1:『魅了剣』
(―――――いや、マジかよ)
エメラルド色の瞳にこげ茶の癖毛。
今年18歳になる青年、ロラン・オーギスタはゴクリと生唾を飲み込んだ。
思い返せば、初めて冒険者ギルドの扉をくぐったのは12歳の冬だった。
もう6年も前になる。
当時の駆け出し冒険者仲間の多くは順調にランクを上げていき、いまや第一戦で華々しく活躍している。
それに比べ、ロランの冒険者としての芽は一向に出てこない。荷物持ちとして様々なパーティーを転々とし、下位のⅮランクで燻り続けている。
しかし。
そんな情けない己にも、ようやく運が回ってきたのかもしれない。
そう、ロランは思った。
(これ、魔剣……だよな。それもこんな格安の値段で……)
場末の武器屋の壁に無造作に立てかけられた一本の剣。赤黒く塗られた鞘と柄には美麗な装飾が施されている。
その剣を、ロランは知っていた。
(――――『魅了剣』)
1000年前に旺盛を誇り、今ではとうに滅んだ魔法大国ガリア。
かの大国が創りし1万本の魔剣が一振り。
ガリアがかつて世界の覇権を握れたのは、それらの魔剣と共にあったからだ。
しかし、ガリアが滅んだあと、魔剣は世界各地に散り散りとなった。
(これ……本物か? 贋作の可能性も。 いや、この鞘と柄の細工。そしてガリアの紋章。間違いない。本で見た通りだっ!)
ロランの生家である男爵家がとり潰しに合い、一家が離散する前。まだ彼が屋敷で裕福な暮らしを謳歌していた頃。
屋敷の書庫には『魔剣大全』なる古い本が保管されていた。
それはガリアが創った魔剣の中でも、代表的なものを詳細な絵とともに解説するという内容だった。
『魔剣大全』は幼いロランの愛読書であり、暇さえあれば書庫に籠って読んでいた。
故に、『魔剣大全』に載っていた内容の殆どをロランは今でも暗記しており、ロランの記憶にある『魅了剣』と眼前のそれはほぼ一致している。
(『魔剣』が……なんでこんな安い値段で売られてるんだ!?)
D級冒険者のロランの収入では、かなり高い買い物と言える。
だが、決して手が出ないほどの価格ではない。
魔剣の値段として考えるならば、普通はあり得ないだろう。
「――――それ、買います」
即決だった。
店主は訝し気な視線をロランに向けながらも、購入を止めることはしなかった。
恐らく。
この魔剣を店に売った冒険者も、店主も。
誰も、この魔剣の本当の能力に気づかなかったのだろう。
確かに魔力を通せば風や火が出る、なんて分かりやすい能力ではない。
切っ先からでる液体をモンスターにかけてみる、くらいのことは試したかもしれないが、それだって満足のいく結果は望めなかった筈。この魔剣は対モンスターにおいては効果は見込めない。
だけど。
(この魔剣がオレを成功に導いてくれるはずだ)
ロランは確信した。
女性を誘惑するモンスター、インキュバス。
その名を冠された『魅了剣』の能力は極めてシンプルだ。だが、後期型の魔剣らしく極めて凶悪な能力を持っていた。
切っ先から流れ出る液体、『雫』。
――――それに触れた女性を魅了する。
簡単に言えば、『魅了剣』の持ち主に惚れさせる、ということだ。
故に『魅了剣』と名付けられた。
店を後にしたロランは腰に佩いた『魅了剣』をそっと撫でる。
(漸くだ。漸くオレにも運が向いてきた)
歩きながら、己の足跡を回想する。
(男爵家がとり潰しになって7年。父上は処刑されオレと母上は無一文の状態で屋敷の外に放り出された。……貴族として産まれ貴族として育った母上だ。異国での生活は肉体的にも精神的にも苦しかった筈。母上は程なく亡くなった)
その道程は過酷だった。
裕福な暮らしから、一転直下。
明日の食事もままならない生活へと一気に転がり落ちた。
長い長い不遇の日々。
(それも今日で終わりだ。オレには、この『魅了剣』がある)
この『魅了剣』が自分を栄光へと導いてくれるだろう。
しかし、
(オレはこの『魅了剣』を使いヒモになるっっ!)
