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ブクマ、評価、ありがとうございます。色々な人に目を通してもらえているようで嬉しいです。
王族に捕らわれることになる。
そう告げた時のテオドールの表情を思い出し、思わず嘆息した。
迷うことはない。断ること以外の選択肢はない。マリーベルは興味が高じて、魔法書の装飾写本師になろうと思ったのだ。拘束されてまで、なりたいわけじゃない。
領地にいる父親を思い、王都に住むなどまずありえないだろうとも思い至った。今でさえ、二週間に一度の割合で帰っているのだ。王族の直属で働くことになったと言えば、暴れるだろう。そして、やめる時には記憶操作されると知ったら、怒り狂う。目の前に思い浮かぶようだ。
伯父たちもきっといい顔をしない。やはり記憶操作ということが引っかかるのだ。しかも、所属を抜ける時、ということはマリーベルが結婚などした場合も当てはまる。そうなると、一年ちょっとの間しか実質、所属できない。
テオドールの持っている魔法陣はとても美しかった。沢山の古語を組み込むことで、高度の魔法を起動させることができる。しかも魔力の効率も考えられているのだろう。今までマリーベルがしてきた、市販の魔法書のような誰でも使ってもいいものではない。
「奇麗だったわ」
ぽつりと呟いた。ふわりとした光と共に動き始めて魔法陣はとても躍動的で、優しい色をしていた。自分で起動した魔法陣はマリーベルの周りをくるくる回って楽しそうでもあった。
断ることにしているのに、悩んでしまうのは、初めて見る魔法陣に魅せられているのだ。ふと、その魔法陣を起動したときのテオドールを思い出し、少し胸の奥が熱くなる。
「やだ、なんだろう」
自分の変な反応に戸惑う。魔法陣を見つめるテオドールの瞳がとても優しかった。誰か、大切な人を見ているような、そんな目だった。
「マリーベル、起きているかい?」
扉をノックする音と共に、そんな声がかけられる。ネイサンだ。帰ってきてすぐに相談しようとしたのだが、ネイサンは仕事で遅くなるとクラリッサから聞いていた。クラリッサは帰ってきたネイサンに言付けてくれたのだ。
マリーベルは長椅子から立ち上がると、扉を開ける。
「お帰りなさい、伯父様」
「ちょっと話がある。私の執務室へ来てもらっていいだろうか」
まだ仕事着であったネイサンが付かれたような顔をしていた。いつもはさほど疲れを見せないので、驚いてしまう。
「伯父さま、疲れているなら明日でも……」
「いや、大丈夫だ。これは先延ばしする方がまずい」
小さく笑ってネイサンはついてくるようにと促した。
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ネイサンの執務室はあまり使わないのか、最小限のものしか置いていない。侍女がお茶を置いて部屋から出ると、ネイサンは口を開いた。
「遮音」
簡単に呪文を唱え、防音を施した。家で防音まで施されて唖然とする。
「え?」
「その顔だとあまり重要なことじゃないと思っていたかな?」
「ええ。断って終わりかと」
ネイサンはため息をついた。
「エリックを考えたらそうなるだろうなと思っていた。今でも二週間でぎりぎりだ。こんな話をしにいったら、どうなることやら」
「……伯父様、頑張って?」
励ましのような励ましでないようなことを告げると、ネイサンは苦笑する。
「まあ、エリックは後でいい。テオドール様のことだが」
テオドールのこと、としたことに疑問に思った。テオドールというよりは秘匿技術の話だと思っていたのだから。
「秘匿技術の写本はなかなか後継者がいないんだ。その難しさもあるが、写本するにも魔力の相性がある」
「……わたし、できそうにありませんが」
相性と言われて、情けない顔になった。マリーベルはリール家の血を継いでいるだけあって、それなりの魔力はある。ただ、従兄弟達ほど強くはなく、母アマンダのように治癒魔法が使えるわけではない。多少便利なだけで、リール一族の割には大したことないのだ。
「だが、魔力を流して動かすことができただろう?」
「はい」
「それが問題なんだ。今まで何人もの人間が写本を試みたが、流すことができたのはほんの数名。今はテオドール様が一人で研究なさっているが、本当はもっと他の魔法陣と同じように気軽に使えるようにしたいのだ」
テオドールが機密文書、と話していたことを思い相槌を打った。軍事にとってはとても必要な技術であるし、それ以外でも各家の秘密も漏れにくくなる。
「でも、考えるようにと言われただけで、断ってはいけないとは言われていないです」
「そうだろうな。だが、テオドール様はお前を逃すつもりはなさそうだ」
ネイサンが大きく息をついた。心底疲れたような顔をしている。
「どういうことでしょうか?」
「今日の午後、呼び出されて驚いたよ。君をテオドール様の助手としたいと相談された」
「助手?」
「そう。装飾写本師を断ったとしても、助手として残そうとしている」
唖然として言葉が出ない。
それって、選択肢があるようでないようで……?
