に家で預かることになったんだよ。泊まるところはお母さんが使っていたお部屋でいいか?」
え…と思わず声が出そうになり、喉元でグッと堪えた。
そうだ、田中さんは今家族が出張中だから寂しいはずだ。私が嫌な顔を露にして田中さんとお父さんを困らせるわけにはいかない。
けれど、「いいよ」と言いたいのに、口パクだけで言葉が形となって出てこない。
「もし、良かったらまこさんのお部屋を一緒に使わせてもらってもいいかな?」
私が俯いていると、田中さんが落ち着いた声色で言った。
突然の提案に、私はパチパチと瞬きを繰り返した。
「…そうだな。まこの部屋は充分広いし、二人分にするとピッタリだ」
良いことを思いついたという表情で「二人の絆が深まるしいい案だな」とウインクを私たちに飛ばすお父さん。
「荷物は明日届く予定だから、まこたちは親睦会でもしていなさい。俺は夜ご飯を作ってくるから」
私たちに背を向け、リビングへと歩き出した。
残された私たちはお父さんの背中を、見届けていた。
…どうやって接したらいいのー?!
私が頭を悩ませていると、私の顔を覗き込んで「まこさんのお部屋、見に行ってもいいかな?」と遠慮がちに訊ねてくる田中さんと目が合った。
…謙虚な人なのかな。
私と視線が合うと、気まずそうに視線を右往左往させた。
しまった、気を遣わせてしまった。
本当は私がリードするべきだったのに、余計な気を遣わせてしまった。
「そうですね、行きましょう!」
彼女も緊張しているのかなと思い、なるべく明るく振るまうようにして自室へと向かった。私の部屋は二階にあり、およそ八畳ほどの広さを持っていた。
階段を上っていると後ろからゆったりとした音がが聞こえ、『良かった、ついてきてくれている』とホッと安心した。
『まこ』とドアプレートがかけられた木造の扉の前に立ち、ドアノブを下に傾ける。
「ここが私の部屋だよ」
「ここが、まこさんの部屋…」
「あっ、私と田中さんのお部屋ですよ!」
慌てて言い直し、開いたスキマからパチッとスイッチを押し明かりをつける。
「どうぞ」
「え?」
呆気にとらわれた表情を私に向けながら話し出す田中さん。
「どうして私が最初に入らないといけないんですか?」
ん?
「爆弾を仕掛けてないという証明でもあるですか?」
んん?
「爆弾なんか仕掛けてないよ?!」
「初めて出会った相手を信用するな、と漫画で教わったので」
「初めて出会った相手に爆弾を仕掛ける人なんていませんよ?!」
「いるよ?」
「どこに?!」
「ここに」
へ?
ニッと左の口角を上げ悪い笑みを浮かべた彼女は、着ていたジーンズパンツのポケットからスマホを取り出し、何かの操作をした。
「…田中さん?」
急に性格が変わり、混乱に陥りながらも恐る恐る彼女に訊ねた。
すると彼女はスマホをポケットにしまい、両手を顔の横にすっと上げた。
「冗談だよー」
見惚れるほどの綺麗な笑みを浮かべる。
…本気に見えたのは、気のせいかな。
「ま、まご…」
一階からお父さんのカラカラの枯れた声が二階に聞こえてきた。
階段を急いで駆け下り、声の聞こえたキッチンに走りながら向かう。
台所で横たわっているお父さんを見つけ、サァーッと血の気が引いた。足が震えて動かない。
「天際さん、大丈夫ですか?」
着いてきてくれていたのか、田中さんが私の横を通りすぎお父さんのもとへ駆け寄った。
「…すまないね、ちょっと立ち眩みを起こしただけだよ。ふたりは親睦会を続けて」
お父さんを支えながら立ち上がる田中さんがよろっとよろけた。
危ない!
