街灯少女
人並みの人生を、私は歩む事が出来た。
商人として大成はしなかったものの、家族を養うには十分な収入もあり、今年は三人目の孫が生まれた。
いつ見ても子供というものは可愛いものだ。
職業柄家を空ける事の多かった私は、子供の日々の成長を見守る事があまり出来なかったが、家に帰る度、子供の成長具合を確認するのがとても喜ばしく、それ故にここまで頑張って来れたのだと思う。
そんな子供だった息子達も、既に大人として独り立ちし、子供を授かる程にあれから年月が経っている。
その事を思う度、私の心の中には少し、いや、私の人生において最も大きな心残りが思い起こされる。
私はいつも、眠ればあの時の夢を見る。
不思議で、不気味で、不可解な、あの少女の事を。
この世界はいつの頃からか、夜の怖さというものが無くなっていた。
夜というのは闇の世界。
太陽という世界に光をもたらす偉大な存在が地に眠り、再び目覚めの時が来るまでの暗い世界。
世界を照らすのは僅かな月明かりと星々の光。
今にも消え入りそうな弱々しい光が、暗闇の中、私たちがまだこの世界で生きていると実感させてくれる。
そんな夜の闇を、人々は感じなくなった。
「街灯少女」。
いつの頃よりそう呼ばれるようになったのかは分からないが、いつからか人々の中で当たり前となっていた不思議な存在。
可憐な少女の姿をしているその存在は、どこの街にもおり、どこの街道にもおり、森で見たことのある者もいるという。
どこにでもいて、どこから来たのか。
一体何のためにそこにいるのか。
少々不気味で、そんな不可解な存在の彼女達は、毎日夜になると現れる。
少女の小さな体では抱える必要がある程大きなランタンを持って、少女達はいつも夜の闇を照らしていた。
雨の日だった。
商人の父親を持つ俺は、いつも父親の仕事に付いて行き、商人としてのイロハを教わって来た。
それ故に、三年前、突然父親が病に倒れ、事切れてしまってからは俺が仕事を引き継ぎ、何とか母親を養いながら必死に働いていた。
父親のツテを使い、知り合いに助けられながらも、中々軌道に乗れず、亡くしてから父親の凄さというものを実感していた。
そんなある日、商品を納入するために訪れた街で酷い雨に出くわした。
商品を納入したらその足で新たな品物を仕入れ、隣街へと行こうとしていたというのに運が悪い。
父親の代から使い続けている荷馬車は一介の商人が持つ物よりも上質な物ではあるが、年季が入っている故にこんな雨の中走らせれば寿命を急激に縮めてしまう恐れがある。
未だ収入が安定しない状況で新しい荷馬車を買うなど以ての外で、そんな事になるくらいならば嵐が過ぎ去るのを待ってからの方が絶対に良いと、俺は暫く続く雨の日をその街で過ごす事にした。
雨の日だから、商品を持っていないから、別に用事などないからといって、何もしない奴は商人として失格だと、父親にはよく言われたものだ。
商人にとって情報は命、常に動き続ける市場は生き物だ。
少しでも目を逸らせば、その間に遠くの方へ逃げて行く。
商人として当たり前の心構えを心の中で反芻しながら俺は街でそこそこ有名な酒場へと足を運んでいた。
別に酒が飲みたかったわけではなく、こういう所は情報が集まりやすいから来たのだ。
こういった雨の日は俺のような商人だけではなく、様々な仕事に影響が出るため、昼過ぎだというのに結構繁盛しているようだ。
店の中を見渡すとカウンターの一つが空いているようだったのでそこへ座らせてもらい、カウンターの奥にいる店員に軽めの酒を頼んでから周囲を観察し、聞き耳をたてる。
周りには見るからにガタイの良い、恐らく土木業に就いているのだろう男達や、俺のように中肉中背、もしくは多少腹が肥えている者達がいくつかのグループに分かれて談笑していたり、難しい顔で話していたりする。
俺はその中で難しい顔をしている者達の会話に耳を傾けながら、店員が持って来た酒をチビチビ飲んで行く。
話を聞いているとどうやら俺の狙い通り話している者達は商人のようで、これからの動き方について話しているようだった。
