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教えられた部屋へと向かいながら、自分の恰好がおかしくないかを再度確認した。
クラリッサにもちゃんと今日の服装を見てもらったし、大丈夫だと思う。自信が持ちきれないが、クラリッサが太鼓判を押したのだ。きっと大丈夫と自分に言い聞かせた。
クラリッサはネイサンが魔術師団に所属しているのでテオドールを知っていた。年齢はユリウスと同じ25歳で、王弟の息子ではあるが三男であるから家を継がないらしい。次男でもないのでスペアでもなく、気ままにやりたいことを職にしているようだった。そんな世間が知っている話をクラリッサは教えてくれる。全く知らなかったが、意外にも有名人ですごい人のようだった。
クラリッサにソフィアから注意された内容を告げると、彼女は派手にならず媚びないような露出の少ない上品なドレスを選んでくれたのだ。派手になりがちな赤い髪を控えめに後ろでまとめて小さな髪飾りだけをつける。きっちりまとめることで、赤い髪の奔放な印象を抑えられる。
教えられた部屋の前につくと、大きく息を吸ってから扉をノックした。
「誰だ」
少し低い声がする。マリーベルは扉を開けぬまま、名乗った。
「装飾写本師見習いのマリーベル・リールです」
「入れ」
入室の許可が出て、ほっとする。挨拶する前に追い返されたらどうしよかと内心ドキドキしていた。
「失礼します」
扉を開けると、部屋の主が立ち上がった。テオドールは黒髪に緑の瞳をしていた。背が高く、がっしりとした体つきをしていた。世の中の女性が追いかけまわすのも納得の美貌だ。リール一族もかなりの美丈夫な一族ではあったが、彼の持つ柔らかで華やかな美しさは王族ならではのものだ思う。
彼はじっとマリーベルを見つめて、彼女の様子を伺った。
「初めまして。マリーベル・リールです。今日はよろしくお願いいたします」
美しいとクラリッサに褒められた礼をした。ゆったりとした仕草を心掛けたがちゃんとできているかは不明だ。緊張のあまりに口が渇く。だが、頑張って平静を装う。
テオドールはしばらくそんなマリーベルを観察していたが、小さく嘆息すると名乗った。
「テオドールだ。家名は使いたくないので、名前で呼ぶように」
どうやら合格したようだ。ほっと息をつく。
「何を言われてきたのか想像がつくが……まあ合格だ。席に着け」
長椅子の方ではなく、執務机の隣にある机を示した。
「ありがとうございます。失礼します」
そっと椅子に座るととても座り心地がいい。机の上に筆記用具を出し、ノートを出した。
「今日は私の持っている秘匿技術の概要を説明する。実際にやってもらうのは明日以降となる」
「わかりました」
講義が始まった。
******
テオドールの講義はとても分かりやすかった。難しい言葉を使うことなく、実例を使って教えてくれるのですんなりと吸収することができる。もしかしたら今まで習った中では一番の分かりやすさかもしれない。装飾写本師と違って、テオドールは魔法陣を作り出す側だから着眼点も作る人の立ち位置だ。マリーベルには思いもつかなかったところも多かった。
真剣に魔法陣の意味を考えれば考えるほど、よくできていると納得する。
初日はどうなることかと思ったが、テオドールは認めてしまえばとても親切な人だった。どんな小さな質問でも嫌な顔をせず説明をしてくれるし、そうしなければならない背景まできちんと教えてくれる。
先生によっては、自分で調べるべきだという方針のもと背景までは教えてくれなかったり、さほど必要のない事柄だと切り捨てる人もいる。テオドールはどちらかというとすべての事柄には理由があり、その理由が分かれば難しい話ではないと思っているようだった。言葉の端々と教え方からも、その考え方は滲み出ていた。
「これを見てごらん」
ある一冊を書棚から取り出すと、差し出された。開かれたページには美しい装飾がなされた魔法陣が描かれている。
テオドールがそっと魔法陣に触れると、浮かび上がってきた。
「奇麗」
