二 「ちからもち?」
日が出てから入り、日が沈んでから出る。
塔の入口は朝時にしか開かず、中でどれ程の時間を消費しようとも、塔を出る際には必ずその日の夕方での脱出となる。
最上階層の階段を踏んだ雫は、視界が閉ざされ、妙な浮遊感を一時体験した後、視界が開けた。
そこは街の裏の山中。拓けた場所にある祠の前だった。このこじんまりとした祠は塔への入口であり、つまりは無事に戻れたことを意味している。
ふぅ、と。雫は一息吐き、目尻を下げたふやけた顔でふにゃりと肩の力を抜く。
だがそれも一瞬。のんびりしていては直ぐに夜を迎えてしまう。できるだけ灯りは使いたくない。油もただじゃないから。
雫は、んー、と軽く身体を伸ばし解すと、鞄を正してさっさと祠を背に歩きだした。
首に巻いた襟巻きの尻尾を揺らし進む姿は大変意気揚々として見える。それもそのはず。今回の宝はかなりの上物。自然と歩みも軽くなる。
(むふり)
最上階の一五階層。下の階層と変わらない広さの部屋に、豪奢な装飾を施された宝箱が一つ。売れば金になりそうだが持ち運びはできないのは、貰える物は貰いたい派である雫が確認済み。
中身は基本的には塔に入った直後の面談の内容を配慮しているが、塔の階数や攻略内容によってその度合いは大きく変わる。つまりは塔次第。塔が満足させることが重要と言える。
雫の望みは一貫して『塔の攻略に役立つ道具』であり、良い時は便利な異能が付与された剣。酷い時は《中りんご》より一回り小さい《小りんご》だった。《小りんご》はその場でやけくそ気味に丸飲みした。
では今回は。
(……む?)
雫が見た目より軽い蓋を開けると、漆黒の鞘に納まった一振りの刀がある。《水色の剣》もそうだが、この塔の剣は刃の幅が広い異国な剣が殆ど。刀は初だった。
高まる期待感を抑えつつ、雫は刀を手に取り意識を集中させる。すると頭に浮かぶ刀の詳細な情報。威力値、そして付与されている異能。
雫は直ぐに理解した。
《黒色の刀》。異能は一度の行動で二回の連続攻撃。
今まで入手した道具の中でも指折りの物。異能に関しては思わず生唾を飲んでしまう程。大当たりの道具だった。
「うおおーっ!」
雫は歓喜し、片手で高らかに刀を掲げる。おっしゃー!の姿勢である。雫が年頃の少女であると鑑みればはしたないと注意すべきところだが、今は誰もいないし見てもいない。
空腹度の際といい、雫は塔によく一喜一憂させられる。当人はなんだかんだで楽しそうにしているが。いや、そもそも、好き好んで塔を登る人間はこの手の人間が多いのだろう。
そして現在に至る。
◇
裏山とは言えそれなりに街と距離があるが、今の雫は普段の半分も時間をかけずに街へと戻ってみせた。上機嫌が成せる技である。
それでも夕から夜には変わっており、街では夕食を始める頃合いで、屋台や酒屋が段々と賑やかになり始める。行き交う人も多くなる。栗栖領内でも大きな街なだけはある賑わい。
その中を、ほくほく顔で闊歩する雫はかなり視線を集める。
その視線の大多数はじろりじとりとしたもので、明らかな非難が混ざっている。つまるところ、雫は街中から実に分かりやすく嫌われ距離をおかれている。その理由は先程まで雫が挑んでいた塔にある。
塔。
数百年も前。世界中に突如として出現した大小の祠。その戸の先にあるのは幾つもの階層と一つの最上階。上へ登る認識と建物の中であることから、便宜上、塔と呼ばれるようになった。
入る度に内部構造も階数も異なる摩訶不思議な塔。幾つもの規則。無限に湧く妖怪。最上階の願いの宝。そして登頂か死ぬかの絶対的結末。
塔は一度入ればそのどちらかしか出る手段はない。それも規則の一つだった。
現れた当初から危険視されていたが、塔を登頂した者がぽつぽつ出始めると、気付けば誰もが挑み、それどころか各領の事業となりつつあったらしい。宝の内容はある程度望みを配慮する。どうとでも活用はできた。