基本的に俺が扱うのは日用雑貨品や衣類、装飾品などであり入荷は安く、出荷は高くするため、物価の予想を立てるのに他の商人の動向は気になって仕方ない。
そして今話をしている商人達の扱う物は食料品だという。
商品の劣化に細心の注意が必要で、安定した収入を得るために俺よりも多くの情報を必要とする。
更には貴金属、宝石などを扱う商人達の次に積み荷を狙われやすい事でも有名で、街を離れる際は護衛を付けることも多いと聞く。
しかし一発当てれば見返りが大きいという事で、人気でもある商品だ。
商人達の話は基本的に次に何を仕入れ、何処へ売りに行くかというものだった。
だが話を聞いていると何処へというのは既に固まっているのか、俺が次に向かおうとしている街の名前が頻繁に出て来ていた。
恐らく商人達も最近のあの街についての噂を知っているのだろう。
ここの隣街であるそこは、ここ数年子宝に恵まれ、人口が増加傾向にあり、それによって最近はいろんな物の需要が上がっており、何でも売れるという話だ。
流石にそこまで旨い話はないだろうと半信半疑でここまでやって来た俺であったが、他の商人が口を揃えてそんな話をしているのならば噂の信憑性が増す。
もっとよく話を聞こうとした所で商人達は席を立ち、店から出ていってしまった。
俺としては噂の信憑性が増しただけでも情報としては有り難いのだが、出来ればその先の仕入れ品まで聞きたかった。
流石に儲け話を他人に聞かれたくはないのだろう。
情報が大事な事は奴らも知っている。
だというのにこんな大衆のある中、何より俺のように盗み聞きしている存在がいることを考えれば後の話は宿でするのだろう。
つまりここでの話は聞かれても奴らにとって痛くも痒くもない世間話程度の事に過ぎないという事だ。
逆にこんな場所で多くを語る奴は雑魚だ。
情報の大切さを知らず、いずれ何処かで大損して終わる。
そんな奴の話に価値はない。
下手に話を鵜呑みにすれば自分に被害が及ぶ。
まぁ、今日はこんな所か。
他にめぼしい客がいない事を確認した俺は店員に軽食の用意をしてもらう。
折角だから夕食をここで済ませてしまおう。
俺に今出来ることは、飯食って寝て、明日晴れる事を願うだけだ。
久し振りに酔ってしまった。
あまり酒は強い方ではなく、いつもならば軽く一杯飲めば満足といった具合なのだが、有名店であるだけあって酒が美味かったのだ。
更に注文した軽食のチキンが何とも酒に合い、思わず羽目を外して飲み過ぎてしまった。
意識はハッキリしているが、少々足元がおぼつかない。
やってしまったなと後悔しつつ、雨の中を傘を差しながらフラフラ歩き、宿まで何とか辿り着いた。
取り敢えず軒下で軽く服についた雨粒を払い、一息ついた時、隣に人の気配がした。
少女であった。
真っ赤な赤い髪をした可愛らしい少女。
白いロングコートを身に纏い、その両手には抱えるようにして持つ大きなランタン。
ランタンの光は直接見ても眩しいということはないが、何故かその光量で辺りを満遍なく照らし、闇を追い払っていた。
俺はその時、この子も街灯少女なのかと察した。
見渡してみれば遠くにもランタンの光がいくつか見える。
そのランタンの光の数だけ、目の前にいる少女のような子が存在する。
いつから存在するのかも知らないし、何故存在するのか、何処から来たのかも謎に包まれた不思議な少女達。
闇が深まる頃になると、唐突に現れ、闇が薄まればいつの間にか消えている。
きっと少女達が最初に現れた時の人々は驚いただろうが、俺たちにとってはこの少女達の存在は当たり前で、それによって夜に出歩く時足元を気にしなくて済む。
その時、俺はふと思い至った。
噂では、街灯少女は同じ場所に現れる事はないという。
同じ街灯少女に会えたことのある者は未だいないともされ、街灯少女は一夜一夜、その時しかその少女は存在しないのではないかという仮説があるらしい。
これは本当にただの気まぐれ、子供の突発的な思い付きに近い。
俺は急いで宿へ入り、自室の中のカバンを漁って目的の物を取り出すと、再び宿から出て街灯少女がいる事を確認した。
街灯少女はそんな俺の行動に見向きもせず、ただただ真っ直ぐ前を見つめるのみであった。
街灯少女に感情はないなんて話もある。
