31話 ベルニーニの隠れ家
ウィリアムはジェイラスの指示に従い、部隊を組み、暗殺者を追跡するために、スペンサー公爵家を飛び出した。急ごしらえのはずの部隊はウィリアムの指示を忠実に聞き、統制の取れた行動をとっている。
部隊は途中で二手に分かれ、ウィリアムを含めた限られた少数精鋭のみ、暗殺者とは違う方向へと馬を走らせる。
そしてウィリアムの率いた部隊は王都の外れにある貧困街に着くと、騎馬から下り、闇に溶け込むように気配と足音を断って入り組んだ路地を進んでいく。
「本当なら、事を動かすのは3日後のはずだったんだが……」
ウィリアムが小声で呟くと、戦時からの付き合いの副官――ラッセルが首を縦に振った。
「今日のスペンサー公爵家の夜会は、親王家派の貴族や文化人、それに商人のみ招待。外側の警備は厳重だったっす。近衛だけじゃなく、俺たち軍人を出動してましたから」
「貴族たちに悟られるのを避けるために、内側の警備を通常通りにしたのが間違いだったな。……まあ、今となっては後の祭りだが」
「冷静っすね、ヴァレンタイン卿。姫閣下が死ぬかもしれないのに」
ラッセルは目をぱちくりとさせた。
「ロザリンドがオーレリアを助けると言ったんだ。それなら、私は信じるたけだ」
「惚気っすか!? うざいっすね!」
ウィリアムはラッセルを睨み付け、眉間に深々と皺を寄せた。
それを見たラッセルはぎこちなくウィリアムから目をそらすと、裏返った声で問いかける。
「正直な話、卿の奥さんは解毒することができるんっすか? 未だかつて、ベルニーニの最高傑作である死灰毒を解毒できた人なんていないっすよ」
「できる」
短く、しかし確信めいたウィリアムの言葉に、ラッセルは疑うことなく頷いた。
「卿が言うならそうなんでしょうねー」
「どうしてそんなことが分かる」
正直に言って、他人にロザリンドの才能が理解できるとは思ってもいなかった。だからラッセルの肯定の言葉に、ウィリアムは驚いていた。
そんなウィリアムの内心など露知らず。ラッセルはいつもの軽い調子で話し出した。
「だって戦争中、瀕死の卿を救ったのは、奥さんじゃないっすか。結婚した時から思ってましたけど、運命的っすよね。部下一同、卿が羨ましくてしょうがないっす!」
「おい、ちょっと待て。お前、ロザリンドがあの時のせい――医者だったと、私が結婚したときから知っていたのか!」
ウィリアムが結婚したとき、社交界には『狼侯爵の伴侶は変人令嬢だ』という噂が流れた。当然、部下たちはそのことを知っていた。しかし、彼らはウィリアムに対して祝辞しか述べなかった。
(珍しく気の使える奴らだと思っていたが、すべて知られた上で見守られていたのか……!)
