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狼侯爵と愛の霊薬  作者: 橘 千秋
第一章
23/57

23話 そして赤い糸は結びつく 

 激情に身を任せ、ウィリアムに大嫌いと罵った後、頼る相手のいないロザリンドは結局、ヴァレンタイン侯爵家へと帰ってきた。それから一週間経ったが、ウィリアムは一度も屋敷には帰らず、ロザリンドもまた研究もせずに自室に籠もっていた。



「奥様、何かお召し上がりになりませんか? 今日は珍しい果物が手に入ったんですよ!」



 シンシアが明るい声で言った。

 ロザリンドは彼女の気遣いに気づいてはいたが、食欲がないため首を横に振る。



「ごめんね、シンシア。今は何も食べたくないの」



 ロッキングチェアに身を預け、ぼんやりと薄暗い外の景色を窓越しに眺めた。


 結婚し、ウィリアムと食事をするようになってから、ロザリンドの味覚は徐々に回復していた。しかし、今のロザリンドはウィリアムと結婚する前よりも酷い状態で、味を感じないばかりか、食事をすると強烈な吐き気に襲われる始末だ。



「……そうですか。奥様、何か食べたいものがあればすぐに言ってくださいね?」



 シンシアは、もはやお飾りの妻と名乗るのもおこがましいロザリンドのことを嫌がらず、献身的に世話をしてくれている。



「ありがとう、シンシア。……少し、ひとりにしてもらえる?」


「かしこまりました、奥様」



 シンシアはロザリンドに一礼し、退出した。



(……本当に旦那様も含めて、ヴァレンタイン侯爵家の皆は優しい人たちばかり)



 ロザリンドはヴァレンタイン侯爵家の皆が大好きだ。しかしロザリンドはここから離れなければならない。ウィリアムに望まれていないこともだが、一番の懸念はロザリンドという存在が彼らを危険に晒してしまうことだ。



 ――ロザリンド君は解毒薬を作り出す天才だけど、それは同時に恐ろしい毒薬を作る才能も秘めているんだよ。毒と薬は表裏一体だからね。



 戦争が終結した後、学院に帰還したロザリンドに学院長が言った言葉だ。それがロザリンドの頭から離れない。

 

 当初の予定では、ベルニーニが次々と使用してくる新しい毒に対抗するため、ロザリンドを王宮の戦略機関に送り込み、毒薬を開発させる手筈だったそうだ。しかしそれはファリスや学院長たちの機転により、召集がかかる前に、ロザリンドが戦場に最も近い治療施設に行ったため、計画は頓挫したそうだ。



(今は一部の人たちしか知らないけれど、わたしが黄金の錬金術師の正体だと明るみになれば、ヴァレンタイン侯爵家の皆を……旦那様を……危険に晒してしまう)



 ロザリンドはぐっと拳を握る。


 しばらく黙考していると、窓にぽつぽつと水滴がつき始めた。雨が降り出したのだ。あっという間に雨音は強くなり、窓からは木々がしとどに濡れる様が見えた。


 ロザリンドはロッキングチェアから立ち上がり、そっと窓枠に触れた。すると遠くに光の柱が現れる。次いでゴロゴロと雷鳴が轟いた。



「ひぃっ」



 ロザリンドは耳をふさぎ、目を瞑って踞る。しかし完全に音を遮ることは難しく、雷はどんどんロザリンドへ近づいてくる。



「……嫌……やめて……怖い……怖いっ」



 ファリスが死んだあの日から、ロザリンドは雷に恐怖を感じるようになった。雷は自分の不甲斐なさと、過ちと、後悔、そしてファリスともう会うことができない現実を目の前に突きつけてくるようで、酷く心が乱れるのだ。