その過酷な運命に対して、掲げた目標は余りにも情けなかった。
◆
魔剣を手にしたロランは人目を避けるかのように、帰路に着く。
誰を『魅了』するのか、誰のヒモになるのか。それをこれからじっくりとアパートで吟味するのだ。
しかし、運悪く他の冒険者に出くわす。
「お、荷物持ちのロランじゃん」
「今からギルドに行くのか? 雑草取りと、どぶ攫いのクエストならまだ募集してたぞ?」
「ははは! 子供の小遣い稼ぎじゃあるまいし!」
「仕方ないだろ。こいつができるようなクエストなんてそれくらいしかないんだから!」
「そりゃそうだ!」
男3人のそのパーティーは、ロランを見るなり嘲笑する。
(糞が、糞が、糞がァ!!)
内心でマグマが煮えたぎる様な怒りを堪えながら、ロランはその場から逃げるように立ち去る。皆、ロランよりもずっと強く、性別は男だ。
正面からは敵いっこなく、また同姓であるため『魅了剣』の効果もない。
ロランの背に、再び嘲りの笑い声が突き刺さった。
◆
ロランは街の外れにある廃教会に向かう。
元は創造神アダムを奉る教会だったのだろうが、アダム信仰はすたれて久しい。
ロランがここに来たのは、いつもの日課をこなす為だ。最悪の出会いのせいで、アパートにそのまま帰る気分ではなくなってしまった。
ここなら人も寄り付かない。
剣を構える。
『魅了剣』ではない。そこら辺の武器屋で買った中古の長剣。
踏み込みと同時に、勢いよく剣を振り下ろす。
(オレが! 成り上がったら! てめらなんか! 見てろよ! お前らよりもずっとずっと強い女を『魅了』してやるっっ! )
怒りと他力本願を刃にのせて。
先ほど自分を馬鹿にしてきた冒険者たちを思い浮かべながら、イメージの彼らを脳天からを一刀両断する。
「はあ…、はあ……はあ…はあ……」
大体100人くらいを惨殺したところで剣の師の言葉を思い出す。
『剣を手癖で振ってはいけない。それでは鍛錬の意味がない。一振り一振り、神経を尖らせながら振るうんだ。そして悪い所を分析する。次はそうして見つけた悪い点を修正しながら振るう。それをひたすら繰り返せば、いつか「至高の一振り」に辿り着つくことができる』
(………そうだった。すまねえな、ルドウィークさん。『至高の一振り』ってのが何なのか。オレにはまだ分からねえが、アンタの教えは忘れてねえよ)
息を整える。
今度は師の教えのままに、神経を張り巡らせて剣を振るう。
びゅん!
と鋭い風切り音が鳴った。
何か違うな、とロランは小首を傾げもう一度振るう。何度も何度も繰り返し、違和感を修正していく。
「――――相変わらずブッサイクな太刀筋だね。冒険者辞めたら?」
少女の声が教会に響いた。
ロランは剣を振るうのをやめる。声の方向に顔を向ける。
「うるさいですね……」
ボロボロの教会の祭壇に、絶世の美少女が腰かけていた。
年齢は15歳くらいだろうか。
腰まで伸ばした輝く金の髪に、同じく金の瞳。過剰なまでに整った左右対称の造形。
人形のように美しい、という表現がこれほどまでにぴったりな存在には、中々お目に掛かれないだろう。
(相変わらず見た目は良いよな。まあ、性格は糞の下水煮込みだけどなぁっ!)
ロランは内心で吐き捨てる。
彼女の名前はシンシア。
世界に4人しかいないSランク冒険者にして、世界最強の剣士を決定する『剣の祭典』にて3年連続で優勝を果たした『剣聖』である。
「『剣聖』である貴女と比べれば、どんな奴でも不細工な剣筋になるでしょうよ」
シンシアの方が年下だがロランは彼女に対して敬語を使う。
実力も名声も、シンシアの方がずっと上だからだ。
「いやいや。別に貴方と私を比べて言ってる訳じゃないよ。貴方と一般的な冒険者を比べて、ブッサイクて言ってる訳。いやあ、才能ないねぇ。ゴミ糞だ。生きてて恥ずかしくないの?」
ぷぷぷ、と口に手をあててシンシアは嘲笑する。
いつものことだった。
2年前に、初めて出会って以来、シンシアはロランの前に時折現れてはその努力を嘲笑う。
(シンプルに性格が悪いんだよ、この糞アマがぁ!! いつもいつもオレが訓練場所を変えても、現れやがって! ストーカーか!? そんなにオレを馬鹿にするのは楽しいか!? 因みにオレはちっとも楽しくねえぞ!)
