餓鬼の霊訪
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんの住んでいるところでは、お盆っていつやるの? 7月? それとも8月かしら? 明治時代に暦が改められた際、その新暦に沿って日本の行事は軒並みひと月ほど遅れるようになった。それを採用するかしないからしいのよ。
じゃあ、つぶらやくんは「施餓鬼」の法要に参加したこと、ある?
あれ、その顔だと施餓鬼について、あまり存じ上げないって感じ? お盆と時期が重なることが多くて、印象が薄くなっているのかなあ。
お盆がご先祖様を供養するのに対し、施餓鬼は文字通り、「餓鬼に施しを与える」ことを目的としているわ。
死後、餓鬼道に落ちてしまった人は、常に飢えと渇きに苦しめられるという話。それを癒すために、生きている者が食べ物を餓鬼たちに供えるの。これは生きている人にとっても功徳のひとつとなり、善行を積んだとみなされる行いだとか。
私の地元はかなり頻繁に行っていて、いつの日でもお寺を複数めぐれば、どこかしらでやっているんじゃないかしら。
そのせいなのか、餓鬼にまつわる話もいくつか聞いたことがあるの。そのうちのひとつ、聞いてみない?
むかしむかし。お盆が近づいてきた7月、文月の上旬のこと。
町の大路の中心で七夕飾りをつけていた、高さ三十尺あまり(約9メートル以上)の葉竹。これの片づけが行われていたところ、手伝いをしていた子供たちのうち、男の子がひとり、忽然と姿を消してしまったの。
全員が作業に夢中だったから、常に目を離さずに、とは言えなかったけど、彼が去っていく気配すら感じた子はいなかった。
すぐさま人手が駆り出されて、件の子が捜索されることになったわ。足跡ひとつ残さずに消えてしまった彼。探すのは骨が折れるかと思われたけど、ほどなく行方が分かったの。
とあるお寺の、無縁仏たちを葬っている塚。肩を寄せ合うように集まった墓石たちの手前の地面から、泣き声がかすかに聞こえてきたのよ。
土は音を吸い込む。声の主はかなり浅く埋められていると、察せられたわ。近くにいた僧が素手で土を掘り返していったところ、ほどなくその腕を、土の中から伸びた別の手が掴んでくる。それはいなくなった子供のものだったの。
気持ちが落ち着いてくると、助けられた子は自分の体験を語り出す。
飾りを片付けている時、自分はふと「腹減った」と小さく漏らす声を、耳元で聞いた。誰のつぶやきかと周囲へ目をやったところ、もう一度「腹減った」とくる。それは自分が触れている竹、その生い茂った笹の葉の中から聞こえてきたのよ。
何かいるのかと顔を近づけたとたん、いきなり葉と葉が左右から頬を挟み込み、信じられない力強さで男の子を葉の中へ引きずりこんだわ。
葉の緑色を認識できたのは、最初のうちだけ。目の前が黒く染まってしまうと、その闇の中に、こちらへ背を向けてうずくまっている子供の姿が浮かんできたの。
百里先から旅してきたかのように、まとっている服はところどころに穴が空いてぼろぼろ。そこからのぞく手足は、骨が浮かぶほどにやせ細っている。その姿は勝手に近づいてきたかと思うや、今度ははっきりとした野太い声で「腹減った」と告げ、ゆっくり振り返ったの。
その顔を、男の子ははっきりと覚えていなかった。起きた後に思い起こす夢のように判然としない。けれど思わず泣き出してしまうくらい、恐ろしいものだった覚えがあるのだとか。
そいつの姿が消えると途端に息苦しくなって、必死に助けを呼んだわ。そして僧に助け出されて今に至るとか。かぶさっていた土はさほどの量じゃなかったけど、それがどかされるまで手足が縛られたように動かなかった……と、彼は語ってくれたそうよ。
一部始終を聞いて、僧はこれを餓鬼の仕業だと判断したわ。それも、例年に見られないほどの強い飢餓で、今すぐにでも危害を加えかねないほどの。できる限り早く法要を執り行わないと大変なことになると、急遽、施餓鬼の法要が準備される運びになったわ。大人たちも総出で手伝うことに。
その間、子供たちは家へ留まるように指示が出されたわ。蛇が食べやすさから、同じような体型を持つ蛇を食らう時があるように、小柄な餓鬼は、子供を食らう対象として見ることが多いためとのことだった。
餓鬼は、日が暮れてから活発に動き始める。中には腹を減らすあまり、家の中へ押し入ろうとする者も現れるかもしれない。その対策として、次のようなことを行うのが勧められたの。
まず、片づけを終えた七夕飾りの中から、各々の短冊を回収しておく。家族全員の分があるか、しっかり確認をすること。
次に、それぞれの短冊を、線香の灰を混ぜ込んだ砂へ十分にまみれさせる。その後、窓や戸口といった、外と中の出入りに使われる箇所ひとつにつき一枚を貼り付けていくの。ただし、一枚だけは手元へ残しておくの。
