宿舎へ帰る
「それでは帰りますわ」
玄関で俺とレーチェはリーティスとレクシアに見送られていた。
「お姉様、お兄様。せっかくですから、クェイフ兄様が持ってこられた蜂蜜酒を持って帰ってくださいな」
「だからお兄様と呼ぶな」
リーティスは俺の言葉を無視し、控えさせていた侍女を呼ぶ。その侍女は四本の瓶を編み籠の中に入れて持って来た。
「それと、私達の領地で生産している花茶を」
とレクシアが言って籠の中に入れた缶を見せる。
俺はそれを受け取り、ウィンデリア家の馬車でミスランに送り届けられる事になった。
外は暗く、馬車は角灯をぶら下げながら夜道を走るのだ。
「それではお母様、リーティス。また帰って来た時に」
「ええ、あなたも気をつけて。──娘をお願い致します」
「はい。お引き受けします」
そんな挨拶を交わし、馬車へと乗り込んだ。
馬車の窓から手を振るレーチェ。
馬車が動き出すとレーチェは「ふぅ」と溜め息を吐いた。
「なんだ、その溜め息は」
「疲れましたわ」
「お前の実家と家族だろうが。俺の方が気疲れするだろ、普通」
そう言うと彼女は眉を顰める。
「兄のあの性格……正直言って好きになれませんわ」
「まあ、うん。苦手な類型ではある」
「それに『娘をお願いします』だなんて母が言うなんて。──それに対してあなたも『お引き受けします』と答えて……。こんな事になるなんて、それもこれもあの傍迷惑な妹の所為ですわ」
「それは確かにな」
そう言いつつ俺は笑ってしまう。
レーチェの実家に来る事になり、彼女達の両親に「既成事実」を吹き込んでいたリーティスによって、恋人関係から一気に婚約者のような扱いを受けてしまった。
何から何までリーティスの手の内で転がされていたような気分だ。
あの性悪妹には感謝すべきなのかもと、ふと考える。
こんな風にレーチェとの仲を深める事になった原因は、間違いなくあの妹なのだ。
互いに惹かれ合うものがありながら、想いを隠してしまう性格の為に踏み出せずにいた俺とレーチェ。そうした気持ちを敏感に見抜いたリーティスの、強引なまでの権謀術数。
全てはリーティスのお陰かもしれない。そんな風に思い始めていた。
「あの子にも困ったものです」とレーチェが呟く。
勝手に「婚約する」かもしれないなどと、両親に吹き込んでいた事に腹を立てているようだ。
「まあまあ、リーティスなりに姉の事を想ってやった事だから」と妹を庇うと、姉は難しい顔をした。
「あなたまでそんな……、もういいです」
などと怒った振りをする。
俺はそんなレーチェの仕草を見て、声を出さずに笑う。婚約の事も、このまま「あり」としてもいいかな、などとその横顔を見て思い。俺はだいぶレーチェに惚れているようだと、改めて自覚したのだった。
暗い夜道を進む馬車。客車の中は発光結晶を使った明かりが点けられ、その白い光の中で俺達はしばらく沈黙していた。
どういった話をすればいいのかと考え、持っていた編み籠の中身に視線を落とす。
「そ、そういえば、この花茶ってどんなものなんだ?」
「え? ええ……それは花弁を入れた紅茶ですわ。花の香りを残す後味が評判の紅茶です。ただ生産量が少ないので、割と高価な物のようですわ」
それでミスランの一般的な店では見かけなかったのか。俺は納得し、クェイフからもらった蜂蜜酒は地の神ウル=オギトに一本差し上げようと言うと、彼女は「そうですわね」とだけ口にした。
彼女は肘掛けに肘を乗せ、頬杖を突いて外の景色を見ている。
すっかり暗くなった夜道に見える物はなく、彼女はただ視線を窓の外にむけたまま、物思いに耽っているようだった。
「そういや、旅団の連中に言っておいた方がいいかな」
「え?」
「いやだから、俺達の事」
「そ、そうですわね……。それは──遠征組が帰って来てからで、よっ、よろしいのでは?」
それもそうかと頷き、俺達はそれきり黙り込んでしまう。
ミスランの街に馬車が戻って来た。
街の門を潜り抜けて宿舎の前まで送り届けてくれた御者に感謝し、別れの言葉を掛ける。
さすがに街は静かになっていて、車道を走る車輪の音が静かに離れて行く音だけが聞こえていた。
宿舎に入ると玄関から通路まで全て明かりが消え、俺とレーチェは指に嵌めた発光結晶の指輪を使い、淡い光で周囲をそっと照らす。
「皆もう寝てしまったようですわね」
「それほど遅くはないはずだが、明かりが点いている部屋は少なそうだった」
猫達も巣箱の中で丸くなっていた。
「それじゃぁ……おやすみ」
「ええ、おやすみなさい」
俺達は玄関前で別れると、それぞれの部屋へと戻って行った。




