4:今と過去とこれから
ギルドから出てきたロランは困惑に満ちた表情をしていた。
今日は冒険者ランクの昇級試験の日だった。
冒険者はSからEまで、6つのランクに分けられる。
Cランクまではギルドにて試験官との模擬戦を行い、試験官に勝利するかその実力を認められれば、晴れてランクが上がる。ちなみにB以上のランクは試験管との模擬戦は行わず、こなしたクエストの数や難易度、国やギルド・教会への貢献度で昇給が決定される。
ロランは約6年間、Dランクに在籍している。
試験は年に3回行われるから、都合15回以上は落ち続けたことになる。これ以上酷い記録は、ロランの隅街には華麗以外にいない。
だから、ロランが眉間に皺を寄せてギルドを出てきたのを見ても、事情を知らない他の職員と冒険者たちは、「ああ、また試験に落ちたのだな」程度にしか思わなかった。
「――――Aランクって言われたんだが……」
実際は落ちるどころか、飛び級であった。
「んふふ。おめでと、ロラン!」
「おう……。つーかオレはCランクへの昇級試験を受けに行った筈なんだけどなぁっ!」
意味が分からない。
なんでも、飛び級でのランクの昇進は滅多にない特例の措置らしい。恐らく、数年前のシンシア以来だ。
「とりあえず、ご飯食べに行こうよロラン。お腹空いたでしょ? 何食べたい? 奢るよー」
「ウサギ肉のシチュー。あと、たっかいワイン」
「あいよー。確か西区の方に良い店があるよ」
ギルドから店まで徒歩で向かう。ロランの右腕にはシンシアが絡まっていた。それを振りほどく気にもなれない。
(マジで慣れってのは恐ろしいな)
と、ロランは何処か他人事で思う。
「――――おいおい、『剣聖』だぞ! 一緒にいる男は誰だ!? 浮いた話なんて今まで全然なかったのに!」
『剣聖』のシンシアが男と腕を組んで歩いてるのだ。当然、すれ違う人々はロランたちを振り返る。
「知らなかったのか? 一月前から付き合ってる。相手は万年Dランクのお荷物ロラン。なんであんな奴がシンシアさんと付き合えたんだか」
「何か弱みでも握ってるんじゃないか。若しくは洗脳でもしたとか」
「……あー畜生め、俺が付き合いたかったなあ」
ロランは心の内で口笛を吹いた。
(洗脳? 惜しい。『魅了剣』を使ったんだよ。……あと付き合いたいとか言ってる奴。悪い事は言わねえ。止めとけ。ドラゴンが住む谷に突き落とされても、笑って許せる心の広さを持ってるなら話は別だがな!)
ざわつく人々を見ながら、
「好き勝手いってるねぇ」
と、傍らのシンシアが苦笑する。
「仕方ねえよ」
元々、嘲りや罵詈雑言には慣れている。
それでも、かつては内心腸煮えくり返っていた気がするが、今のロランはどういう訳か対して腹は立たなかった。
(なんでだろうな?)と、ロランは首を傾げる。
その動作をシンシアはどう捉えたか、
「大丈夫。今に皆ロランの凄さを知ることになるよ。何せ私の愛した男だからね!」
「はいはい。ところで、試験の内容なんだが―――」
「うん? Cランクへの昇格試験なら試験官と模擬戦するってヤツでしょ?」
「おう。自分でもびっくりだわ。いや、流石に、マジでな。今までは試験管のハゲオヤジに一方的にボコられてたけど、今回は立場が逆だった。あのハゲの剣が止まって見えたわ。どんだけ俺の実力はこの1月で上がったんだよ……」
「というか、今のロランの力が本来の才能に見合ったものなんだけどね」
「んん? どういことだ?」
「剣を振るう人にはね、感覚派と理論派がいるんだよ。で、ロランは圧倒的に前者。でも、今までは頭で考えて剣を振ってた。違う?」
思い当たるところはある。
ロランの剣の師は圧倒的に理論派だった。駆け出し時代にその教えを受けたロランは、愚直にそれを守り続けていたのだ。
しかし、それがそもそもの間違いだったのだと、シンシアは語る。
