倉井柚葉 3
(居候ですって?あり得ないわ)
天際まこの父親は非常に厳格であり、居候なんて絶対に招き入れない。
ましてや、無礼な人間を愛する我が子に近づかせるなんてことは言語道断。
私が眠る時間さえ惜しまず『寄せ集めた』天際まこのあらゆる情報では、居候を受け入れる線などゼロに等しかった。
ふと脳裏にある名前が過った。
影山つぼみ。
私たちの通う星野学園に一名だけ在籍する不登校生。
(同名は偶然かしら?)
西園寺財閥の跡取り西園寺律がその名に泥を塗らぬよう看守している星野学園で唯一逃れている問題児。
法に触れるため西園寺律には報告していないが、この町に入籍している人々の中に『影山つぼみ』という名の人間は一人もいない。
(そして)
田中つぼみ。
彼女もまた影山つぼみと同様、この町に入籍をしていなかった。
(つい先日引っ越したばかりでまだ入籍を終えてないのかしら?)
他人の家に土足であがるような人間だ。その可能性は充分あり得る。
(念のため警戒しておくに越したことはないわね)
私の持つ『分析能力』を行使しようと構える。
瞬間、田中つぼみの目がじろりとこちらを睨んだ。
手足が拘束されたような体の自由がきかない状態。獲物を仕留める野生の目から視線を外すことも許されない感覚に陥り言葉を失った。
体が自由になったのは、彼女が向ける目が私ではなく織姫に向かったときだ。
顔面蒼白とは正にこのことだろう。
心臓を鷲掴みされた息苦しさに胸を抑えていると、視線の先に白色のスニーカーが映り込む。すると数秒も経たないうちに織姫が眉を下げ、心配げな様子で私を覗き込んだ。
「大丈夫ですか?顔色が悪いです」
倉井柚葉から体を強奪した真実を知っているのに、純粋に私のことを心配している。
(…バカね)
十二星座の力を回収すれば、強引に体を乗っ取っている私は消える。そして、倉井柚葉は日の光を浴びれる。
にも拘わらず、彼女は私から力を回収しようなんて少しも考えていないように私に接する。
(マコはこんなにもお人好しじゃなかったわ)
天際まこの前世であるマコ・ミルキーウェイは誰よりも優しい心で傷ついた人々を癒す存在であるとともに、宇宙の姫として銀河に害を及ぼす人間には厳しい処罰を与えた。処罰を与えた日にはキラキラと輝く瞳に光を失くし、処刑人に私とシータが止めるまでひたすら謝り尽くしていた。
ふわりと体が浮いた浮遊感に包まれ、頭に靄がかかったような視界がぼんやりと緩んだ。
(急に睡魔に襲われるなんてこと、今までにあったかしら)
朧になる視界の端に何やら必死に伝えている織姫を入れながらゆっくりと瞼を閉じた。
(そういえば、最近眠れてなかったわね)
「オト、起きて」
眠っている私の脳内に響く声に、久しぶりの眠りを妨げられ少々怒りを感じながらも瞼を開ける。
「…何の仕業かしら」
私が目覚めた世界は、果てしなく続く汚れ一つない真っ白な色に染められた終わりなき世界。
静寂に支配させられし永遠の時間を感じる世界。
私がこの体を乗っ取るまで過ごした無に近い世界に、私はもう一度戻ってきた。
そして、あの時と違う点は一つだけ。
体を起こした私の三歩先で精神体の彼女『倉井柚子』が澄ました顔で立っていた。
「おはよう、久しぶりの睡眠はよく眠れた?」
「えぇ。あなたの顔が寝起き一発目に現れて気分は最高潮に最悪よ」
「同じ魂でも、やっぱり性格は別人みたいに違うね」と困った笑みを浮かべる倉井柚葉にイラッとする。
「さっきも聞いたけれど、これは何の仕業かしら?私をこんな陰湿な世界に連れてきてどういうつもりよ」
「強いていうなら、これは神様の仕業だよ」
聞き覚えのありすぎる言葉に眉をひそめた。
「雲の上で暮らし日々人々を見守る神と、宇宙で暮らし年に一度だけ人々の願いを叶える織姫の間柄を織姫の心友だったあなたなら『分析能力』で私の言いたいことを想定することぐらい容易いでしょ」
この女は人の心に土足に踏み込むなと自分で言っておきながら、自分は人の過去を勝手に覗き見る悪趣味を持っているようだ。
(見ようと思わずとも、勝手に見えちゃうんでしょうけど)
この世界で初めて目覚めたとき、一番初めに頭へと自動的に流れてきたのは倉井柚葉の14年間の人生。
「心友『だった』なんて過去形にするのはやめてくれないかしら?友だちが一人もいない倉井柚葉さん」
負けじと言い返すと、彼女の眉もピクリと動いた。
「でも今まさに心友と絶賛喧嘩しているじゃない」
「あれはマコじゃないわ」
生徒会室で無様にも泣き崩れてしまった私の背中に腕を回された時からその異変さに気がついていた。
彼女が見たのは私との大切な思い出じゃなく、暮らし柚葉の姉への執念に狂った人生。
何とも愚かな人間。
たった一人の人間のためだけに一心不乱努力をする姿は滑稽だった。
だから、私がその無意味な時間を有意義に使ってあげた。
これは私がずっと待ち望んでいた未来、人生。マコの魂をその身に宿す天際まこに会えた今、私の思うがままに生かせてもらうわ。
(『姉』と『姉以外の人間』のたった二つの世界に分類した自分を恨みなさい)
周りからの称賛にも耳を傾けず、姉のことしか考えられなかったあなたの世界は私が研究してきたどんなリトルスターよりも狭すぎる。
(私だってもとは十二星座の一人よ?)
