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狼侯爵と愛の霊薬  作者: 橘 千秋
第二章
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51話 混沌の魔女 前編



 ウィリアム断続的に放たれる矢を弾きながら、狼のように素早くジグザクに駆ける。

 そして敵の矢がウィリアムに向けて放たれた瞬間、ラッセルが器用に小型のナイフを射手へと投げつけていく。



「……はぁっ!」



 幾人かにナイフは刺さったが、致命傷とは言えない。

 剣を構えた軍人たちが前に出て、ウィリアムの首を取らんと剣を振りかぶる。



「……嘗めるな」



 ウィリアムは剣撃をいなし、敵の足や手に深手を負わせていく。



「お前たちはヴァレンタイン侯爵の援護とジェイラス殿下の護衛だ!」



 ギクラスはそう叫ぶと、屋敷を守る兵士へと変わった使用人たちに指示を出した。

 使用人たちは規則正しい動きでそれに従っていく。



「ここでは矢で狙い撃ちになりますわ。ウィリアムたちが引きつけているうちに、徐々に後退し、できるだけ屋敷の近くへ。援軍がくるまで持ちこたえますわよ」


「やれやれ、これだから王族は面倒だよ」


「嘆くのはすべてが終わってからにしてくださいまし!」



 ジェイラスとオーレリアは、セルザード伯爵の使用人たちを盾にしながら、シャーリーとルカを連れてジリジリと後ろに下がっていく。



(……要人が正しく守られてくれると動きやすいな)



 ウィリアムは剣を握り直し、少しでも敵を潰そうと眼前を見据える。

 すると、視界の端に栗色の髪が靡くのが見えた。



「……セルザード伯爵は下がっていてくださっていいのですよ」


「戯言を。ここは私の家だ。襲撃者と客人を会わせる訳にはいかない」



 そう言って、ギクラスは剣を抜いた。



「……助けられませんよ」


「構わない。この程度の窮地、昔ならば日常茶飯事だった」



 ギクラスは襲ってくるベルニーニの軍人を一人、迷いなく斬り伏せる。

 その動きは突発的なことにしては流れるように美しく、彼が細身な外見とは異なり、戦い慣れしていることを示していた。



「文官だったとは思えないっすね」



 ラッセルはゴクリと喉を鳴らした。

 ウィリアムはギクラスの隣に並び立つと、敵を斬り伏せながら問いかける。



「先ほどは随分な怒りようだったが、貴方はどこまで知っている……!」


「逆に聞くが、ヴァレンタイン侯爵は女王をどこまで知っている?」


「……良き執政者だと思うが」



 戦争に勝ち、復興を進め、順調に国力を回復させる手腕など、客観的に見て女王は良き執政者と言えよう。

 しかし、ギクラスはそう思っていないのか、眉間の皺を深くさせる。



「何も分かっていないな。アイツはとんでもない俗物の強欲女だ。貴殿とジェイラス王太子殿下がここに来たことも偶然ではあるまい」


「ジェイラスが死んでも構わないというのか」


「……この程度の窮地を脱せない者に王たる資格はないということだろう。言わばこれは試験だ。ジェイラス王太子殿下とその駒たち、そして……私にまだ価値があるのか知るための……!」


「試験、か」



 なんて大がかりな試験だ。

 息子の命も国の将来も、女王は自分の理想のためならば容易く天秤に乗せる。ウィリアムは欠落した思想に恐怖を抱く。



「……もしや、ロザリンドとシリウスの誘拐も……?」


「ふたりには試験を受ける必要はない。誘拐という体で遠ざけられたのだろう。ロザリンドは既に唯一無二の価値を見出しているし、シリウスは私がいなくなったときの都合の良い代替品だ。子どもだけに、あの女の思想に染まりやすいしな」


「……そこまで……考えているというのか」


「エレアノーラはどこまでも用意周到だ。貴殿とロザリンドの縁を結んだ手腕を忘れてはおるまい」



 女王は聖女を失った喪失感に満ちたウィリアムのやる気を仕事へと向かせ、やがて軍務大臣と侯爵の地位が盤石になるとロザリンドを娶らせた。

 それらはウィリアムへの褒美とも思えるが、もしもウィリアムに利用価値がないと見れば、ロザリンドを別の男の褒賞として嫁がせたに違いない。

 何故なら、耽美的で危殆な宝石を一番手放したくなかったのは、女王に違いなかったのだから。



「元側近の言葉は身に染みるな……!」



 ウィリアムは規則的に弓矢を弾き、剣を振るう。

セルザード伯爵の使用人たちが援護してくるが、相手は現役の軍人が数十人。戦局は厳しく、このままでは先にウィリアムたちの体力が尽きてしまいそうだ。



「防ぐので精一杯か」


「屋敷に籠城する手は使えるだろうか」



 もはや、ウィリアムとギクラスの間に敬語はない。

 戦場で命を預け合う者に言葉を飾ることなど不要だ。



「……女王が一枚噛んでいるならば、屋敷の見取り図までも把握している可能性が高い。下手に籠城して嬲り殺しに遭うのは御免被る」


「確かに。だが、余程私たちは憎まれているようだ」


 ベルニーニの軍人たちの攻撃は、まるで命がけの特攻ように危機迫るものを感じる。

 怪我をすること、死ぬことなど考えず、憎悪の感情を剣に込めて斬りかかってくのだ。



(……まるで洗脳されているようだな。戦争の負の遺産か)



