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狼侯爵と愛の霊薬  作者: 橘 千秋
第一章
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20話 希望と絶望

 太陽が昇るのと同時起き、真夜中になるまで数えるのも億劫な人数の患者を診る。そんな生活がもう数ヶ月も過ぎた。

 増え続ける患者の数。いくら世情に疎いロザリンドでも、フランレシア王国がかなり厳しい戦いを強いられているのは薄々感じていた。



「ふっざけんじゃねーよ!!」



 高熱の子どもを連れた村人がファリスの襟首を掴み上げる。しかしファリスは動揺することもなく、男へと淡々と機械的に言葉を紡ぐ。



「もう一度言う。この子どもを治療することはできない。ここにある医療品は底がつきかけている。助かる見込みが低い者に治療は施せない……軍人でないなら尚更な」


「……ふざけんな! あんた、医者だろ!」



 そう言って村人は拳を振り上げる。しかしそれは、比較的軽傷の男たちに取り押さえられた。



「大先生だって、本当は治療してやりたいんだ! だが、消毒すら満足にできない今の状況じゃ無理なんだよ!」


「……畜生。どうして、息子が死ななくちゃいけないんだ! 何も悪いことをしていないのに……」



 村人の言葉に、テント内が沈黙に包まれる。



(全部……戦争が悪いんだよ)



 そう思うが、ロザリンドは決して言葉には出さない。


 平時であれば助かったであろう命が、ロザリンドの目の前で毎日たくさん消えていく。医療品だけでなく、食料すらも危うい。医療従事者たちの食事の量を減らすが、それでも患者全員には行き渡らないこともある。患者に優先順位をつけ、縋り付いてきた人々に死を宣告する。ただ皆、現状のやるせなさに疲れていた。



「……ロザリンド。少しでも楽になれる場所へ寝かせてやれ」


「分かった、ファリス」



 ロザリンドは粗末な麻布の上に瀕死の少年を寝かせた。

 少年は朦朧とした意識の中で、ロザリンドの手を必死に掴む。



「おかあさん、いかないで。うたを……うたってくれるって……」



 少年の父親である村人を見ると、彼は沈んだ顔で首を横に振った。



(そうか……この子のお母さんはもう……)



 ロザリンドは少年の頭を撫でながら、自分ができることを考えた。



(……歌を歌おう)



 思い起こせば、ロザリンドは生まれてこの方歌ったことはない。セルザード伯爵家で施された淑女教育の中に、ピアノの演奏は含まれていたが、歌うことまでは求められることはなかった。エレアノーラ国学院に行ってからは研究と勉強の日々だったので言わずもがな。



「あー、あー」



 ロザリンドは喉の調子を整えるため発声練習をすると、緊張した面持ちで少年を見つめる。そして、学院の礼拝堂から時折聞こえた賛美歌を思い出しながら、ロザリンドは生まれて初めて歌声を振るわせた。



 人々よ どうか忘れないで


 ああ、忘れるな


 人々よ 忘れてはならない


 時は尽きた


 人々よ どうか忘れないで


 汝らがいかに死にゆくか


 我はなし得ることを果たし


 ゆえに悔悟の念に駆られる


 汝らを忘れはしない

 


 ロザリンドが歌い終わると、辺りがしんと静まりかえる。

 そしてしばらくすると、ファリスが小さく呟いた。



「……ヘタクソだな」


「うるさい!」



 ロザリンドは頬を膨らませて怒る。

 すると、ファリスを皮切りに、人々がどっと笑い始めた。



「弟子先生は音痴だなぁ」


「これなら俺の方が上手いな!」


「あたし、染め物の仕事をするときに歌を歌うんだ。あと二十若ければ歌手になれるって言われるぐらいの美声だよ!」



 人々の顔に笑みが戻り、仕事の歌、子守歌、童謡や民謡など、勝手気ままに歌を歌い始めた。

 少年の顔を見れば、先ほどよりも穏やかな表情で眠っている。口元に耳を近づければ、規則正しい呼吸音が聞こえる。危険な状況を脱したとは言えないが、少年の心の負担は軽くなったのだろう。



「大変だ! 大変なんだ!!」



 そう言って医療従事者のひとりがテントに駆け込んでくる。

 皆、何事かと思い、歌うのを止めた。



「物資が……ジェイラス王太子から物資が届いた! それも、たくさん……全員が満足に治療が受けられるぐらいに!」



 その瞬間、人々は歓喜に包まれた―――――


 











 一通り治療が終わり、ロザリンドとファリスはテントの外で休憩をしていた。空からは大粒の雨が降り、最近の水不足を改善してくれる勢いだ。



(いいことが続くね)



 木の下で雨宿りをしてのんびりしながら、久方ぶりのコーヒーでロザリンドは喉を潤した。



「……遠くで雷が鳴っているな。コーヒーを飲んだら中に入るぞ」


「雷は背の高い木に落ちやすいんだよね」



 ファリスは珍しく味わうようにコーヒーを飲んでいる。



「ぷっはぁー、染み渡るぜぇ」


「コーヒーはお酒じゃない。ついに舌がいかれたの?」


「……俺の舌がいかれるときは、お前も一緒だぞ、ロザリンド」


「道連れは嫌。……そういえば、さっきの少年。薬が効いて回復に向かってる。たぶん、助かる」



 ロザリンドがさりげなさを装って言うと、ファリスは目を細めて安堵の表情を見せた。



「……そうか」

 

「うん。良かったね」



 そう言うと、ロザリンドは再びコーヒーに口を付けた。

 ファリスとの間に会話はない。しかし、沈黙さえも長い師弟関係の中では慣れたもので、むしろ心地よさすら感じる。



「ファリス、そろそろ――」



 戻ろうと言いかけたとき、ロザリンドの視界に金色の柱が映る。

 すぐ近くに雷が落ちたのだと気づいたときには、目の前にいたファリスがカクカクと壊れた人形のように崩れ落ちていた。



「……ファリス? ファリス! ねえ、どうしたのファリス!!」



 ロザリンドは金切り声を上げ、突然倒れたファリスを揺すった。ファリスは呻きながら左足を押さえる。そこには矢が深々と刺さっていた。

 ロザリンドがはっと顔を上げ、森の奥を見ると、闇に紛れて軍服の男たちが遠ざかっていくのが見えた。



「……ベルニーニ神国の軍人がなんでこんなところに……?」


「くっ……」


「ファリス!」



 ロザリンドはとりあえず余計な思考は排除し、ファリスのズボンを破って左足を露出させた。



「……矢が刺さった部分が灰色になってる」



 ロザリンドはそれを見た瞬間、ガタガタと震えだした。


 医療従事者として従軍する前、学院長に渡された透明な毒。それは少量でも摂取すれば、一時間も経たずに死をもたらす猛毒だった。たった一日しか解毒薬をつくる研究ができなかったが、今のロザリンドでは解毒方法が見当もつかないほどに、強力な未知の毒だったのだ。

 しかもそれだけではない。毒の効能を調べるために投与した実験鼠は、灰になりながら死んでいった。まだ名もつけられていないというその毒に、ロザリンドがつけた名前は――――



「……死灰毒しはいどく



 ロザリンドの呟きはけたたましい雷鳴にかき消えた。




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