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狼侯爵と愛の霊薬  作者: 橘 千秋
第一章
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17話 薬×コーヒー×毒

 ロザリンドは、ファリスの弟子になってから六度目の春を迎えていた。


 物覚えの良かったロザリンドは僅か3年で卒業事項を満たしたが、それ以降は薬学と関係のない学問を学んだり、薬学実験を行うなどして、自由気ままな留年生活を送っていた。

 身体も成長し、今では眼鏡の大きさもちょうどいい。そしてロザリンドもあと一年弱で15歳の成人となり、結婚適齢期に入る。


 しかし、ロザリンドにとって結婚はどうでもいい話だった。



「雪熊の肝臓が手に入るなんて、わたしは幸運だね」



 ロザリンドはうっとりとした目をしながら、グツグツと煮えたぎる、赤銅色のドロドロの液体が入った鍋をかき混ぜた。


 数ヶ月放置して腐ったミルクのような臭いが部屋に充満するが、それは大した問題じゃないだろう。今心配すべきなのは、ロザリンドの腕の筋力が、この薬が完成するまで持つかだ。



「この香り……頭痛薬か?」



 研究室のソファーで横になって仮眠をしていたファリスが、のっそりと起き上がり、寝ぼけた目でロザリンドに問うた。



「うん。雪熊の肝臓と言えば、高品質な頭痛薬の材料だからね。もちろん、それだけじゃないけど」


「何を入れたんだ?」


「通常のレシピに、リセナの根を加えた。これで解熱作用も期待できる」


「おい、ちょっと待て」



 ファリスはソファーから立ち上がった。そして鍋の前にまでくると、彼は目を鋭くさせた。



「これじゃあ、副作用が大きくなる。代わりにギラルの葉を入れれば飲みやすくなるし、副作用は小さくなるだろ」


「副作用って言っても、眠くなるぐらい。だったら、リセナの根で正解。ギラルの葉じゃ、即効性が落ちるし、何度も薬を飲まなくてはいけないくなる。そんなのは面倒でしょう?」



 ロザリンドはすぐに反論した。

 しかし、ファリスも負けていない。



「そもそも、ゲロマズい薬なんて飲みたくないだろ!」


「大して変わらない。ちょっとだけ我慢して楽になれるんだから、わたしの薬の方がいいに決まっている。ファリスの薬だって美味しくはない!」



 ロザリンドは猫のようにキッシャーと唸りながら威嚇した。

 ファリスはそれを鼻で笑う。



「リセナの根は採取できる地域も限られているだろーが。それに乾燥させた後は粉末にしなきゃなんねーし、手間がかかるし、金もかかる。大量生産は難しい。その点、ギラルの葉は採取した後、鍋にどぼんだ」


「大量生産? 論点がずれているのにファリスは気がついていない。雪熊の肝臓を使った頭痛薬の可能性を広げるために、わたしはこうやって貧弱な腕を酷使している」



 ロザリンドは鍋が焦げ付かないように、ぐるりと大きくかき混ぜた。


 腕の筋肉は限界が近い。だが、薬の方はもうすぐ出来上がりそうだ。このまま頑張ろうと思い、ロザリンドは明日の筋肉痛を覚悟した。



「だったら、それこそ少しでも多くの人間が手にできるような薬を作るべきだろーが」


「はっ。雪熊の肝臓が希少品な時点で、ファリスの考えは破綻している」



 ロザリンドがファリスを小馬鹿にすると、彼は苦虫を噛み潰したような顔をした。



「……俺はお前の師匠だぞ? 少しは敬え!」


「敬えるような師匠になりたいのなら、わたしに研究成果をよこせばいい」


「誰がやるか! 俺の研究成果は俺だけのものだ、バーカ! バーカ!」



 ファリスは子どものようにロザリンドを罵った。

 ロザリンドは呆れて小さく溜息吐く。



「……さすがは、わたしに基礎薬学しか教えなかった師匠なだけある。がめつい」



 ロザリンドがファリスに教えてもらったのは、薬学の初歩の初歩。エレアノーラ国学院の一回生が必修科目で学ぶような内容だった。つまりは、教科書や参考書を読めば理解できる程度。


