第11話 ヴァニキス
「ヴァニキス……? ヴァニキスって言うのか
この姿は! お前、何か知っているのか!?」
ヴァニキス。
その名を詩朗は聞いた事など一度もない。
詩朗はノーフへと問い詰めるも、ノーフは首を横に振って否定する。
昂ぶってしまった感情を落ち着かせるためか
再び、丁寧な口調に戻って話し始める。
「……いや、それだけです。私が知っているのは名前とかつていたという事だけ。私が崇拝する7人の魔人以外に考えられるのは、ヴァニキスしかいないと考え、その名を口にしたのです」
どうやらそこまで詳しくは知らないようだ。
この力を知る手がかりになったかもしれないが、今は考えている場合じゃない。
詩朗が警戒していると、ノーフの手の平がピッと裂けた。
黒い血がボタボタと地面に落ちて、真っ黒に染めていく。
(あいつは何をしているんだ?)
その行為を不思議に思っていると、後ろからアニーの叫び声が聞こえてきた。
「気をつけて! そいつの血は当たると爆発するの!」
「なんだって!?」
「助言など無意味ですよ! ブラッディスフィア!」
ノーフは自身の血を瞬時に球状に集め、詩朗へと投げつけた。
防御できずにまともに攻撃をくらう。
「ぐあっ!」
「詩朗!」
ベルはたまらず叫んだ。
「……いや、大丈夫みたいだ」
攻撃を受けたにも関わらずその鎧には傷一つ入っていなかった。
「何だと!?」
「今度はこっちの番だ!」
詩朗は右手を高く掲げた。
すると右手を囲むようにして、ドーナツ状の黒い刃が出現した。
夢の中で男が使っていた技の再現だ。
「いっけええええ!!」
詩朗はノーフへと向かって、思いっきり投げつけた。
ギュアアアアアアアアア!!!!
空気を切り裂く猛烈な音を響かせ、ノーフの右側の翼に命中した。
ノーフの翼は、バターをナイフで切り裂くように容易に切断された。
「ぎゃああああああっっっ!!」
切られた翼から噴水のように黒い血が溢れ、
ノーフは激痛のあまり床をのたうち回った。
ぶっつけ本番でやってみたが上手くいったようだ。
「アニーちゃん! ベルちゃん、無事かーっ!」
「無事なら返事して下さーい!」
奥の方から男と少女の呼び声が聞こえた。
その声にアニーが反応する。
「この声は団長とクレティア……? 私たちを探しに来たのよ!」
詩朗は後ろに振り返り、アニー達に向かって叫ぶ。
「アニー、今のうちにサリーさん達と合流して、一緒に逃げてくれっ!」
「 でも、あなたは大丈夫なの!?」
「俺は……、大丈夫! こいつを倒さないと!
」
アニーは何か言いたげだったが、やがて意を決してベルの手を取る。
「わかったわ。どうか無事でいて……。
ベル、行きましょ」
「待って! その前に……」
ベルは詩朗に向き合うと、
「あの、ありがとう! その……、助けに来てくれて」
純真な眼差しでお礼を述べた。
詩朗は頷いて、
「今の内に早く逃げて。 外でまた会おう」
ベルはこくんと頷くと、アニーと一緒に奥へと駆けていった。
「ぐうぅう……。よくもこの私に傷をつけてくれましたね……!」
詩朗がハッとして振り返ると、ノーフがよろめきながらも立ち上がっていた。
先ほど切断された翼は出血も止まり、元の大きさへと再生していた。
その再生能力の高さに改めて驚く。
「そこを退いてもらいましょうか。私の目的は貴方と戦う事ではないのですよ」
「悪いけど、行かせる訳にはいかない!」
詩朗は「うおおお!!!」と叫びながら、ノーフに向かって右拳を繰り出す。
右拳がノーフの顔面に命中────、する直前にノーフは横に避ける。
「なにっ!?」
「先程は油断して攻撃を受けましたが、戦い方が素人そのものですねぇ。能力はあっても、
使いこなすには至っていない!」
ノーフは詩朗のがら空きになった脇腹に、左拳を叩き込む。
そして、叩き込むと同時に左手を爆発させる。
「ブラッディストーム!」
爆発ともに発生した嵐が、詩朗を炎の中へと吹き飛ばす。
「ぐうっっ……!」
爆発によるダメージこそは殆どないものの、衝撃までは抑えきれなかった。
詩朗は炎の中から体を起こす。
炎による熱さは感じられず、火事による息苦しさもなかった。
どうやらこの黒い鎧のおかげらしい。
ふと顔をあげると、ノーフが翼を広げ逃げようとしていた。
(まずい! ベル達を追う気だ)
詩朗は左腕に意識を集中させ、夢の中の男がしていたように腕を鎖へと変化させた。
先端に小さい錨がついた鎖を、ノーフ目掛けて投げつけ、そして身体に絡ませる。
「動きがっ……! また邪魔を!」
「行かせないって、言っただろ! 何度でも邪魔してやる!」
「小癪な……。 離れろッ!」
ノーフは鎖で拘束されているにもかかわらず、無理やり飛び立った。
ノーフに引っ張られる形で宙に浮かびあがる。
詩朗を振りほどこうと、ノーフは激しく暴れる。
「いつまでしがみついている! 離れろッ!」
「嫌だっ! 離れない!」
いくらノーフが暴れようが、詩朗は決して鎖を手放さない。
そうこうしている内に孤児院の壁をぶち破りノーフ共々外へと投げ出される。
熱い炎に染まっていた視界が晴れ、冷たい地面に転がる。
詩朗がよろめきながら、立ち上がると周りから悲鳴の声が聴こえた。
周囲を見渡すと孤児院から脱出した人達、それを救助にしに来た人達だろうか────。
多くの人々がノーフと詩朗に、恐怖と不安の眼差しを向けていた。
「動くな」
ひどくしわがれた声が響く。
ノーフが両の手から黒い血をしたらせながら、人々に向けていた。
その目はギラギラと怒りの炎が燃え上がっていた。
「動けばどうなるか……、わかっているな」
ノーフはニヤリと口角をあげた。
詩朗はぎりりと奥歯を噛み締めた。
(まずい。 このままじゃ、ここにいる人達が巻き込まれてしまう……!)
