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この世界って、不安定でとても出来損ない。
世界の女神さまが一人で造った世界は、魔法が使える世界。
だけど、女神さまの力の一部を与えらえて使える魔法は、とっても偏っていて不安定だ。
全員が使えるけど生活の補助にしか使えない人もいるし、魔獣を倒すほどの人もいる。
強い魔法は血筋で決まる人もいるし、突然現れる人もいる。
そんな出来損ないしか作れなかった女神さま。
どうか、どうか、お願いです。
喉を襲う痛みと、熱さ、寒さ、苦しさ、それに若干の震え。
足にはすでに力が入らなくなっている。
次の人生は平凡でも幸せで長生きしたい。こんな風に殺されたくはないわ。
貴族ではなく、裕福な平民がいいわ。
あらゆる人に嫉まれるような美女ではなく、笑顔が素敵な、ほわほわっとした温かい空気のような女の子。
目指すところは、ごくごく普通の、でこぼこであっても幸せな長い一生よ。
女神さま、ここで大事なのは普通であることよ?
目の前には信じられないものを見るように目を見開く彼と、ぐらりと傾くわたしの体を抱きとめようと伸ばされた腕。
そして、いつになく慌てた必死な呼びかけ。
「マリーベル!」
あら、彼のこんなに焦った声を聞いたことがあったかしら?
いつも余裕な笑みを浮かべているのに、そんなに必死に叫んでおかしいわ。きらきら王子様はいつでも素敵な笑みを浮かべていないと。今にも泣きそうな顔なんて、がっかりよ?
大好きだった彼をよく見ようと目を頑張って開けるが、良く見えない。もしかしたら、目はもう開いていないのかも。最後に彼の素敵な笑顔が見たかったのに。
ふっと突然、痛みも苦しさも熱さも震えもすべてなくなった。
もう少し長く生きたかった。
彼の傍でずっと笑っていたかった。
どうか、どうか女神さま。
次の人生は・・・よろしくね?
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「マリーベル、俺は誰よりもお前を愛しているぞ」
ぎゅううと背骨が折れるような力で抱きしめられて、マリーベルと呼ばれた少女はばんばんと遠慮なく男の背中を叩いた。
「お父さま、力、緩めて!!!」
暑苦しく愛情を示してくるのは、彼女の父親であるエリックだ。リール侯爵家の三男であるが、継ぐ爵位がないので彼の長兄カルロスが治める領地の騎士団の団長を務めている。それ故、こうして力の限り抱きしめられると、まだ少女の域を出ていない娘のマリーベルは本当に死にそうな思いをする。
・・・いや、訂正だ。
大人になったとしてもきっとこの愛情全開の抱擁は死ぬほど苦しいはずだ。物理的に。
「おお、すまんな。つい、お前の愛らしさに我を忘れてしまった」
鍛えているためか、40歳の割にはかなり若く見えるし、客観的に見ても美丈夫だと言えるほど整った容姿をした自慢の父親である。燃えるように赤い髪に、精悍な顔立ち、瞳は氷のような薄い青だ。背だってとても高いし、肉体は鍛え上げられていて逞しい。きっと甘く微笑めば、どんな女性でも見とれてしまうに違いない。
ただ、残念なことにその甘い笑みを見られるのは、母であるアマンダが亡くなっている今、娘であるマリーベルのみだ。
エリックの馬鹿力から少し解放されたマリーベルは大きく息を吸い込んで、呼吸を整えた。
「それで、どうしたの?」
マリーベルはエリックの顔を下から覗き込むように尋ねた。エリックは娘ににやりと笑みを見せた。
「マリーベル、義姉上の部屋へ行ってこい」
「エレン伯母さまのところ?」
「そうだ。お前のドレスを準備してくれている」
「・・・ドレスって何故?」
