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狼侯爵と愛の霊薬  作者: 橘 千秋
第一章
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4話 新しい楽園

 あの白熱した初夜の後。ソファーで目覚めたときにはウィリアムの姿はなかった。ただ『研究するならば、屋敷の裏にある離れ家を使いなさい。詳細はオルトンに』というメモ書きが残されていた。


 それに狂喜乱舞したロザリンドはすぐにエレアノーラ国学院へ文をしたため、研究室に残してきた荷物を送ってもらうように頼んだ。そしてオルトンと一緒に離れ家を確認。小さい建物だが、水が引かれていて、実験にちょうど良さそうな物件だった。


 使用人たちが掃除をしている中、ロザリンドは薬の材料を注文したり、新しい調合台の設計したりと大忙し。結局、すべての荷物を運び込み、実験環境を整えるのに一週間かかってしまった。しかし、満足のいく新しい研究場所が完成したと言えるだろう。



(ああ、もう……こんなに長い間、薬を作っていないなんて初めて! 早く研究したい。早く研究したい。早く研究したい。早く研究したい。早く研究したい。早く研究したい。早く研究したぁぁああああい!)



 初夜の後から旦那様の姿を見ていないだとか、そういえばオルトンも3日ぐらい見ていない……と多少気になることはあったが、それらを考える余裕はロザリンドにはなかった。


 頭の中は研究でいっぱいだ。もう止まらない、止まりたくない!



「奥様、言われたとおり保存食をお持ちしました」


「ありがとう」



 侍女から2日分の保存食が入ったバスケットを受け取る。はやる気持ちを必死に押さえ、離れ家の改修に協力してくれた使用人たちへ、貴族夫人らしく微笑んだ。



「皆のおかげで、とてもよい研究環境が整いました。お飾りの妻であるわたしに、ここまでしてくれてありがとう。本当に助かりました」



(早く研究したい。早く研究したい。早く研究したい)



「いえ、奥様! お飾りだなんてとんでもない!」



(早く研究したい。早く研究したい。早く研究したい)



「当主様の妻になってくれただけで、ありがたいというか……」


「では、早く研究したいので、失礼!」



 丁寧な口調も面倒くさくなったロザリンドは、嫁いで一週間目の今、貴族夫人の仮面を脱ぎ捨てた。どうせ、いつかメッキは剥がれるのだから、早いほうがいい。使用人たちがぽかんと口を開けているが、それほどショックはないようだ。そもそも、お飾りの妻に何も期待していないのだろう。


 久しぶりの研究にウキウキが押さえられず、スキップしながらロザリンドは離れ家に入っていく。そしてドアノブに手をかけて、はっと気づいて振り返った。



「大事なことを言っていなかった。毒物とか危険なものが置いてあるから、誰も離れ家には入らないでね! じゃあ、二日ぐらい籠もるから!」


「「「二日ぁぁあああ!?」」」



 使用人たちの「奥様ぁ!」という叫び声が聞こえたが、ロザリンドは無視して離れ家のドアの鍵をかけて閉めた。そして手近にあった棚を引き摺ってドアの前に置き、近くの部屋から机や椅子などの家具を積み重ねていく。


 離れ家は一階建てで、部屋の数は4つほどだ。すべての部屋を回り、窓の鍵を閉めていく。そう大変な作業ではなく、ものの数分で終わった。



「邪魔されたらかなわないし」 



 離れの中にある一番大きな部屋に入る。ここがロザリンドの実験室だ。


 ツンとした独特な薬の香り。厳重に保管された毒薬の棚。頑固なガラス職人を説得して作って貰った実験器具。癖を熟知した秤。黒く錆びた鉄鍋。しっくりと手に馴染む大理石の乳鉢。そして新調した調合台。見ているだけで幸福に満たされる。



(ああ、新天地よ。わたしの楽園はここにあった……!)



 ロザリンドはハンガーラックから白衣を取り、素早く袖を通す。白衣には皺も染みもなく、アイロンがかけられていてパリッとしている。とても清々しい。今なら、何でも出来るような気がした。ヴァレンタイン侯爵の使用人たちは、本当にいい仕事をする。



「……うふふ……あはは……いやぁはっはっ!!」



 高笑いしながら、ロザリンドは棚の中から手書きの本を取り出した。ここの本には現在開発中の新薬たちのアイディアが書き記されている、秘蔵の書だ。それらをパラパラとめくり、中程で手を止める。



「今日はアイディア番号577から始めよう。うふふ……あっひゃひゃひゃっ!」



 笑いが止まらない、手が止まらない!

 

 生薬を鍋で煮込んだり、乳鉢で薬草や虫を乾燥させたものをすり潰したり、効能を調べるために実験鼠の経過観察を紙に記録したりと、忙しい。とにかく忙しい。自分が10人いればいいのにと思う。


 時間を忘れ、休みなく動き回る。髪がべた付き、白衣が皺くちゃになった頃。それは訪れた。



「あ……う……目眩?」



 頭がぐらぐらと揺れる。視界が歪む。貧血だろうか。それならば、少しじっとしていれば治まる。

 ロザリンドは、じっとうずくまる。しかし耐えても耐えても一向に目眩が収まらない。身体も力が入らなくなっていった。



(そう言えば、喉が張り付くように乾く。最後に水を飲んだのっていつ? 今何時? まさか……)



 歪む視界の中、ついに耐えきれなくなりロザリンドは床に倒れた。これはおそらく、ただの貧血ではない。睡眠不足、疲労過多、栄養失調、脱水症状、いくつもの症状が重なったものだ。なんてことだ、アイディア番号637の実験はまだ途中だというのに。



(せめて……栄養剤でも飲んでおけば良かった。あれがあれば……いつ、かは……いけ、る……)



 霞む意識の中、遠くで何かが割れる音がした。

 しかし、ロザリンドの記憶はここで途切れることになる。




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