7話 縮まる距離
ウィリアムが男色家ではなく、戦地でのプラトニックラブが忘れられないロマンチストだったという衝撃的な事実を知ってから、もう二週間が経った。
あれから、ウィリアムは頻繁に屋敷に帰ってくる。そして必ず、ロザリンドと食事をするのだ。まさに有言実行。その生真面目さには関心する。
(わたしなんか、放っておけばいいのに。優しいね、旦那様)
憂わしげに息をつくと、向かえのテーブルに座る旦那様の眉間に皺が寄る。なんだか、マッチでも挟めそうなぐらい深い皺だ。
「ロザリンド、食欲がないのか?」
「ううん、旦那様。おいしい朝食だと思う。ちゃんと、味もするし」
新鮮な野菜とカリカリベーコンのサラダは瑞々しく、サッパリとしたドレッシングのおかげで朝からたくさん食べられるおいしさだ。メインのフレンチトーストだって、とろりとした食感とシナモンの風味が絶妙だ。一つ難点を言うのなら……
「ただ、ナイフとフォークを使うのが面倒。腕、疲れた」
基本的にロザリンドは軟弱なのだ。
「……この間、リンゴを食べさせてくれと言ったのは、それが理由だな……?」
(あ、見破られた)
ロザリンドはウィリアムからさりげなく視線をそらし、恥じらう乙女のように頬を染め、顎に手を当てる。
「旦那様。貴族の女性は、薬さじよりも重いものは持てないの。これ常識」
「そんな常識あるかぁああ!」
ウィリアムは青筋を浮かべながらロザリンドを叱った。
怒ったウィリアムは、とても怖い。子供ならば、100人中100人が裸足で逃げ出す迫力だ。しかし、彼の中身を知っていれば、問題はない。なんて言ったって、死人の少女を今でも思い、ロザリンドのような変人を妻の地位に置いて尊重してくれるぐらい、優しくて面倒見のいい人なのだから。
(でも、旦那様がこれから誰かを心から愛することはないんだろうな)
死人は美化される。それがたとえ意地が悪くて、生活力のないどうしようもない人であっても、死んでしまえば心に残るのは、いい思い出だけ。すべてが尊い宝物になるのだ。ロザリンドはそれをよく知っている。
ましてウィリアムは、死人の少女を『聖女』と呼ぶぐらいだ。とても純粋で清らかな少女で、欠点など見つからないような、おおよそ人とは思えないほどの傑物だったに違いない。ウィリアムはそんな少女と恋に落ちてしまったのだ。とてもじゃないが並大抵の女性では相手にもならない。
もちろん、ロザリンドなど論外。自分が女性という枠から大きくはみ出していることなど、承知済みだ。
「……ロザリンド。今日の私は非番だ。君の研究を視察したいと思う」
「視察……?」
「普段の君を見せてもらえればいい」
「分かった」
何にせよ、研究が止められる訳では無いのならば、ロザリンドが断る理由はない。朝食を取り終わったロザリンドとウィリアムは足早に離れ家へと向かうのだった。
♢
「うっ……なんだ、この強烈な臭いは……!」
離れ家に入って開口一番、ウィリアムは鼻を摘まみながら言った。ロザリンドからすれば、この程度の臭いはエレアノーラ国学院の研究棟に居たときに比べれば序の口だ。あそこは、幾人もの研究者たち生みだした強烈な臭いが混じり合った、それはそれは恐ろしい腐りきった場所だった。あの臭いに慣れるのに、ロザリンドも1年はかかった。
「我慢して、旦那様」
それしか解決策はない。
「……うむ」
ウィリアムは顔を青くさせる。しかし、屋敷に戻るでもなく、ウィリアムもロザリンドの後ろを懸命に付いてきた。ロザリンドはそのまま研究室へと直行する。
そして研究室の中に入ると、ロザリンドはくるくると回転し手を大きく広げた。
「ここが……わたしの楽園! どう、素敵でしょう?」
「あ、ああ……そ、そうだな……」
何故か歯切れの悪いウィリアム。しかし、ロザリンドはそんな細かなことを気にしては居られない。
(研究しなきゃ!)
