5話 狼侯爵の幼馴染み
フランレシア王国王城の王太子執務室では、今日も熱烈な求婚が行われていた。
「オーレリア! 今日もなんて美しいんだ。僕と結婚してくれ。一緒にこの国を盛り立てていこうではないか! あ、でも僕のことを優先してほしい。オーレリアとイチャイチャしたい」
御年24歳のジェイラス・フランレシア王太子は跪き、一輪の赤い薔薇を愛しい女性に差しだした。艶やかに輝く朱金の長髪と優しげな群青色の瞳。凜々しさと甘さが合わさったような精巧な顔立ち。まさにジェイラスは麗しい王子様を体現したような男だった。
しかし当の求婚されている本人――オーレリア・スペンサー王太子補佐は机に座ったまま、書類仕事をしていた。羽ペンは動きを止める様子はない。軽快な筆音が執務室に響いている。
「嫌。毎日毎日、よく飽きないわね。馬鹿なことをやっていないで、仕事をしてくださいませんこと?」
オーレリアの眼は酷く冷たい。だが、ジェイラスはめげなかった。「また明日、求婚することにするよ」と残念そうに呟くだけ。
「お前たち……成長しないな……」
手のかかる年下の幼馴染みたちを見て、ウィリアムは深く溜息を吐いた。
「どこぞの狼侯爵みたいに、退化するよりマシですわ」
オーレリアは整った顔を盛大に顰め、ウィリアムに吐き捨てるように言った。とても公爵令嬢がするような顔には思えない。
「そうそう。結婚式も開かず、新婚早々城に泊まり込み。新妻を10日も放置するなんて、正気の沙汰とは思えないよ!」
「最低。女の敵。腐れ外道。狼侯爵ではなく、蛆虫侯爵に改名しては? あ、それでは蛆虫が可哀想ですわね」
「う……否定できん……」
自分がロザリンドにしたことは、おおよそ紳士の枠を外れている。オーレリアが蔑むのも頷ける。だが、奔放で孤独なロザリンドにどう接していいのかウィリアムには分からない。それでいつもは後回しにしている、軍務大臣の書類仕事なんてやっているのだ。情けないことこの上ないのは承知している。
「そもそもさ、ウィリアムは今回の縁談を断って貰うつもりだったんだろう? それがどうして結婚しているんだい?」
ロザリンドとの縁談は、女王陛下が用意したものだ。それ故にウィリアムには断るすべがなかった。ただ、女王陛下は「ロザリンドが望まないのなら、この縁談は白紙にしてよい」と言った。だからこそ、甲斐性のない底辺男のような発言をしたのだ。……何故かロザリンドに大変喜ばれてしまったが。
「私にも予想外だった。あんなに喜ばれるとは……」
「ロザリンド嬢……随分変わった子なんだね」
遠くを見るウィリアムに、ジェイラスは納得したように頷いた。
「ですが、恫喝するなりして、強引にロザリンド様と結婚しないということも出来たのではありませんか? これほど恐ろしい形相の男に凄まれて剣を振りかざされでもしたら、どんな婦女子もイチコロでしょう」
「ある意味でな! オーレリアは私のことをどんな風に見ているんだ……」
「強面のくせにナヨナヨしているヘタレ男。貴族たちに嘗められて妙な噂を流される間抜け。筋肉の維持ばかりに気を遣って書類仕事を遅らせるグズ。元遊び人の癖に初恋を拗らせている似非ロマンチスト。それから――」
「もう止めてくれ!」
オーレリアの毒舌に、ウィリアムの心は崩壊寸前だった。
ジェイラスは微笑ましそうにオーレリアを見つめている。
「でも、確かにおかしいね。『聖女様』を恋しがって、大好きだった女漁りをキッパリと止め、結婚もしようとしなかったウィリアムがね」
「おかげで男色家と噂されていますわ。わたくしも友人たちに色々聞かれたので、あることないこと話しておきました。遠慮なく褒めてくださっていいのよ?」
「噂の元凶はお前か、オーレリア!」
オーレリアはつーんとそっぽを向いた。
「まあ、結婚するぐらいだ。ロザリンド嬢は悪い子ではないんだろうけど、どういった風の吹き回し?」
「……どうもロザリンドは、家族とは折り合いが悪いらしい。10年実家に帰っていないと言っていた。あのまま家に帰しては、ロザリンドのために良くないと思った」
思い出されるのは、平気そうに己の冷遇されていた状況を話すロザリンドだ。彼女はウィリアムの出した最低な条件が最高の条件に感じてしまうほどの境遇に置かれていた。とても寂しい思いをしてきたに違いない。ウィリアムとの結婚がご破算になってしまえば、彼女がどうなるのか分からない。どうやらロザリンドは、家で人扱いされていなかったらしいし、不幸になるのは目に見えている。
だから、彼女を見捨てることは出来なかった。自分はロザリンドを愛せもしないくせに、一時の同情で彼女を妻に迎えてしまった。
それを気づかれ、彼女の家族と同じように絶望を与えてしまうのではないか。そう思うと、どうにもロザリンドに会う勇気が出てこない。たしかに、オーレリアが言うとおり、ウィリアムはヘタレ男なんだろう。
「ものぐさ姫なんて呼ばれていたけれど、何か理由があったのかもね。オーレリア、何か知らない? エレアノーラ国学院の卒業生でしょう?」
