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狼侯爵と愛の霊薬  作者: 橘 千秋
第二章
37/57

35話 始まりは隠し子疑惑


第二章開始。

5/15にビーズログ文庫さんから、2巻が発売します。

詳しくは活動報告にて。




 木漏れ日が降り注ぐ午後。

 ヴァレンタイン侯爵夫婦は、のんびりと穏やかな時を過ごしていた。

 

 当主のウィリアムがロザリンドと結婚してからというもの、ヴァレンタイン侯爵家は賑やかな家へと生まれ変わっていた。



「ねえ、ウィリアム様。本当にこれで眠れるの?」


「眠れないな」



 今日のウィリアムは非番で、日がな一日ロザリンドを愛でて過ごそうと決めていた。

 ゆったりとしたソファーに寝そべり、頭をロザリンドの柔らかな膝に乗せている今なんて、幸福の絶頂だ。


 ウィリアムにとって、ロザリンドは聖女だ。


 心と体に深い傷を負い、戦うことしかできなかった自分を救ってくれた愛する女性。死んだと思っていた彼女が実は生きていて、自分の妻となっていたこと知ったときは天にも昇る気持ちだった。

 そしてロザリンドの過去を知り、現在を守り、未来を誓って想いを共有し、真の夫婦となった今は、奇跡みたいな幸せの光に包まれていると理解していた。


 こんな穏やかな日が、永遠に続けばいいと思わずにはいられない。



「わたしはウィリアム様に仕事の疲れを癒やしてほしいのだけど……?」


「これこそが癒やしなんだ!」



 ロザリンドは不思議そうに首を傾げると、ウィリアムの頭部に羽根のように軽い手つきで触れた。



「そう? でも、わたしもウィリアム様に癒やされている」



 彼女は目尻を下げ、愛おしそうにウィリアムの髪を梳いていく。

 硬質な印象を持つウィリアムの髪に陽光が反射し、黒曜石のように艶めいた。


 ――小さな幸せ。


 しかし、それを壊すように嵐は、いつだって突然やってくるのだ。







 何やら階下で人の言い争う声が聞こえる。

 ウィリアムは眉間の皺を深くさせて、そっと上体を起こした。



「……騒がしいな」


「誰か来たの? でも、今日は特に予定はなかったはずだけど……?」


「……見てこよう。ロザリンドはここで待っていなさい」



 不安がる妻の頭を撫で、ウィリアムはキリリとした大人の男の顔を見せる。

 そして騒ぎの元へと向かった。









「……遅い」



 待てども待てどもウィリアムは戻ってこず、騒ぎ声は大きくなるばかり。

 時折聞こえる女性の金切り声は、酷くロザリンドの心に不安を与えるものだった。



(……まるで継母様みたい)



 脳裏に浮かんだのは、忘れたくとも忘れられないセルザード伯爵家での冷遇の日々。特に、父親が仕事で屋敷を空けているときは、継母は凄まじかった。

 それらは日を追うごとに悪化していき、やがてロザリンドを毒殺しようとするところまでいったのだ。



「奥様、顔色が悪いです。お部屋でお休みになりますか? やっぱり研究がしたいですか?」



 心配そうにロザリンドの顔を覗き込んだのは、奥様付き侍女シンシアだった。

ロザリンドは思い出したくない過去を振り払うように深く息を吐くと、安心させるように笑みを浮かべた。



「大丈夫。研究はしたいけど……今日はウィリアム様と過ごしたいから、お休みする」


「なんと! 奥様が研究より旦那様を優先させるなんて……シンシアは嬉しすぎて涙が止まりません!」



 シンシアは眉尻をハンカチで拭うと、ウィリアムの出て行った扉に険しい視線を送る。



「それにしても、奥様の言う通り遅いですね。旦那様だけではなく、執事長のオルトンも対応していると思うのですが……」


「……少し様子を見た方がいいかな?」


「お供いたします」



 ロザリンドはシンシアを引き連れて、未だ言い争いの終わらないエントランスホールへと向かった。







「……ウィリアム様?」


 そこではウィリアムと妙齢の美しい女性がいがみ合っていた。

 女性は緩くウエーブのかかった豪奢なストロベリーブロンドを揺らし、ぷっくりとした唇は悩ましい色気を醸し出している。意志の強そうなペリドットの瞳は怒りに燃えていて、彼女の生命の強さが感じ取れた。