「身体の方はちゃんと答えを知ってるのにね。おまけに頭の方にある理想の剣は、ロランが本来目指すべきものと全く違うときてる。どっかの誰かを模倣してたのかもしれないけどさ、ぶっちゃけ時間の無駄だよ。『その人』とロランは多分体格も性格も違うでしょ。何より才能で言うなら、ロランの方が圧倒的に上だし、純粋な実力でもこの1月で並んで、もう超えてると思う。うん、だから、あの剣は忘れなさい。わざわざ下を目指すことはないから。そんなのアホらしいよ」
シンシアの言葉を受けたロランは、
「すうううう、はああああああ。………マジかぁ」
大きく息は吸って吐く。
その『マジかぁ』には色々な意味が詰まっていた。
12歳からの6年間を無駄な鍛錬で棒に振ってしまった事。
憧れの存在だった師にこの1月で並び超えてしまった事。
そもそも師はロランと自分の剣が合っていない事も見抜けない凡人だったこと。
笑いたいやら、泣きたいやら、ロランにも自分の感情がさっぱりだった。
シンシアは話を続ける。
「ドラゴンとかと戦ってると頭で考える暇なかったでしょ? 先に身体を動かさないと、死んじゃうから。でも、それで良いんだよ、ロランは。こう斬ろう、こう戦おう、次の一手は……なんて下手に色々考えると、逆に弱くなる。でも、それが癖になってたみたいだね。最近その癖がようやく抜けてきたけど」
「だからあの地獄巡りか……。内心では色々考えてたんだな、すまんか……いや謝るのはやっぱなしだな。うん、効果はあったとはいえあの地獄めぐりは普通にナシだわ。何度死ぬと思ったか。……でも、ありがとな」
「ん、ふふ。ロランがお礼を言うのって初めてかも…んふふ。だったらお礼は身体で払って欲しいなぁ!」
シンシアは首を傾けて、ロランの唇を奪った。一切無駄な動きのない神業であった。
ぷはぁっ、と5秒後にロランは漸く解放された。
「な、何すんだ、このアマ! 痴女め!」
「ああああああああ! お姉さまァァァァ!?」
「なに、うそ!? 今更恥ずかしがってるの? ベッドではあんなに――――」
「だまらっしゃい! ここは天下の往来だぞ!」
そうなのである。
2人は一線を超えちゃったのである。
ロランのシンシアへの対応が若干マイルドになった理由はなんてことはない。
単に、童貞を捨てたからである。ロランは意外とチョロく、また自分が思うより単純な男であった。
◆
男爵なんて、一応は貴族にカウントされているが、実際の所平民と生活はたいして変わらない。
なにせ、土地や領地を持てるのは、男爵の一つ上、子爵からだ。
当然ではあるが、土地も領地もないため、税に頼って生活することなんてできない。各地から取り立てた税を王宮は再分配してくれるが、正直な所、その金額は雀の目の涙だ。
だから、ロランの生家であるオーギスタ男爵家がメイド付きの大きな屋敷で豪勢な生活を謳歌できたのは、男爵家が暮らす領地を纏めて管理している大貴族、ヴィルヘルム侯爵家の援助のおかげだった。オーギスタ男爵家は侯爵家に海よりも大きな恩がある。
(少なくとも。父上はそう思っていた。だから逆らえなかった)
夢の中にいるな、とロランは思った。視界は霧がかかったような灰色だが青年に焦りはない。随分久方ぶりだが慣れたものだ。
靄がかかったような視界が晴れる。
そこに広がっていたのは、一人の貴族男性がギロチンにかけられる光景。
ロランの父親だった。
死刑の執行を今か今かと待ち構える群衆たち。その中にロランはいた。ふと横を見ると、そこには幼いロランとその母がいた。仕立ての良い服を着た青ざめた顔の少年。
(まだこの頃はオレも純粋だったなぁ……)
なんて幼い自分を見てロランは思った。
やがて。
巨大な銀の刃が落ちてきて、正義が執行される。父の首が胴体と分かたれると、群衆は歓声をあげた。
当然だ。
夜な夜な平民を誘拐し、語る事すらおぞましい拷問にかけていた恐ろしい貴族が死んだのだ。
(だけど本当の犯人は侯爵家の長男だ。父上は侯爵家当主に頼まれ、その罪を背負っただけ)
場面は変わる。
ベッドに横たわるロランの母。
そこはかつて暮らしていた屋敷ではない。隙間風が吹きすさぶ異国のぼろ小屋だ。