だがそれも長くは続かない。所詮は一過性の流行だったのか。塔から戻らない者が圧倒的に多いことに気付けば足は遠退く。
祠は一切の刃を通さず破壊が望めない。各領にいる一部の都合で塔への挑戦は公的には認められている。だが寄らない挑まないは街に住む者にとっては暗黙の規則だった。
特にこの街では上級の塔が多く存在することもあり、危険性を鑑みて街の人間は厳しい目を向けている。
風化も汚れもしない祠は、ただそこで来ない人を待つだけとなっていた。
そんな中、一年前に普通に規則を破ったのが雫だった。
塔への最初の挑戦は手ぶらでよかった。鞄は初挑戦時点で塔から支給される。そして塔内で得た物しか塔には持ち込めないから。
だから散歩の装いで裏山へ行き、攻略者の証である鞄を抱いて帰ってきた雫に街中が驚愕した。いつ行ったんだと騒ぎになった。
そもそも、雫は規則を最初から守る気もなかった。一年前から塔に挑み出した理由も、普通に知識や体力が攻略に足ると判断したからである。
当然周囲は納得しない。だが雫にはそんなものは関係ない。
「何か問題ありますか?」
当事、雫は何か言いたげな者には普通にこう言っていた。
言われた側は当然、ぐぬぬ。である。
規則はあくまでも暗黙。知らぬ存ぜぬを通されたら仕方がない。公的には認められている行為なのだから。
だが無闇に攻略者を出して塔攻略への興味を誘引しても困る。ならばと、力付くで規則を守らせようとしても、それをしようにもさせないのが攻略者という人間である。
雫は塔を無事に攻略している。塔攻略の恩恵は宝だけでない。
塔踏頂時点での能力値を塔の外でも持続し、塔産の特殊な武器も扱える。尚且つ、塔の外では命を落とさない。塔は貴重な攻略者をつまらぬ理由で手放したくないのだろう。
つまり、攻略者は強靭な身体と武器、そして不死を得る。
塔への挑戦を継続させる為の意図もあるのだろうが、能力値と不死は一週間のみの恩恵であるが、期間以内にまた塔を攻略すれば永続的無敵。命を賭けた挑戦の報酬は攻略者を人間から超越させる。
そんな相手故に疎ましくも何もできず、こうして睨むだけに留まっているわけである。
ただ、その睨みも矛先である雫はまったく気にしておらず、普通に買い物もするし、飯屋にも顔を出す。
現に、屋台で香ばしい鳥串を数本持ち帰りした。串に刺さる肉の身は肉汁をたっぷり内包していて、噛めば至福間違いなしである。屋台の主は嫌悪を露にして対応していたが、鳥串しか眼中にないのでこれも関係なし。
表情も変わらずほくほく顔を保ったまま、雫は街外れの自宅に向かう。
街外れ。富裕層や下層が住む地区とは毛色が違う極貧地区に雫は住んでいる。
並ぶ住居も横風に弱そうなあばら家が多い。伝染病対策に多少は清掃されているが、やはりどこか汚ならしい。
そんな極貧地区の中でも端の方であり、少し隣と間隔が空いた家。そこが雫の自宅である。
鳥串の包みを揺らしつつ、夕食を作りを終えてのほほんと帰宅を待っているだろう同居人を思いつつ雫は中へ入る。ただいまも忘れない。
だが言葉にはしきれなかった。
「ただい……あ」
一間しかない家には同居人以外に二人も居た。見知った二人。幼馴染みの姉妹。
一人は普段通りの笑みで座り、もう一人は違った。
雫はそのもう一人の怒気を孕んだ雰囲気の理由に瞬時に見当がついた。冷汗が顎を伝う。
(あー、うん……)
同居人である美里は、鳶色の長い髪を太い一本の三つ編みにまとめ顔の横に垂らしているが、落ち着きを乱した時や余裕を欠いている時はその三つ編みを指で遊ぶ癖がある。
今が絶賛その最中であり、雫を見る美里の顔には苦笑いが浮かんでいる。
雫はごめんと美里に目配せすると、重量が増したように感じる身体を引きずるように、姉妹の前へ足を運ぶ。姉妹は両極端の表情で雫を出迎えた。
(まぁ、怒ってるよね……)