まぁその事に関しては俺もそんな気がするが、やっぱりこの子たちだって女の子なのだ。
俺はそう思いながら軒下から外れた場所にいてズブ濡れな彼女に傘を掛けてやり、そして先程部屋に取りに行った物を少女に着けてやる。
うん、良いんじゃないかな。
街灯少女はその全てが可愛らしい少女である。
しかしそれは顔立ちの話であり、それ以外の服であったり、髪型などに関しては無頓着というか、関心が無いのか、他の街灯少女と全く同じ白のロングコートに無造作に伸びた髪、装飾品、化粧の類は一切しない。
もしかしたらそういう決まりなのかもしれないが、それはそれ、俺はそんなもの知らない。
故に勝手にやらせてもらう。
俺は少女の前髪に着けてやった花の飾りが付いている髪留めを見て少し満足する。
うん、多分俺のセンスが悪くないならちゃんと可愛くなっただろう。
満足げな俺に対して、少女は特に気にもしないのか視線を動かす事なくただただ無表情であった。
「いつもありがとう」
俺は少女にそれだけ言い残し、傘はそのまま少女の肩に掛けてやり、宿へと戻った。
二度見たことが無いのなら、目印を付けて他人から情報を聞けば良いのだ。
恐らくこの世界の中で髪留めをしている街灯少女はあの子くらい。
外されてしまえばそれで終いだが、付け続けてくれていればいずれ何処かで噂ぐらい聞くだろう。
明日は雨じゃないといいな。
雨に打たれながらもランタンを持って立ち続ける、少女達のためにも。
翌朝、数日続いた雨が嘘のように、とはいかなかったが、どんよりとした雲が空を覆ってはいたが一応雨は止んでいた。
しかしこんな天気ではいつ降り始めてもおかしくない。
恐らく舗装されている街ならば大丈夫であろうが、これから俺が向かう予定の街は小さい山を一つ越えなければならない。
数日続いた雨の後など道はぬかるんでいるだろうし、何処かで土砂崩れが起こっている可能性だってある。
結局、俺はもう一日この街で過ごす事に決めた。
雨が降っていなければ街は活気を取り戻す。
朝から仕事に精を出している人々を眺めながら俺は市場を探索していた。
街の市場を見ればこの辺りの最近の物流を感じることが出来る。
一通り市場を探索し終えた俺の感想はとても単純なものであった。
肉が少ない。
そういえば昨日の酒場にいた商人達は食料品を扱っている者達であったことを思い出した。
あの商人達が口を開かなかった今後扱う商品、それはもしかして肉なのだろうか。
向かう先は隣街、あそこは農業が盛んな街であるが酪農に関しては弱く、俺の扱う服飾に関しても弱いという話を聞いたためにここまで足を運んで来た。
隣街はただでさえ酪農に弱いというのに、この街でここまで肉の量が減っているという事はあちらでは肉の需要が鰻上りになっている可能性が高い。
あの商人達はそれを狙ってここまでやって来たということか。
そして商人達が運んでいる物、それは恐らく日持ちする干し肉。
恐らく此処から離れた街で既に仕入れを済ましているはず。
此処で売ったとしても利益があるだろうが、隣街で売った方が更に儲けることが出来ると踏んでわざわざ足止めを食らっているのだろう。
やはり俺もまだまだ先の見通しが甘いな。
目先の事しか考えれていない。
今日にしたって今あるだけの商品では少ないために、此処でもう少し仕入れてから隣街へ向かう事しか特に考えていなかった。
俺はそれを思い返し、少し迷った後、もう一度市場へと向かった。
今日も今日とて、街灯少女は闇を照らす。
少々交渉に時間がかかってしまって遅くなってしまった。
空は未だ雲がかかり、月明かりも届かない状況であるが、ランタンの灯りが俺の行く道を照らしてくれていた。
漸く宿まで辿り着いた俺は、元々あまり期待をしていなかったために、驚きを隠せずにいた。
宿の軒下の横には昨日と同じように立ち続ける街灯少女。
しかしその髪の色は青く、昨日の少女とは別人であるというのはパッと見で理解出来るのだが、何とも理解しがたい状況でもあった。
何故なら青い髪の街灯少女は昨日俺が赤い髪の街灯少女に着けてやった花の髪留めを着けており、傘も壁に立てかけていたのだ。
一体どういう事だ。