少しは大目に見ていたのに、あなたはずっと注がれていた愛に気づけなかった。
本当に、愚かで憎らしい人間。
「その言葉、そのままお返しするわ」
「何ですって?」
(というか、私の心を読んだわね)
「織姫のことだけを考え、力を使いすぎていることに気づけなかった。今のあなたに私の体を乗っ取るなんてことは不可能よ」
その言葉に茫然自失した。
これからマコ・ミルキーウェイの魂をこの精神世界から引っ張り上げ、また表舞台に立とうと誓い、やっと織姫の魂を見つけたというのに。
これからはマコを支えて行きたいと心から願ったのに。
マコを探すために使った力のせいで、私はまたこの静寂に支配された世界に囚われてしまうのか。
「うそ、だわ」
「嘘じゃない」
「だって、それはあまりにも残酷すぎる」
「言ったでしょ?これは神様の仕業だって」
(何て女々しい男なの)
神であろう人間が、己の私情で人の運命を弄ぶなんて真似が許されるのだろうか。
(…まぁ、しょうがないわね)
マコの魂を身に宿す人間を特定することは出来た。何の進展もないまま力を使い切るなんてことにはならなくて良かった。
(次に力を取り戻した時には、神への復習方法と田中つぼみについて少し探ろうかしら)
半透明になり消えていく自分の身体とは反対に、倉井柚葉の体は影が濃くなる。
「精々頑張って姉を認めさせるのね」
最後に見えた彼女の表情は、白い靄がかかり顔が見える前に私は再び深い眠りへと堕ちた。
「倉井柚葉さん、呼吸してる?」
「してます!勝手に殺さないでください!」
「殺してないよ。息してるか気になっただけ」
「呼吸してなかったら死んでます!」
「睡眠中だと死んでいないらしいよ。無呼吸が起こる度に脳波上で覚醒反応が発動してノンレム睡眠じゃなくなるんだって」
「…まさか本に書いてあったことですか?」
「もちろん!」
「どんな本を読んでいるんですか」
久しぶりに現実世界に戻ると、耳元で騒ぐ声が聞こえた。
精神世界ではなかったずしっとした瞼を開けると、長い間閉じ込められた卵の殻のような練色に閉じ込められた世界ではなく、卯の花のような卯の花色が手の届く位置にあるような気がして腕を伸ばそうとすると首が寝違った痛みと似ているものがそこにはあった。
二年ぶりに戻った自分の体に「あれ、私太った?」と深刻な事態にショックを受ける。
「あ!起きましたか?」
香木の一種『伽羅』と同じ伽羅色を肌に描いてるその顔は、ひどく安堵した表情を浮かべ卯の花一色だった私の視界に突然入り込んだ。
(…この人が天際まこさん)
そして私の前世と深く根ざした関係のある前世を魂に宿す人物。
(オト・ヴァーゴの記憶ではもう少し警戒心が強い人だったけれど)
精神世界から見ていた彼女は、私の体を乗っ取っているオト・ヴァーゴを少なからず警戒していたのに、オト・ヴァーゴの様子が急変して本当に心配しているかのように顔を歪ませていた。
「ここは?」
なんとか絞り出した声を形にして優しい天際さんに告げる。
一週間何も喉を通していないようにカラカラだ。
「どうぞ」
精神世界から見ていた田中つぼみさんとは別人じゃないかと疑ってしまうほどオーラが全く違う田中さんであろう人物が、私の背中を支えグラスに入った純水を手渡してくれる。
痺れが幾分和らいだ手で震えながらも水を飲む。
(ずいぶんと私の体に無理をさせていたわね)
「失礼」
グラスを口から外すとスムーズな動きでグラスを握っていた私の手の上からグラスに触れ、スッと抜き取り部屋を出ていった。グラスを戻しに行ったのだろう。
ふと天際さんを見ると、じとーっと物言いたげな目で田中さんが出ていった扉を見つめていた。
天際さんと田中さんの会話は眠りから目覚めたときにも聞こえていたが、オト・ヴァーゴの前で話していた会話もしっかり私には届いている。
おおかた、自分に対する時とは百八十度違う友だちの豹変した性格に動揺しているのだろう。
「ヤキモチ?」
からかい混じりに聞くと、目を丸くして私に顔を向けた。そして複雑そうな表情を浮かべる。
(顔に出ちゃうタイプの人間ね)
「私にそういう趣味はないです」
「友だちとしてってこと」
すると、大きな目をさらに大きく見開いた。
「友だち…ではないと思いますが」
難しい顔で悩んでいる天際さんに、久しぶりに驚きを受けた。
「そう?天際さんと田中さん、とっても親しげに見えたけど。私に見せる顔は別人だし、少なくとも田中さんにとって天際さんは他の人とは違うように思っているんじゃないかしら」
(私に対応する姿は執事のようだったけれど)
私の言葉を聞くと天際さんは、「うーん」と頭を唸らせていた。
「…あ」
十秒ほど悩んだ後、口をポカンと開けて私を見た。
「私のこと、『天際さん』って呼びましたか?」
その言葉に、そういえば私は自己紹介していなかったなと思い出した。
彼女にとって、これは酷な真実かもしれないが。
「私は正真正銘の倉井柚葉。天際さんが見た記憶で生きていた倉井柚葉よ」




