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狼侯爵と愛の霊薬  作者: 橘 千秋
第一章
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22話 真夜中の語らい

 真夜中にもなると、昼間のような忙しい人々の喧騒は消え、しんと静まり返る。ロザリンドは自分に与えられた個室のテントの中、薄ぼんやりとした蝋燭の火に照らされながら、言葉もなくつらつらと涙を流していた。


 ロザリンドのベッドには先ほど治療した軍人が横になり、規則正しい寝息を立てていた。幸いにも彼の手術は成功し、今は全身を包帯で巻かれた状況だ。



(……わたしには泣く資格なんてないのに。涙が止まらないや)



 今夜は眠れる気がしなかったロザリンドは、軍人の看護に名乗り出た。普段ならば、夜間は他の医療従事者が交代で重症患者を見るが、眠れないならロザリンドがした方が効率が良いと判断したのだ。


 しかし、こうしてひとり考える時間があると、ロザリンドは自分の不甲斐なさと、罪悪感と、一生拭うことのできないであろう後悔に心を支配されていた。



(殺した……わたしがファリスを殺したんだ……)



 ロザリンドが弟子にならなけらば、ファリスも死ぬことなんてなかっただろう。ひとり脳天気に解毒薬を開発している間、ファリスはロザリンドを守るために死ぬ覚悟をしていたのだ。あんなに近くにいたのに、どうして気づけなかったのだろうか。

 ファリスがロザリンドを愛していたように、ロザリンドもファリスを愛していた。ロザリンドだって、ファリスのためならば喜んで命を捧げるというのに、彼はひとり先に旅立ってしまった。



「……うっ……うぐ……うう……」



 ロザリンドは必死に嗚咽を押さえ込む。涙をふくために眼鏡を外し、服の裾で目元をぬぐっていると、無骨な大きな手がロザリンドの腕を掴んだ。



「……泣いているのか……?」



 ロザリンドは慌てて眼鏡をかけようとするが、軍人はロザリンドの腕を放そうとしない。



(まあいいか。薄暗いし顔なんてよく見えないよね)



 諦めたロザリンドはそのまま軍人に向き合った。



「軍人さん、起きたんだ。気分はどう? 右目は摘出したから視力はないけど、左目はどうかな? ちゃんと見えてる?」



 ロザリンドは軍人の目の状態を確かめるように、ぐいっと顔を近づける。

 軍人は目をぱちくりさせ、漸くロザリンドの腕を放した。



「し、視界は良好だ。距離感が以前と違う感じはするな」


「とりあえず、失明していなくて良かった。距離感は慣れてもらうしかないね」



 ロザリンドは水筒を取り出すと、軍人の上体を起こし、水を飲ませた。軍人は問題なく水を嚥下していく。

 水が飲み終わると、ロザリンドは、あらかじめ用意していたスープを軍人の口元へ運んでいく。彼は全身傷だらけだ。食事するだけでも身体が痛むだろうと、ロザリンドなりの配慮だった。



(良かった。怒ってない)



 患者の中には食事の介助をすると怒る者がいる。やはり大人としては、こんな小娘にお世話されるのを屈辱に感じるのだろう。その点、軍人はロザリンドがスプーンを差しだしても黙って食してくれる。



「軍人さん、頬が紅色だね。体温が上がってきたみたい」


「いや! そんな訳が……私が……こんな少女に? ……いいや、あり得ない……あり得ない……」



 軍人はぶつぶつと呟きながらロザリンドの目をじっと見つめた。それは数秒のことで、すぐに軍人は顔を俯かせてしまう。



「……あり得てしまったのか……? 違う、私は変態では……」


「やっぱり体調が悪いの……?」



 彼は忍耐強い男性なのかもしれない。ロザリンドは軍人の脈を取ろうと彼の手首を掴んだ。すると軍人はロザリンドの手を両手すっぽりとで包んでしまう。これでは脈を測れない。



「軍人さんの脈を測りたいんだけど……?」


「す、すまない! 無意識で!」



 軍人は慌てた様子でロザリンドの手を離した。



(もしかして、手首で脈を測るのは嫌なのかな?)



