倉井柚葉 2
時刻は既に灯点し頃。
最終下校時間ギリギリまで活動する当校の門を出ると、大勢の人だかりが出来ていた。
校舎を出てばかりの私にも「きゃー!」と黄色い悲鳴が聞こえてくる。
(今日、何かのコンサートでもあると先生言ってましたかね?もしくは誰か有名人でも来ているんでしょうか)
部活後はいつも疲れ果てた顔で下校する生徒たちが、推しに出会ったような気迫と熱狂をあげることは滅多なことがない限りまずないだろう。
僅かながら何事だろうと気にはなるが、今日は心身ともにこれ以上なく疲労しているせいであの人混みのなかに入る元気がなかった。
(早く帰って夕食の仕度をしないと)
一昨日までは父が帰ってくるまでに夕食を作ればよかったため、父の帰宅時間に合わせて夕食の準備をしていた。
しかし、今日からドSの田中さんが家にいる。
(下校時間も言ってませんでしたね)
今朝は二度も連続で遅刻したショックで冷静な判断が出来なかった。
だから、今になって気がついた。
当校に近い距離にある学校は全て、五分前後でショートホームルームが始まる。
星野学園と最も近い距離にある緑ヶ丘高等学校でも、車で十分は最低でもかかるのだ。
(田中さんも遅刻したのでは?)
どうして私に着いてきたのか、あまりにも当然のように振る舞うから違和感さえ感じなかったのだ。
そして、学生の目印である制服を着用していなかった。
一言も会話なんてなかったが、一晩同じ部屋で過ごしたのに私は田中つぼみという人間について何も知らない。
唯一彼女のことで分かっている点といえば、ドSということだけだ。
部屋に入る前に爆弾が仕掛けられていないか疑ったり、私にした質問もただ聞くだけで答えは耳からすり抜けている。私が困っているところを見て楽しんでいるのだ。
ムッと自分でも無意識のうちに眉根を寄せていると、とんっと頭上を小突かれた。
「歩きながら考え事に没頭しているなんて危ないっすよ」
今までずっと黄色い悲鳴しか聞こえていなかったのに、柔らかい声が耳に入り、知らぬ間に強ばっていた肩の力がぬけた。
俯いていた顔を上げると、そこには今朝出会った五人の十二星座がいた。
うち二人は何故か不満そうな顔で私を見ている。
如月颯と倉井柚葉だ。
「どうされました?」
二人に問いかけると、如月君がプーッと子どもがよくする怒った仕草を見せた。
「俺、何度も織姫の名前呼んだのにずっと無視されたっす!」
「あ、すみません。聞こえてなかったです」
素直に謝ると、「でしょうね!」とさらに頬を大きくさせた。
その子どもっぽい態度に苦笑する。
一際鋭い視線を向ける人物に顔を向けた。
「ゆず、オトさんはなぜ不満そうな表情を?」
『柚葉さん』と途中までいいかけ、言い直す。
名前を呼ぶと、満足したように微笑んだ。
その表情を見てドキリと心臓が跳ねる。
生徒会室で談話していた彼女は、倉井柚葉ではなくオト・ヴァーゴだった。
それなのに、私が見た彼女の記憶は倉井柚葉さんの願い。
(…倉井柚葉さん。今、そこにいますか?)