説教は長くなるだろうか。せめて灯明皿の灯りが消えるまでに終わるようにと内心で雫は願った。油もただじゃないからね。
◇
普段は質素このうえない雫の家だが、姉妹が居ることで大分華やかさが増していた。それもそのはず。二人は街一番の長者、高垣の娘だから。
高垣は所謂情報屋であり、領内外でも有数の財と力を有している。領主とも対等だと言われる程だ。
極貧地区に足を運ぶ為に若干慎ましい着物だが、それでも雫と美里の極貧地区色強い装いと比べ、二人は明らかに金持ち。姿は潜めているが御付きの数にもそれが出ている。
親なしの極貧地区住みと長者の娘では、幼馴染みだからと言っても、本来こうして一緒にいることは許されない身分差。だからこそ姉妹から寄らないと成り立たない関係だが、姉妹は雫を離す気はなく関係が崩れることはない。その理由を知るものは数える程しかいない。
ともかく姉妹は雫の幼馴染みであり友人で、偶にこうして雫の家に御忍びで足を運ぶ。
暇だから来た。顔を見に来た。と普段なら理由付けるが、今回はそれらが理由ではないことは顔を見れば明らかだった。
「あれから何日経った?」
美里が全員分の茶を用意し終わると、早速とばかりに雫に詰めよったのは、怒っている方であり姉妹の妹の方、比奈だった。
実母譲りの麦穂の如き金色の髪を翻し、鼻が触れる距離まで顔を近づけると、開口一番にこう言った。
雫にはそれが姉妹から『家に来るように』と言われてからの日数を指していることはわかっていた。塔攻略を優先し、面倒だからと放置していた雫にとっては避けたい話題。放置した雫に非があるから。
だから当然、雫は惚けた。えへへとにやけ、笑顔で誤魔化しにかかる。だがそれを許す比奈ではない。
「……そう。惚けるんだ?」
比奈が最終通告だと言わんばかりにそう呟いた瞬間、髪を逆立てんばかりの怒気を身体に纏ったのが雫には見えた。
塔攻略中に感じる恐怖と酷似した気配。雫がその危険を察して身体を退くより速く、比奈は雫の柔い頬を片手で挟み、もう片方の手で細首を掴んだ。
「えへへじゃないよね?あ?」
ひっ。と部屋の隅に居た美里が小さく悲鳴をあげた。
領内外から求婚する者が後を立たない愛らしい女性はそこにはいなかった。額に青筋を浮かべて凄む破落戸がそこにいた。
「ほへんらはい。いっひゅうはんへふ」
ごめんなさい。一週間です。と雫は蛸の口でなんとか言葉にした。
比奈はこうなってしまうとどんなごまかしも効果がないと雫は知っている。直ぐ様に白旗を上げて謝罪した。
「……はぁ」
蛸の口で涙目の雫の姿に、比奈は呆れた溜息を吐くも、拘束していた手を離した。まったくもう。そんな様子で。
「まぁ、雫のことだから素直に来るとは思ってなかったけどね」
(ならいいじゃん)
「あ?」
「ごめんなさい」
比奈は偶に心を読む。
なんでだ?と頭を悩ませる雫をそのままに、茶を啜る比奈が後はまかせたと座る位置を僅かに後ろへずらした。そうなれば出てくるのは姉妹の姉、媛花。
実母譲りの藍色の髪。桔梗で染めた様に艶やかな髪越しから覗く瞳は、待ってましたと言わんばかりに爛々としていた。
「雫ちゃん」
「うん」
蜂蜜を煮たような甘い声で媛花はこう続けた。
「最近ですね、新しい護衛に力持ちを雇ったんです」
「ちからもち?」
「はい。凄いんですよ?熊をですね、一本の指で倒しちゃうんですっ」
こーしてねー。と袖を揺らして指を立てた腕を空に繰り出す媛花。そんな馬鹿なと。攻略者ですらできないぞと苦笑した雫。
笑える冗談だな。そう思った雫の前に、音もなく何か巨大な塊が現れた。室内の光を遮り、それが人だと瞬時にはわからなかった。
「笹井さんです。特技は暗殺と按摩ですって。多才ですよねっ」
立ち上がった笹井さんとやらが、あの鬼と大差ない大きさであると確認したのを最後に雫は意識を手放した。
美里があげた悲鳴は雫には届かなかった。