時間は有限だ。ウィリアムがロザリンドに定めた一日の研究時間は5時間だけ。本当はもっと研究したいが、ウィリアムが忙しい中、頻繁に屋敷に帰ってロザリンドと一緒に食事をしてくれる手前、自分だけ約束を破るようなことをしたくなかった。
白衣を着て、手袋を装着すると、ロザリンドはやりかけの実験を再開することにした。あらかじめ分量を量っていた材料を鍋に次々と入れていく。
「これはなんだ、ロザリンド?」
ウィリアムが発芽した豆のような乾燥キノコを摘まんで言った。
「冬虫夏草を乾燥させたもの。簡単に言うと昆虫に寄生したキノコ」
「な、何ぃ!?」
ウィリアムが摘まんでいた冬虫夏草がぽとりと鍋に落ちる。
(手伝ってくれるのかな?)
ウィリアムは本当に優しい旦那様だとロザリンドは再確認した。
「旦那様。竜骨を取ってくれる?」
「竜骨……? 竜とは、架空の生き物ではなかったのか!?」
少年のように期待に満ちた瞳をウィリアムはロザリンドに向けた。
(旦那様、こんな表情もできるんだ。新発見)
「夢を壊すようで悪いけど、竜骨は竜じゃない。動物の化石のこと」
「化石? そんなものも薬の元となるのか……」
そう言えば、初夜のときに旦那様に教えた薬の材料は、身近で取れる薬草類が多かった。冬虫夏草のように希少なものや、動物性の材料は珍しく思うのだろう。
「その黒っぽい炭みたいなのが竜骨。出来れば、このナイフで削って入れて欲しい」
「承知した。危ないから、ロザリンドは下がっていなさい」
ウィリアムはロザリンドの渡したナイフで竜骨を削り始める。初めてとは思えないほどにウィリアムの手際は良かった。
(さすが軍人! 刃物の扱いは一流!)
ロザリンドは別室に引かれている水道から水を桶いっぱいに汲んでくると、ヨタヨタと危なげに歩きながら運ぶ。それを見かねたウィリアムが研究室の入り口に来たところで、ロザリンドの代わりに桶を軽々と持ち上げた。
「ありがとう、旦那様」
「君は危なっかしいな。いつも一人ですべての作業をしているのか?」
「うん。この家の使用人たちは、みんな仕事熱心だから、きっとわたしの代わりに動いてくれると思う。でも、今日は扱ってないけど、毒物を扱うときもあるから……万が一、危ない目には遭わせたくないの」
素人が触れると危険な物が、わんさかこの離れ家には置かれている。毒と薬は表裏一体。毒は扱い方を変えれば薬にもなるし、薬だって間違った使い方をすれば毒になる。……それは制作者も同じことだ。
「……今作っている薬は、どんな効能があるんだ」
「回復薬。鎮痛作用があるの。不眠にも効く。今日作っているのは、通常よりも効能を上げただけのものだから、失敗はないはず。……あ、旦那様。桶の水を鍋に入れて」
ウィリアムが鍋に水を入れるのを確認すると、ロザリンドはマッチを擦って竈に火を入れた。今回使っている鍋は小ぶりなので、すぐに沸騰するだろう。
「どのくらい煮込むんだ?」
「1時間……はかからないかなぁ。たまにかき混ぜて、全体的に茶色く濁ったら完成」
「意外と早いな」
「6時間煮込んで作る薬とかもあるけど、それは疲れるからあんまり作らないね……っと、あったあった」
ロザリンドは棚をから細長い箱に入っているブランデーケーキを取り出した。使用人たちが万が一、ロザリンドが餓死してしまわないように作ってくれた、とっておきの保存食だ。
(ブランデーってお酒だよね。アルコールって消毒で使うけど、口に入れたことは無いな)
お酒は貴族の嗜みだ。貴族であれば、10歳を過ぎた頃から訓練と称して徐々に飲み始める。しかし、貴族社会から意図的に距離を置いていたロザリンドは、お酒を飲んだことが無かった。それに自分の師匠だったファリスが酒乱であったことも大きい。あんな風にはなりたくないと何度思ったことか。
(ま、所詮お菓子だし、大してアルコールも入っていないよね)
「回復薬が出来上がったら、お茶にしよう。旦那様、甘い物は……好き?」
ロザリンドは首を傾げながらウィリアムに笑顔を向けた。