52話 混沌の魔女 後編
ロザリンドは見晴らしのいいテラスの上から冷静に戦況を分析する。
「ぐぁっ!」
閃光に目を潰され、ベルニーニの軍人が数人顔を背けた。
その瞬間ウィリアムは剣を振り下ろし、確実に敵を再起不能にする。
「さすが、ウィリアム様。シリウス、次は三歩左、鏡は二十五度上向きに」
「はいはい」
閃光といってもタネは簡単だ。
小規模な爆炎により派手な登場をして注意を引きつけ、ロザリンドの背後にいるシリウスが特大の鏡で太陽の光を反射させて、目眩ましをする。
少しでも味方の援護になればと思ったが、ウィリアムは予想以上にロザリンドの意を汲み行動してくれた。
「……さすが夫婦。息ぴったり」
「姉上、惚気るのは後にして次ぎにいって……!」
「分かったよ、シリウス」
ロザリンドは口を尖らせつつも頷いた。
誘拐犯たちが使った抜け道を使ってロザリンドとシリウスは秘密裏に屋敷へ戻った。自分たちの役目は陽動と時間稼ぎに過ぎない。
後は分断されて門の外で戦うウィリアムの部下たちにセレスとランベルトたちが加勢して、皇太子派たちを挟み撃ちにできれば作戦成功だ。
「我が魔術の深淵を見るがいい。……えいっ」
横柄な態度を意識しながら慣れない言葉を使うと、ロザリンドはどす黒い色の試験管を噴水へ放り投げた。
試験管はパリンッと音を立てて割れて水に溶けていった。
すると一気に噴水は血のような赤に染まり、ごぽごぽと煮えたぎる溶岩のように大きな気泡が次々と浮かんでいく。
「何だ!?」
「何をした、混沌の魔女め……!」
魔女と畏怖と侮蔑を込めてベルニーニの軍人が叫ぶ。
(……本当に私ってベルニーニでは魔女って呼ばれているんだ)
彼らは戦時中、あらゆる毒物を使ってフランレシアを苦しめてきた。初めの頃の戦績は、ベルニーニ神国側の有利に働いていたという。
だが、黄金の錬金術師によって毒物が攻略されていくと、次第に戦局は変化していく。一進一退の攻防の中、黄金の錬金術師の暗殺にベルニーニは成功する。これでまた有利になるかと思えば、ウィリアムたちフランレシア軍人の活躍によって王は討ち取られ、皇太子は捕虜となる。
そして――ベルニーニは、戦局を変える原因となった黄金の錬金術師に恐れを抱く。優れた薬師は恐ろしい毒物の開発者たり得るからだ。
だが所詮は故人。もう苦しめることはないと思っていたところに、クリスティーナからの情報がもたらされた。
(……ベルニーニ神国の誤算は、死んだのはわたしじゃなくて、ファリスだったことだね)
ロザリンドがいくつもの解毒薬を開発した黄金の錬金術師だということは、ベルニーニ神国の中でも一部の者たちが知るところとなった。
そして彼らはクリスティーナを使ってロザリンドを手に入れようと画策する。しかしそれは失敗し、さらには死灰毒の解毒薬までも開発されてしまった。
だから、彼らはロザリンドを混沌の魔女と呼ぶ。
いつか自分たちがやったように、未知毒で蹂躙されるのではないかと恐れているのだ。
「わたしはただ、お前たちが踊り死ぬ様を見たいだけだよ。戦争に負けただけでは満足しなかったようだしね?」
陽動とはいえ、死を望む言葉を紡ぐことはロザリンドの心に負荷をかける。
しかし、ロザリンドは混沌の魔女を演じなくてはならない。自分ほど彼らを引きつけられる囮はいないのだから。
故にランベルトは身も名誉も汚すことができるかと問うたのだ。
愛する者たちのためならば、泥を被ることも厭わない。その覚悟すらない者に自分の私兵を貸し、信頼することは不可能だ。
