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狼侯爵と愛の霊薬  作者: 橘 千秋
第一章
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2話 結婚の条件

 三日後。久方ぶりに袖を通したドレスの堅苦しさとコルセットのキツさに顔を歪ませながら、ロザリンドは夫となるヴァレンタイン侯爵の屋敷へと向かう馬車に揺られていた。継母から命を受けているのか、車内にいる使用人は気まずそうな顔をしながら一切言葉を発しない。



 ……ああ、実験したい。



 息が詰まる思いをしながら、ロザリンドはひたすら外の景色を眺める。

 整えられた街道と距離から推測するに、ヴァレンタイン侯爵領は王都から1時間もしないで着くはずだ。王宮から近い領地を任されるということは、王家の信頼が厚い家だということ。


 実際、ヴァレンタイン侯爵家は古くから続く武人の家系。国の有事の際は真っ先に先陣に立ち剣を振るうのだ。何故、狼侯爵の悪逆非道な噂が流れているのか知らないが、大方、くだらない政治の駆け引きだろうとロザリンドは思っている。



 王都の華やかさとに負けないぐらい活気づく城下町をを越え、馬車は巨大な門扉をくぐる。緑を中心にした庭園を駆け抜け、白く硬質な印象を受ける屋敷の前へと到着した。


 

「……ふぅ」



 三日間の苦痛ともいえる旅路は終わり、ロザリンドは目的地であるヴァレンタイン侯爵家へと到着した。セルザードの使用人たちがロザリンドが乗っていたのとは別の馬車から荷物を下ろし、ヴァレンタイン侯爵家の使用人へと渡していた。


 あの荷物の中身はセルザード伯爵家で用意された嫁入り道具だ。当の花嫁であるロザリンドの気持ちなど一つも考慮していない、家の体面を保つだけに用意されたガラクタ。本当は研究室の荷物をすべて持っていきたかった。ロザリンドは最後まで荷物を持っていくようにセルザードの使用人たちへ交渉した。……結局、無駄骨に終わったが。


 冷めた目でセルザードの使用人たちを見つめていると、ロザリンドにえらくドスの効いた低い声がかけられた。



「君がものぐさ姫か。随分と変な眼鏡をかけているんだな」



 現れたのは身長190センチ近い男だ。軍人らしく骨太な体格だが、無駄な筋肉は付いていないのか、想像していたよりも幾分か細い。お洒落に敏感な貴族女性なら誰もが憧れるような、濡れ羽色の長髪が風になびき、キラキラと輝いている。

 

 彼がヴァレンタイン侯爵だろうか。熊のように横にも縦にも大きい男だと思っていたため、ロザリンドは驚いた。


 だが男の右目に施された黒色の眼帯と、左目の視界に入れた相手を射殺さんばかりに凶悪な眼孔にさらに驚き、内心を隠すことを忘れて口をポカンと開けてしまう。狼侯爵と揶揄されるだけあって、確かに熊というよりは狼のような印象を受ける男性だ。



「……あ、いや、ロザリンド・セルザード伯爵令嬢だったか。私がウィリアム・ヴァレンタインだ。話もあるから、早く中に入ってくれ」


「はい。お気遣いありがとうございます、ヴァレンタイン侯爵」



 妻となるロザリンドを伯爵令嬢と呼ぶことに違和感を覚えたが、気にせずウィリアムの後ろに付いていく。

 屋敷の中は質実剛健と印象を受ける内装で、質の良く華美でないフカフカの絨毯が敷き詰められている。この上で寝れそうだ。


 セルザードの使用人たちは早々に引き上げたようで、ロザリンドがエントランスの階段を上り、後ろを振り向いたときには姿を消していた。なんともお早い仕事ぶりだ。



「応接室だ。色々と準備はしてある」



 応接室の中には誰もおらず、そしてロザリンドとウィリアムが入室すると使用人によって扉が閉ざされた。


 二人きりの空間に沈黙が落ちる。


 ロザリンドはウィリアムの目を真っ直ぐに見つめる。そしてウィリアムは、眉間の皺を深くさせるという、無言の攻防が繰り広げられていた。


 我慢ならず、先に口を開いたのはウィリアムだった。



「……座るといい」


「失礼します」



 ウィリアムの言葉に従い、ロザリンドは黒い革張りのソファーに腰を下ろした。向かいのソファーにはウィリアムが座る。見上げていた時よりも近い位置にウィリアムの顔が目に映り、その眉間の皺の深さに感心した。