この子が昨日と同じ少女という可能性もある。
酒に酔っていた俺は赤と青の区別も付いていなかったのかもしれない。
……いや、流石にそれは無理があるだろう。
酔って忘れているならまだしも、昨日の事はしっかり覚えている。
この記憶を疑うのは俺の頭に失礼というものだ。
一番あり得ることは、赤い髪の街灯少女がこの子に髪留めと傘をあげた、といったところか。
しかし街灯少女が同じ場所に二人いたなんて話は聞いたことも見たこともない。
疑問は膨れ上がるばかりで、それの解答を持つ目の前の少女とは会話が成立しない。
次第に俺は考えるだけ無駄か、と思い青い髪の街灯少女の頭を何となく撫でてみた。
「君も良く似合ってる、朝まで頑張ってくれ」
相変わらず返事も、表情の変化も何もなくただ前を見つめるだけの少女だが、何故だか今日は少しだけ、俺の方を見てくれたような、そんな気がした。
翌日は晴れた、快晴である。
雲一つない青空で、旅立つには打って付けの天気だ。
予想外の雨に足止めを食らったが、それはそれで悪いものではなかった。
取り敢えず俺は荷馬車の用意をし始めた。
今回は仕入れが多かったために少々時間がかかったが、馬もきっちり手入れしてやり、ご機嫌を伺う。
馬の調子も良さそうで、これならば山を越えるのも平気だろう。
早朝から準備を始めたが、結局太陽は完全に顔を出し、そろそろ気温が上がってくる時間になってしまった。
急がないと隣街に着く前に夜になってしまう。
俺は少々焦りながら荷馬車の準備を完了させた。
街の門にて出入りの検問を問題なく終え、そのついでに警備隊の人に質問をする。
質問は簡単で、今日商人の馬車が何台通ったかである。
自分より早く出た馬車は5台、その内俺と同じ方向へ行ったのが2台という話だった。
恐らくこの2台は俺が酒場で話を盗み聞いていた商人達であろう。
俺は内心でやってしまったと後悔した。
商人達が運んでいるのは十中八九食料品。
それもここ最近仕入れの少ない肉、その中でも保存の利く干し肉が殆どであろう。
それはほぼ確実に隣街で高く売れるだろう。
しかしそうなってしまうと俺の立てた計画が上手くいかなくなってしまう。
昨日、俺は市場へ戻った後、如何にかして俺も肉を仕入れられないかと散策していた。
ダメ元で探していたために、全くと言っていいほど良い話は転がっていなかった。
仕方ないと服飾関連の仕入れを済ませた後、俺が晩飯をどうしようか考えていた時にそれは飛び込んで来た。
門の近くを通っていた俺の目に入って来たのは人より少し大きい体長を持つ熊だ。
それを担いでいるのは恐らく猟師であろう。
森に狩りにでも出向いていたのか、身に付けている装備には汚れが目立つが俺にとってそんな物は些細な事で、重要なのはその担がれている熊だ。
熊の肉は癖が強い事で有名だが、ここら辺は田舎で猟師などが多く、調理法は確立されており、この街で俺は実際に食ってみたが中々旨かった。
そこで俺は思い付いたのだ。
あの熊を仕入れようと。
毛皮については俺の商売領域、どうとでもなる。
肉は明日運べるならば保存方法さえ間違えなければ大丈夫。
必要事項を頭の中で確認しながら俺はその猟師に近付き、交渉を開始した。
交渉の結果は良好。
猟師も自分の家で食う分以外は売るつもりだったと話し、俺は猟師の言い値を即金で買い取った。
ボッタクリという程高くもなく、相場に多少欲を乗せた程度ならば逆に良心的過ぎる。
田舎という土地柄がそうさせるのか、この猟師が特に儲けを考えていないだけかは分からないが、ありがたい。
熊の処理をお願いして猟師とは別れ、今朝に受け取りに行ったのだが、まさかここまで時間を喰われるとは思わなかった。
もし俺よりも先に隣街へ大量の干し肉が辿り着いてしまうと肉の需要が激減し、それに伴って俺の儲け、いや、儲けるのも難しくなってしまうかもしれない。
俺は焦りを隠せず、街を出てから馬に無理をさせる事を承知で荷馬車の速度を上げていた。
しかし、人間というものは焦ると何も良いことがない。
そういったことも父親からよく言われたものだが、俺はその事をスッカリ忘れていたようだ。