「やめろ、やめろ……!」
「皇太子殿下の命だ! 祖国のため、魔女とそれに連なる者たち、そして王太子を殺すのだ……!」
彼らの目が怒りと忠誠心に燃える。
怖いほどに真っ直ぐなその視線は、正しいのは彼らで間違っているのはロザリンドだと責めるかのよう。
軍人の一人が、ロザリンドに向けて槍を投擲しようと構える。
「させるか!」
だがそれは動き半ばで、ウィリアムによってはじき飛ばされた。
「妻が頑張っているのに、夫の私が腑抜けでいられるか」
ウィリアムは剣を握り直すと、俊敏さと鋭さで敵を斬り伏せていく。
その姿はまるで、戦場を駆ける黒狼だ。
「……ウィリアム様」
ぎゅっと胸の前で手を組みながら、ロザリンドは伏し目がちに愛する夫の名を呟いた。
そして気づいてしまった。
噴水の色が血のような赤から、黄金色に変わっていることに。
「……どうしたんだよ、ソワソワして」
「え、なんでもない、けど?」
訝しむシリウスにそう答えたが、ロザリンドの注意は噴水へと向いてしまう。
噴水に投げ込んだ液体は、水に薄めて使う消毒薬である。
薄めた直後に温度が急上昇してしまうことが欠点ではあるが、水さえあれば少量の液で多量の消毒薬をつくれる中々に便利なものであった。
(なんで、どうしてあんな色になっているの!?)
あの消毒薬が黄金色になるなんて、検証実験では出なかった結果だ。
噴水の水に何か色を変えさせるほどの成分が含まれているのか、それともまた別の要因により色が変わったのか、とても気になることである。
だが、ロザリンドが一番したいことは……
「ああもう! 我慢できない!」
ロザリンドはそう叫ぶと、太ももに括り付けてあった青色の試験管――試作品の鎮痛剤を取り出した。
そしてそれを噴水へと投げ込む。
再びパリンッと試験管が割れる音がしたかと思うと、噴水がみるみるうちに毒々しい紫に変わっていく。
そしてもくもくと薄紫色の霧を周囲に発生させた。
「……あ、失敗した」
予想では効能が混じり合い、痛覚を刺激しない消毒薬が出来上がるはずだった。
しかしあの毒々しい液体がそんな素晴らしい代物には到底思えない。
「口を覆うんだ……!」
誰が言ったのかは分からない。
敵も味方も関係なく、全員が口を布で覆った。
「何してくれてんだよ、姉上ぇぇえええ!」
「だって、そこに未知の知識があったから!」
「言い訳にならねーよ!」
シリウスは姉の襟首を掴み、全身全霊を込めて揺さぶった。
「ううっ、目がぁぁああ」
呻き声を聞きちらりと様子を窺えば、口ではなく目を押さえている人が多い。
そして風に乗ったのか、ロザリンドの行動に慣れていたのかは知らないが、ベルニーニ側の被害が甚大のように思える。
「だ、大丈夫、目にすこーし染みるだけだから。ちょっと刺激が強い消毒薬。失敗は成功の母。頭隠して尻隠さず?」
「意味わかんねーから!」
ロザリンドも少し混乱していた。
ますます噴水の水の成分が知りたくなってくる。
「我が名はランベルト・ベルニーニ! ジェイラス・フランレシア王太子殿下の加勢に参った!」
分断されたウィリアムの部下たちが、ランベルトと共に現れた。
そして咽び泣きながら地面を這いつくばる皇太子派の軍人たちを見て、頬を引きつらせた。
「黄金の聖女の加護は我らとランベルト殿下にあり! 祖国を滅ぼさんとする愚か者共を捕らえよ!」
動揺を感じさせないジェイラスの高らかな声と共に、セルザード伯爵家襲撃事件は終焉へと向かったのだった――――




