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「ああ、やっぱり」
魔法陣がくるくると螺旋を描き始める。その螺旋がマリーベルの周りを包み込むように回り始めた。テオドールはそれを見て目を細めて呟いた。
「間違いない、君だ」
ようやく出会えた。
テオドールは決して彼女を見間違えない。だけど、確証はなかった。心に響く何かがあるがそれはわずかなもの。間違いないと思いながらも、確認したかった。
美しく動く螺旋は歓喜に震えているようにも見えた。こうして彼の探し求めていた人が見つかって喜んでいるようだ。
世界は色を持ち始め、時間が動き出した。
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王弟の息子という肩書はとてつもなく面倒なことを引き寄せることが多い。王弟の三男なんて、継ぐべき爵位もないため、中央に影響するを及ぼすほどの権力はない。だが、ないなりにもそこそこの地位があり、収入もいい。大した権力がないということは、子爵までの令嬢であれば手の届く範囲でもある。そんな状況であるから、テオドールは夜会に出ればたちどころに女性たちに囲まれてしまう。だからできる限り、夜会には出ない様にしていた。これ以上の繋がりは必要ないし、最小限の夜会だけで毎年乗り切っている。
今夜は、そんな出なくてはならない最小限の夜会ではなかった。本当ならば夜会など出るつもりはなかったが、親しい友人に呼び出されてしまえば参加せざる得ない。
ただ仕方がないと思うが、こうしてホールを歩いているだけで独身の女性から未亡人の女性まで秋波を送ってくる。正直鬱陶しい。
テオドールは廊下に出たところで、奇麗に撫でつけられた黒髪を乱すように指を入れた。今夜はもう義理を果たした。ここで抜け出すつもりだった。
「殿下」
そっと声を掛けてきたのは、学友リック・セラーズの妻であるカリスタだ。いや、妻であった女性だった。リックは5年前の災害で亡くなったので彼女は未亡人だった。だが、こうして抜け出そうとしているときに声を掛けてくるなど、思惑は一つしかない。
それに気が付いて、嫌悪感にわずかに唇を歪めた。リックの妻だったということで今までも直接話しかけられても咎めはしなかったが、今夜は特に苛ついた。
「セラーズ夫人。元気そうで何よりだ」
「この後、一曲踊っていただけませんか?」
ただの未亡人でしかないカリスタにテオドールは面倒くささを感じた。そろそろこの女性も振り払った方がいいようだ。程よく親しかったリックの妻だからと接していたが、自分が特別だとどこか勘違いをし始めている。常識的に考えれば、王弟の息子の自分に子爵家出身の未亡人が結婚相手として名があがるわけもないのだが。
「申し訳ないが、誰とも踊るつもりはない」
冷たく断りを入れて、さっさとカリスタを置いてその場を立ち去った。
「そろそろ切り捨ててもいいのでは?」
そっと寄ってきたのは護衛でもあるユリウスだ。ユリウスはリール侯爵家の継嗣で、彼女のこともリックのことも知っている。
しおらしくしているが、彼女がテオドールを狙って画策しているのもすでに掴んでいた。
ただし、現状ではそれを知っていても放置している。その策はどれもこれも小さいものであるため、咎めることをすれば信憑性が増してしまう可能性もあるからだ。社交界、それも女性に対するものは慎重にせざる得なかった。彼女自身は何も事実と異なることを伝えてはいない。ただ、お互いの探り合いの中、意味深に笑ってその場にいるだけだ。周りが勝手に勘違いしているだけともいう。今夜のあのどうでもいい会話も、別の意味を持たせてしまうのだろう。
「そうだな」
「それとも、彼女の策に乗って大恋愛でもしますか?」
「……断る」
ユリウスのさらりとした意見に、思わず一拍置いてしまった。ユリウスは少しだけ肩をすくめた。