「かなり本気の様だった」
「あの、テオドール様の所属を外れると記憶操作されると聞いたのですが」
「その話も聞いているのか」
難しい顔をしてネイサンが唸った。マリーベルは考えることもできずに、ただネイサンの言葉を待っていた。
「記憶操作は実際どういうことなのか、よくわかっていない」
「魔術師団では使われていないのですか?」
「使われていない、というよりは、その魔術は王族特有のものだから使いようがないのだ」
王族特有と言われて、体が震えた。怖かったのだ。その怯えを感じ取ったのか、ネイサンが少しだけ表情を和らげた。
「恐らくお前に使われることはないだろう」
「でも、わたしが結婚とかしたら使われてしまうのでは?」
恐る恐る聞いてみる。
エリックが色々反対しそうであるが、マリーベルは結婚したい気持ちをちゃんと持っていた。幼い頃、アマンダは死んでしまったが、いつも両親が互いを想い合っていたことは覚えている。二人のように、守り守られながら暖かな家族を作りたい。
アマンダがまだ生きていた時のエリックの幸せそうな笑みを思い出した。そう、エリックはアマンダが亡くなってからはひどく過保護になってしまったが、それまでは目の届く範囲であれば比較的自由に何でもさせてくれる父だった。
ちゃんと見守っているから好きにしても大丈夫だとそんな目でアマンダと一緒にいつも見ていてくれた。
アマンダが病気で亡くなってからだ。あれほど側から離れるのを嫌がるようになったのは。
まだ領内はいい。マリーベルを知っている人も多いし、エリックがどれほど溺愛しているのかを知っているから何か少しでも異変があれば、皆が助けてくれる。だから、マリーベルは領内で結婚したかった。そうなると、テオドールの弟子なり、助手なりすることはできない。
「ここから先は兄上の領域になるのだが……もしかしたらお前はテオドール様の元に嫁ぐことになる」
「は?」
予想外の言葉に、言葉が続かない。
「恐ろしいことに本気の様だ。もう兄上にも申し込みがなされていると思う」
「助手の話は?」
「助手の話は恐らくつなぎだ。その間に外堀を埋めてしまおうということだろう。テオドール様の女性嫌いは有名だから、お前の何がよかったのか……」
ネイサンはぐったりと長椅子に背を預けると疲れたように首を振った。
「あの、わたしがテオドール様に理由をお尋ねに行っても大丈夫でしょうか?」
「いいんじゃないか?あまり悩んでもわからないだろう。確かにテオドール様は王族であるが、こちらも侯爵家。お前が嫌なら断ることはできる」
「でも」
断ることはできるだろうが、リール家としてはあまり良くないのではないだろうか。
「気にするな。お前が不幸になってエリックが大暴れすることを考えれば、大したことじゃない」
一番考えるのところは、やはりそこなのか。
簡単に想像できてしまって、マリーベルは若干遠い目をした。
11/3
すみません。名前を思いっきり間違えていました。
サイモン→ネイサンが正しいです。