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狼侯爵と愛の霊薬  作者: 橘 千秋
第二章
43/57

41話 すれ違い

本日3話目






 散々ロザリンドの胸で泣いた後、我に返ったシリウスは慌てて彼女を押しのけた。



「……離れてよ!」


「もう終わり? わたしはもっと抱き合っていてもよかったのだけど」


「ふざけんな、僕はもう十歳だよ!」


「……そっか。残念」



 羞恥心で顔を真っ赤にしたシリウスと違い、ロザリンドは眉尻を下げて本当に残念そうな顔をした。

 自分ばかりが意識しているようで、シリウスはおもしろくなかった。



「もういい! 気分転換に薔薇園に行こう!」



 そう言ってシリウスは立ち上がり、自習室の扉に手をかける。

 ちらりと振り向けば、ロザリンドはのんびりと椅子に座ったままで、一ミリもその場から動いていなかった。



「アンタも一緒に行くんだよ!」


「いくらわたしのことが気に入らないからって、そんなに怒らなくてもいいのに」


「うっせー! 馬鹿姉!」


「はいはい」



 見当違いの考えをしているロザリンドに苛立ちながらも、シリウスは繋いだ手を離さなかった。


 薔薇園に到着すると、そこには先客が居た。



「げぇっ、アルド子爵」



 橙の髪を棚引かせ、薔薇を観賞する彼は少しだけ憂いの帯びた顔をしている。

 しかしそれもロザリンドとシリウスを視界におさめると、すぐさま笑顔へと変わった。


「やあ、シリウス! ロザリンド! 系統は違うが、美しいふたりが並んでいるととても絵になるね。さすがは姉弟だよ」


「……相変わらず、頭が沸いていやがる」



 アルド子爵と出会ったのは数週間ほど前だ。


 父の客だという彼は、セルザード伯爵家に滞在していたため、当然、嫡男であるシリウスも挨拶をしたのだ。

 無難に挨拶をしたシリウスとは打って変わり、アルド子爵はシリウスを上から下まで舐め回すように見た後、「おお、神よ! 刹那の時を生きる美少年に祝福を!」と訳の分からないことをまくし立てて、涎を垂らしたのだ。



(……思い出したら、鳥肌がたってきた……)



 シリウスが震えていると、ロザリンドが彼を背に庇うように一歩前へ出た。

 その表情は警戒心が見て取れて、シリウスは少し驚いてしまう。



「どうして、アルド子爵はここにいるんです?」


「美しい花を愛でることが、そんなに悪いことなのかい?」



 そう言って、アルド子爵はロザリンドへ一本の薔薇を差し出した。

 芝居がかったその仕草は女性ならば喜びそうなものだが、アルド子爵の微笑を浮かべるばかりで、本心は見通せない。

 そんなところも、シリウスがアルド子爵を苦手とする要因だった。



「ロザリンド!」



 アルド子爵とロザリンドが無言の攻防戦をしていると、突如、低く険の帯びた男の声が響く。

 ロザリンドはすぐさまそちらへ振り向くと、琥珀色の瞳を溢れんばかりに大きく見開いた。



「ウ、ウィリアム様!?」



 ウィリアム・ヴァレンタイン侯爵。酷い噂ばかりが纏わり付く、悪逆非道と噂の狼侯爵であり、ロザリンドの夫で、シリウスの義理の兄だ。



(……コイツが、狼侯爵か……)



 彼の右目は眼帯で覆われていて、歴戦の軍人だということは一目で分かる。狼侯爵と言われるだけあり、左目は鋭く光り、獲物に食らいつきそうなほどに怒りを湛えていた。さらに上背があって、必然的にシリウスたちを見下ろす形になる。


 シリウスは膝が笑いそうになるのを堪えるため、必死に両足へ力を入れた。



「……ロザリンド、そいつはいったい誰だ……?」


「…………このひとが誰かなんて、ウィリアム様には関係ないでしょう」



 ロザリンドはウィリアムの形相や物言いに動じることもなく、不機嫌そうにそっぽを向いた。

 その姿を見て、アルド子爵は堪えきれず噴き出した。



「おやおや、私にとっては願ってもない展開だねぇ」


「……どこがだよ。ただの修羅場だろ……」



 そう言えば、ロザリンドは新婚だったはずだ。それなのにエレアノーラ学院で、住み込み講師をしている。

 一体どういう理由があってそうなったのか、シリウスは彼女に聞いていなかった。



(……もしかして、夫婦仲が上手くいっていないとかか……?)



