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いつものようにテオドールの執務室に来ていた。
もちろん、講義のためだが今日は婚姻を前提とした話を聞いていた後だけに、どうしても心臓がバクバクいう。それでも聞かなくては、と気合を入れてやってきたのだが。
部屋に入り、テオドールの顔を見たら、言葉が出なくなった。頭が真っ白になったのだ。あれほど夜のうちに考えていたというのに、初めの言葉すら出てこない。
じっとこちらの言葉を待っているテオドールは奇麗な緑の瞳を逸らすことなく、マリーベルを見つめていた。その瞳に、柔らかな愛しい者を見るような熱に気が付いてしまったのだ。恥ずかしさで頬が徐々に染まる。
頭の中が真っ白になったマリーベルに言葉を促すように、テオドールは話しかけた。
「聞きたいことがあるんじゃないのか?」
「……何故、わたしなんでしょう?」
そんな簡単な問いではあったが、彼の瞳を見たら一目瞭然だ。このような熱のこもった眼は知っている。エリックが母アマンダを見る時と同じだからだ。
「君が好きだから。こんなにも心に残る女性は初めてだ」
直接的な言葉に、頬がますます赤くなった。
「嘘だわ」
「嘘じゃないさ」
「だって、出会ってから二週間しか経っていないわ」
そうだ。お互いに知ることなど少ない。それなのにどうして好きだと言えるのだろうか。
「一目惚れだと言ったら?」
「はい?」
「一目惚れ。まさか自分が落ちるなんて思っていなかったが、そんなに悪くない」
思ってもみなかった言葉に硬直した。頭の中は考えることを放棄する。
もう無理だ。これ以上、聞いていられない。
領地でずっと過ごしていたマリーベルは男性にこんな風に口説かれることがなかった。それはエリックが目を光らせているのもあるし、領民も皆、幼い頃からマリーベルを見守っていたせいもある。普通の少年が簡単に手を出せるような状況ではなかった。当然、恋愛の耐性などあるわけがない。その上、愛を囁いてくれているのは年上の頼りがいのある素敵な男性だ。洗礼された対応などできない。
くすりと笑うと、テオドールは椅子から立ち上がり、マリーベルの前に立った。そして、彼女の両手を取ってじっと見下ろす。
「結婚前提でお付き合いしてもらえませんか?」
真面目な視線に目を逸らせない。
でも。
テオドールの真摯な思いにこたえることもできずにいた。戸惑いと混乱で言葉にならないマリーベルにテオドールは優しく彼女の手にキスを落とす。
「すぐに同じ気持ちを返さなくてもいい。でも知っていてほしかった。君には私を好きになってほしい」
「テオドール様」
情けないほど掠れた、絞り出すような声に、テオドールは苦笑した。
「そんなに緊張しなくても襲わないよ」
「無理です!緊張します。わたし、こういうの慣れていなくて……」
テオドールはマリーベルの赤い頬に手を添えてそっと上向かせた。まともに真正面から瞳を見ることになったマリーベルは息を飲む。
「まずは私の事を知ってもらいたい。そして、君のことも教えて欲しい」
真面目な申し出に少しだけマリーベルは冷静になった。これほどの人がこんな小娘に真摯に対応しているのだ。恥ずかしいからと言って言葉を否定するのはよくなかった。
「わかり……ました」
「よかった。じゃあさっそく、今日はこれから街に出よう」
断ろうと思っていたのに。
いつの間にか結婚の申し入れを受けることになっていた。
******
テオドールが連れてきてくれたのは、王都でも貴族街にある高級店の並ぶ通りだった。色々なものが売っており、貴族の女性でも昼間なら気軽に女性同士で見ることができる。とても治安のいい場所だ。
だからだろう、所々女性たちの塊が楽し気な声と共に店を覗いていた。この場所のとても明るく活気のある空気がマリーベルはとても好きだった。何も買わなくとも、楽しくなってくるのだ。
しかも今日はテオドールと一緒だ。彼はこの辺りをよく知っているようで、マリーベルの知らない店やちょっとした見どころを教えてくれる。
二人並んで歩いていたのがいつの間にか腰に手が回りエスコートされていた。マリーベルにはいつこうなったのかもわからないくらい、自然な動作だった。