(……誰だろう、この人)



 彼女を見ていると、ロザリンドの胸の奥がズキンと痛む。

 健康そのもののはずなのに、どうしたのだろうか。

 ロザリンドが首を傾げて黙考していると、自分へ罵声が浴びせられる。



「ちょっと、ウィル! 誰よ、この女!」


「私の妻だ! シャーリー、久方ぶりに現れたかと思えば――」



 この女性はシャーリーというらしい。

 彼女がウィリアムのことを愛称で呼んでいることに、ロザリンドは驚きとは別にドロドロと渦巻く黒い感情に冒された。


 羨ましさと憎らしさの混じり合った、理論的に説明し難いこの感情はなんだろう?



「妻!? ちょっと社交界から遠ざかっていた間にそんなことになっていたの? ウィルのくせに生意気だわ!」


「いけません、シャーリー様!」


 シャーリーは顔を真っ赤にさせて一歩踏み出す。

 するとシンシアがロザリンドを守るように背にかばった。



(……シンシアもシャーリーのことを知っているの……?)



 おそらく、この中でシャーリーのことを知らないのはロザリンドだけだ。

 またロザリンドの胸の奥で痛みが奔る。



「あなた、名前は?」


「……ロザリンドです」


「ふーん。結構な美少女みたいだけど、わたくしほどじゃないわね。そうよ、わ、わたくしの方が美しいわ……」



 シャーリーは遠慮無くロザリンドを検分すると、ふんっと小鼻を膨らませた。



「ロザリンド。爵位か金か権力が目的なのかは知らないけれど、先にウィルの目を付けたのは、わたくしよ!」


「……目を付けた?」



 疑問に眉を顰めていると、ひょっこりシャーリーの後ろから男の子が飛び出した。


 男の子は三歳ぐらいだろうか。

 彼女譲りのストロベリーブロンドに、紫陽花のような青紫の瞳を持ち、整った顔立ちをしている。しかし、残念なことに男の子の目つきは凶悪で、ロザリンドにとっては慣れ親しんだものだった。



(待って、この目つき……ウィリアム様と瓜二つ……!)



 驚愕に目を見開いていると、所在なさげな男の子はきゅっとシャーリーのドレスの端を掴んだ。



「……かあさま」


「まあ、ルカ。もう怯えなくてもいいのよ。邪魔な女には消えてもらうから。だって、この家はヴァレンタイン侯爵家の血を引くあなたの居場所だもの」



 ガンッと鈍器で殴られたような衝撃がロザリンドの心を襲った。

 へなへなと床に倒れ込み、今にも叫びたい衝動をぐっと堪える。



「ヴァレンタイン侯爵家と縁を切ったお前がなんの目的で来たのか知らないが、ロザリンドは私の妻だ! シャーリーの入る余地などない!」


「自分の息子を捨てるっていうの!? ルカは、わたくしとウィルが愛し合って生まれた子よ!」


「……あ、いし、あう……?」


「違う、誤解だ、ロザリンド! そんなことはあり得ない!」



 ウィリアムがロザリンドの肩を掴み、必死に弁明をするが、今の彼女にはシャーリーの声しか届いていない。それは悪魔の囁きのように甘くはなかったが、ロザリンドを破滅させようとするところは同じ性質だった。



「わたくしはヴァレンタイン侯爵家当主の元婚約者だもの。愛し合うのだって、別におかしなことではないでしょう?」



 勝ち誇ったようなシャーリーの笑みを見て、ぷつんとロザリンドの中で何かが切れた。



「お前は私を愛してなどいなかっただろう! ロザリンド、気にしてはいけない彼女は――――」


「触らないでください!」



 ロザリンドの頬にウィリアムが触れようとした瞬間、彼女はぱしんっと手ではたき落とし、拒絶の意思を示した。

 ウィリアムは元流離いの女好きだ。恋人の一人や二人いただろう。

 それは仕方のないことだと思っていた。自分は許せると思っていた。


 しかし、自分の思っていた以上に心が狭かったらしい。

 幸せの象徴(ルカ)を見て、冷静でいられるほどの理性は持ち合わせていない。

 ロザリンドは漸く自分の心に巣くっていたモヤモヤとした感情の正体に気がついた。

 