 シリウスが夫婦といって真っ先に浮かぶのは自分の両親だった。

 政略結婚の彼らに愛はなく、ある意味、貴族的な婚姻関係だと言える。それは子どもにとっては寂しいものであり、また未来の自分を彷彿とさせるものだった。


 だから、シリウスは心配してしまう。

 実家だけではなく、婚家でもロザリンドが辛い思いをしているのではないかと。なんといっても、相手はあの狼侯爵なのだから。



「関係ある! 私は君のお――」


「わたしが家を出てどれだけの時間が経っていると思っているの! もう、一ヶ月だよ!」



 ロザリンドが今までに聞いたことのないほどに大きな声を上げた。

 そっと彼女の顔を見れば、瞳は潤み、顔が興奮で上気している。

 そして、シリウスと繋がった手は、僅かに震えていた。



「それは――」


「どうせ、シャーリー様とよろしくやっていたんでしょう? わたしのことなんて、忘れていたくせに!」



 いつも余裕綽々のロザリンドがこんなに感情を表すところを、シリウスは初めて見た。



(……というか、コイツ……新婚なのにもう浮気したのかよ。確かに変人だけど、姉上は優しいし、天才だし、何よりとびっきりの美人だぞ)



 以前、ロザリンドのことをブスと罵ってしまったシリウスだったが、彼女を初めて見たとき、こんなに綺麗な人がいるのかと驚き、そして嬉しく思ったのだ。……まあ、幻想は彼女の奇行ですぐ冷めたのだが。



「違う、ロザリンド。話を――」


「隠し子がいたくせに!」


「隠し子!?」


「おやおや、どんな子なんだろうね?」



 ポカンと口を開けたシリウスに、アルド子爵が面白そうな視線を向ける。



(……最低最悪の男だ)



 いくら格上の侯爵家に嫁げたとしても、浮気性で隠し子のいる強面の男の妻になるなんて、不幸以外の何物でもない。


 シリウスはウィリアムを睨み付けると、ロザリンドの白衣の裾を引っ張った。



「……もう、そんな男なんて放っておきなよ」


「君は……?」



 初めて気づいたとばかりに、ウィリアムは訝しげな目でシリウスを見た。

 その恐ろしい顔に少しだけシリウスは怯んだが、ロザリンドを助けるために勇気を振り絞る。



「これからはずっと学院にいれば良いじゃないか。寂しくなんてさせないよ。だって、弟の僕がいるんだから。ねえ、ロザリー姉上?」



 挑発的な顔でウィリアムを見ながら、シリウスはロザリンドに抱きついた。

 十歳にもなって、人前で姉に抱きつくのは恥ずかしい。だけど、ほんの少しだけ優越感に浸っていた。



「……シリウス、ありがとう」


「ロ、ロザリーだと!? 私ですら愛称で呼んだことがないのに……!」



 ウィリアムは唸るような声でそう言うと、奥歯をギリギリと噛みしめる。

 その姿は飢えた狼が威嚇しているようにしか見えなくて、シリウスは咄嗟にロザリンドの腰に顔を押しつけて見ないようにした。



「……ロザリンド、ヴァレンタイン侯爵家へ帰ろう」


「嫌だよ。だって、どうせまだシャーリー様の問題は解決していないんでしょう? ……帰って、ウィリアム様。今は……会いたくない」


「……確かに、解決はしていない。私の口から君に真相を話すことはできない」


「浮気って特効薬のない病なんだって、貴族令嬢の好む本に書いてあった。……最初に許すとつけ上がる。躾が大事」



 ロザリンドは小さな声で呟くと、酷く冷たい目でウィリアムを見上げた。

 それに恐れおののいたのか、ウィリアムは膝をつきロザリンドへ懇願する。



「ずっと会いに行けず申し訳なかった! 気が済むまで私を殴って構わない。なんなら、君の足を舐めたっていい! だからどうか……私を捨てないでくれ……!」



 どう見ても大人がすることではない。

 初心でまともな良識を持ったシリウスは、ついに耐えきれなくなり叫びを上げる。



「本物の変態だーーー!!」


「違う! 誤解だ!」


「何が誤解だ! ロザリー姉上に近づくな!」


「おやおや、シリウスはまだ子どもだね。ロザリンドのように美しい人の御御足を舐めて味わうことができるなんて、光栄の極みじゃないか。考えただけでゾクゾクするよ」



 ほのかに顔を赤らめ、恍惚とした表情でアルド子爵はのたまった。



「……大人って奴はどうしてこうも不潔なんだ!」


「よく分からないけれど……わたしのために怒ってくれてありがとう」


「は、はぁ!? べ、別に姉上のために怒ったわけじゃねーし。一般論だしっ」



 シリウスは焦り、ロザリンドから飛び退いた。

 ロザリンドは僅かに眉を下げ、やがて諦めたように小さく息を吐く。



「そうだね。……シリウスがわたしのことを嫌いなのはよく分かっている」


「なっ、違う……僕は……」


「ぶぅふぅっ、身から出た錆っていうんだよ」


「うるせー、アルド!」



 素直になれないシリウスをアルド子爵がからかった。

 彼は不思議な人で、得体の知れないベルニーニの人間なのに、いつの間にかシリウスの懐に入り込んでいた。だから、年上なのにシリウスはまるで気の置ける友人のように彼へ接してしまう。



「……アルド?」



 訝しげにウィリアムは呟いた。

 すると、アルド子爵は不敵な笑みを浮かべ、ウィリアムを見据える。



「そう、私はアルド子爵。ベルニーニから来た」


「……ヴァレンタイン侯爵だ。役職は軍務大臣」



 バチバチと火花が散りそうな視線を交わす彼らを見て、シリウスは恐怖に震える。



(……姉上、なんとかしてよ! 夫婦だろ、空気読んで!)



