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狼侯爵と愛の霊薬  作者: 橘 千秋
第一章
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21話 黄金の錬金術師

 ファリスは医療従事者に割り当てられた個室テントに運ばれた。

 死灰毒の解毒薬は開発されていない。だが諦めきれないロザリンドは、治療器具や薬を取りに行こうとする。しかしそれはファリスがロザリンドの服を掴んだため、止められた。



「行くな、ロザリンド。医療品がもったいねーだろ」


「でも、ファリスが……」


「……死灰毒か。こりゃ、いよいよ俺もお迎えがくるな」



 矢が突き刺さった自分の足を見ながら、あっけからんとした態度でファリスは言った。

 ロザリンドはふつふつと怒りが湧いてくる。そしてそれは、あっという間に爆発した。



「馬鹿なこと言わないでよ! ファリスは大勢の人たちに必要とされている人間なの。こんなところで……死んで良い訳がない!」


「そうか? ……俺は死ぬために戦場に来た」


「医者は救うためにいるの! 軍人でもないのに、どうしてファリスが――」



 ロザリンドはさらなる怒りをファリスにぶつけようとするが、ファリスが穏やかに微笑んだことで、それを呑み込んでしまう。

 ロザリンドはファリスの傍にしゃがみ、震える声で問いかける。



「……どうしても……治療しちゃダメなの……?」


「どうせ死ぬんだ。もったいねーって言ってるだろ、馬鹿弟子」



 いつも通りの口調。だけど、ファリスの言葉は弱々しい。刻一刻と死灰毒がファリスの身体を蝕んでいるのだと証明しているようで、ロザリンドの琥珀色の瞳からはボロボロと涙が零れていく。



「嫌だよ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 弟子らしくファリスの言うことはなんでも聞くし、面倒だけどすすんでお世話だってする。研究成果を寄こせなんてもう言わない。コーヒーの豆挽きだってサボらない。だから……だからお願い。死なないで、ファリス……わたしをひとりにしないで……」


「すまない、ロザリンド。だが……良いもんだな。こんな殺伐とした世界で、泣きながら看取ってくれる人がいるなんて、俺は随分と幸せ者だ」


「わたしは幸せじゃない! ファリスに生きて欲しいの」



 ロザリンドの頭の中に、人の身に過ぎた欲望ともいえる荒唐無稽な考えが思い浮かぶ。



「どんな毒だって、病気だって全部治す薬をわたしが作るから。……だからそれが完成するまで死なないでよ!」


「馬鹿ロザリンド。お前、本当に錬金術師になるつもりかよ」



 ファリスは小さく溜息を吐いた。



「ベルニーニ神国の開発した毒を次々と解毒する謎の薬師。フランレシアじゃ、黄金の錬金術師とか呼ばれている。ベルニーニ軍の暗殺対象者上位だな」


「そんなすごい人がいるんだ」


「お前のことだ、ロザリンド」



 ロザリンドは言われた意味が分からず瞠目した。

 ファリスはそんなロザリンドを置いたまま、話し続ける。



「戦争が始まった頃から、フランレシアの上層部はお前の才能に目を付けていた。学院長からもらっていた毒があるだろ。あれは全部、ベルニーニ軍が使用していた毒薬だ。何も知らないロザリンドに解毒薬を開発させていたんだよ。……どうだ? 権力者どもはきったねーだろ」


「……知らなかった」


「そうだろうな。俺も口止めされていた」



 ロザリンドは何も知らず、自分の研究欲に従って解毒薬を開発していた。それが国に利用されていたなんて思いもしなかった。



(……ちょっと待って。わたしが開発した解毒薬を、ファリスは自分が作ったって触れ回っていた。それって――)



「わた、しの……せい? ファリスは……わたしと間違われて……ベルニーニに毒を……」



 黄金の錬金術師がベルニーニ神国の暗殺対象ならば、ロザリンドを殺そうとするはずだ。ファリスの話から察するに、黄金の錬金術師の正体は厳重に伏せられたもののように感じる。しかし、ファリスが自分は黄金の錬金術師だと勘違いさせるような行動をしたため、ベルニーニ軍はロザリンドではなく、ファリスを殺すように動いた。



 ――俺は死ぬために戦場に来た。



 これはロザリンドの身代わりで殺されるために戦場に来たという意味ではないのか。



「変なところが察しが良くて困るな。……だが勘違いするな。師匠の義務として、俺は弟子を守っただけだ」



 ファリスは灰色に染まり始めた右手をぽんっとロザリンドの頭に乗せた。



(なんで……血のつながりなんてない、ただの師弟関係なのに……)



 ロザリンドを守ってくれる人なんていなかった。血の繋がった家族すら、危険が迫ればロザリンドのことなど顧みず、盾にすることも躊躇しないだろう。だがファリスは、赤の他人なのにロザリンドを文字通り命をかけて守ってくれた。