ついうっとりと見つめてしまうほど、それは美しかった。魔法陣に刻まれていた古代文字がそれぞれの色を持ち、輝きながらくるくると回る。そのうちにいくつかの魔法陣自体が独立し始めた。大きな魔法陣に描かれていた小さな魔法陣が動き始め、螺旋模様を描き始める。
初めて見る現象に、驚きに食い入るように見つめていた。そのうちに光が弱くなり、元に戻った。
「これが私の持っている秘匿技術だよ」
「すごい……です」
それ以上の言葉が出なかった。螺旋を描いていることから、かなり長い古代文字が描かれていることが分かる。発動した時に奇麗に螺旋を描きながらそれぞれの魔法を発動させるとなると、どれほどの精密さが必要なのか。考えただけでも眩暈がしそうだ。
「これを装飾写本をしようと思ったら、君はもっと学ばなくてはならない」
「そうですね」
確かに自分が磨いてきた写し取るという技術だけでは正しく描くことはできない。それは理解できた。
「では、質問だ。先ほどの魔法陣は何を実現するためのものだろうか?」
「すみません……読んでいませんでした」
突然の質問に、言葉が詰まった。美しさばかりに気を取られていて、浮かび上がっていた古代文字の内容を読んでいなかったのだ。
申し訳なさと、やってしまったという後悔で俯いた。
くすりと笑う声で顔を上げると、テオドールはくすくすと笑っていた。
「悪い、少し苛めすぎた。ほら、ここを触って」
先ほど見せた魔法陣を触れるように言われ、恐る恐る魔力を流す。ふわりと魔法陣が動き出す。古代文字が色を持ち、輝き始めた。
先ほどとは違う色に、思わずまた見入ってしまう。
「え?」
魔法陣がくるくると螺旋を描き始める。驚いたのはその螺旋がマリーベルの周りを回り始めたからだ。テオドールはそれを見て目を細めて呟いた。
「ああ、やっぱり」
「あの?」
小さな声でよく聞こえず、問い返した。だが、テオドールは答えることなかった。ただ、笑みを浮かべて魔法陣の浮かび上がった文字を指す。
「ここが始まりだ。読める?」
「……汝が求める者を見定める」
首を傾げた。こんな古代語は聞いたことがなかった。今まで写本してきたものは基本、普及している魔道具に使われるようなものが多い。例えば、水を両手一杯分出す、や、料理するための火力大とか。意外と実用的なものだ。だけどこれは何を指しているのかさっぱりだった。
「この魔法陣は特定の人物を定めるための魔法陣だ」
「特定の人物?」
「そう。例えば、君だけに伝言を見せたいとしたいときに使う」
そう言われて、ああ、と納得した。
「では、他の人が見ようと思っても見られないのですか?」
「そうだ。他の者が無理に干渉するなら伝言ごと、壊れる」
「壊れてしまったら困りませんか?」
折角の魔法陣を壊すなんて、と驚いた。テオドールは肩をすくめる。
「見られたくない伝言など、なくしてしまった方がいいと思わないか?」
「でも、見られないんですよね?」
「そうだな」
よくわからず、首を傾げた。結局見られないなら、壊さなくてもいいと思うのだ。
「よくわかりません」
「君は伝言の内容はどんなものを想像しているんだ?」
「え、いつ帰ります、とか?」
毎日書いている父宛の手紙を思い出した。テオドールはくすりと笑った。
「この魔法陣を使う場合の伝言は、大抵機密文書だ。だから、破棄するようになっている」
「あ」
恥ずかしさのあまりに顔を赤くした。見られて困るもの、となったら普通の手紙ではありえないのに。機密文書を守るための技術だから、秘匿技術なのだ。
「さて、君に聞いておきたい」
「はい」
「この秘匿技術を習得することになると君は王家に縛られることになる」
マリーベルはテオドールを見つめた。テオドールは静かに話す。
「王家と言っても難しく考えなくてもいいが、私のところに所属する。もし属した後に、私の所属から外れる場合は記憶封じを施されることになる」
記憶封じ。
馴染まない言葉であったが、何故か体が震えた。
「よく考えてから返事が欲しい」
「あの」
マリーベルは震える手をぎゅっと握りしめた。
「何だい?」
「どこまでの人に相談しても大丈夫ですか?」
「君の伯父たちは問題ない」
伯父たち、と聞いて頷いた。
こんなこと、誰にも相談せずに決めれそうになかった。