お見合いか?と警戒した。エリックは爵位を持っていないが、リール侯爵家の血筋で年頃の娘は自分だけだ。十分あり得る。現に、二人いる従姉妹達は18歳になったと同時に嫁いでいった。従姉妹達が嫁いでいったので、政略結婚はこれ以上ないと思い安心していたが、母のいない姪の将来を心配した伯父が立派な縁談を調えていても不思議はない。
「なんだ、嬉しくないのか?王都へ魔法書の装飾写本師の任命式に行くんだろう?」
「え?」
くしゃくしゃ、とマリーベルの自分と同じ色をした髪を乱暴に撫でる。
「頑張ったな。流石、俺とアマンダの娘だ」
「本当に?わたし、合格したの?」
「そうだ。よかったな」
嬉しくて、そのままエリックに抱き着いた。エリックは危なげなく抱きあげてくれる。いつもなら17歳になったんだからと突っぱねるのだが、今日は気にならない。エリックの首に腕を回してキスを頬に贈った。
「本当は駄目だと思っていたの」
魔法書の装飾写本師。
現存する魔法書を一つ一つ丁寧に、文字に魔力を込めて写すのだ。もちろん、魔法陣も文字も装飾も違えることなく写し取る。
魔法書の装飾写本師になるためには魔法書を見せてもらうための資格がいる。その後、学校に通って秘匿されている技術を教わる。
この資格を取るための試験がとても難しいのだ。細かい作業を続けられるか、きちんと写し取れているのか、長時間作業が耐えられるか、と知識や魔力には関係ない項目の試験が一番重きが置かれており、忍耐と集中力が試されている。試験自体が薄い魔法書の写本だから、その出来が全てだ。
正直、試験は受けてみたものの、適正なしで駄目だろうと半分諦めていた。
8歳の時に、今は魔術師団長を務めている伯父の一人であるネイサンにもらったお古の魔法書。
中を開けるとその内容よりも、美しい文字と飾り絵に夢中になった。一つ一つ丁寧に微弱な魔力が込められていて、すっと魔法陣を撫でるとふわりと宙に浮きだす。初めてもらった魔法書はとても丁寧に写本されていて、浮き上がった魔法陣はとても美しかった。見る人が分かりやすいように、魔法陣を形成している古代文字に淡く色がついていたのだ。
正確に写し取れていれば、いかに読み手に伝えるのかは装飾写本師に任されている。
それをネイサンの教わり、自分でも写し取りたいと思ったのが、きっかけ。
なりたいと思ってから、8年間。領地で十分な勉強ができるようにと、二人の伯父たちが環境を整えてくれた。感謝しかない。
感動に浸っていたら、再びきつく抱きしめられた。
「うげっ」
突然の腹部圧迫にこらえきれず、淑女らしからぬカエルのつぶれたような声が出る。慌てて父の腕を外そうとばんばん叩くが、エリックは感動しているためか、離すまいとますますきつく締め付けられる。
「この馬鹿者。マリーベルを殺す気か」
容赦ない一撃がエリックの頭に落とされた。マリーベルが青い顔をして後ろを見ると、カルロスがため息交じりに立っていた。エリックと同じく、燃えるような赤い髪に濃い青の瞳をした線の細いカルロスであるが、背が高いのは同じであるし、エリックほどではなくても魔法も剣術もかなり強い。時々、人が足りないと領地の魔獣狩りに参加しているくらいだ。エリックを止められる数少ない人でもある。
「カルロス伯父さま」
「さっさと連れて来いと言ったのに、何をしているんだ、お前は」
エリックに苦言を呈しながらも、カルロスは丁度いい高さにあるマリーベルの頭を優しく撫でる。
「マリーベル、頑張ったな。魔法書の装飾写本師など、なかなかなれないものだぞ。しばらくは勉強のために王都での生活になるが、あちらではネイサンが面倒みてくれる」
「伯父さま、ありがとう」
カルロスに褒められて、嬉しさに微笑む。
「何で、ネイサン兄上が出てくるんだ?」
「・・・エリック。馬鹿だ馬鹿だと思っていたがやっぱり馬鹿だな。秘匿技術は王都でないと教えてもらえないだろうが」
「ふざけんな!そんなこと、俺は許さん」
エリックの怒声が屋敷の中に響き渡った。