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狼侯爵と愛の霊薬  作者: 橘 千秋
第二章
47/57

45話 親心×娘心

本日7話目


 ついにシリウスの誕生パーティーの日がやってきた。

 セルザード伯爵家は朝から忙しく、屋敷の中からは活気ある声で溢れていた。



「ロザリンド様、生花が届きました」


「数と色合いを確認後、特に問題がなければ最初の予定の通り飾り付けて」


「シリウス様、つまみ食いは止めてくださいませ」


「な、なんで見破られた!?」


「口元にクリームがついております」



 驚いたことに、能面のように表情の固まっていた使用人たちが、ロザリンドとシリウスに笑みを見せるのだ。

 確実に、セルザード伯爵家は変わっていた。

 ロザリンドは嬉しい変化に笑みを深める。



「さて、あとは飾り付けだけみたいですし、シリウス坊ちゃんと奥様はお召し替えですね」


「「ええ、私たちがおふたりをフレッシュな姉弟へ変えてみせますわ!」」



 シンシアはいつの間にかセルザード伯爵家の侍女を懐柔し、取り巻きのように侍らせている。



(……シンシア……恐ろしい子っ……!)



 ロザリンドは彼女に敵う気がしない。

 涙目でシンシアを見るが、「程よく潤んだ瞳は淑女的にアリですわ!」と逆にやる気を上がらせてしまった。



「……姉上……怖いよ……」


「……不出来な姉でごめんね。せめて、死ぬときは一緒」



 ロザリンドとシリウスはギュッと震える手をお互いに握ると、生け贄の子羊のように衣装部屋へと連行されていく。








 数時間の苦行を経て、ロザリンドの衣装替えは終わった。



「会心の出来です!」


「「素晴らしいですわ!」」


「……はぁ」



 手放しに褒めてくれるシンシアたちには悪いが、自分にはどれほどの出来映えなのか分からない。

 確かに、青いドレスの繊細なレースやドレープ、そして女性らしさを引き立たせるふんわりとしたシルエットは素晴らしい。

 しかし、それをロザリンドが着こなせているかと問われれば、思わず首を傾げてしまう。



「今日も美しいです、奥様! これならば、旦那様もますますメロメロになってしまいますわ!」


「……そんな訳、ない」



 その証拠に、ウィリアムはエレアノーラ学院で会ってからも手紙の一つも寄越さないのだから。

 今日だって、本当にパーティーへ来るのかも怪しい。

 彼は多忙だ。他に優先するべき用ができて、急に出席が取り消されることだって大いにあり得るだろう。



「……奥様……その、実は――」



 シンシアは何か言いかけるが、突然入室してきたギクラスを見て、さっと壁際に引いた。



「失礼する」


「……父様?」



 ロザリンドは驚きのあまり、素っ頓狂な顔をしてしまう。



「私が娘のドレス姿を見に来るのがおかしいのか?」


「父親であっても、女性の衣装部屋に男性が入ることは一般的ではない……です」



 そう言うと、ギクラスは不機嫌そうに鼻を鳴らした。



「ここは私の屋敷だ。私がいかように振る舞おうとも法で捌くことはできぬ」



 苛立ち混じりにギクラスが睨むと、シンシアたちはそそくさと部屋から退室していく。



「……わざわざ人払いをして、なんの用?」



 今のロザリンドには他人に気遣う余裕はない。

 普段通りの口調でギクラスに接してしまうが、そのことが彼の怒りに触れることはなかった。



「これを渡しに来た」


「……これ、手紙……? ウィリアム様から……?」



 渡されたのは、ずっしりと重い四十通以上の手紙だった。

 白い上質な封筒には、ウィリアムの名前がある。しかし、宛名は黒いインクの筆で塗りつぶすように上書きされていて、誰に対してのものなのかが分からなくなっている。



「中を読みなさい」



 疑問に思いつつも、ロザリンドはギクラスの言うとおり、既に封の開いた手紙を広げ、一枚一枚読んでいく。

 幸いなことに、文章の中に塗りつぶされたところは見受けられない。


 一通目は、美しく貴族らしい硬質な筆跡で綴られている。








親愛なる妻 ロザリンド・ヴァレンタインへ


 君がヴァレンタイン侯爵家を出て行ってから、一週間が経つ。

 先日、やっとロザリンドがエレアノーラ学院で講師をしていることを知った。

 私に怒っているのだろう?