 人はここまで眉間に皺を寄せることができるのか。


 研究者気質のロザリンドは、ウィリアムの真似をして眉間に精一杯力を込めた。



「……そのような顔をするのならば、私も安心だ」


 

 何が安心なのだろうか。

 ロザリンドが疑問を口にするよりも早く、ウィリアムは一枚の紙を差しだした。


 それは貴族用の婚姻届けで、署名をした後に国務省に提出することになっている。最近では、結婚式で親族の前で名前を書き記すことが多い。しかし、渡された紙には既にウィリアムの名前が書かれている。

 ロザリンドは首を傾げた。



「……ロザリンド・セルザード伯爵令嬢。私との結婚には条件がある」


「どのようなものでしょうか?」



 これから始まる話はおそらく、とても重要なことだ。

 ロザリンドは居住まいを正す。しかし同時に眉間の皺の限界に挑戦すべく、表情筋を総動員させていた。



「……私には好いている人がいる。だから結婚したとしても、君を愛することはない」


「そうですか」



 ロザリンドの眉間の皺が深くなった。



「結婚式も挙げない。君の身内と馴れ合う気もないし、神の前で偽りの愛を告げたくはないからだ」


「そうですか」



 ロザリンドの眉間は限界値を突破し、ピクピクと痙攣し始めた。



「君を妻として紹介などしたくない。だから当然、夜会などに共に出席することはない」


「そうですか」



 ロザリンドは眉間に集中するあまり瞬きを忘れ、身体の防衛本能から一気に涙が溢れてしまった。



「……ま、まあ、それなりの金は渡してやる。それで愛人を囲うなり、宝飾品を買いあさるなり、好きにするといい。だが私の迷惑のかからない範囲でやりたまえ」


「そうですか」



 表情筋は緩めたが、ロザリンドは時間差で襲ってきた頭痛に耐えきれず頭を抱えた。



「この条件が飲めないのならば、私は結婚する気は無い。まあ、選択権ぐらいは与えてやる。その婚姻届にサインするかは君が決めるんだ。何、サインをしなかったからといって、咎めたりはしない。私も君も乗り気ではないようだからな。それでロザリンド・セルザード伯爵令嬢。答えを聞かせてくれるか?」


「そうですね。やはり……わたしが立てた仮説通り、ヴァレンタイン侯爵の眉間は一般的な人間の機能を大きく逸脱した性能を持っていることが分かりました!!」


「はぁぁあああ!?」



 ウィリアムが冷静な態度から一転し、素っ頓狂な叫びを上げる。

 ロザリンドは頭痛から完全復活し、饒舌に話し出す。



「はっ! 確かにヴァレンタイン侯爵の懸念通り、サンプルがわたしだけでは、結論に持って行くのは不十分ですね。わたしの眉間が平均よりも低いレベルに位置しているのかもしれません。ここは最低でも三百人ほどの人に協力してもらい、人間の眉間の皺における可能性を見出さなくては!」


「お願いだから見出すな! 何故、眉間の話になっている!? ここは結婚を断るところだろう!」


「……結婚。そうでした!」



 ロザリンドは握りつぶす勢いで婚姻届けを持って立ち上がる。

 


「そうだ、結婚だ。私は君を愛さないんだぞ。貴族は政略結婚が多いが、好き好んでその道を選ぶ必要は無い。できれば恋愛結婚がいいと、私は思う。年頃の令嬢はそういうこと気にするだろう?」