そして最後に、残った一枚は自分の家の押し入れの内側に。もしも押し入れのない家だったならば、布団やそれの代わりとなるものの内側へ貼り付けること。これは万が一、餓鬼が屋内へ入ってきた時に、その中へ潜り込んで自分の身を守るための備え。
「餓鬼の苦しみは、字のごとく、自分が望んでも物が食えないところにある。触れた先から、万物ことごとく形を失い、いささかも手の内へ留まらない。その克服に心を囚われているのだ。くれぐれも気を抜かぬように」
僧に告げられた子供たちは、身体を振るわせつつもそれぞれの手で準備を進めていったとか。
あの時、餓鬼にさらわれた子も抜かりなく家の中へ、短冊を貼り付けていたわ。「眠らないように、眠らないように」と思っても、日が暮れて暗くなると、眠気が襲ってくる。昼間、色々なものを見てきた両目が「休ませろ」と訴えているかのよう。
明かりはつけられない。油は非常に高価なものだから、ひとりだけの空間を照らすのは、こんな時でもはばかられてしまう。今までの過ごし方が、染みついていた。彼は早く夜が明けないかと、何度も舟をこいでいたそうよ。
そこへぽつりと、冷たいものがうなじへ降ってきたわ。思わず手をやって、彼はそれが雨粒だと分かったの。
屋根が雨漏りしている。その事実は、一気に彼の心の警鐘を鳴らした。つまり、この家に本来のものでない「出入口」ができてしまったということ……。
彼が押し入れの戸に飛びつくのと、垂れる雨が粒から滝となり、床へ降り注ぐのはほぼ同時だった。無遠慮に飛び散るしぶきが、跳ねた先にある床や壁に触れるや、氷を溶かすようにその形が崩れていく。
彼は押し入れに逃げ込むと、戸を閉めながら裏側に貼り付けられた短冊を、必死に抑えたわ。でも、戸は完全には締め切らず、ほんのわずかだけ開けていたの。
笹の葉の中へ連れ込まれ、餓鬼を見ることになった瞬間は覚えている。今、完全に視界を閉ざしたら、あいつが湧いてきてしまいそうな、そんな気がしたから。
闇に慣れ始めた目が、入り込んだ雨水の動きを捉える。粘土をこねるような動きで、上部へ向かい身体を伸ばしていく雨水。そこから手が生え、足が生え、やがて猫背になった子供ほどの体躯の影になる。膝から下は、床に空いた穴の下に隠れてしまっていたわ。
「食いたい……食いたい……」
呆けたようにつぶやきながら、足を引きずるように動く影。その先にはまだ無事な床があったはずだけど、影はいささかもぶつかる気配がない。代わりに、深いぬかるみを進むような水音が上がり続ける。
影は押し入れとは反対側。戸口に近いかまどへと近づいていく。その上にかかった釜の蓋へ手を伸ばすが、掴んだとたんに蓋はぼろりと崩れてしまう。中の釜、かまどそのものに触れても同じこと。不動を保っていた形が、影の指先を嫌がるようにおのずから身をすくめ、壊し、見えなくなっていく……。
やがてかまどそのものを、砂にしてしまった影は、大きくうなだれたように思えたの。その歩みはいささかのろくなりながらも、今度は彼が隠れた押し入れへ、真っすぐ進んでくる。さっきと同じように、硬い木でできているはずの床を、水音を立てて「かき分け」ながら。
彼は音もなく押し入れの戸を閉めると、引き続き短冊に手を重ねて、力を込める。
もう逃げ出すことなど思いもよらなかった。息もせず、固唾も飲まないで、ひとり激しくなっていく胸の鼓動だけを聞きながら、餓鬼の退散を待つしかない。
ややあって。お札から離れた押し入れの一部が、ぐすりと音を立ててこちら側へ落ちてきたわ。そこにできた穴からは、ぬらりと黒い指先がのぞいたの。
それからは早かった。紙の端についた火がどんどん燃え広がって、残りの紙を炭にしていくように、指先を中心にして穴が見る間に広がっていく。すぐさま短冊近くまで危機にさらされて、彼は飛びのいたわ。
貼り付いていた戸が消えても、短冊は崩れずにそのままひらひらと床へ落ちる。すでに穴は、向こう側にいる餓鬼らしき影の半身を覗けるほどになっていたけど、その広がりがぴたりと止んだ。影はじっと、落ちた短冊を見つめていたようだけど、ふと振り返って天井を見上げたの。
「食いもの……食いものだ……」
影は足を早めて、自分が降ってきたところまで戻ると、身体を頭から順に細めながら、屋根に吸い込まれるように消えてしまったとか。
押し入れの壁に寄りかかる彼は、まだ脈動が止まず。動くことも億劫で、そのまま動けなかったとか。
夜明け方。戻ってきた両親と共に、差し込み出した朝日の下で見る家の姿は、予想通りの酷いものだったわ。
屋根には大穴が空き、夜中に影が這いずったところは、縁の下まで通じる溝となって床をえぐっている。かまどは釜もろとも砂に変わっていたし、押し入れの戸も半分以上がなくなって、残った部分の境目からは木製の組み子がのぞいていたそうよ。
そして彼が餓鬼の帰りを見届けたと思しき時間は、ちょうど寺に集められた供物たちが、境内近くの深い沼の中へ捧げられた時だったとか。