なんという屈辱。ウィリアムは己の数々の痴態を思い出し、眉間の皺をますます深くさせる。
「いやいや、卿を救護所に連れて行ったのは俺っすよ? あんな奇天烈眼鏡をかけた女の子なんて、忘れようがないじゃないっすか。それにしても、眼鏡の下があーんな美人だなんて思いもしなかったっす。眼福っす――って、卿! どうして俺に剣先をむけるんっすか!」
ウィリアムは無意識にラッセルへと剣先を向けていた。
「…………すまない、手が滑った」
「絶対に嘘っすよね!?」
忠実な副官に武器を向けるなど疲れているな、と思いながらウィリアムは静かに剣を鞘に戻した。
「まあ、真面目な話、卿の奥さん大丈夫なんすかねー。もしも死灰毒の解毒薬を作り出したら、大変なことになるっすよ? 他国から狙われるのは確実っすね。自国の貴族たちもこぞって利用したがるでしょうし。もちろん、姫閣下には助かって欲しいですけど……」
「私が守るから問題ない。それにロザリンドは遅かれ早かれ、政治の表舞台に立つことになる人材だ。本人が望むと望まないに限らず。……っと、話は終いだ」
貧困街の外れにある一軒の酒場。そこが近頃、フランレシア内で暗躍しているベルニーニの工作員たちのアジトだというのは、調べがついている。さらに、ウィリアムはベルニーニの工作員が動けば先手を打てるように、部下に酒場を監視させていた。
「お疲れ様です、卿。それにラッセル。……何か起こりましたか?」
監視を命じていた部下――セレスが、貧民の姿でウィリアムたちに小走りで近づいた。
「スペンサー公爵家の夜会で暗殺者にジェイラスが襲われ、オーレリアが怪我をした」
「……なるほど」
本来ならば、3日後に軍で制圧することが決まっていた。だが、ジェイラスに暗殺者が差し向けられ、オーレリアが怪我をしたことから、予定が早まったのだ。
(姿を隠すのが上手い暗殺者を追うよりも、依頼主であろう彼らを制圧する方が理にかなっているからな。まあ、ジェイラスも内心では怒り狂っているのだろうが……)
ジェイラスにとって、オーレリアは心の拠り所だ。幼い頃から偉大な女王を持つジェイラスは、期待に押しつぶされ心を壊しかけていた。そのときにジェイラスを救ったのがオーレリアだ。
「ですが妙ですね。酒場は今日も通常通りで、ベルニーニの工作員たちに変化は見られないように感じます」
「何にせよ、奴らは拘束せねばならん。ジェイラスの命令だからな」
ジェイラスは正面から、ラッセルとセレスは酒場の裏手へと回る。もう朝が近いからか、酒場には客はおらず、静寂に包まれていた。
ウィリアムは堂々とした足取りで、酒場へと足を踏み入れる。
酒場の中は、飲み終わった酒瓶が転がり、酔っ払いがいびきをかいてテーブルに突っ伏していた。
片付けをしているのか、酒場の店主らしき男がカウンターの下から立ち上がる。
「今日はもう仕舞いだ! さっさと帰り――」
ウィリアムの顔を見るなり、男が果物ナイフを投擲した。ウィリアムは眉一つ動かさずに剣でそれを弾く。
「ちぃっ! 狼侯爵が何故ここに……」
「私も有名になったな。まあいい」
ウィリアムはすっと息を吸い、剣を構える。
「フランレシア軍だ! 大人しく投降すれば、命の保証だけはしてやろう」
ラッセルたちが潜入しやすいように、ウィリアムは大きな声を張り上げる。すると、次々と人が移動する気配をウィリアムは感じた。
(逃げる者、攻撃をしようとしている者……合わせて5人といったところか……)
「おらぁぁあああ」
店主らしき男が剣を持ち、ウィリアムへと斬りかかる。しかし、ウィリアムは無言でそれを剣で受け止めると、剣身を滑らせるようにいなし、流れるような身のこなしで男の背を切る。
「う、うがぁっ」
男は最初、何が起こったのか分かっていなかったが、後から襲ってきた痛みに悶えて床に転がった。黒く煤汚れた床板を、男の鮮やかな血が花が咲くように染めていく。
ウィリアムが若くして軍務大臣の地位に就けたのは、家柄と女王のごり押しがあっただけではない。