 ロザリンドは敷布の上に乗り、軍人へ身体を近づける。そして彼の首元に手を当てて脈を測り始めた。軍人はロザリンドが脈を測りやすいように配慮してくれているのか、石像のように固まっている。



「…………ちょっと脈拍が早いみたい。でも、心配するほどでもないかな」

 


 ロザリンドは軍人から少し離れる。

 軍人は軽く咳払いすると、ロザリンドに真剣な目を向けた。



「ここへ運ばれた時、私の部下がいたはずなんだが、彼はどこに?」


「軍人さんを治療し始めてすぐに、戦場へ戻ったよ」


「そうか」



 軍人はそう言うと、顎に手を当てて考え込む。

 彼を見て、ロザリンドの女の勘が警告を鳴らした。



「軍人さん、最低でも一週間は絶対安静だからね」


「……うっ」



 軍人はバツが悪そうな顔をした。



(……なんか可愛い)



 顔は怖いのに、彼の表情は穏やかだったり、心配したり、驚いたりと、ころころ移り変わる。本当に優しい人なのだとロザリンドは思った。



「先ほどから思っていたのだが、君は名前を呼ばないんだな。ああ、自己紹介がまだだった。私の名前はウィリ――」


「黙って」



 ロザリンドは軍人の唇に自分の人差し指を当てた。



「名前は呼ばないし、教えてはいけないの。情を持つのは良くないから……お互いにね?」


「……分かった」



 軍人は大人しく頷いた。



「少し君と話をしてもいいか?」


「いいよ。軍人さんが眠むれるまで付き合う」


「……どうして君は泣いていたんだ?」



 ロザリンドはびくっと肩を振るわせた。



「わ、わたし……」


「は、話したくないなら話さなくて良い!」



 軍人はロザリンドを心配そうにのぞき込む。

 そんな彼の優しさが、ロザリンドの心を強く揺さぶった。



「わたし……ひとりぼっちになっちゃった……ずっとずっと大切だったのに……わたしは……」



 懺悔するように、ロザリンドは嗚咽混じりに言葉を紡ぐ。

 すると軍人はどこか遠くを見つめながら、ぽつりぽつりと語り出す。



「私も大切な人を失った。父や兄、尊敬する先輩方、苦楽を共にした友人、守り育てるべき部下。戦争は私から多くの人を奪った。しかし、私は奪う側の人間でもある」


「でも、それは軍人だから仕方ない。貴方たちが戦ってくれなければ、わたしたちは無抵抗で蹂躙されるだけ」


「私から大切な人を奪った者たちも悪魔ではない。家族や友人がいて、戦争がなければ憎しみ合うこともない、私と同じただの人間だろう。しかし、私たちは戦うしかない。それが戦争だからな」



 軍人はロザリンドの頬に触れると、眩しいものを見るように目を細めた。



「私は君が羨ましい。君の手は奪うのではなく救う手だ」


「違う! わたしは一番大切な人を助けられなかった」


「事実、私を救ってくれたじゃないか」



 救ってくれたのは彼の方だ。ロザリンドの後悔と罪は一生付きまとう。それでも、今はほんの少しだけロザリンドは自分を誇れるような気がする。



「ありがとう……ありがとう、軍人さん……」



 ロザリンドは涙が流れるのは押さえ切れなかったが、彼に感謝を伝えるため、今できる精一杯の笑顔を見せた。

 軍人はロザリンドの腕を引っ張り、体勢を崩させた。ロザリンドは、ぽすんっと彼の胸に顔を押しつけてしまう。



「……もう、変態でいいか……」


「ひくっ、何か言った、軍人さん?」


「いいから、泣いておきなさい」



 傷があって痛いだろうに、軍人はロザリンドへ胸を貸してくれた。これではどちらが患者か分からない。しかしロザリンドは彼の好意に甘え、少しの間、泣かせてもらうことにした。



(泣き終わったら、弱くて愚かなわたしは終わり。ファリスに誇れるような、わたしになるから……)



 泣くのにも体力がいる。ほとんど睡眠も取れずに連日働いていたのと、心が疲れていたのか、ロザリンドは次第に瞼が重くなっていった。

 ぼんやりとした意識の中、軍人の声が子守歌のようにロザリンドの耳をくすぐる。



「私はフランレシアを守る。だからこの戦争が終わったら君の名前を教えてくれ。必ず迎えに行くから……」



 ロザリンドは軍人の言葉を解する前に、深い微睡みへと落ちていった――――









 ロザリンドが目覚めると、軍人は姿を消していた。

 他の医療従事者が言うには、彼は早朝に戦場へと戻っていったのだという。



(大丈夫じゃないよね。全身痛いはずだし、右目が化膿しないか心配だし。……絶対安静って言ったのに)



 ロザリンドは唇を尖らせながらも、軍人のことが心配だった。だが、治療を受けた者が姿を消してしまうのは、ここではよくあることだ。

 ロザリンドは頬をパンッと叩いて自分に渇を入れる。



「よっし!」



 腫れた目は眼鏡が隠してくれる。ファリスはもういない。このテントにいる医者はロザリンドだけだ。



(わたしが沈んでいたら、みんなを不安にさせる。大丈夫。心は辛くても、いつものわたしになれる)



 ロザリンドは患者たちに朝の挨拶をしながら、いつも通りがむしゃらに治療を始める。





 それから三週間が経った頃、フランレシア王国勝利の吉報がロザリンドの元へ届くのであった――――





過去編終わり。

次から現代に戻ります。ラブコメのターンまであと少し。

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