 この手紙ですべてを書き記せないことを歯がゆく思っている。

 しかし、私は君を愛している。それだけは一生覆ることのない事実だとここに明言する。

 だからどうか、私を信じて待っていてくれないだろうか。


 すべてを終わらせて早く君を迎えに行きたい、ウィリアム・ヴァレンタインより





 二通目は花の香りがする、可愛い便せんだった。文字はそれに似合わず、相変わらず硬質なものだ。





 私の唯一 ロザリンド・ヴァレンタインへ


 君がヴァレンタイン侯爵家を出てから一ヶ月が経つ。

 ……やはり、怒っているのか……?

 ロザリンドからの返事が一向にこないことに、困惑している。

 私はもう二十三通送っているというのに……。

 まだまだ足りないということか。次からは二倍手紙を送ろうと思う。

 早く君に会いたい。面倒な守秘義務も仕事も放り投げて、君を抱きしめたい。

 ただ、悲しいことにもう少しかかりそうだ。

 ヴァレンタイン侯爵家は君が居なくなって、とても静かになった。

 早く君の笑う声が絶えない、明るい屋敷へと帰りたいものだ。


 君だけのウィリアム・ヴァレンタインより




 

 三通目は強い筆圧で書かれ、文字は乱れている。

 あちらこちらにインクの染みが見受けられ、とても読みにくい代物になっていた。





 愛しの聖女 ロザリンド・ヴァレンタインへ

 ……どうして返事を送ってくれないんだ……?

 ロザリンドの柔らかな温もりも、薔薇の香りのする黄金の髪も、蜂蜜のように甘い口づけも、すべてが遠い日の思い出になりかけている。

 最近は禁断症状が出て、気がついたら君の枕を抱きしめて熱烈な口づけをしていた。

 ……それをオルトンに見られ、『お労しや、旦那様』と言われたのは記憶に新しい。

 そして私自身、次は無意識に何をやらかすのか分からない自分が一番怖い。

 ……もういい! 我慢の限界だ!

女王の反感を買おうともかまわない。

明日、君を迎えにエレアノーラ学院に迎えに行くからな!

 お願いだから、帰ってきてください。君に逆らうことは一生ないと誓おう。

 なんなら、研究時間を増やしてもいいし、貴重な材料を贈ろう。

 だから……どうか私を見捨てないでくれ! なんでもするから!

 

 愛の僕 ウィリアム・ヴァレンタインより




 数通を読み終えたところで、ロザリンドの目頭は熱くなり、涙が零れそうになった。

 しかし、寸でのところでロザリンドは耐える。


 化粧は淑女の武装。

 泣いて剥がして、自ら汚らしい顔にするなんて、愚の骨頂だとオルトンの淑女教育で学んでいたのだ。



(……こんなに心のこもった手紙をくれるなんて、わたしは……ウィリアム様の特別のままなんだね)



 ロザリンドはぎゅっと百通以上の手紙を抱きしめた。


 未だかつて、創作の世界ですら、こんなに愛のこもった手紙をこれだけもらえた女性はいないだろう。

 愛はふたりの心が大切だが、物量もまた愛を量る指標となる。

 愛されるということは、何故、これほどまでに人の心を満たすものなのだろうか。



「……まったく、あのお方の悪戯には困ったものだ。王都の別邸に差出人不明の怪しげな手紙を送られたら、確認しない訳にはいかない。……誰が好き好んで、娘婿の恋文など読みたがる父親がいるか……しかもこの吐きそうな内容……」