父親の言い付けを守れない辺り、俺もまだまだ未熟である。
結果、父親の言う通りと言うべきか、俺の馬車は突然車輪の故障により止まらざるを得なかった。
長旅やこういった突然の故障に備え、スペアの車輪をしっかり積み込んでいた事に俺は安堵した。
もしここで車輪の替えが無いなんて話になればどれ程の損害になってしまうことか、考えただけで震えが止まらない。
しかしなんでこんな事になっているんだ。
俺は故障した車輪を見ながら呟いた。
何故なら少々不可解なことが俺の車輪に起こっていたのだ。
故障の原因が傘なのである。
道端にでも捨てられていたのか、急いでいた俺はそれに気付かず荷馬車で踏んでしまい、それを車輪が巻き込んでしまった。
そう考えるのが妥当なところだが、流石にそんな単純な事だとは思えない理由が俺にはあった。
車輪に巻き込まれた傘、それは骨がバキバキに折れてしまい、見るも無惨な姿となってしまっているのだが、持ち手の部分には見覚えのある印がある。
その印は、その傘が俺の物だと証明するためのサインのようなもので、それは一昨日、俺が街灯少女に渡した物である事を表していた。
訳が分からなかった。
訳が分からない故に、俺は若干の恐怖感を覚え、急ぎ車輪の付け替えに勤しんだ。
車輪の付け替えを済ました頃、その時には既に太陽が真上を通り過ぎてしまっていた。
俺は沈む気持ちを抱えながら隣街への道を走り続ける。
俺より先に出発した商人達はもう山を越えてしまっただろうか。
隣街への道は山を越えてしまえばそれほど距離はない。
商人達が太陽が顔を出すと共に出発したのであれば、もう山を越えていてもおかしくない。
対する俺は漸く山を登り始めたところ。
この差は絶望的であった。
その頃になると太陽が眠りにつき始めており、どれだけ速く荷馬車を走らせたところで隣街に着くには確実に夜となってしまうだろう。
こうなると俺としても諦めが付く。
夜の山で野宿などは考えたくないので、取り敢えず今日中に隣街に着く事を目標としていた。
肉を売るのは明日になってしまうが、こちらは新鮮な生肉であるし、干し肉が先に買い取られていても多少の儲けにはなってくれる事に期待しつつ、荷馬車を走らせた。
ここの山は標高が低く、比較的越えやすい山だ。
山道の途中には山の頂上を通る真っ直ぐな道と、頂上を避けて右に避けながら進む道の二本が通っている。
当然ながら直線距離としては頂上への道の方が短く、右に避ける道は真っ直ぐというわけでもないので長い。
しかし荷馬車である俺のような商人としては、いくら距離が短いからといって頂上への道はあまり選びたくない。
馬にかかる負担が避ける道よりも遥かに大きいからだ。
父親が亡くなる前に買い替えた馬ではあるが、特に上質な馬というわけでもなく、歳のことも考えるとそろそろ無理はさせたくない。
先程無理して走らせていた奴が何を言ってるんだと言われそうだが、山の登り下りに関してはあんなものとは比べるまでもない程の無理を強いることになるのだ。
故に商人は黙って避ける道を行くべきであり、それが当然なのだ。
そんな事を考えながら進んでいると、丁度その分かれ道となる場所まで辿り着いた。
其処で俺は珍しいものを目にした。
「街灯少女……」
そう、丁度道が二股に分かれている地点に、街中の夜に必ずと言っていいほど目にする、白いロングコートに大きなランタンを持つ少女が其処にいたのだ。
突然の事で驚いてしまったが、別に珍しいだけで全く無いということはない。
街灯少女は基本的に街中や街道に現れ、辺りをそのランタンで照らす。
その事から街灯なんて言葉が付いているが、街灯少女にはそんな事は関係なく、こういった山道の分かれ道にて闇を照らす事もあるらしい。
らしいというのは、俺自身噂程度に聞いたことがあるだけで、実際に見るのは初めてだったからだ。
街中のように必ず現れるというものでもないらしく、こういった部分でも街灯少女の謎は多い。
しかし何でまたこんな中途半端な時間に。
俺はふと空を見上げると、確かに空の色は真っ赤なものから段々と黒が侵食していっているように見える。
それは夜かと聞かれると疑問が残り、街灯少女が現れる時間としては少々早い気がした。
