6:結末
――――恋とは何だろう。愛とは何だろう。
往々においてこの2つは混同されがちだ。
しかし、時と場合においてこの2つは明確に区別されることもある。
その区別の基準は、きっと人によって様々だろうが、後のロランはこう考える。
恋とは―――きっと何かに対する執着であり、強烈な思いであり、狂的な一方的な力である、と。
そして愛、とはもっと澄んでおり、落ち着いて、穏やかだ。
だから、これはきっと恋のお話なのだろう。
シンシアは事あるごとに青年に対し愛を謳った。だけど、それは本当は恋だった。
ロランは遂に少女に対し愛を認めた。だけど、それは本当は恋だった。
これは魅了された彼と彼女が一方的に恋を囁く、恋のお話。
だから、その結末なんて、誰にも分かり切っていた。
◆
「―――――賊は何人だ!?」
「それが……たった一人です!?」
「な? そんな、嘘だろ!? たった一人に我々教会騎士がやられているというのか!?」
「賊、大階段前まで侵入! 大聖堂に到達するまでも間もなくです!」
「急げ急げ! そこだけは絶対に死守せよ!」
しかし、教会騎士の奮闘空しく、賊は大聖堂までたどり着く。
それも仕方ないだろう。
彼こそは、現代の『剣聖』の一番弟子。
――――賊の名前は、ロラン・オーギスタと言った。
大聖堂の扉が開かれる。
シンシアは天井から吊るされた鎖に繋がれていた。意識はないのか、瞼は閉じられていた。
「――――不敬者めが」
ロランは上から投げ抱えられた声に反応して、首を傾ける。2階部分には7人の老人が座っていた。皆、教会の要人のようだ。
「この器を救いにきたつもりだろうが、貴様。己の仕出かそうとしていることへの罪の自覚はあるのか? 貴様は今、この世界に住まい、そして住まうであろう遍く人々を危険にさらしているのだぞ」
別の老人がロランに向かって口を開く。
「『終滅剣』など、後の世の何もわかっておらぬ愚かもの共がつけた俗称に過ぎぬ。正しくは『救世剣』。9999本の魔剣など『救世剣』に至るまでの試作品に過ぎない。『救世剣』こそがかつての魔法大国ガリアの、そして我々『七賢人』の、いや……人類の悲願なのだっ!」
「モンテ・ロリスとの盟約。その意味をここに辿り着いた貴様が分からんはずがないだろう。我々は皆、運命の虜囚にして神の奴隷。我らは、ただ開放を望んでいる」
「良いか、若造。ことの始まりはそもそも、創造神アダムが――――」
「うるせええええええっ!!」
ロランは彼らの言葉を遮って叫ぶ。
「自分たちしか分からねえ単語を使ってベラベラと! お前ら、それでオレを説得してるつもりなのか!? 馬鹿なのか!?」
はあはあ、と息を吐いた後、ロランは静かに語りだす。
「オレは……オレは北国産まれだった。生まれは貴族だ。下級だがな。それなりにデカい屋敷だったし、使用人の結構いたよ。オヤジは……父上は村人にも慕われてたと思う。あくまで子供目線ではあるけどな」
「いや待て、何の話だ?」
「良いから黙って聞け。母上は綺麗な人だった。オレは……多分母上似なんだろうなぁ。目も顔立ちも、母上譲りだ。ああ、結構幸せな生活だったぜ? 今でこそそう思う。……ただ、オヤジは最後は死刑台送りさ。領民を屋敷に連れ込んで、惨殺したんだと。ふざけた話だ。本当の犯人は領地を治める侯爵家の長男さ。オヤジは……侯爵サマに恩があったから……、馬鹿みたいに義理堅い人だったから……、逆らえなかった。罪を被ってくれと言われたら、首を縦に振るしかなかった……」
「いや、だから、その。貴様の……その話が我々に何の関係がある」
老人の一人が困惑した声を上げる。
「いや、特にはない」
強いて言うなら、意味の分からない話をされた腹いせだ。ならばこっちは意味のない話をしてやろうと思った。
「――――――――はあ!?」
「ただ、お前」
ロランは一人の老人を指さす。老人は『え、儂?』と首を傾げていた。
「お前、さっき話した侯爵になんとなく顔が似てるよ。オレがこの儀式をぶっ潰すなんて、それが理由で十分だ」
「……貴様が我らを馬鹿にしてることだけはわかったわ!! いでよ! 魔道人形:零式!」
眩い光と共に、空間を超越して、見上げる程の巨躯を誇る仮面の騎士がロランの前に現れる。
その姿は異形だった。確かに人型のフォルムではあるが、その腕の数は8本。蜘蛛の足を連想させる。8本の腕にはそれぞれ魔剣が握られていた。
また、その身体には肉の部分がなかった。全身を鎧で隙間なく覆っている、という次元ではない。
ロランは直感する。この仮面の騎士からは、生物ならあらゆる存在、例えどんな矮小なものでも放つべき魂とでもいうべきそれが感じられない。
(って、魂ってなんだよ。オレはいつからそんなのを感じ取れるようになったんだ。適当言うなよ、オレ)
老人たちの……いや、『教会』の最高意思決定機関『七賢人』が得意げに吠える。
「ふはははは! 砂の海に沈んだ国と共に沈んだガリアの姫。その亡骸と魂を守り続けていたのはガリア王国最強の魔剣士ギルベルト! かつて教会が総力を挙げて挑んだが、なんとか姫の魂と亡骸を奪うのが精いっぱいで、倒すまでには至らなかった。こやつはそのギルベルトを模して造られた命持たぬ魔道人形よ! 貴様程度ではどうあがいても勝てはせんわ!」