「そんなに恥ずかしいこと?」



 ロザリンドがこてんと首を傾げると、ギクラスは不快そうに顔を顰めた。



「……お前は少し一般的な感覚と羞恥心を持ちなさい」


「これでも淑女教育で一通り知識は頭に詰め込んだのだけど?」


「……実地が伴わなければ意味がないということだ」


「ねえ、父様」


「なんだ」


「ありがとう」



 ギクラスは気の抜けたように深い溜息を吐くと、頭痛でもするのか、こめかみをトントンと指で叩く。

 ロザリンドと同じ琥珀色の双眸は、戸惑いの色が感じられる。



「……幼い頃のお前は……表情がなく、淡々と動く人形のようだった。私に似過ぎていて、距離の取り方が分からなかった」


「……わたし、父様には似ていないと思う」



 ギクラスはセルザード伯爵家のためならば、迷い泣く非情な決断を下せる人間だ。

 ロザリンドにはそんなことはできない。

 一度愛してしまえば、それを手放してしまうことを選択できない。理論で考えるくせに、行動や心は感情に寄ってしまうのだ。



「そうだな。私も見誤っていた。お前は母親に……サラに似ていたんだな」


「母様に?」



 今まで一切、母のことを話題にしなかったギクラスがぎこちなくだが話を始めた。

 その事実に、ロザリンドは瞠目する。



「面倒くさがりなくせに、自分の好きなことには努力を惜しまない、研究狂い。そして周りを巻き込む破天荒な性格」


「むう……わたしとは違う」


「無自覚なところもそっくりだな」


「失礼だと思う」



 ぶうっとリスのように膨れ面になると、ギクラスは眉尻を下げた。



「サラと私は契約結婚だった」



 突然の言葉に、ロザリンドの心臓はドキンと脈打つ。

 何を隠そう、自分とウィリアムもまた、最初は契約結婚だったのだから。



「私は昔、女王陛下に仕える外交官だった。お前の母と出会ったのは、外交官として友好条約を締結するため、ガルティエ王国に滞在していた時だった」


「……そこで父様が母様を見初めたとか……?」



 ありふれた物語の展開を口に出せば、ギクラスは眉間の皺を深くさせた。



「契約結婚だと言っただろう。サラは私が滞在していた離宮に夜這いをしかけたんだ」


「母様が!?」


「ああ、今でも鮮明に覚えている。ナイフを首に突きつけ、『愛していないけれど、つべこべ言わずにわたくしと結婚しなさい!』と脅された」


「……お、お転婆な逆求婚? 先進的な求婚芸?」



 オーレリアとジェイラスが身近にいるロザリンドは、頓珍漢な感想しか抱けなかった。



「……この国の行く末が、些か心配になった……」



 ギクラスは何か思い当たることがあるのか、額に手を当てて呟く。



「サラはガルティエ王国の巫女姫だった。それを同盟協議中にかっ攫うなど、彼女のことを人質だと公言するようなものだ。しかし、私はサラの話にのった。今となっては何故だか分からないが……」


「ふーん。父様でも分からないことがあるんだ」


「……なんだか含みのある物言いだな」


「別に?」



 ギクラスがどんな感情を母に抱いていたのか、ロザリンドには思い当たることがあった。

 合理主義のはずなのに、思考とは異なる行動をとってしまう。

 時に人を狂わせ迷わせ弱みとなり、しかし大きな力の源となる感情。


 ――そう、人はその感情を『恋』と呼ぶ。


 ウィリアムと出会い、その感情がなんなのか恋愛指南書を読み込んで突き止めた、研究者気質のロザリンドとは違い、ギクラスは思考を放棄したらしい。


 にやにやとだらしない笑みを浮かべるロザリンドにギクラスは険しい視線を向けたが、やがて諦めたのか話の続きをポツポツと語り出す。



「彼女は料理研究をすることを至上の喜びとしていた。半分だけ王族の血筋だと分かった途端、サラは庶民食堂の看板娘から無理矢理神殿へと押し込められ、人に傅かれる生活となった。それが耐えきれず、私へ契約結婚を申し出た」