二人でお喋りしながらいくつかの店を回り、可愛い装飾品や小物を見ているうちにこうして一緒にいるのが不思議なくらい自然なことのように思えてきた。
「こっちだ。少し休憩しよう」
テオドールが最後に連れてきてくれたのは、お洒落なカフェだった。紅茶とケーキを頼むと、のんびりと外を眺める。この店の窓から見える景色は考えられているのか、外の景色を絵に切り取ったようだった。明るい日差しがさらに色彩を際立たせていた。店の中から別の場所から街を見ているようだ。
この店には、王都に着いてすぐの頃、一度だけ、イザベラと一緒に来たことがあった。
「ここのケーキ、美味しいですよね」
美しい造形のケーキをうっとりとして見つめると呟く。お茶だけ頼んでいたテオドールはこちらを見た。
「初めてではないなら、他の店がよかったかな?」
「気遣わせてごめんなさい。このお店、一度、イザベラお姉さまに連れてきてもらったことがあって」
「イザベラ……ああユリウスの嫁か」
納得したように頷くと、お茶を飲む。テオドールが親し気にユリウスと呼ぶのを聞いて、驚いてしまった。
「ユリウス兄さまを知っているのですか?」
「知っているも何も……学生時代の友人で、今は護衛だな」
驚きのつながりに、唖然とする。きょろきょろと周りを見回すが、ユリウスはいない。
「今日はユリウスじゃないぞ。なんだ、仕事中に会ってみたいのか?」
「違います。ただ、一度も会ったことがなかったなと思って……」
ユリウスがテオドールの護衛をしていることを話さなかった理由はわかる。職務内容をたとえ親族とはいえ漏らすことはできないだろう。護衛についている騎士は何人か見知っていたが、この二週間、ユリウスを見たことはなかった。
「ユリウスは護衛についても午前か夕方だな。だがユリウスの基本は王城だ。回数も少ない」
「そうだったんですね」
テオドールはカップをソーサに戻すと可笑しそうに笑った。
「ユリウスには君との縁談は断られると言われた」
「……そうでしょうね」
「君に父上に認められたら、問題はないということでいいか?」
「は?」
理解できずに変な声が出た。
あのエリックに認めてもらうのか?
そもそも結婚自体を認めてくれるのか?
「君の父上は溺愛しているから承知しないだろうと聞いた。だから断るのだと」
「……概ね間違っていません」
「それは、父上の問題がなければ断らないと受け取ってもいいのだろうか?」
言われた言葉に固まった。断ることばかりを考えていたので、エリックの問題がなかったときの自分の気持ちを考えたことがなかった。
ただ。
マリーベルは自分の気持ちに気が付いていた。本当はテオドールの側にいるのが心地がいいことを。
「そうです。わたしもテオドール様のことをもっと知りたい」
小さな、本当に小さな声で告げた。聞こえていないかもしれないが、目を見て言えなかった。
「そうか。では、私が君の父上以上に幸せにすると示せたら、問題解決だ」
満足そうに頷くテオドールにマリーベルは慌てて待ったをかけた。
「全然、問題解決じゃないです。テオドール様は古龍種よりもお強いですか?」
「古龍種?」
「前に従兄達が暴れる父は古龍よりも強いって言っていたので」
テオドールは黙り込んだ。流石に古龍種よりも強いなどないのだろう。
というか、マリーベル自身が父エリックの強さをよく理解していない。暴れたり、魔獣と戦ったりしているところは見たことがあるが、対人戦は見たことがなかった。対人戦というのも微妙だが、伯父のカルロスに鉄拳を受けているところしか知らない。あとは、訓練の時ぐらいしか。
「古龍種と……それは腕が鳴るな」
「え?」
突然、雰囲気の変わったテオドールにマリーベルは唖然とした。物柔らかな空気が瞬時にして好戦的なものに変わった。ただその変化は一瞬だけだ。エリックを間近に見ていたマリーベルだから分かったことだとも言える。
「そうか、それほどなのか。一度手合わせをしたいな」
なんだかいけないものを踏んでしまったようだった。少し心配になったが、早々エリックと顔を合わせることはないだろうと気持ちを落ち着かせた。