街灯少女にも気紛れってもんがあるのかね。
俺は特に気にする事もなく今日は白、いや、透明な髪が光を反射してクリーム色っぽく見えている気もする、そんな見る角度によって多少違う不思議な髪色を持ち、また見ることとなった花の飾りの付いた髪留めをしている少女を横目に、決めていた通り右に避ける道へと進もうとした。
だが、それをする事は出来なかった。
いつの間にか、先程の街灯少女が俺の行く道を塞ぐように道の真ん中で突っ立っていたのだ。
街灯少女が持ち場を離れるなんて聞いたことのなかった俺は驚愕し、どういう事だと上手く働かない頭で考えるが、元より考えても理解出来ない存在の事、驚きにより普段よりも格段に落ちた思考力で明確な答えが出るわけもなく、俺は次第に思考を中断し、落ち着きを取り戻して行く。
今問題なのは目の前にいる街灯少女自体ではない。
どうすれば其処を通ることが出来るのかだ。
……いや、もしかしたらそれ自体が間違いなのか。
俺がこっちの道を通ろうとしているから、ここを塞いでいるとでもいうのか。
何故、という疑問はこの際捨てておこう。
まずは確認してみるべきだ。
俺は街灯少女から目を離さず、馬車の向きを頂上へと向かう道に向ける。
まだ、街灯少女に動きはない。
それを確認した俺は一瞬だけ街灯少女から視線を逸らし、再び視線を向けた時、街灯少女は元いた場所に戻っていた。
つまり、俺の予想は当たっていたということか。
街灯少女が何故あちらを通してくれないのか。
その時の俺には知る術もなく、それを理解する事が出来たのは、俺が頂上を通り隣街に着いてからであった。
結論から言えば、俺は街灯少女に命を救われた事になる。
隣街に着いたのは完全に太陽が眠り、月が天高く輝いている頃であった。
こんな時間になってしまえば宿を取ることも難しいかもしれないと心配しつつ到着した俺の荷馬車に、いきなり駆け寄って来る人がいた。
俺は何事かと驚いたが、よく見ればその人は街の住人ではなく、街で俺が話を聞いていた商人であった。
しかしそんな人が一体何のようだ。
訝しむ俺の表情など気にする事なく、商人は俺に息を荒げて問いかけて来た。
あいつはどうなっていた、と。
あいつ、というのが分からなかったが、予想するに恐らくこの商人と一緒にいたもう一人の商人の事であろう。
だがそいつに関して何故俺が知っているというのだ。
二人は俺よりも先に出て、先にこの隣街に着いている筈であろう。
商人は俺の疑問に対し、顔を伏せながら簡潔に答える。
熊に襲われた、と。
大きな、見たこともないような巨大な熊であったという。
普通の熊の倍以上、もしかすればもっとあったかもしれないと商人は話す。
そしてその話の中で俺は戦慄を覚えた。
その被害に遭ったのが、山道を右に避ける道であったと聞いて。
この時、俺は漸くあの不可解な出来事を理解する事が出来た。
いや、理解なんてものではない。
これはきっと俺の勝手な思い込みであるだろう。
しかし、俺はもしかすれば、街灯少女に救われたのではないかと信じる事にした。
何故街灯少女がそんな事をしたのか、俺には全く見当も付かないが、俺はこう考えるようにした。
髪留めを気に入ってくれた街灯少女の、ほんの些細な気紛れ、恩返しのようなものだったのではないだろうか、と。
目を覚ますと、私は木々の生い茂る中にいた。
忘れもしない、あの時の山道の途中である。
どうやら私はいつの間にか眠ってしまったらしい。
何度見たかも分からないほど、私はあの時の夢を見た。
自分という人間が、ここまで義理堅い奴だとは思いもしなかったが、私はもう一度、あの花飾りの付いた髪留めをしている街灯少女に会いたかった。
会って、礼を言いたかった。
君のお陰で、私は生きて来られたと。
ただそれだけを伝えたいが為に、あれからの私は商人を続け、各地を旅していたようにも思える程だ。
姿形など気にしない。
ただ、あの唯一の目印である髪留めを着けた街灯少女に会いたかった。
何年、何十年と想い続けた。
もう私も歳だ。
いつ迎えが来てもおかしくはないだろう。
それ故に、私は少々焦りを感じていた。