 それなに、ファリスは己の知識をすべてを伝授したような顔をするのだ。甚だ遺憾である。



「弟子がする一番の師匠孝行はな、師匠の存在を超えることだ。俺はささやかながら試練を与え、ロザリンドに協力してやっている。無償の愛だ。なんて素晴らしい師匠様なんだろーな!」


「寝言は寝てから言って。ファリスはもっと弟子を大切にするべきだと思う。わたしみたいに健気な弟子は、他にいないよ」



 ロザリンドがそう言うと、ファリスは顔を顰めた。



「……コーヒー淹れろって言ったのに、苦汁出してきたヤツがよく言うぜ」


「あれは苦汁じゃない。コーヒー」


「コーヒーじゃなかっただろ! なんか沈殿してるし、強烈に苦いわ、香りもクソもねー苦汁だったぞ!」


「失礼な。豆を挽かずにそのまま煮込んで作った、本格派コーヒーなのに」



 ファリスは弟子使いが荒い。ロザリンドが研究で体力を消耗していても、研究がうまくいっていて気持ちが高ぶっているときでも、お構いなしに雑用を押しつけてくるのだ。


 それなのに弟子を続けてあげているロザリンドは、なんてできた弟子なのだろうか。弟子は師匠に似るという俗説があるけれど、そんなのは嘘っぱちだ。



「何が本格派コーヒーだ。どう考えても豆を挽くのが面倒だっただけだろ!」



 ファリスが声を荒げたが、それはいつものことだ。

 短気な師匠を持つと弟子は苦労する。



「コーヒーが生まれた当初は、豆を挽かずに直接鍋で煮込んでいた。だから、わたしの淹れたコーヒーは本格派。コーヒーの起源を感じて欲しいという弟子の配慮を無下にするなんて、ファリスは酷い師匠」


「俺は中挽きにしろって言っただろ!」



 ファリスは簡単に言うけれど、豆を挽くのはロザリンドにとって重労働なのだ。だから自然とロザリンドの眉間に皺が寄る。



「コーヒーミルのハンドルって、なんであんなに固いの?」


「やっぱり、豆挽きが面倒だっただけじゃねーか!」



 ファリスが癇癪を起こした子どもみたいにドタドタと足踏みをした。


 ロザリンドは気にせず、鍋を再び一混ぜする。混ぜ棒を持ち上げると、赤銅色の液体にとろみがついているのが分かった。どうやら無事に完成したようだ。



「ん? 出来上がったのか」


「うん。……この腐ったミルクの臭いが最高!」


「いやいや、腐ったタマゴの臭いだろ。最高だぜ!」



 ファリスとの見解の違いはいつものことなので、ロザリンドは臭いについて深く考えるのはやめた。



「とりあえず、試飲だね」



 ロザリンドは実験器具の棚からビーカーを2つ持ってきて、それらに赤銅色の液体――雪熊の肝臓とリセナの根入り頭痛薬を注いだ。


 薬さじでビーカーの中を高速でかき混ぜ、薬の熱を冷ます。隣のファリスを見ると、ロザリンドと同じように薬を冷ましていた。



(いよいよだね)



 期待でごくりと喉が鳴る。

 ファリスと一瞬目線を交錯させると、ふたり同時に薬を一気に口の中へ流し込んだ。



「「うっひょひょっひょっ! うっひひっひぃ!」」



 舌がビリビリと痺れ、鼻から腐ったミルクの臭いが通り抜ける。とろみを帯びていたせいで、口の中にいつまでも苦みが残り続けていた。



「ああ、幸せぇ……」


「俺はもっと生臭くてもいける。でも、これはこれで極上の味だぜ」



 ロザリンドとファリスは恍惚とした表情で味の感想を述べ合う。


 薬を普段から飲んでいるせいで、ロザリンドとファリスは薬が効きにくい体質になっている。おかげで薬がお茶代わりになっている節があるのだ。



(でも、健康体なのに薬を飲むのはダメだよね。手元に残す分以外は学院長にでもあげて、適当に使ってもらおう)