 どうして、何故とロザリンドの心は疑問でいっぱいになった。しかしそれらはやがて、単純明快な答えへとたどり着く。



「……ファリスはわたしを愛してくれていたの……?」


「恥ずかしいヤツ」


「わたしもファリスを愛している。この世界の誰よりも愛してる」


「そういうことは師匠じゃなくて結婚相手にでも言え」



 もはや触れているだけとしか感じないほどに弱々しい力で、ファリスはロザリンドの頬をつねった。



「……結婚相手なんていらない。どうせ、父の決めた政略結婚になるから」


「ロザリンド。お前は馬鹿でずぼらだが……綺麗な顔をしている。自覚がねーみたいだが」



 ファリスは指で引っかけるようにロザリンドの眼鏡を外した。



「……顔なんてどうでもいい」


「お前はそうだろうがな、周りは違う。そのツラを見たら、特にお前の父親は喜ぶだろうよ。政略結婚の駒としての価値が上がったとかな」


「もしかしてこの眼鏡も、わたしを守るため……?」



 ロザリンドが問いかけると、ファリスはバツの悪そうな顔をした。



「……まあな。貴族の子息どもがいる学院の中でその顔をさらせば、すぐにお前の父親は動き出しただろうな」


「……ファリス、ありがとう」



 ロザリンドは知らないところで、どれだけファリスに守られていたのだろう。



「これからもその眼鏡を外すなよ? そうだな、お前の馬鹿なところも、研究すると周りが見えなくなるところも、本当は寂しがり屋なところも、全部全部受け入れて守ってくれるような男が現れたら外せば良い」


「それは無理。顔を洗うときとか、寝るときはさすがに外す」


「雰囲気台無しだ、馬鹿弟子」



 ファリスは虚ろな目をしながら言った。身体はもはや首元まで灰色に染まり、指先一つ動かせずにいる。



「……最後に、師匠さまが不肖の弟子にいいことを教えてやろう」


「うん。教えて」



 ロザリンドはファリスの灰色の手を取り、泣き笑う。



「薬学を突き詰めた先にあるもの。それは古の錬金術師が作ったとされる、生の霊薬、死の霊薬、愛の霊薬の3つだ」


「……霊薬」


「生の霊薬を飲めば不老になる。死の霊薬はどんな病気も怪我も治す万能薬だ。そして愛の霊薬は惚れ薬。……これらは恐らく人が手を出してはならない領域だろな。手に入れると同時に失うものだから」



 ファリスの言っていることは、ロザリンドには難しく感じた。しかし、ロザリンドは一言一句聞き逃さないよう耳を傾ける。



「だが、俺はあえて弟子に課題を与える。ロザリンド、死の霊薬を作り上げろ。弟子は、師匠を超えなくては、ならない。偉大な、この俺を……超えるんだ。死の、霊薬ぐ、らい……作れ、る……よう、に、なれ……」


「……うん。わたしの生涯を懸けて死の霊薬を作り上げる。絶対にファリスを超えるから……少しだけ待っていて」



 ロザリンドの人生だけで死の霊薬を作れるとは今は思えない。だけど、ロザリンドは諦めない。命が燃え尽きるその瞬間まで、ロザリンドは足掻き続ける。



(だから……安心して。わたしはファリスのいない世界でも、生きることを止めないから)



 ロザリンドは、乾燥しホロホロと崩れ始めたファリスの手を慈しむように握り、ファリスの灰色の顔を見た。全身に死灰毒が回ったようで、彼は声を出すことは叶わない。


 残された僅かな時間をロザリンドとファリスは見つめ合う。



 やがてファリスの命は儚くなり、肉体は骨も残さず死灰となった――――










 ロザリンドはテントの外へ出て、かき集めたファリスの死灰を土に埋める。ついさっきまで雨が降っていたので、非力なロザリンドでも簡単に穴を掘ることができた。そのため、埋葬する時間はさほどかからなかった。


 ロザリンドはファリスを埋めた場所から動く気になれなかった。空虚な心を持て余しながら、ただただ時間を浪費する。しかしそれも、テントの中から聞こえた騒がしい声で中断された。



「お願いします、黄金の錬金術師さんに会わせてください! 彼ならヴァレンタイン中佐を治してくれるはずっす!」



 歳若い男性だろうか。その必死な声に導かれるように、ロザリンドはヨロヨロとした足取りでテントの中に戻った。



「……何かあったの?」


「弟子先生!」



 看護師のひとりが、ロザリンドに駆け寄る。彼女は酷く安堵した顔になり、ロザリンドに微笑んだ。



「……戻ってきてくれたんですね」


「……うん」



 短く答えると、ロザリンドは騒いでいたであろう青年の前に立った。



「急患?」


「はい。黄金の錬金術師さんにヴァレンタイン中佐の治療をお願いしたくて。中佐は……この戦争に勝つために絶対必要な人っす」



 少年は拳を握り、沈痛な面持ちで言った。



「……黄金の錬金術師は死んだよ」



 ファリスはロザリンドの身代わりになって死んだ。

 だから黄金の錬金術師は死んだことにするのが正解だろう。それはきっと、ファリスが望んだことだ。



「そんな……!」


「でも、わたしが助けるから」



 ロザリンドは背筋を伸ばすと、看護師の案内で急患の元へ向かった。

 そこには大柄な黒髪の軍人が全身傷だらけで横になっている。ロザリンドは慎重に軍人の診察をしていく。



「……身体の傷は多いけど、それほど深くない。後は毒を受けた形跡もあるけど、それも中和できるから大丈夫。問題は右目……完全に潰れている。摘出しないと」



 手術はつい最近出てきた医療技術だ。大きな危険は伴う。しかし眼球を摘出しなければ、そこから肉体が腐り軍人は死ぬだろう。



(成功するかは分からない。成功しても後遺症が出るかもしれない。それでも……)



「助けるから。絶対にわたしが助けるから」



 ロザリンドが強い意志のこもった目で青年を見上げた。すると青年は泣きながらロザリンドに敬礼をする。



「どうかよろしくお願いします……!」



 ロザリンドは頷くと、軍人を助けるため治療を始めた。




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