 それは嫉妬。

 原初の人間から持っていた罪深き感情の一つだ。



「実家に帰らせていただきます!」



 次いで出た言葉は、何かの本に書かれていた脇役の台詞だった。

 ウィリアムはぽかんと口を開けてロザリンドを見上げている。


 ロザリンドは苛立つ感情のまま彼を睨むと、ついて行こうとするシンシアを手で制してそのままエントランスホールを出て行く。


 そして御者に声をかけて馬車に乗ると、ウィリアムに行き先も告げずにヴァレンタイン侯爵家を後にしたのだった。












「それで、あたくしの元へ来たのね」



 ロザリンドが助けを求めたのは、フランレシア王国の偉大なる女王、エレアノーラだった。



「……考えてみれば、わたしに実家などありませんから。迷惑……でしたよね」


「そんなことはないわ。執務の間のいい暇つぶ――んん、孫弟子のためなら当然よ」



 本来ならば貴族であろうと謁見に数日の時間が必要になるが、ロザリンドは特別だった。

 女王にとってロザリンドは、愛する弟子の忘れ形見。そして、黄金の聖女という称号を与えてまで国に縛り付けたい、優秀な研究者だ。



「それにしても、シャーリーね。今になって出てくるなんて……困った子」



 エレアノーラは憂いのある溜息を吐いた。



「シャーリーさんを女王陛下はご存じなのですか? ヴァレンタイン侯爵家当主の元婚約者と言っていましたが……」


「それは本当よ。ウィリアムとは幼馴染……になるんじゃないかしら。でもシャーリーはある事情で婚約破棄された後、そのまま老いた男爵の後妻となったわ。今はその男爵も死んでいるから、相当な資産を相続した未亡人といったところかしら」


「……未亡人。やっぱりウィリアム様は色気のある、たゆんたゆんした女性がお好み……」



 自分にはないシャーリーの女としての魅力を思い出し、ロザリンドは肩を落とした。



「えらく弱気ね、ロザリンド」


「……子どもがいました。ウィリアム様そっくりの、利発そうな男の子。わたしはきっと邪魔者になる……」



 ロザリンドとウィリアムの間に子はいない。

 それならば、自分が身を引くのが正解ではないか。


 何よりロザリンドは怖かった。

 仮にロザリンドが妻の座に収まったまま、シャーリーとルカと生活することになったとしよう。

 その時、自分は平静でいられるだろうか。継母のようになって、何も罪のないルカを傷つけてしまうのではないのか。


 そう考えると、ロザリンドは自分こそが邪魔者な気がして仕方なかった。



「ロザリンド、あたくしは女王としてではなく、ひとりの女性として助言するわ。ウィリアムと別居しなさい」



 心の内を読んだかのように、女王はそっとロザリンドの震える手を両手で包み込む。



「……別居……?」


「そうよ。結婚というのは、お互いを支え合い生きていくもの。でも、どんな夫婦でも誓いが揺らぐことがあるの。そんなときはどうすると思う?」


「……実家に帰らせていただきます……?」


「ええ。距離を置けばお互いに冷静になるし、忘れていた気持ちを呼び起こすことにもなるわ。別居は逃げじゃない、向き合うための充電期間よ」



 自分の行動は逃げではない。

 そう他者に肯定されることで、気持ちが前向きになるから不思議だ。



「わたし、ウィリアム様と別居する!」


「よく、言ったわ! セルザード伯爵家に帰るのは嫌でしょう? だから、わたしがロザリンドに――黄金の聖女に仕事を与えます」



 ロザリンドは居住まいを正し、これから告げられるであろう王命に気を引き締めた。



「エレアノーラ学院に戻って、期間限定の講師になりなさい。ついでに研究し放題よ」


「研究!? やる! やります、やらせてください!」



 思っていたのとは違う命令に、ロザリンドは心を躍らせた。

 次々に研究したい事柄が浮かんでくる。



「うふふ。きっと、ロザリンドにとって特別な出会いが待っているわ」


 女王は予知めいた言葉を紡ぐとにんまりと口角を上げた。




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