このまま死んでしまっては、死んでも死に切れない。
亡霊となって、この世を彷徨ってしまうかもしれない。
折角、あの時よりも稼げるようになり、あの少女の為にと買っておいた、綺麗な銀細工の髪飾りも無駄になってしまう。
一応息子達には、もし髪留めをした街灯少女に会う事があれば連れて来いと無茶なお願いをしているが、あの子達がどれ程私の話を信じているかも怪しいところだ。
随分体の節々も弱り、老体にはこの差ほど険しくない山道であっても辛いものがある。
ゆっくり、ゆっくりと歩を進めていくと、あの二股の分かれ道へと辿り着いた。
いつもならばここで目が覚めてしまうのだが、私の想いが夢にまで影響を及ぼしたのか、夢はまだ続いていた。
珍しい事もあるものだ。
あの時も、そんな事を思った気がする。
しかし夢の中とはいえ、今は太陽が昇っているらしく、とても明るい。
そんな中、彼女が現れてくれるとも思えなかったが、なんと都合の良いことか。
いや、珍しい事もあるものだ。
「久し振り、私……いや、俺の事を覚えてくれているか」
問い掛けるが、当然彼女からの返事はない。
夢ならば、声くらい聞かせてくれたって良いではないか。
あの時と変わらない、不思議な髪色の少女。花の飾りが付いている髪留めを着け、いつも通りの白いロングコートに大きなランタンを持つ少女。
夢とはいえ、再び会えた事に俺は嬉しさを隠し切れず、いつの間にか年甲斐もなく涙を流していた。
「君のお陰で、生きて来られた。嫁が出来て、子供が出来て、今年なんて三人目の孫の顔を見る事が出来た。母親よりも先に死ぬ事なく、孝行も出来た。君にはいくら感謝しても足りない。今の俺があるのは、家族があるのは、全て君のお陰だ。だから、ありがとう」
歓喜のあまり、俺は少女に抱きついてしまっていた。
抱き締めれば折れてしまいそうな、か細い腰に腕を回し、感謝の気持ちの分だけ強く、強く抱き締めてしまっていた。
正常な思考が戻った時、俺は恩人になんて事をしているのだと自覚し、少女から離れようとすると、今度は逆に少女が俺の腰に手を回し、抱き締めた。
思いもよらなかった少女の行動に俺は戸惑い、如何すればいいのか分からなくなってしまった。
取り敢えずこの状況では離れるのは失礼になるだろうと考え、少女が次の行動を起こすのを待った。
すると更に俺が驚愕する事になった。
「傘を、ありがとう」
街灯少女である彼女が、喋ったのだ。
俺はその見た目通りに少々舌ったらずな口調や、少女独特の鈴が鳴ったような高い声を聞き、胸の奥が熱くなる思いだった。
顔は俺の胸に埋めており、ほんのりと少女の温もりが感じられる。
表情を確認出来ないのは残念であるが、チラリと髪の隙間から顔を出している小さな耳が赤くなっているのを見れただけで満足するとしよう。
「髪留めも、ありがとう」
不思議な感覚であった。
俺が傘と髪留めをあげたのは赤い髪の少女であったのに、俺を助けてくれた目の前の少女がお礼を言っている。
俺としては君からは礼を言われる覚えなどないのだが、これも街灯少女の謎という事であろうか。
「他にもいっぱい、ありがとう」
「え……」
他にも、とは如何いう事か。
いや、分かっている、俺は、分かっている。
だが、何故この子が知っているというのだ。
街灯少女に命を救われて以来、俺は恩人であるこの子を探していた。
しかし噂通り同じ少女と出会える事はなく、気落ちしていたのだが、何もしないというのはまた気分が悪かったので、俺は出会った少女に、いつも何かをしてあげていた。
高価な物は無理であるが、装飾品の類を扱う商人の俺には常に売れ残った商品があった。
在庫処分、と言われてしまえばそれまでだが、二束三文にもならない金で叩き売るくらいであれば、街灯少女への贈り物として残しておいた。
あれ以来食料品、主に保存食であるが、それを扱っていた俺は、装飾品の類が無い時には空腹など感じるのかも疑問であったが保存食を少し分け与えてあげた。
雨の日は、いつも傘を貸した。
雨の日毎に傘を一本消費するのは経済的に厳しいと思いながらも、俺は濡れるのは嫌だろうと貸してあげた。
しかしその心配もなく、次の日には貸した場所に立て掛けられていた。