軍は実力主義だ。戦争があったから尚更、軍人たちは実力のある者を尊び従う。ウィリアムは劣勢だった戦争で着実に戦果をあげ、ヴァレンタイン侯爵家の放蕩息子から出世して信頼を勝ち得ていったのだ。
まさしく、ウィリアムはフランレシア最強の男と言える。
「……警戒か怯えか。わざわざ私が待つ道理はないな」
ウィリアムは音もなく駆け出すと、潜み様子を窺っているベルニーニの工作員の元へ一直線に向かう。
「うぁ、ぐふっ……」
剣の柄で工作員の腹部を強打し、強制的に意識を落とす。ウィリアムは力なく男が倒れるのを確認すると、店から二階へと続く階段を上った。
そして二階に到着すると、2人の男が血を流して床に転がり、1人の男が意識のある状態で拘束されていた。
「卿、遅かったっすね」
「悪かった。それにしても、そうしていると、ただの盗人にしか見えないな、ラッセル」
「確かにそうですね」
ラッセルは片っ端から引き出しを開け、物を物色していた。床には衣服や紙束、宝石なども散乱している。
セレスは机の上に置かれている書類の束を検分していた。
「酷いっす! 俺はジェイラス殿下暗殺未遂の手がかりを仕事をしているだけなのに。いいから卿たちも仕事してくださいよ!」
ラッセルが唇を尖らせて抗議をした。
ウィリアムはラッセルを無視して、拘束されている男へと視線を向けた。男は酷薄な笑みを浮かべるのみで、簡単に口を割りそうではない。
(私もラッセルと共に引き出しを漁るしかないか。この者たちがベルニーニの工作員なのは間違いないが、今回のジェイラス暗殺未遂の犯行者とはとても思えない)
「きっひっひっ……」
「何がおかしい?」
突然笑い出したベルニーニの工作員を、ウィリアムは睨んだ。
「おお、怖い怖い。気分を害したのなら悪かったよ。でも、笑わずにはいられないさ。オレたちは、あの女に体よく利用されていたのだからなぁ」
「あの女とは誰だ?」
「きっひひっ……王太子の暗殺すらも陽動だってことさぁ。でもまあ……こうしてアンタの顔を見ていたら、少しは溜飲が下がるってもんだ。きひっひひっひははははははは!」
「どういうことだ!」
ウィリアムが肩を揺さぶると、男は歪んだ笑みを称えながら口端から一筋の血を流す。次いで黄みがかった泡を吹き出し、白目をむいてだらりと力なく倒れた。
セレスは男に近づき、彼の首筋に手を当てた。
「……死んでいますね。奥歯に毒でも仕込んでいたのでしょう」
「見上げた覚悟っすね」
「彼からは僅かに薬物の臭いがします。その覚悟とやらも、まがい物なのかもしれません」
「……真意は確かめようがないがな」
ウィリアムは男の目尻からこぼれ落ちた涙を拭い、瞼を下ろした。今は戦時ではない。死者を辱める必要性もないだろう。
「臭う、臭うぞぉぉおおおお!」
「……うるさいぞ、ラッセル」
ウィリアムは溜息を吐き、突然奇声を上げたラッセルを窘めた。
「卿、手がかりを見つけましたよ。嫌な臭いがぷんぷんっす! 肉食獣のような顔で唸っている暇なんてありませんよ」
「……肉食獣」
ウィリアムは僅かに落ち込みながら、ラッセルが押しつけてきた手紙に目を通す。
「……文面は普通だな」
「貸してください、卿」
セレスは手紙に目を通すと、窓から差し込む朝日に便せんを透かして見せた。便せんには薄らと、鳥と碇の紋章が浮かび上がる。
「貴族の紋章ではないな」
「ええ。最近、力をつけてきたノース貿易会社の紋章です。偽装をしていますが、この手紙は暗号ですね。文面はおそらく……フランレシア貴族の内情です。特に……ある貴族女性について詳しく書かれております」
「ある貴族女性とは?」
ウィリアムが問いかけると、セレスは一瞬言い淀んだが、すぐに迷いを捨てて簡潔に言葉を紡ぐ。
「卿の奥方。ロザリンド・ヴァレンタイン様です」
「まさか!」
ウィリアムは手紙越しに朝日を睨み付けると、すぐさま酒場を飛び出し、スペンサー公爵家へと騎馬を駆ける――――




