49話 誘拐 前編
ぼんやりとした意識が、徐々に覚醒へと向かっていく。
「……ん、やわらかい……?」
ロザリンドは重い瞼を瞬かせ、のっそりと起き上がった。
そこは見慣れない部屋で、自分は清潔なシーツの敷かれたベッドに寝かされていた。
「え、と……何があったんだっけ……」
くらくらと揺れる脳を必死に回転させ、ロザリンドは思考を働かせる。
(……確か、セルザード伯爵家の庭でアルド子爵と話していたら、シリウスが現れて……そしたら、アルド子爵が倒れて、変な臭いの布で口を押さえつけられて……)
――自分たちは攫われた。
それを認識したロザリンドは、すぐに起き上がろうと身体に力を入れる。
しかし、まだ毒が残っているのか、思うように身体は動かない。
「シリウスは!?」
ロザリンドが攫われたということは、あの場にいたシリウスも危険に晒されたということだ。
彼に利用価値がなかった場合、殺されている可能性もある。
心の奥がすぅっと冷える。すると、モゾモゾとロザリンドの隣でブランケットが動く。
「……むにゃ」
「よか、った……」
そこにいたのは、あどけない顔で眠るシリウスだった。
どうやら一緒に連れ去られたらしい。
「……とにかく、現状を把握しないと」
ロザリンドもシリウスも傷一つなく、着衣の乱れもない。拘束すらされていなかった。
それはつまり、生きたまま自分たちを利用するため攫ったということだ。
「……わたしの知識を狙った? でもそれならば、シリウスは人質としてわたしとは違う場所に隔離するはず」
部屋の中には見張りもおらず、随分とおざなりな管理だと言えよう。
ロザリンドは訝しみながらも、痺れる身体を動かして太ももに括り付けてある小瓶を取り出した。
そして中の解毒薬を一舐めすると、耐えきれず渋面を作る。
「うへぇ……さすがに原液は不味いね。でも、手持ちに効きそうな解毒薬があって良かった」
口の中の苦みは強烈だったが、溢れ出た唾液と共に数回嚥下すると次第に消えていく。
そして完全に苦みが消えた頃、漸くロザリンドの身体の痺れがなくなった。
「荷物検査すらされていないなんて……ドジな誘拐犯?」
ロザリンドは疑問に思ったが、考えるのは後回しにした。
今はシリウスを目覚めさせるのが先だ。
「……わたしは薬の耐性がついているからすぐ起きれたけど、シリウスは無理かもしれないね。かといって、薬が効くのは時間がかかりそうだし」
いざとなれば、眠ったシリウスを背負ってでも逃げ出す作戦を考えなくてはならない。
だが、意識のない人間はたとえ子どもだとしても、重心が定まらなく、運ぶことが難しい。それを非力なロザリンドが行うのは、不可能に近かった。
「……こんなことなら、ウィリアム様みたいに立派な筋肉を付けておくんだったよ」
ロザリンドは嘆きながら、シリウスの口の中に解毒薬を流し込んだ。
「……んびゃら、びゃっしゃんっ!?」
「あれ、生き返った?」
想定よりも早いシリウスの目覚めに、ロザリンドは目をぱちくりさせる。
シリウスは起きた途端、奇声を上げ、苦しそうに呻いた。
「口が……口がぁ! にが、にが、にががが」
「ふむ。身体はまだ上手く動いていないから、意識だけすぐ目覚めたんだ。そんな即効性のある物じゃないんだけど……」
「苦いからだ、ばかぁっ」
「強烈な苦みによる刺激は、意識を覚醒させることにも繋がるのかな? いや、でも今回はたまたま浅い眠りだったから? そうなると、深い眠りの中では刺激は意味を成さないものかもしれないし……」
「こんなときまで研究狂いかよ!」
「しっ、黙ってシリウス」
ロザリンドは彼を後ろから閉じ込めるように抱きしめて寝転んだ。
それと同時に、部屋の扉が開け放たれる。
「まったく、誰がこんなことを頼んだ……! 私まで眠らせて連れ去るとは!」
「そんなこと言いましても……俺たちに黙ってフランレシアに行った殿下が悪いんですよ。それに狐みたいに狡猾な女王に利用される前に、妃殿下と王子を連れだそうと……」
「そうだな、誘拐したのが愛する私の妃と息子ならば褒めて使わした。だが、お前たちが誘拐したのは、よりにもよって女王のお気に入りの黄金の聖女とその弟だぞ……!」
室内に、アルド子爵の怒声が響く。
どうやらロザリンドたちを誘拐したのは、アルド子爵の仲間らしい。
(……それにしても、今……アルド子爵を殿下って呼んでいたよね?)
ロザリンドは寝たふりをしながら、耳をそばだてる。
「ええ!? そんな……ちっさな子どもと、殿下好みの美少女の組み合わせだから絶対に妃と王子だと思ったのに……今すぐ元の場所に返してきましょうよ、ランベルト殿下!」
「犬猫のように言うな! まったく……このままでは、シャーリーとルカの居場所が分からないままだ……」
「シャーリー? ルカ?」
聞き覚えのある名前に、ロザリンドは思わず呟いてしまう。
「なんだ、もう起きていたのか」
起きていることを悟られたのならば仕方ない。
ロザリンドはのろのろと起き上がると、まっすぐにアルド子爵を見据えた。
「あれれ、新種の眠り毒だってのに、もう覚醒するなんて……」
部下の男が呆けた顔で言った。
「……ふーん、ベルニーニ神国はまだ懲りずに毒薬を開発しているんだ」
「余計なことを言うな」
「あいてっ」
アルド子爵はべしんっと部下の男の頭を叩いた。
ふたりはどう見ても初対面には見えず、ロザリンドは眉を顰めた。
「……ねえ、貴方は誰なの?」
そう質問を投げかければ、彼はニヤリと口角を上げた。