「……母様の気持ち、わたしも分かる」



 もしも薬学研究ができない環境へ突然放り込まれたらと考えるだけで、ロザリンドは鳥肌が立ってしまう。



(……そんなの、自分を取られたのと同じ)



 生きがいとは、ロザリンドにとって人生を賭けるものである。そんな自分という人間を構成する重要なピースを無くしてしまえば、気が狂い、世界に絶望するのと同義だ。



「そして私はサラを妻とし、ロザリンドが生まれた。しかし、お前が物心つく前にサラは流行病で死んだ。彼女の強気な性格から忘れていたが、人は脆い生き物だ」


「……失ってから気づく。死は恐ろしいもの。残るのは、身を焦がす後悔と綺麗すぎる思い出だけ」


「……そうだな」



 ロザリンドが思い出すのは、師匠のファリスのことだった。

 自分を命がけで守り、愛してくれた、かつての最愛の人。生きていた頃はどうしようもないと思っていたファリスは、いつの間にか『偉大な師匠』という思い出になり、心の中で決して汚せないものとなった。

 不変であるということが、ロザリンドはとても悲しく感じた。



「サラが死んだ後、後継者のいない状態で独身のままでいることは、セルザード伯爵家を継いだ者として許されなかった。だから今度は、私を愛しているという女と結婚した」


「それが……継母様」



 思い起こせば、継母は出会った当初からロザリンドに辛く当たっていた。

 爵位を継ぐことのない女児ならば、上手く利用する手だってあったはずだ。

 しかし、それを行う選択肢は彼女には最初からなかった。



(……もしかして、継母様は……母様やわたしに嫉妬していた?)



 あり得なくない。

 実際にロザリンドだって、いけないと分かっていながらシャーリーとルカに嫉妬したのだから。



「だが、それは十年と持たなかった。人を愛せない私を愛することは、苦痛が伴うらしい。今では憎まれているのだろう」


「……父様はずっと悲しかった。そして、継母様も辛かった」



 幼い頃、何故自分だけがこんなに辛い思いをするのだろうと思った。

 辛くて、泣きたくて、だけど誰もロザリンドの心の叫びに気づいてくれなくて、やがて自分の殻に閉じこもり、他人を拒絶した。


 でも、周りを見れば皆、傷ついていたのではないか。

 もっと上手く立ち回れたのではないかと、小さな後悔が生まれるが、あの頃の自分にそれができたとは思えない。


 だから、ロザリンドは今を大切にすることにした。

 ファリスが守り育ててくれたからロザリンドの視野は広がり、ウィリアムが愛してくれたからロザリンドは他人を理解することができるようになった。



(今度はわたしの番。与えられてばかりじゃなくて、わたしは……人に愛を与える人間になりたい)



 気がつけば、ロザリンドはギクラスを抱きしめていた。

 彼の身体は拒絶しなかったが、僅かに震えている。



「……やめなさい、ロザリンド」


「わたし、父様が怖い。何を考えているのか分からなくて、子どもも家のためなら利用する。冷徹な貴族。だけど悲しい人。それを知ったらもう……わたしの心に父様はいる。愛はきっと、許すってことなんだと思う」


「私のような父親に、何を馬鹿なことを」


「母様だってそうだよ。だって、わたしと母様は似ているんでしょう……?」



 そう言うと、ギクラスは深く溜息を吐く。震えはもう収まっていた。



「……もうすぐ賓客を向かい入れなければならない。お前はホールへ戻りなさい」


「父様、今日はシリウスの頭を撫でてあげて。絶対に最高のプレゼントになるから!」



 ロザリンドはギクラスから離れてそう言うと、くるりとターンをして扉へと駆けだしていく。



「……まったく……なんだ、それは……」



 困り果てたギクラスの声が聞こえていないふりをすると、ロザリンドは準備の整っているホールへと向かう。




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