田中さんの腕を慌てて掴んだ。
「…田中さん?」
私の思い過ごしかもだけど、今微かに震えていたような。
「ありがとう。でも大丈夫だ」
スッと自然に私の手からすり抜け、お父さんが無事に立ったところを見ると一、二歩後ろに後ずさった。
「あと少しで出来上がるし、ソファでゆっくりと待っといてくれ」
お父さんがキッチンに立ち、キラッと私の顔を反射する包丁を手にした。
ドクンッと心臓が荒波をたてる。
「お父さん、今日はわたしが作るよ」
お父さんが持つ嫌に輝いている包丁をゆっくりと取り、まな板にそっと置いた。
「まこ…でも今日は」
「大丈夫だよ、お父さん。仕事で疲れているのに作ろうとしてくれてありがとう」
「私もついているので安心してください。私と天際さんはもう損者三友の仲なので」
「益者三友じゃないかな田中さん」
お父さんに訂正をされたけれど、難しい言葉を知っているんだ、田中さん。
「すごいなぁ」と呟きながら感嘆していると田中さんがこちらを見て目が合った。
「意味知ってる?」
ニヤニヤと悪巧みを企んでいる子どものような笑みを浮かべる田中さんに、ふるふると首を左右に振った。
「分かりません」
益者三友…どういう意味かな。あまり聞いたことがないけれど、悪い意味のような言葉ではなかったし気になる。
「仲良くしてためになる三種の友人のことだよ」
「三種の友人?」
人間は種類で分けられていたかな。
「正直、誠実、博識な人が三種の友人に入るよ。ちなみに私は博識な人に数えられるね」
「益者三友と損者三友を間違えてる人が言える台詞じゃないですね」
「損者三友の意味分かったの?」
「益と損で、意味が逆転することぐらい分かりますよ!」
「勘はいいんだ。意外だ」
「意外って何ですか!一言余計ですよ!」
私と田中さんを交互に見ていたお父さんが、呆れたようにため息をこぼした。
「…そうだな、ふたりにお願いしよう。ありがとう」
田中さんと目を合わせ、私が笑みを溢すと田中さんも頬を緩めた。
「それじゃあ、料理を始めましょうか」
「そうだね」
壁に掛けていた白と黒のエプロンを取り、田中さんの前に掲げた。
「どっちが良いですか?」
「うーん」と顎に手をやり悩む素振りを見せたあと、黒いエプロンを指差した。
「こっちがいいかな。黒の方が汚れても目立たないしね」
黒いエプロンを田中さんに渡し、白いエプロンを身に付けた。
よし、田中さんが我が家に来て良かったって思えるようにとびっきり美味しい料理を造ろう!
気合いを入れて後ろの紐を固く結んだ。
…私は、知らなかった。彼女はとんでもなく料理下手ということに。そして、作り終えたキッチンの無惨な姿を。
「まずは人魂を入れてー」
「ちょっ!」
ちょろちょろとキッチンの周りを見渡す田中さんにストップの声をかけた。
「人魂ってなんですか?!人が生きていくために料理をするのに、人を殺しちゃってますよ!」
コテンッと首を傾ける田中さんは、私が何を言っているか分からないようだった。
「あれ、漫画でやってなかった?魂を込めて作った料理はどんなものでも美味しいって」
「心です!心を込めて作ったものが美味しいんです!」
人魂を入れて料理をする漫画なんてなかったよね?!
「それじゃ心入れなきゃ。心ってどうやって取り出すの?」
「心は取り出せませんよ!」
「え」
「え」
ふたりの驚きの声が重なった。
私、何か間違ったこと言ったかな?
「それじゃあどうして心が傷つくなんて言うの?取り出せないなら傷つけることも出来ないでしょ?おかしくない?」
心底分からないと言った表情を浮かべる田中さん。
「身体が傷つくなら意味は理解できるけど」と顎に手をやり悩む素振りを見せる田中さん。
…これは田中さんの癖でしょうか。
「…確かにそうですね」
「でしょ?」
「でも」と胸の前に両手を置き、ゆっくりと瞼を閉じた。
「身体が傷ついているところは目に見えて理解できますが、心が傷ついてるところは目に見えないから分かりにくいです。だからこそ、人は大切な人を傷つけたくないから相手を思う優しい心を持つことが出来るんだと思います」
ゆっくりと瞼を開け、静かに聞いてくれた田中さんのいた場所を見る。
…あれ、いない。さっきまで私の前に立っていたのに。
首を横に動かすと、じゃがいもをピーラーで剥いていたところを発見した。
「…あの、田中さん?」
「ん?」
キラッと清々しい笑みを浮かべる田中さんに「これはわざとだ」と確信する。
「私の話、聞いてましたか?」
「せーの!」
「人の話を最後まで聞いてください!」