内心でブちぎれながらも、ロランは外見上は平静の表情を保つ。
キレて襲い掛かっても、自分では一秒も経たない内に返り討ちにされるのが分かってるからだ。
「そうですか」
「なーに、その反応。つまんなーい」
「別に貴女を楽しませたいわけでもないので」
「ふうん。というか、ぶっちゃけ独学だと限界があると思うよ。才能ゴミなんだから、誰かに師事すればいいのに。まあ! そんなツテがあれば! だけど!」
そんなツテがある訳ない。
何年もDランクから昇級できないロランは他の冒険者から明確に下に見られている。
「ん、なにその魔剣?」
「……買ったんですよ。さっき」
「………へえ、まあロラン程度が買える魔剣だし。大したものではないんだろうけど」
(っ! いい加減にしろよ、このアマっ!)
衝動的に『魅了剣』の柄を握りそうになるが、理性がそれをストップさせる。
(……いやいや、待て。クレバーになれロラン。いくらなんでも、相手は歴代最強と言われる『剣聖』だ)
先ほどは『自分を馬鹿にしてきた冒険者よりも強い女を魅了してやる!』なんて息巻いていたが、何事にも限度はある。
(シンシアは強すぎる。このまま『魅了剣』を使っても、普通に雫を躱される可能性が高い……。糞が! 冷静になれえっっ! 俺はっ! キレてねぇっ!)
「ふん、相変わらず意気地なしだね。ここまで言われてやり返す素振りも見せないなんて。背も小さければ、肝も小さいんだね」
シンシアは鼻で笑い、祭壇から降りた。
(背が、低い、だと……)
「テメエは……テメエは……」
(絶対に、言ってはいけない事を、言いやがった!!)
ブチリ、とロランの中で何かがキレる音がした。
「さて、と。そろそろ私帰るよ。誰かさんと違って暇じゃないからね」
そして、少女は踵を返す。
教会の壁に空いた穴から外に出るために。
ロランに対して。
―――――背を向けた。
「食らえや糞アマあああああああああッッッ!!!」
殆ど衝動的だった。
ロランは『魅了剣』を引き抜き、剣を振るう。切っ先から滴る『雫』がシンシアに向かって飛んでいく。
脳裏に浮かぶは今までシンシアから受けた罵詈雑言と模擬戦と称したシゴキの数々。
そして。
『雫』は振り返った『剣聖』の頬に付着する。
シンシアの黄金の瞳が見開かれ、ロランを凝視した。
ビクッ!
ロランの身体が恐怖で跳ねる。
シンシアは無言のまま、ロランの元まで大股で歩いてくる。
(…………待て。待て待て待てよ。万が一、億が一。『魅了剣』が偽物だったらどうする!? 今更ながら心配になってきたぞ!? つーか、そもそも相手はあの『剣聖』シンシアだぞ!? 同じ人間かも疑わしいアイツだぞ! 『雫』はちゃんと効果を発揮するのか!?)
途端に冷静になった。
気づけばロランは壁際まで追い込まれていた。
(俺、今日死ぬんじゃ…)
「すいませんでした!」
「ごめんなさい!」
殆ど同時に2人は謝った。
「え?」
「今まで酷い事言って本当にごめんね。……その、貴方の前だといつも緊張して……恥ずかしくなって、それでテンパってあんなこと言っちゃうの……」
シンシアの黄金の瞳、その目じりには涙が溜まっていた。
「その、……許してくれる?」
「あ、はい」
「んふふ。優しい……」
少女の頬が朱に染まる。
「うん、今なら言える。よし、言うね! ……ロラン。だいっ好きだよ! 愛してる!」
(これは、もしかして)
「その、もしロランが良かったならなんだけど……私と付き合わない?」
(魅了、成功してる!)
「――――――勿論」
ロランは万感の思いを込めて頷く。
自分は、世界最強の『剣聖』を『魅了』したのだ。
(オレのッ! 時代だぁぁッ!! ははははははは!)
ほぼほぼ書き終わっているので、数日以内には完結すると思います。
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