 期待を込めてロザリンドに祈るが、彼女はウィリアムをじっと見つめるだけで動こうとしない。



「ロザリンド、やはりヴァレンタイン侯爵家へ帰ろう」


「嫌。旦那様(・・・)が反省するまで帰らない。……わたしは女王陛下の命でここにいる。それを帰るまで、もしくはそれが撤回されるまで帰れない」


「……わ、分かった」



 結局、シリウスの祈りは届かなかった。

 無残にも、一気に場の空気が凍り付いたのである。



「アルド子爵。私の妻に指一本でも触れてみろ、貴君を八つ裂きにする……いや、それ以上の地獄を見せてやろう」


「随分と信用のない! 私が美しい人の悲しむことを強要するわけがないじゃないか。狼侯爵と違ってね?」


「……その言葉、貫き通してもらおう。卑怯で悪辣なベルニーニの男には難しいかもしれないが」


「ふっ、これだから成人した男は嫌なんだ。内実は欲塗れで狭量で……醜く美しくない」



 汚い大人たちの罵り合戦に耐えきれず、シリウスは堪らず話題を変えることにした。



「あ、姉上! 今度、僕の誕生日パーティーがあるんだ。来てくれる?」


「いいよ」



 即座に了承したロザリンドに嬉しく思いつつも、シリウスはハッとした表情で固まった。



「あ、でも……セルザード伯爵家でやるんだけど……」



 誕生日パーティーと言っても、シリウスにとっては毎年、楽しいものではなかった。

 シリウスのためではなく、セルザード伯爵嫡男の儀式のようなもの。自分が家の繁栄のための道具だと再認識する日だ。

 でも、ロザリンドがいれば変わるかもしれない。そんな思いから彼女を誘ったが、シリウスは猛烈に後悔した。



(……姉上が、母上に会いたいはずがないのに……)



 なんて自分は無神経なんだろう。

 嫌われたかもしれない。

 そう思い、俯いていると彼女は優しい手つきでシリウスの頭を撫でた。



「大丈夫。わたしはもう……心を殺して殻に閉じこもっていた子どもとは違うから」



 その言葉にどれほどの重みがあるのか分からない。

 ロザリンドは今のシリウスより小さい頃にエレアノーラ学院へと押し込められた。

辛いことばかりだったはずだ。それなのにこんなに優しい人になれるなんて、シリウスには理解できない。


 シリウスの知らない人たちと出会い、経験をして、今のロザリンドができた。その事実に、どうしようもない嫉妬心に包まれる。



「あ、ちなみに私も参加するよ」



 軽い口調でアルド子爵が言った。

 彼はセルザード伯爵家の賓客だ。嫡男の誕生パーティーに出席するのは当然の流れと言える。



(……別に今言わなくてもいいだろう。絶対にわざとだ!)



 案の定、ウィリアムは怒気を滲ませ、狼が威嚇するかのようにアルド子爵を睨み付けている。



「何!? 駄目だ、ロザリンド。危険すぎ――」


「旦那様には関係ない」


「……はい」



 一瞬にして狼が尻尾をしゅんと丸めた。

 もしかすると、ロザリンドは最強なのかもしれない。



「まあ、安心しなよ。ロザリー姉上のことは、弟の僕が守るから。狼侯爵の出番はないから」


「か、可愛くない……!」



 ちょっとした出来心でウィリアムをからかえば、彼は歯をギリギリと噛みしめながらシリウスを睨んだ。

 しかしそこにアルド子爵に向けるような敵意は感じられない。

 ロザリンドの弟として自分も受け入れられているのだろうか……?


「……いつの間にか、旦那様とシリウスが仲良くなっている……」


「「それはない! 永久に!」」



 シリウスとウィリアムは声をそろえて叫んだ。



「ふふっ、ほら狼侯爵。嫉妬している暇なんてないだろう? 飼い主の元へ帰りなよ」


「……貴君は何者だ?」


「むさい男に答える義理はないよ。ただ、言えることは」


「ロザリンドは私にとっても特別な人だということだ。君がいくら引き離そうとも、血の繋がりまでは消せないだろう?」



 最後にアルド子爵は爆弾を放り投げたのだった。




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