迂闊に動けば、周囲の人々に危険が及ぶ。
かといってこのままノーフの好きな様にさせる訳にもいかない。
詩朗が考えあぐねていると、何かが空気を切り裂く音が響いた。
それはノーフのこめかみに命中し、粘着性のある泥となってノーフの視界を防ぐ。
「ぐっ……、な、にっ」
有利になったと思い込んでいたノーフは、慌てて泥を拭おうと顔をかきむしる。
「詩朗、今よ!」
詩朗の名を呼ぶ、少女の声が聞こえた。
振り向くと、アニーが怪我を押してまで、ディペラートを構えていた。
「わかった! ありがとう!」
詩朗は力強くうなづき、ノーフとの距離を詰める。
ノーフがやっと泥を拭い去った時には、詩朗はノーフの眼前にいた。
「くらえッ!」
「何!? いつのまに」
そのまま顔面に右ストレート。
ノーフはロクに防御もできないまま、後ろに吹き飛ばされる。
「このまま、押し通す!」
少しでも距離をあけると、あの爆発する血で周囲い被害を及ぼす可能性がある。
その隙をあたえないため、追撃していく。
詩朗は自分を鼓舞するかのように、雄叫びをあげた。
「うおおおお!」
右フック、左フック、頭突き、右ストレートにまた頭突き。
とにかくがむしゃらに、なりふりかまわず打ち込んでいく。
喧嘩慣れしていない詩朗の単純な攻撃でも、圧倒できるほど魔人の力は格別だった。
だが、ノーフもただやられている訳ではなかった。
ノーフは首をえぐりだし、噴水のように血を降り注がせた。
詩朗の視界が真っ黒に染まる。
「うわっ!」
焦げたような臭いがしたかと思うと、ボン!と爆発した。
ダメージ自体は鎧が守ってくれるので、大した事はないが、視界を奪うには充分だった。
ノーフは翼を広げ、反撃を開始しようとする。
「お返しだ、虚飾の魔人よ!」
「っ! しまっ──」
「疾風弾!」
再びアニーの声が響いたかと思うと、竜巻が発生し、ノーフの態勢を崩した。
「ぐうぅぅう! またしても!」
「今だ!」
魔人の双眸が赤く闇夜に輝く。
腕を鎖に変え、ノーフを縛りあげてそのまま空へと大きくジャンプする。
空中で鎖を切り離し、右腕からかぎ爪を出現させる。
その全身には赤黒い光が迸っていた。
鎖で縛られたノーフは身動きができない。
彼の運命は決まった。
月を背にして漆黒の魔人が、その凶刃を振りおろす!
「いっけええええええええ!!!!!」
その刃は、悪鬼の肉体を容易く切り裂いた。
「ぎぃいいやあああああああ!!!」
ノーフは腹から真っ二つに引き裂かれ、大量の黒い血が空に散る。
その血は、空中で派手な爆発を起こした。
ドオオオォオン……!!!
爆発を背に受けて、黒い魔人が地上へと降り立つ。
その姿はさながら、罪人に処罰を下す処刑人の様だった。
「はぁ、はぁ」
疲労がドッと全身に押しよせ、思わず膝をつく。
詩朗は肩で大きく呼吸した。
受けたダメージは大した事ないものの、精神的疲労はかなりのものだった。
今まで戦いとは無縁の生活を過ごしてきた十六の少年には、負担が大きすぎた。
それでも、詩朗はかすかに良かったと感じていた。
人を助けた。
その事実が詩朗には少し、誇らしかった。
詩朗の体を覆っていた魔人の鎧が塵のように消えていく。
やがて、すべての鎧が消え去ると詩朗は元の姿へと戻った。
「詩朗ー!」
少し離れたところからアニーが駆け寄ってくる。
駆け寄ってくるアニーの後ろから、クレティア、サリー、そしてベルの姿も見えた。
その時、視界がぼよけ始め、自身を呼ぶ声も小さくなっていくのを感じた。
詩朗の疲労はピークに達していた。
(頭がクラクラする……)
詩朗はそのまま前のめりに倒れると、そのまま泥のように眠りこんだ。