「そうですか。それは残念です。できれば予防線になればと思ったのですが」
「なんの話だ」
ユリウスの心底残念そうなセリフに、彼の心証を悪くするような出来事があったかと首を捻った。テオドールにとって心気安いユリウスは自分の護衛の前に大切にしたいと思う友人であった。
「マリーベルですよ」
「ああ、そういうことか」
マリーベルと聞いて納得した。マリーベルの姿を思い出し少しだけ笑みを浮かべた。
ルビーを溶かしたような赤い髪に、濃い紫の瞳。本人は知らないだろうが、魔法陣を教えている時に見せる瞳の輝きはとても美しい。
「……何故、あの子なのです。女性は他にも沢山いるでしょうに」
「なぜそんなに嫌がるんだ」
「嫌にもなります。リール侯爵領、破壊の危機です」
ため息交じりの言葉に、テオドールは不思議そうな視線を向けた。
「破壊の危機?」
「ああ、テオドール様は叔父を知らなかったですね。マリーベルの父親です。溺愛度が異常なので、気を付けてください」
「ふうん?」
気のない返事をすると、ユリウスを置いてテオドールは先を歩き始めた。その背中をユリウスは真面目な顔をして見た。
「恐らく、父はテオドール様の申し入れを断ると思います」
「そうならないよう、手回しはするさ」
ニヤリと笑ってユリウスを振り返った。
「よろしくな、従兄殿」
「……全然よくない」
立場を忘れ、友人に戻ってしまったユリウスにテオドールは笑った。
******
外堀を埋めていくのはいいが、テオドールはマリーベルのことをさほど知っているわけではない。ただ、魔法陣を教えている時間だけが彼女を知るすべての時間だ。初対面の挨拶の時、普段の話し方、質問からわかる頭の回転の良さなど、少し一緒にいるだけでも、性格が穏やかで生真面目なところはすぐに分かった。
テオドールはマリーベルにテオドールへの帰属を説明した後、すぐに彼女の伯父であるネイサン・リールに自分の希望を説明した。
マリーベルに装飾写本師の見習いとしてどうするかという打診をしたこと、もし断られても助手として側に置きたいこと、最後には時間をかけてゆっくりとお互いを知った上で婚姻したいことをだ。
婚姻は先にしてもいいが、マリーベルはまだ若いのだ。彼女が流されるまま婚姻するような真似はしたくなかった。できれば、信頼関係を築いたうえで夫婦になりたかった。
愛しています。
そっと目を閉じれば、遠い昔に少し恥ずかしそうに囁く彼女の声が聞こえる。前の彼女と全く同じではないのは理解している。髪も顔も声も全く違う。
だけど、その瞳が。
紫の真っすぐに自分を見つめる瞳が同じだった。
物事に対する姿勢や立ち振る舞いも同じ。
彼が彼女を失ってから、ずっと求めていたものだった。ようやく見つけた。彼女と同じ魂を持つ者を。
「何が好きだろうか」
同じものが好きだろうか。
それとも全く違うのだろうか。
今の彼女のことを考えると、ずっと心の中にいたはずの彼を愛してくれたマリーベルの姿が薄くなる。そして代わりに姿を見せるのは、まだ17歳の今のマリーベルだ。
「もう結構好きになっているのかもな」
今、生きているマリーベルを。
今度、兄夫婦、いや両親が開く夜会に連れて行こう。
ドレスは何がいいだろうか。今は赤い髪をしているから、濃い緑を基調とした軽い布で作ったドレスがいいだろうか。それとも新緑のようにまだ若い緑がいいだろうか。
どちらにしても、薔薇の花のような艶やかな出で立ちになるはずだ。
緑のドレスを思い描き、思わず笑みが浮かぶ。
緑は彼の瞳の色でもあるのだ。そのような色を纏った女性を夜会でエスコートしたら大変な騒ぎになるだろう。
父はニヤニヤしているだろうし、母は驚きに固まるかもしれない。その後、事情の説明を求められるだろう。今までなら、詮索や説教じみたあれこれは鬱陶しいばかりだったが、マリーベルをエスコートすることでのことならさほど気にならなかった。
気にならないどころか、マリーベルを自分の隣に立っていることを早く周りに見せつけたかった。