本当に何も無い時は、労いの言葉だけを告げた。
訪れた街の、全ての街灯少女にそんな事をしていたわけではない。
街中にも街灯少女はいっぱいいるし、その全てに何かをしていては俺は破産してしまう。
なので、俺はあの時のように、自分の泊まる宿に一番近い街灯少女に対してのみ、そういった事をしてきた。
恐らく、目の前にいる少女の言う、他にもいっぱい、という言葉の意味はそれらの事を指しているのだろうが、何故この子がそれを見ていたかのように言うのだろう。
少女は俺の心を読んだかのように、その答えとなるのであろう言葉を告げる。
「私は、私達、私達は、私」
簡単に言えばそうなのであろうが、簡単に言い過ぎていて俺では少々理解出来なかった。
だが、これだけは分かる。
彼女の言葉は、他の街灯少女達の代弁でもあるのだと。
少女の言葉がそのまま、俺が出会って来た少女達の気持ちを表しているのだと。
そうなのであれば、俺がわざわざこの子を探す必要はなかったのではないかとも思えた。
どの街灯少女にお礼を言っても、結果的にこの子にも伝わるならば、俺の行為に意味はあったのだろうか。
……なんて、俺自身がその答えを持っているのに何をトチ狂った考えをしているんだか。
俺は自分のバカな考えを振り払うために両手で頰を叩き、気持ちを切り替えて自分の懐を探る。
こんな不思議な夢を見ているのだ。
ならば、あれを今俺が持っていても不思議じゃない。
目当ての物は、すぐに見つかった。
確認してみたが、間違いなく俺がこの子の為にと肌身離さず持ち歩いていた銀細工の髪飾りだ。
「君に、ずっと渡したかった」
銀細工に髪飾りを少女に着けてやる。
その際、今まで着けていた髪留めは外し、それは俺が持っておくことにした。
この子に、再び会えた記念に。
銀細工の髪飾りは、思っていた通り、彼女にとてもよく似合った。
それはそうだ。
これは、あの熊肉の利益を全て注ぎ込んで、彼女のためにと、有名な銀細工師に作らせた物なのだから。
「また、貰った」
「代わりに髪留めを貰うよ」
「元は、貴方の」
「良いんだよ、土産が無いんじゃ寂しい。両親に、自慢して来るさ」
「もう、逝くの」
「あぁ、最期に、君に会えて良かった」
「……」
俺の言葉を最後に、彼女が喋ることはなかった。
ここら辺が潮時だろう。
夢とは、いつか覚めるものだ。
それがもう、すぐそこまで来ているに過ぎない。
思い返せば、良い人生だった。
俺の人生の中で、最も重要な分岐点であるここが、最期に訪れる場所だというのは、まるで運命なのではないだろうか。
街灯少女は闇を照らす。
もしかしたら、彼女たちはもっと別の闇を照らしてくれる存在なのかもしれない。
そんな世迷言を考え付いてしまう辺り、やはり俺ももう年なのだろう。
去り際くらい、未練なく、綺麗に逝きたいものだ。
俺は最期に一つだけ、答えてくれるかは分からないが、彼女に対して質問した。
「頂上へ向かう道で良いかい」
最期に見た、不思議な少女は、満面の笑みで答えてくれた。
ある所に、昔商人をしていた男が住む家があった。
男は夫婦で住んでおり、子供は既に家を出て、余生を静かに過ごしていた。
男は常日頃、街灯少女を気にかける可笑しな者であった。
何でも街灯少女に命を救われたことがあるとか。
その街灯少女は花の飾りの付いた髪留めをしているという。
皆男の話を信じておらず、何を馬鹿なと笑い者にする者もいた。
そんなある日、男は眠っている内に息を引き取った。
妻である女は泣き、近所に住む住人も少なからず涙を流した。
男の葬儀は簡単に行われた。
元々妻とはそういう約束を交わしていたそうで、近所の者が集まり、花を手向け、牧師による鎮魂が行われた。
最後に皆が別れの言葉を告げる中、見覚えのない少女が男の傍に膝を着き、手を取った。
美しい銀細工の髪飾りを付けた少女は何かを話す事もなく、ただただ男の手を握り、離れる際に花の飾りの付いた髪留めを棺桶の中へ入れて去って行った。
友人との帰り道、街灯を見ていてふと思い付き書き殴った話なので、拙い部分もあったかと思いますが、読んでいただきありがとうございました。