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狼侯爵と愛の霊薬  作者: 橘 千秋
第一章
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18話 忍び寄る影

 ロザリンドの足取りは軽い。

 鼻歌を歌いながら個人研究棟と校舎を繋ぐ通路を歩く。

 通路は屋根と柵があるが、外の風を存分に味わうことができた。



「ちょっと寒い」



 春とはいっても、まだ肌寒さを感じる。

 ロザリンドはぶるりと震えるが、両手で大事に学院長から渡された毒の小瓶を握っていた。



「それ、いったいなに?」


「うわぁっ!?」



 突然声をかけられたロザリンドは、驚いて小瓶を手から離してしまう。しかしそれは声の主である、ロザリンドと同い年ぐらいの少女が小瓶を素早く受け止めた。



「ごめんなさい。いきなり声をかけたりして……」


「あ、うん。小瓶を受け取ってくれたから平気」


「よかった」



 少女はロザリンドに小瓶を渡した。



「やっぱり、薬?」


「ううん、毒」


「毒ぅ!?」 



 飛び退いた少女を見て、ロザリンドは小さく笑う。



「安心して、ばらまいたりしない」


「まあ、セルザード伯爵家の令嬢がそんなことをするとは思えないけど……」


「わたし、貴女に名乗った?」


 

 ロザリンドが首を傾げると、少女は呆れた視線を向ける。



「全員を覚えろとは言わないけど、学院にいる貴族ぐらい名前を覚えていた方がいいわ。伯爵令嬢ならば、常識でしょうに」


「そうなの? 全然興味ないし、自分が伯爵令嬢であることとか、この学院にいる間は忘れていいものだと思っていたよ」


「忘れちゃ駄目でしょ」



 少女は深く溜息を吐いた。



「わたくしの名前はクリスティーナ。ゴートン男爵家の娘よ」


「クリスティーナ・ゴートン……ああ、ファリスの授業に出ていた一回生」



 ロザリンドはファリスの授業の手伝いを行わされているため、受講者の名前はすべて覚えていた。クリスティーナ・ゴートンといえば、ファリスの授業の中で技術・筆記ともに上位の成績を修めていたはずだ。



「もしかしてファリスに何か用? だとしたら、今は学院長とお話しているから出直した方が良いよ」


「……そうなの」



 クリスティーナ酷く残念そうに俯いた。しかしそれは一瞬のことで、がばりと顔を上げるとロザリンドの腕をすごい力で掴む。



「あの、前から気になっていたのだけど、ロザリンドはファリス教授のいったい何……?」


「師弟だけど?」


「でもロザリンドはファリス教授を呼び捨てにしているし、ファリス教授だって、わたくしがいくら志願しても弟子にしてくださらないのよ!」



 クリスティーナは切迫した声で言った。

 ロザリンドは突然のことに少々驚いたが、すぐにクリスティーナに微笑んだ。



「ファリスがわたしを弟子にしたのは、学院長に頼まれたから。ファリスは自分の研究成果が奪われるのは嫌だから、弟子は取らないよ。わたしだって、ファリスの知識を受け継いでいない」


「……そうだったの。でも、どうして学院長がロザリンドをファリス教授の弟子にさせたのかしら?」


「継母様に毒殺されかけて、父親に感心を持たれないわたしに気をつかってくれたからだと思う」


「……え、可哀想」



 クリスティーナは、両手を口元に当てると、あわあわと焦り始めた。



「ち、違うの! ごめんなさい、今のは……」


(わたしは可哀想なの? でも別に継母様も父もどうでもいいし、今は研究に没頭できて充実してるし、それなりに幸せなんだけどな)



 ロザリンドは不思議そうに首を傾げる。



「別に良いけど。それよりもクリスティーナはファリスの弟子になりたいの?」


「ええ! だってファリス教授はすごいもの!」



 クリスティーナは目を輝かせ、ロザリンドへ前のめりになって熱く語り出す。



「今まで腐ったような臭いのしていた薬を、飲みやすいものに改良したおかげで、病状が酷くなる前に処置することができるようになったし、効果は低いけど風邪の始まりに飲む薬や痛み止めなんかも、とても重宝されているわ。ファリス教授のおかげで、医学はとても進歩した。最年少で教授になっただけあるわ。今は戦争のせいで無理だけど、必ず男爵以上の地位を叙爵されると言われているもの!」


「へ、へえ……」



 ロザリンドは顔を引きつらせながらクリスティーナの話を聞いた。



(なんか別人の話みたい。ファリスはぐーたらだし、貴族とか絶対に興味ないよ)


「わたくし、絶対にファリス教授の弟子になるの!」


「……頑張ってね」



 ロザリンドはそれしか言えず、興奮するクリスティーナの前から逃げるように立ち去った。










 次の日。

 学院長からもらった毒の解析が思うように行かず、徹夜をしていたロザリンドの寮室へファリスが乗り込んできた。



「おい、ロザリンド! 話がある!」


「もう何……朝っぱらから。今から仮眠しようと思っていたのに……」


「師匠命令だ! 床に正座しろ!」



 ロザリンドはソファーの上にあった書類を適当にどかすと、肘掛けに身体を預けながら怠そうに座った。


「ああ、怠い」


「……師匠命令が聞けないのか。酷い弟子だな」



 ファリスはやれやれと小さく息づくと、腰に手を当ててビシッとロザリンドを指差した。



「俺は戦争に行くことになった!」


「……え?」



 ロザリンドは目を見開くと、慌てて身体を起こした。



「なんで……どうしてファリスみたいな、ひょろくて筋力のない童顔が……」


「俺は立派な大人の男だ!」



 ファリスはロザリンドの額を小突くと、ロザリンドの隣に強引に座った。



「兵士としてじゃない。医者としてだ。……どうにも、敵軍のベルニーニ神国は容赦がないらしく、民間人も容赦なく殺すようだ。もちろん、従軍している医師団も例外じゃない。おかげで人手不足だそうで、俺にお声がかかった」


「もしかして、昨日の理事長の話って……」


「まあ、そうだな。戦争なんて行ったら、俺の研究が止まっちまうし本当は行きたくなかったんだが……恩人の頼みで断れそうにない」


(ファリスが戦争に行ってしまう……?)



 ロザリンドには実感が湧かない。だがロザリンドは知らず知らずのうちに、不安からファリスの白衣をぎゅっと握りしめていた。

 ファリスはそれを咎めることもなく、ロザリンドを安心させるように肩を抱いた。



「……ロザリンド。お前にも医師として従軍して欲しいと上からお達しがきている」


「え、でも……わたしは医師免許持っていないよ。薬学の足しになると思って、医師の勉強は学院で修めているけど、医師免許にはさらに5年間の実地研修が必要だし……」


「従軍するのなら、特例で医師免許を発行するそうだ」



 それほどにフランレシア王国の戦況は厳しいものとなっているらしい。ロザリンドは学院という狭く安全な世界にいるため、今まで戦争について深く考えておらず、対岸の火事のように感じていた。



「ロザリンドは貴族だ。お前の従軍は強制じゃない。……学院は数週間後に一旦閉鎖されることに決まった。そのときに、他の貴族の子女と一緒に実家に帰れば良い」



 普通の貴族ならば安全な実家に帰ることを選択するのだろう。だが、ロザリンドにとってセルザード伯爵家は心安らげる場所ではない。

 

 ロザリンドはぐっと決意をこめた目でファリスを見上げた。



「……わたしも戦争に行く。わたしの居場所はファリスの隣だから」


「……そうか。すまない、ロザリンド」



 しばし無言で身体を寄せ合った後、ロザリンドとファリスは出立の準備を始めた――――

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