じゃがいもの皮を剥き終えると、包丁を手にして切り始めた。
深いため息を吐きながら田中さんの隣に立つ。
切り終えたじゃがいもを鍋に入れていこうとじゃがいもを持つと、赤い液体がついていることに気がついた。
「田中さん、この赤色は何ですか?」
赤色の部分を見せながら言うと、自分の掌を見て困ったように眉を下げた。
「やっちゃった…」
「アアアアァァァァ!」
プツンッと、私の意識はそこで途切れた。
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「血、いっぱい、血…」
魘されている娘さんをソファに慎重に寝かせ、白色のカーペットが敷かれた床の上に天際さんが正座で座った。
私も後に続いて天際さんの隣に正座座りをした。
引っ越して来て一日目。まさか娘さんを卒倒させるなんて想定していなく、数年ぶりに焦った。
天際さんを見る勇気すらなく、視線をさ迷わせる。
…あ。
目に入ったのは少し透けたグレーのカーテンだった。
窓の向こう側は、この光に包まれた場所と切り離された別世界のように暗闇に覆われていた。
本格的な夏になり、闇が訪れる時間が遅くなったとはいえ、太陽はいずれ落ちる。
カーテン越しに見える空は、もう真っ暗だった。
「…ママ」
ふいに聞こえてきた弱々しい声に耳が反応した。
ママって、お母さんのことかな。
そういえば、この家にはふたりしかいない。
ずっと違和感を感じていた正体はそれだった。
改めて考えてみればそうだ。
奥さんの部屋を使うと言ったときの、あのつらそうな表情。
あれは奥さんが取られると思い私に嫉妬しているのかと思ったが、違った。
何か変だと思う予感は外れていなかった。
この家には、母親がいない。食卓も三人分しか用意されていなかった。
あの天際さんが人数間違いをするわけがない。つまり…母親はもういないのだろう。
「天際さん」
「どうしたのつぼみちゃん」
天際さんがたまに女の人のように口調にしている理由も、なんとなくだが想像出来る。
震える唇を、なんとか形にして声を出す。
「奥さんは」
「亡くなったよ」
ドクンッと心臓が嫌な音を立てた。
天際まこさんを掴む手が、少しばかりだが力を加えたように見えた。
「まこが五歳の時に交通事故で」
天際さんが心ここにあらずの状態で見つめる先は、暗い夜の世界だった。
「ふたりが散歩をしているときに、信号無視をした車が…」
額に汗を流し、荒い呼吸をしている天際まこさんを見つめる。
「まこは無事助かったが、真愛は…」
真愛とは、天際まこさんの母親であり天際さんの奥さんだろう。
「俺も仕事に追われていて…なんて、言い訳に過ぎないけど、あまり家族と過ごす時間が取れていなかった」
「父親失格だな」と暗い空を見ていた瞳が、鼻歌を歌いながら楽しそうに料理をする天際まこさんに向けられる。
後悔しているという気持ちが、何も知らない私にも痛いほど伝わってくる。
愛する人がいなくなる恐怖は、計り知れないほどの絶望を与える。二度と会えない、毎日のように聴いていた愛しい声も、もう二度と聞けない。側にいる人たちにも幸せな気持ちにさせることが出来る笑顔も、もう見ることはできない。
心臓がギュッと潰されたようで痛い。
「でも、どんなに悲しんで嘆いても、俺にはやるべきことがまだ残されていた」
「やるべきことですか?」
「あぁ」とさっきまでの辛そうな表情が一転して、愛おしいものを見るような温かい瞳をしていた。
その視線の先には、天際まこさんがいた。
「父親失格でも俺がまこの父親であることは今までもこれからも永遠に変わらない。どんなに落ち込んで立ち直れなくても、真愛が守ってくれたこの子だけは、絶対に守らなくてはいけないんだ。この命が燃え尽きるその時までは」
自分に言い聞かせるようにゆっくりと、だけど覚悟を決めたように天際まこさんを真っ直ぐ見つめながら強く言った。
「つぼみちゃん」
「はい」
「わがままなお願いいいかしら?」
「それってもしかしてですが、この家に住ませていただく条件に書かれていたことですか?」
「ええ」
真剣な眼差しで私を見る天際さんの強ばった雰囲気を緩めるように口角を持ち上げて笑みを作った。
「安心してください。この家にいる限り、天際まこさんの身は私が守ってみせます」
先ほどよりも呼吸が穏やかになってきた私よりも小さなまこさんの手を、自分の手と確かに繋げながらもう片方の手を服の下に隠してあるペンダントを服の上から存在を確かめるようにギュッと強く握る。
この家に住ませてもらう条件として、私は天際まこさんの身を守るSPとなった。