「構いません! わたし、ぶっちゃけ家庭環境が複雑だったので結婚に夢を持っていません!」



 ウィリアムは数秒間停止した。



「あっ、そんなこと……セルザード伯爵には聞いていないぞ? そ、そうではなくて……ほ、ほら、美しいウェディングドレスを着て結婚式が出来ないぞ。一生に一度のことで、女性の夢なのだろう?」


「地味婚歓迎です! 元々、数年前までは戦争の影響で結婚式を挙げない家も多かったではありませんか。それにわたし、学院の友人の結婚式に行って思ったのです。なんだ、あの羞恥プレイはと。大勢の者の前でさらし者にされ、愛想笑いをして挨拶回り、料理は冷めているし、小母様方は若い娘のマナーに目を光らせている。こんな苦境、経験せずにすむのならそうしたい!……わたくし、結婚の知らせを聞いてからそれが一番憂鬱だったのです」



 ウィリアムは青白い顔でロザリンドを見る。



「もしかして夜会も……?」


「社交なんて面倒なだけです。引きこもり最高!」



 ウィリアムは頭を抱えた。おそらく、頭痛だろう。


 

「ちょっと待ちなさい。金は適当に渡してやるから、愛人囲うなり、宝飾品を漁るなり好きにしろ、ただし迷惑はかけるなとか言う男は最低だぞ! 目を覚ますんだ!」



 自分で言ったことなのに、最低とはこれ如何に?



「安心してください! わたし、一人が大好きなので、ヴァレンタイン侯爵の不名誉になるような醜聞は広まらないかと思います。それに、わたしはお金を使いますが、必ずや倍にしてみせます! ああ、好きに過ごしても良いなんて……研究し放題ではありませんか。こんな理想的な結婚が転がり込んでくるなんて……はぁはぁっ……興奮で夜も眠れそうにありません!」


「若い令嬢が興奮とか言うな!」


「興奮と言えば、バレンタイン侯爵は道ならぬ恋いをしている様子。嫉妬しない・浪費癖がない・引きこもりという三拍子揃った、わたしのような女は、お飾りの妻として最適でありましょう。どうか、相手の男性とは仲睦まじくお過ごしくださいませ」



 ウィリアムは出会ってから一番眉間の皺を深くさせた。

 その顔つきは凶悪の極み。これほど恐ろしい顔が出来る人間がいるのかと、ロザリンドは感心した。

 



「今、男性と言ったか……?」



 ゆっくりと、確認するように低く鋭い声がロザリンドにかけられた。



「はい。ヴァレンタイン侯爵は男色家であると小耳に挟みました。わたし、そういったことに偏見などございませんので、どうぞ安心してくださいませ。愛情はすべて尊きものだと聞き及んでおります」


「誤解だ!」



 間髪入れずに答えたウィリアムを見て、ロザリンドは自分の頬に手を当てながら、小さく息を吐いた。



「そう恥ずかしがらなくてもよろしいのに……」



 ウィリアムとは出会ったばかりだ。彼からすれば、信用できない初対面の小娘に話すことではないのどろう。

 信用は追々勝ち取るとして、ウィリアムの恋人はいったいどんな人だろうか。出来るのならば、その人とも適度に離れつつも敵対しない人間関係を築きたい。


 ロザリンドはテーブルに置かれた羽ペンを取り出す。

 そして心の内が反映された弾むような筆跡で婚姻届に名前を書き記した。

 

 自分は今、人生最大の幸運に恵まれたのだろう。

 結婚が墓場だと誰が言った。結婚とは研究の楽園のことだ!



「それではパトロン――もとい、同居人として、幾久しくよろしくお願いしますね、旦那様」


「あ、ああ……よろしく頼む……ロザリンド……」



 こうしてロザリンドとウィリアムは夫婦となった。




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