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ベランダで聞こえた音

作者: 玄栖佳純

 昼間に水やりを忘れていたことを思い出し、夜中にベランダの植木鉢に水をやる。


 夏は朝か夜に水をやるのが良くて、真昼は避けた方がいいらしい。暑い時に水をやると植物の具合が悪くなるようだ。暑いのは私も嫌だから、そうかもしれないと思う。暑くて動く気力すら無い時にご飯を出されても無理。


 冬は朝か昼が良くて、夜にやるのは避けた方がいいらしい。寒いから水が凍ることもあるとか。すっごく寒いのに水をやって、その水が凍って植物が枯れたら私のせいになる。


 だからタイミングを計っていたら、水やりを忘れてしまう。

 それで植木が枯れてしまうことがあった。


 タイミングよりも水を欠かさない方が大切なようなので、最低でも1日1回は自分が思い出した時に水をやるようにしていた。ただし、水はやりすぎると根腐れを起こして枯れる。だから天気とも相談して水をやる。


 神経質になるよりは、自分ができる範囲で植木の様子を見て水やりをするのが良いようだと、幾つもの花を枯らした後に思った。


 そのおかげか5月のはじめのウチのベランダはバラの花が咲き乱れていた。

 凍える夜も水をやり続けた努力の賜物かもしれない。


 否、頑張った植物のおかげである。

 寒さを体験しないと、花芽がつかないらしい。だから寒い真夜中に水をやった自分は間違っていないと、とりあえず考えることにしていた。


 春は朝・昼・夜のいつ水やりをするのがいいのだろうか?

 そもそも5月は春でいいのか?


 疑問を持ちつつ、水やりをする。

 植木鉢がカラカラな時の、水がしみ込む音が聞こえた。


 植物の根っこが『水だあぁあぁあ』と叫んでいるかのようなジワジワという音。それが水をやった鉢から聞こえてくる。


『ごめんよ。やっぱり足りなかったんだね』

と心の中で植木鉢の植物に語り掛ける。


 植物はそれに答えるわけでもない。

 ただ、葉を伸ばし、つぼみを付けて花が咲くだけ。


 それを見て私が勝手に喜ぶだけ。

 植物は私が喜ぶことなど気にしないはず。


 大地から切り離し、ろくな世話もせず、水をやるだけでよくぞここまで育ってくれたと思う。

 一重のバラが一番咲いていて、2鉢が花だらけ。そしてオレンジのバラ。こっちは花びらがたくさんある八重咲。


 一重のバラはすぐに散ってしまうけれど、八重のバラはそうでもない。

 バラと言えば花びらがワサッとしている八重のバラを思い浮かべるけど、元々の種は一重だったと聞いたことがある。


 一重の方が育てやすい。

 水しかやってないのに、ベランダの四分の一くらいのスペースを使うくらいに大きくなっている。


 満開の時期は短いので、もうすぐ花がしおれてくるだろう。

 でも、水やりの途中で鼻を近づけると、バラの花のいい香りがする。


 勝手に種が飛んできた黄色い花も咲いている。

 そして花だらけのベランダから空を見上げる。


 薄曇りの中、おぼろ月が見えた。

 流れ星がたくさん見えるとニュースで言っていたけれど、一等星と思われる星がうっすらと見えるくらいで、すぐに探すのを諦めた。


 流れ星なら光れば見えるはずだと思っても、1時間に数個しか流れない星を待つ気分でもなかった。水やりでベランダにいる時間は長くて10分。小さいベランダだからそんなに居ないことの方が多い。


 でも、月を眺める。

 見上げている間に、流れ星が来ないかと思ってみるけれど、そんなに都合よく流れるわけではない。


 運だろう。

 流れ星が流れる時に空を見上げているかどうか。


 根気よく見ていれば見えることはなんとなく知っている。

 今はその時ではないのかもしれない。


 音は聞こえる。

 遠くで車が走る音、何だかわからないけれど、虫の声らしきジーという音。


 秋なら鈴虫の声が聞こえてくるのだろうが、なんだかよくわからない虫の声。

 真冬の真夜中の水やりの時は無音だった。


 空には月も星もなく、なぜか街灯も消えていて、車も通らず通行人もなく無音だった。

 音のない闇に恐怖を覚え、水やりもそこそこに煌々と明かりの点いた部屋に戻り、テレビの音量を上げた。


 文明はすごいと思った。

 もしも自分が野生動物だったら、もしくは原始人だったら、スイッチを入れたら明かりが灯るということは起きない。夜中にPCの前に座って文字を打つということは決してできない。


 夜昼逆転生活ができるのは、文明のおかげである。

 そんなことを感じた真冬の真夜中。


 5月の春の夜は、ジーっという虫の声。

 たぶん、虫の声だろう。違っていたら、それはそれで怖い。


 冬は無音だけど、春になると虫が出てくる。

 それはあまり嬉しくはないが、でも生命の音。


 春だからジーなのだろう。

 音がわりと地味。


 夏はセミになり、秋は鈴虫になるはず。

 セミはわりとうるさい。


 鈴虫はリーン、リーンという鈴のような音。

 でも、たまにそれが大合唱になる。これは意外とめちゃめちゃうるさい。


 うるさいけれど、自然の音だと楽しむべきだろう。

 音がするということは、そこに苦手な虫がいるのだろうけれど、音だけなら嫌ではない。


 セミやカナブンが爆音と共にベランダに飛び込んできたら泣きたくなるが。

 次の日そこにひっくり返った本体があったら立ちすくむが。


 それと比べたら5月の音はなんか地味だと思いながら、ベランダから外を眺める。

 暑くも寒くもない、春の日の夜。


 ムシムシもしていなくて、いい風が吹いて心地よくて、一年で最も快適だろう。

 クソ暑い夏もクソ寒い冬もあるけれど、美しい花が咲き誇る春に、美味しい実が成る秋。


 その四季を楽しめる自分は、きっとしあわせなんだろうと地味に思う。

 しあわせとは、その只中にいる時は、気づけないものだと聞いたことがある。


 だから後で気づくのではなく、今を大切にしたい。

 きっと私はしあわせなのだろう。

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