「何をやっているんだい、変態師弟」


「あ、学院長」



 後ろを振り向けば、ちょうど会いたいと思っていた学院長がいた。



「おい、学院長。ここは俺の城だぜ。勝手に入ってくるなよ」


「何度ノックしても、言い争いと奇声を上げるだけだったのは君たちだよ」



 疲れているのか、学院長は眉間を指で揉み始めた。

 ロザリンドは痛ましげに学院長へ問いかける。



「できたてホヤホヤの薬……飲みますか?」


「飲まないよ!!」



 学院長は間髪入れずに言うと、ささっと飛び退いてロザリンドとの距離をあけた。



「ロザリンドに用なのか?」



 ファリスは学院長と目を合わさないようにしていた。何かやましいことがあるのかと思い、ロザリンドは黙考する。そしてすぐに結論に達した。



「違う。たぶん学院長はファリスに用がある。期末試験の答案用紙に薬を寸胴鍋ごとぶっかけてダメにしたこと、学院長は気づいている」


「バカ、ロザリンド……てめぇ!」


「ほう。どうりで筆記試験が終わった後に突然、普段は面倒で避けていた技術試験をやるとか言い出した訳だね」



 学院長の背後に黒オーラが漂い始めた。



「学院長はロザリンドに用があるんだろ! ロザリンドが植物園にある立ち入り禁止の温室に侵入して、異国の植物をこっそり採取していることを叱りに来たんだろーぜ!」


「ファリスの裏切り者ぉ!」



 ロザリンドはファリスの襟首を掴み、上下に揺すった。



「先に裏切ったのはロザリンドじゃねーか!」


「まったく、ここに来た当初は大人しい子だったのに、すっかりファリス君似のお転婆になってしまって……ロザリンド君、後でお説教ですからね?」


「ひぃっ! ごめんなさい、学院長」


「ファリス君もね」



 学院長の威圧に、ビクッとファリスは肩を跳ね上げた。


 普段は温厚な学院長だが、怒るととても怖い。ロザリンドはそれを、入学初日のファリスとの取っ組み合いの喧嘩の後で思い知った。



「そそそそ、そんなことよりも学院長。なんか用があって来たんだろ?」


「そうだったね。ファリス君に用があるんだ」



 学院長は威圧を引っ込めて、手をぽんっと叩いた。



「俺に? 面倒なことはやらねーぞ」


「命令じゃないよ。かの人からのお願いだよ」


「…………ロザリンド、今から大人の面倒な話し合いが始まる。ちょっと外に出てろ」



 ファリスは真剣な声音で言った。

 ロザリンドはそれに気圧されつつも、普段と違う様子のファリスが心配になった。



(でも、出て行かなくちゃダメだよね。わたしには聞かせたくない話みたいだし)



 師弟関係とはいっても、お互いに踏み出せない領域はある。ファリスが平民ということもあるが、セルザード伯爵家関係の話に一切口出ししてこない。

 それと一緒で、ロザリンドもファリスに口を出すことのできない案件がある。それが今のような話のときだ。



「……分かった。外に行ってくる」



 ロザリンドが気落ちした声で言うと、学院長がロザリンドの手に何か握らせる。

 それは無色透明の液体が入った小瓶だった。口の部分は硝子の栓がはめられていて、その周りを厳重にテープで覆っている。



「ロザリンド君に、新しいおもちゃをあげるよ。話はすぐに済むし、少しの間、これの解毒方法でも考えておいで。特に今回のやつは強力だから、扱いに気をつけるように」


「ありがとう、学院長!」



 ロザリンドは小瓶を大事に抱え込み、ファリスの研究室を後にした。





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