「適当言ってたら当たってたよ!?」
途端、魔道人形が動く。8本の魔剣が煌く。そのどれもが、後期型。一振り一振りが一国を傾けるといっても過言ではないガリアの至宝たち。それらを紙一重でかわしながらロランは唇を開いた。
「――――シンシア」
鎖に繋がれた少女に、語りかける。
「オレはこの儀式をぶっ壊すぞ。お前の真意が何であろうと、だ。お前が本当に消えても構わないと思ってても、実はオレに助けてもらいたいと願ってても関係なくぶっ壊すぞ」
ロランはニヤリと笑う。
「ただ、どうせなら気持ちよく助けさせてくれよ。な?」
少女に意識などない筈なのに。
答えなど返って来る筈ないのに。
そして。
長い長い沈黙の後。
シンシアは、掻き消えるような小さな声で返事した。目を凝らさねば分からないように僅かな動作で首を前に振った。
「…………うん。助けてロラン」
それらを余すところなくロランを聞く、見る。そして叫ぶ。
「任せろ!!」
その手に持つのは、魔剣ですらないただの剣。何処にでもある武器屋で中古で買った変哲のないそれは、魔道人形が振るう8本の魔剣に比べれば、あまりに頼りない。しかし、ロランは笑う。
「つ-かよ。多分、オレ、ソイツ倒してるわ」
脳裏に浮かぶは、第7迷宮、その隠し階段の先にあった閉ざされた霊廟。そこを守りし仮面の騎士。きっとあれこそが、本物のギルベルト。
そして、この木偶の坊は本物の足もとにも及ばない。
魔道人形の攻撃を空中に躱したロランは、剣を構える。魔道人形は明らかに剣の間合いの外にいる。
だが、それでも構わずロランは剣を振りぬいた。
何か確信があった訳ではない。
ただ、己の本能が囁いたのだ。『今ならできる』と。
斬撃が、飛ぶ。
それは機械のガラクタを脳天から真っ二つにした。
「――――ひゅう。自分がやったこととはいえ……ほんとに飛んだよ、斬撃が」
◆
そこから先は、特に語ることもない。
―――ロランはシンシアを助け、共に『教会』の追っ手から無事逃げおおせた。
言葉にすれば、たったこれだけだ。
2人はボロボロの廃屋で身体を休めていた。
「はぁ、はぁ、はぁ…ほんと、何来てるんだよ、ロラン」
「うるせぇよ」
「本当によかったの?」
「良いとか悪いとかじゃねえだろ」
「そっか」
「そうだよ」
「ありがと、ロラン」
「おう」
恐らく『教会』からの追っ手は暫く来ないだろう。
シンシアを連れて大聖堂から逃げる際、散々飛ぶ斬撃を建物に向かって放っておいた。特に無駄に荘厳で古く、重要そうな建物に向かって。「ああああ! 結界がああ!! 計画がああああ! 我らの悲願があああ!!」という老人共の悲鳴が背後で聞こえた。
多分暫くの間は本拠地の再建と計画とやらの修正・リカバリーに追われるだろう。無論、それが終われば苛烈な追っ手が差し向けられるだろうが、まだ先の話の筈だ。
「さっすがにもう動けないや、指一本も」
シンシアはボロボロのベッドに横たわる。
儀式の準備のためか、シンシアの身体はとてつもなく酷使されているようだった。
「マジ? あのお前がぁ?」
「私をなんだと思ってるの? まーあと数時間くらいでコンディションは戻るかな」
「いや、どんな回復力だよ。まあ、でも。暫くは何されても抵抗できないんだな。……へぇ」
「ん、んん?ロラン!? ナニする気!? 流石には今は汗だくで汚れてるから止めて欲しいっていうか!まぁ、でも本当にロランがシたいって言うのなら、恋人として仕方なく受け入れてあげてもいいかな!人形みたく乱暴にされるのもたまには――――」
「いや、何言ってんだよお前」
ロランは真顔で突っ込む。
この女の脳内はどんだけピンク色なのだろうか。
「何も悪い事はしねえよ」
言いながら、剣の柄に手をかける。それは、何の変哲もない鉄の剣……ではなく魔剣『魅了剣』。切っ先から流れ出す雫によって艶めかしく光るその刀身が露になる。
「ただ、元に戻すだけだ」
少女の人生は、きっと、誰かの思惑に振り回されてばかりのものだった。生まれからしてそう。終わりからしてそう。
それをロランは否定した。
ならば、己だけだが、その例外になれる筈がないだろう。
今日漸く、シンシアは『教会』から、己の産まれから解き放たれた。だけど、まだこの子を縛り付ける悪役がいる。この子の思いを歪める悪魔がいる。
「待って。それは駄目それだけは駄目」
「お前の許可なんて知るか」
「それをしたら許さない」
「許されなくて結構。……つーか、いい加減お前みたいな地雷女の相手はコリゴリなんだよ」
「お願いだから、それだけは…」
「すまん、今のはやっぱり嘘。でも、……悪いな」
「悪いと思ってるなら――――――」
「じゃあな、シンシア。愛してた」
その『雫』は確かにシンシアの額に付着した。『剣聖』の『魅了』はこうして解けた。
きっとこれは愛の話ではない。
だって、愛とはもっと澄んでおり、落ち着いて、穏やかだから。
これは、もっと何かに対する執着であり、強烈な思いであり、狂的な一方的な力。
―――恋。
これは魅了された彼と彼女が一方的に恋を囁く、恋のお話。
だから。
その結末なんて、誰にも分かり切っていたのだ。