努力は実ったが、たった一つの願いが叶わず一度光を失った女の子。
その行為は褒められるものではないが、彼女はずっと苦しんでいた。
そして、それは今もずっと続いている。
(私が何とかします。大丈夫です)
倉井柚葉さんの瞳を見つめながら、心の中で彼女に誓う。
「一緒に帰ろうって誘いに来たの」
私が見た記憶が、オト・ヴァーゴとの記憶だと勘違いしているであろう彼女は私との距離を一気に縮めてくる。
ここで断り不信感を抱かせないためにも、快くその提案に頷く。
「ありがとうございます。一人なので一緒に帰る相手がいると安心します」
「みなさんも一緒に帰りますか?」と四人に聞くと、それぞれの反応で返された。しかし、その全てが断ることを意味していた。
わくわくとした表情を露見にするオトさんに手を引かれ、その場を後にした。
「織姫!」
「織姫!」
「織姫!」
「…はい」
事あるごとに「織姫!」と私を呼ぶ彼女に向ける笑顔も少しずつ固くなっていることに自覚する。
通りすぎていく人々がクスクスと冷笑していく。
「え、あの娘織姫なんて名前なの?」
「キラキラネームね」
そんな言葉を何度も投げつけられる。
嘲笑われる声に少しばかり落ち込んでいると、倉井さんの顔が唐突にドアップで現れた。
突然の行動に目を丸くする。
すると彼女は本当に嬉しそうな表情を浮かべた。
着けていた仮面がポロッと外れ、本物の笑顔が露になる。
「それでこそマコだわ」
「もうすぐで織姫の家ね」と私から離れて数歩先を歩く彼女を見て足がピタリと止まる。
私が夢に見た彼女は、何も知らない私にギリギリまで織姫の代わりになれと無理な要求をしたが、無理矢理ではなかった。
「織姫?」
なのに、今の彼女は私の見た彼女ではない。別人だ。何が彼女にそこまでさせた。何が彼女を変わらせた。
「オトさん」
「どうしたのかしら、織姫?」
なぜ彼女が私を今朝と同じマコではなく『織姫』と呼ぶのか。
きっと彼女はもう気づいているのだろう。
私が見た記憶が、倉井柚葉の記憶だと。
「その体を倉井柚葉さんに返してください」
私の言葉にオトさんはもう一度仮面を着けた。
「どうして?彼女は一度死んでいるのよ?」
「だからこの体はもう誰のものでもない。私が好きに使わせてもらうわ」と狂喜に満ちた表情を浮かべる。
私が口を開こうとすると、ドンッと後ろから男子高校生にぶつかられた。
「あ、わり」
男子高校生が向かうのは、妙に人だかりが出来ている私の帰る場所。
(あれ、デジャブ?)
家の前に出来ているその集団に、感の鈍い私でも嫌な予感がびりびりときてる。
「あ、やっと帰ってきた」
「おかえり」と人混みを掻き分け私のもとへ向かってきたのは今朝私を遅刻させた犯人、田中つぼみさんだった。
「天際まこさんの迎えに行こうと家を出たら一瞬で愚民どもに囲まれちゃって」
「ちなみに愚民はさっき本で会得した語彙だよ」なんて囲んでいた人たちの目を気にせず言い放つ恐ろしい田中さん。
「人に対して愚民なんて言いません。後ろにいる方々を見てください。犬がニャンと鳴いた衝撃を受けた顔になってます」
「犬がニャンって鳴く?!」
「もういいです。彼らに謝ってください」
「やだ。あいつら、私の話にちっとも耳を貸さないんだもん。自分のことばっかりアピールしてバカみたい」
ドSの他に、話が通じないが新しく加わった。
(いや、天然?ドSに天然?まさか天然ゆえのドS?)
どれにしろ、私が今までに出会ったことも聞いたこともない前代未聞の人間だ。
(田中さんに聞きたいことは有り余るほどありますが)
「織姫、そちらの方は?」
先にやらなければならないことがある。
ただ一人の言動に一喜一憂する。
その境遇は恋愛と似ているかもしれない。
けれど倉井柚葉の姉はこの世にたった一人しか存在しない。
叶わぬ恋を永遠に追いかけることも、新しい人に恋をすることも彼女には不可能なことだ。
-それは恋じゃなく、愛だから。
愛に囚われ、絶望した瞬間には世界が真っ暗になる。
(だから)
暗闇で救いを求める手を、誰かが光へと導かないきゃいけない。
『やっぱり私は、まだ死ぬ訳にはいかない』
光がある確証がないのに、先の見えない未来へ踏み出そうとしたあの決意を見なかったフリは出来ない。
「彼女は田中つぼみさんです。田中さん、こちらは倉井柚葉さん」
オト・ヴァーゴという前世に囚われた人間ではない光を胸に抱いている倉井柚葉。
十二星座を探さなくてはいけないのに、十二星座を消してしまうかもしれない私は織姫失格だ。