「誰か……せめて誰かいるところに行けば……大丈夫……」



 生きた人間のいるところに行きさえすれば、ロザリンドの心は多少落ち着く。ロザリンドはのろのろとした足取りで歩き出し、扉を開けた。



「ふぐぅっ!」



「え……旦那様!?」



 部屋の外にはウィリアムが鼻を押さえて踞っていた。どうやらロザリンドが扉を開けたときに運悪く鼻を強打してしまったらしい。

 ロザリンドは慌ててウィリアムに駆け寄ると、久方ぶりに彼の顔を見た。



「鼻血は出ていないみたい。旦那様、まだ痛い?」


「問題ない。すぐに治る。……それよりも、君は大嫌いな相手を心配するんだな」



 ロザリンドはウィリアムから飛び退き、そのまま逃げだそうとした。しかしそれはウィリアムに腕を掴まれ、抱きしめられたことで阻止されてしまう。



「え……何……? なんで、え?」



 自分はウィリアムに酷いことを言ったのだから、嫌われているはずだ。それなのに今、ロザリンドは彼の腕の中にいる。ロザリンドは困惑を隠しきれなかった。



「好きだ、ロザリンド。初めて出会ったときから、私は君のことが好きだった」


「え、嘘……絶対に嘘!」


「嘘じゃない」



 ウィリアムはロザリンドの目を見てはっきり言うと、おもむろに小さな花束をロザリンドに渡した。その花束は薔薇や百合などの大輪の美しい花ではなく、毒々しい紫黒色をした小さな花を集めたものだ。とても女性に贈るような花ではないだろう。しかし、ロザリンドにとってこの花は特別なものだった。



「もしかしてこれは……死霊花?」



 死霊花は惚れ薬の材料になると言われている花で、現存しているかは不明だとされていた。今ロザリンドが握っている花束は、死霊花の特徴と完全に一致している。


 ロザリンドは信じられない思いでウィリアムを見上げた。



「そうだ。初めて君がヴァレンタイン侯爵家に来た日に、これが見たいと言っていただろう?」


「覚えていてくれたの……?」


「予想外の仕事が入り遅くなってしまったが、君と仲直りがしたくてオーレリアに探してもらったのだ」



 ロザリンドは花束を握りしめ、必死に涙を堪えた。



(……死霊花の花言葉は『あなたを愛しています』だよね。これもわたしが旦那様に言ったこと)



 恋をした相手に好きだと思いを返してもらって、それでも大嫌いだと嘘を吐くことは、ロザリンドには無理だった。離したくない、愛したい愛されたいと浅ましい感情がロザリンドの心に湧き上がる。



 そのとき――屋敷の程近くに雷が落ち、耳を劈くような雷鳴と地響いた。驚いたロザリンドは、ウィリアムに自分から抱きついてしまう。



「ひゃぁぁぁあああ!」



 雷と咄嗟の自分の行動に驚き、ロザリンドは軽い恐慌状態に陥る。そんなロザリンドを、ウィリアムは壊れ物を扱うかのように優しく抱きしめた。



「ロザリンドは雷が苦手なのか?」


「……苦手です」


「では君が落ち着くまで傍にいよう」



 ウィリアムはロザリンドを抱上げるとそのままロザリンドの部屋へ行き、ベッドに腰掛けた。ロザリンドはウィリアムの膝に乗り、子どもをあやすような体勢になる。ロザリンドは気恥ずかしさを感じたが、ウィリアムの暖かな体温と心音に安心し、子どものように甘えてしまう。



「ロザリンド、私たちは夫婦だ。君が望んでくれるのならば……これからもそうであって欲しいと願っている」


「旦那様は……わたしをずっと守ってくれる?」


「妻を守るのは夫の務めだ。愛する君を奪う者に容赦するほど、私は甘い男ではない」



 ウィリアムは、ロザリンドが今まで出会った中で一番強い男性だ。この人ならば大丈夫。共に乗り越えていけるとロザリンドは確信した。

 


(ファリス……わたしの馬鹿なところも、研究すると周りが見えなくなるところも、本当は寂しがり屋なところも、全部全部受け入れて守ってくれるような人に、ちゃんと出会えたよ)



 ロザリンドは眼鏡を外し、ウィリアムの妻になって初めて、自ら素顔を晒した。



「わたしも好きです……大好きです。愛しています、ウィリアム様」



 ロザリンドとウィリアムはどちらともなく唇を重ね合わせた――――





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