 ウィリアムは薄ら寒さを感じながらも、冷静に攻撃を躱していく。



「……ここは黄金の聖女の生家で、次期フランレシア王と二人の英雄がいるのだ。戦争に未だ取り残されたベルニーニの亡霊たちには、うまい餌にしか見えまい」


「私怨か。狼を餌と思うとは、生意気な亡霊だ……!」



 ウィリアムとギクラスが中心となって剣を振り、使用人たちが弓矢や槍で援護する。

 統制のとれた攻撃だったが、やはりあちらの方が人数も多く、拮抗するのがやっとだ。



(……何か、戦いの流れを変えるものがあれば……!)



 ウィリアムの中で、焦りが生まれていた。

 ジェイラスを守り切り、恐怖で震えているであろうロザリンドを救い出したい。それなのに、目の前の敵は手強く、思い通りにならない。

 徐々に摩耗していく精神力。

そして僅かに集中力が途切れた時、ウィリアムの眼前には敵の放つ銀の刃があった。



「……チッ」



 腕一本持って行かれる覚悟で刃を受けようとすると、背後から断続的に小さな爆発音が聞こえた。


 ――パンッ パンッ パンッ


 目の前の敵も、ウィリアムも、ギクラスも、ジェイラスたちも、皆が動きを止めて振り返った。

 色とりどりの煙幕に視界が覆われる。

 しかしそれらの効果は風によってすぐに立ち消え、代わりに屋敷のテラスにいる黒い人影が現れた。



「誰だ……!」



 ベルニーニの軍人の一人が、その黒い人影に向かって叫んだ。


 ウィリアムはてっきり挟み撃ちにされたのだと思っていたのだが、そうではないらしい。

 味方の増援にしては早すぎるし、こんな突飛な登場をする部下はいない。



 黒い人影は大きな布に包まれていたが、突如、その布が取り払われる。

 そして聞こえたのは、女のあざ笑うかのような甲高い罵り。



「うふふっ、馬鹿な実験動物たち。籠に囚われたことも知らずに踊っているなんて、滑稽だね!」


 現れた女は美しい金髪を風に靡かせ、神秘的な琥珀色の瞳をらんらんと輝かせていた。

 黙っていれば人形のように精巧な顔立ちも、華奢でやわらかな肢体も、思わず吸い付きたくなるような薔薇色の唇も、その言動がすべてを台無しにする。

 見覚えがあるなんてものではない。彼女はウィリアムのただ唯一の愛する女性、現在囚われの身となっているはずの妻、ロザリンドだった。



 色 々 と ツ ッ コ み た い こ と が 多 す ぎ る ん だ が !



 ここが戦場でなかったら、ウィリアムは頭を抱えていたに違いない。

 今すぐにでも危なっかしい彼女に駆け寄りたい衝動を必死に堪えるが、ロザリンドはそんな夫の内心など知らず、欄干に登ると実に楽しそうに名乗りをあげる。



「ふぁっははは! わたしの名はロザリンド・ヴァレンタイン。三度の飯よりも血肉が大好きな狼侯爵の伴侶にして、混沌と実験を愛する魔女なり!」



 混 沌 と 実 験 を 愛 す る 魔 女 っ て な ん だ ! ?



 ロザリンドは「フッ、決まった!」と言いながら、腰に手を当ててふんぞり返った。



「混沌の魔女だ……!」


「なんて禍々しい……! やはり人ではない。祖国のためにうち滅ばさなければ……!」



 フランレシア勢がぽかーんと口を半開きにする中、ベルニーニ勢の空気は変わり、まるで恐怖に凍り付いたかのように戦々恐々としている。



「わ、私は血肉など好きではないぞ! ご、誤解だ……!」



 いち早く立ち直ったのは、普段からロザリンドに振り回されっぱなしのウィリアムだった。

 しかし残念なことに、ウィリアムの言動に心を配る者は皆無である。



「貴様らのような矮小な存在など、わたしの魔術で蹂躙してくれるわ!」



 そう言ってロザリンドが片手を上げると、眩い閃光が弾けた。



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