「そうですね……在学期間は1年だけ被っていました。でも大した情報はありませんよ。お話したことありませんし。ただ、ロザリンド様はとても有名でしたわ。最年少入学でしたし、変な眼鏡をかけていましたから」
「その頃からあの奇天烈な眼鏡をかけていたのか」
ロザリンドの眼鏡は、乳白色の透明感のないレンズで、本当にこちらが見えているのか心配になるような代物だ。普通に歩行できていたし、その辺りはキチンと設計されているのだろうが。
「ああ、そう言えば……『黄金の錬金術師』、ファリス教授の愛弟子でしたわ、彼女」
「……黄金の錬金術師。それでロザリンドは薬が好きなのか」
先の戦争には3人の英雄がいる。一人はベルニーニ軍の総大将を討ち取ったウィリアム。二人目は、劣勢の戦況の中、難航していた補給物資を行き渡らせるためのルートを確立化し、戦後外交で目覚ましい戦果を上げたオーレリア。そして三人目は、ベルニーニ軍の開発した凶悪な毒物を次々と解毒したファリス教授だ。
ウィリアムは狼侯爵、オーレリアは鉄氷の姫閣下、ファリス教授は黄金の錬金術師と呼ばれている。尤も、ファリス教授は終戦直前に亡くなっているので、あまり民間には知られていない。
「ロザリンド嬢も色々と背負っていそうだねぇ。他に彼女に関する情報ってあったけ?」
「有名なものですと……ロザリンド様がデビュタントの時、若い令息たちに目もくれず、学問に造詣が深い中年や老紳士たちと熱く議論していたという話しでしょうか。閉会になるギリギリまで盛り上がっていたそうですわ」
「わぁ! 個性的で面白そうな子だね!」
「ええ。頭の良い女性は国の宝。是非ともお会いしたいですわ。ウィリアム、ロザリンド様を王城に連れてきなさいよ」
パチパチと楽しそうに拍手をするジェイラスと、ロザリンドに興味を持ったオーレリアを見て、ウィリアムは頭を抱えた。
(何故かは分からないが、この二人とロザリンドを会わせてはいけない気がする……!)
「ウィリアムはさ、夫なんだからロザリンド嬢の素顔を見たんだよね? 彼女、謎に包まれているからね。ちょっと気になるよ。髪は確か金髪だよね?」
「……眼鏡を取った顔は見ていない」
「本当にどうしようもない男ですわね。そんなだから、いつまでもグチグチと初恋を引き摺っているのですわ。フランレシア王国の名門ヴァレンタイン侯爵家の当主として、後継を作るのは義務なのですから、さっさとロザリンド様を妻として丁重に扱ってはどうです? 結婚を受け入れたということは、ロザリンド様は噂に惑わされず、ウィリアムを生理的に嫌ってはいないと言うことですわ。愛はなくとも家族にはなれるでしょう」
そうかもしれない。会って間もないが、ロザリンドは優しい娘のように思う。少なくとも、上辺や噂に惑わされウィリアムを嫌悪する令嬢や、金や地位目当ての令嬢とは違うようだ。
(だが……私の心にはまだ、彼女がいる)
ウィリアムの心にいるのは、戦争の時に出会った一人の少女。凜然としているのに、今にも壊れてしまいそうな危うげな彼女は、ウィリアムの『聖女』だった。あの悲しげな琥珀色の瞳が、目に焼き付いて離れない。
しかし、少女はどこにもいない。戦争の後、侯爵としての権力を総動員して彼女を探したが、見つからなかった。戦争では、従軍中の医療関係者が殺されることも珍しくなかった。……つまり、少女は死んだということだ。死んだ人間を探したところで、見つかるわけがない。
家族も失い、希望を見出した聖女も失った。ウィリアムは褒美という形で女王陛下から軍務大臣の地位を賜り、すべてを忘れたくてがむしゃらに働いた。しかしそれでも、聖女は心から離れてはくれない。
「案外、ロザリンド嬢がその『聖女様』だったりしてね」
ジェイラスの突飛な発言に、ウィリアムは思わず苦笑した。
「馬鹿か、ジェイラス。彼女は茶髪だった。それに平民だ」
「じゃあ……生まれ変わりとか?」
「ついに算数も出来なくなったのですか、このお気楽王太子は」
「酷いな、オーレリア。そんなところも可愛いけど! 僕はただ、ロザリンド嬢がウィリアムの聖女だったら、全部丸く収まるのになと思っただけだよ」
聖女が生きている訳がないし、ロザリンドを代替品にしようとも思わない。ウィリアムはロザリンドを妻にしたのだ。やはり、責任を取らなくてはならないし、彼女を守っていかなくてはとも思う。ロザリンドには、聖女のことを話そう。そしてロザリンドにとっての最良の選択をしていきたい。
(……ロザリンドと向き合わなくてはな。帰るか……明日)
心の準備が必要だと思うのだ。
――コンコン
うむとウィリアムが頷いたところで、執務室にノック音が響く。そして入室してきたのは城の文官ではなく、ヴァレンタイン侯爵家の執事長、オルトンだった。
「お仕事中に失礼いたします、ジェイラス様、オーレリア様。旦那様に急用がありまして伺った次第でございます」
「僕たちのことはいいよ。早く、ウィリアムに用件を伝えてあげて」
「では、お言葉に甘えて」
オルトンは軽く咳払いをすると、ウィリアムに鋭い視線を送る。
「旦那様。落ち着いてお聞きください。奥様が……倒れました」
ウィリアムは一瞬、目の前が真っ白になった。