(侯爵家当主は父に確かに約束した。父の死後、オレと母の面倒を見ると)
しかし、
(それは守られなかった。それどころか、長男の犯行を知るオレたち親子を亡き者にしようとした。オレたち親子は侯爵家の魔の手から逃れるため、他国に渡った。母は流行り病にかかり、そのままあっけなく逝ってしまった)
「母上!? 母上!?」
「ごめんね、ロラン。貴方は幸せになって……」
彼女は最期の力を振絞り我が子にそう伝える。
そうしてロランは一人ぼっちになった。
更に場面は変わる。
食うに困った12歳のロランはギルドの門を叩いた。
それから数日ほど経った頃。
ひとりの青年がロランに話しかけてきた。
冒険者よりも辺境の村で牧師でもやっていそうな男。
「君が新しくギルドに登録したっていう新人かい?」
「そう、ですけど貴方は?」
「失礼、私はルドウィーク」
名前に聞き覚えはあった。
ギルドでもトップクラスの実力者だった筈。
「もし良かったらなんだけど、暫く私から剣の手解きを受けてみないかい? これでも君より少しばかりは先輩だ。教えられることが多少なりともある筈だよ」
「お金、ないですよ?」
「ははは、お金なんてとらないさ」
「どうして……」
ロランの言葉にルドウィークは目を丸くし、当たり前のことを言うように答える。
「そりゃ、同じ冒険者仲間が死ぬのは辛いだろう?」
彼は底抜けの善人だった。
だから、彼は長生きなんてできなかった。
周りも彼自身も、それは分かっていたようだったと、今にしてロランは思う。
「――――はは、ちょっと無茶しすぎたなぁ」
ロランとは別の新人の冒険者をモンスターから庇って、ルドウィークは致命傷を負った。毒を持つ珍しい種で、運悪くギルドでは対応する解毒薬を切らしていた。
「うん、でも、こうして皆に囲まれて逝けるってのは、悪くない。いや、最高の最期だ」
今際の際。
ルドウィークは沢山の人に囲まれていた。皆、彼に助けられ、彼を慕う人たちだった。ロランも当然その一人だ。
あれから6年経った。
母は言った。
「貴方は幸せになって……」と。
ならば、母と父は幸せではなかったのだろう。
幸せとは何だろうか。
その明確な答えは分からない。
分からないが。父と母が幸せではなかったのならば、両親の逆の道を往くのが幸せなのだろう。
彼らは他人に搾取され運命に流され、無残に死んだ。
だったら、ロランは、誰かの人生を搾取して誰かの運命を弄びながら人生を謳歌しよう。あの侯爵貴族のように。
そう決めた。
『魅了剣』をその瞳に映した瞬間から。
(だが、実際はどうだ?)
そしてロランは夢から覚める。
ふかふかのベッドに羽毛の掛布団。己が『魅了』した少女が購入した一軒家。屋敷と言っていいほどの豪邸だ。
すーすーと、規則正しい呼吸が聞こえる。。
吐息が振れる距離にシンシアがいた。人形の様な美貌を持つ世界最強の『剣聖』が。
(はっ。『魅了』したのはいいものの、こいつにはずっと振り回されっぱなしだ)
現状は、自分が『魅了剣』で求めたものとは、全く異なる。
だけど。
それでも。
ロラン・オーギスタは思ったのだ。
気まぐれでも、どんな小さな感情でも。
確かに心の奥底で思ったのだ。
(どうか、ずっと。こんな日々が続きますように)
と。
そんなことある訳ないと知っていたのに。
父も母もルドウイークも、ロランを置いて逝ってしまったというのに。
シンシアだけが例外だなんて。
そんな都合の良い話がある筈はない。
◆
翌朝。
あ、そういえば、と朝食の最中シンシアが呟いた。
「ごめんね、ロラン。ちょっと明日から用事が入って数日は会えないと思う」
「そうか。そうか、暫く帰ってこなくてもいいぞ」
「んふふ。帰ってくるなとは言わないんだね」
「………うるせえ」
「照れた!」
シンシアは照れた!照れた!とはしゃぐ。
対するロランはすまし顔でコーヒーを啜るが、耳の先は赤かった。
「そんなとこも、うん、好きだよ。ほんとに愛してる、ロラン。ずっとずうぅっとね」
「はいはい」
少女の言葉の真意。
その意味が分かるのは、少し先。