13話 かみ合わない歯車
ロザリンドが王宮に来たのは、これで二度目だ。
しかし前回はデビュタントの時で、すぐに会場へと案内され王宮内をじっくりと見ることは叶わなかった。
外観は白亜の美しい宮殿だが、内装は赤と白を基調とした華やかで煌びやかなものだ。床は石細工のタイルが貼られていて、中央を赤の絨毯が一本線を引くように敷かれている。壁には様々な大きさの鏡がかけられていて遊び心が垣間見えた。美術品や絵画も同様に飾られていて、ロザリンドは思わず立ち止まってしまう。
(王宮って、こんなに楽しい場所なんだね。……いけない。早く旦那様に書類を届けないと!)
ロザリンドは気を引き締めると、ウィリアムに恥をかかせないため、優雅さを意識して歩き始める。元々、幼い頃は貴族教育を受けてきたし、学院でもマナーの授業があったため、ロザリンドの歩き姿は貴族夫人として申し分のないものだ。
すれ違う人々がロザリンドを見て一瞬、戸惑いの表情を見せるが、それは大方この眼鏡が原因だろう。これは特別製だ。見る人が見れば価値が分かる。
(やっぱり、貴族は目利きが多いね)
ロザリンドは内心で関心しつつ、城勤めの文官たちとすれ違いながら、王太子執務室に向かっている。そこにウィリアムがいると貴族用の案内所で言われたのだ。
軍務大臣の妻だからか、ロザリンドの手続きは早々に終了し、王太子執務室へ行く許可が下りた。正直、ジェイラス王太子に会うのは緊張する。たとえお飾りの妻だとしても、失礼のない対応をしなければ。
「あら? ロザリンドじゃない。どうしてここに?」
「クリスティーナ?」
振り向くとそこには、エレアノーラ国学院で腐れ縁だったクリスティーナ・ゴートン男爵令嬢がいた。ロザリンドは、王宮で彼女と会うとは思っていなかったので、驚きに目を見張る。
「ふふっ。わたくしがここにいるのにびっくりしたの?」
「うん。だって王宮に来たのはデビュタント以来だし。偶然ってすごいね」
そう言うとクリスティーナは深い溜息を吐き、呆れた目でロザリンドを見た。
「あのねぇ。貴族なら、王宮に来るのは珍しくないのよ。貴族関係の書類は、本人かその家の本家筋が国務省に提出しなくてはならないって決まりがあるの。それに開放された社交場だってあるし、王宮に縁のない貴族の方が珍しいのよ」
「知らなかった」
「まあ、ロザリンドは冷遇されていたから知らないのも当然よね。……そう言えば、あのヴァレンタイン侯爵と結婚してからどうなの? 式を挙げる連絡もないし。嫌なことされていない? 手紙ぐらい送りなさいよ」
クリスティーナが気遣うように言った。
ロザリンドは暗い話になるのも嫌だったので、明るさを努めて素直な気持ちを言葉にのせる。
「旦那様はよくしてくれてるよ。優しいし、わたしのことを尊重してくれるし、とっても頼りになる人なの。だから、わたしは幸せ……だと、思う。クリスティーナの方はどうなの? ちゃんと卒業できそう?」
「男爵令嬢としての仕事もあるけど、計画的に単位を取っていたから大丈夫よ。ロザリンドに心配されるほどではないわ。安心して。……それにしても、ロザリンドが幸せそうで良かったわ。ずっと苦労してきたものね」
クリスティーナは微笑むと、ロザリンドとは別の方向へ歩き出す。
「じゃあ、わたくしは国務省に用があるから」
「うん。じゃあまた」
貴族夫人らしく嫋やかな動作でクリスティーナに手を振り、ロザリンドも王太子執務室へと続く、別の通路へと歩き出した――――
♢
王太子執務室の扉の前には、屈強な軍人たちが控えていた。
しかしウィリアムで軍人に慣れていたロザリンドは、臆することなく背筋を伸ばし、凜然とした姿勢で騎士に声をかけた。
「ウィリアム・ヴァレンタイン軍務大臣の妻、ロザリンドです」
「はい、連絡は受けております。ジェイラス殿下からも、すぐにお通しするようにと仰せつかっております。今、扉を開けますので――」
ロザリンドが声をかけたのとは別の軍人が扉を開いた。
そしてそこには、
「ああ、オーレリア! 君の高潔な精神と女神のように可憐な姿はとても美しい。結婚してくれ。そして、この君の瞳と同じサファイアの指輪をつけておくれ!」
真っ昼間から求婚中のジェイラス王太子がいた。
(どう考えてもわたしってお邪魔だよね)
ジェイラス王太子は跪き、両手で指輪の箱を求婚相手の女性へと差しだしている。ジェイラス王太子の頬は紅色に染まり、うっとりした表情をしていた。
しかし、当の求婚相手の女性は、忌々しげにジェイラス王太子を見下ろしている。
「嫌。大体、貴方が懲りずに送りつけてくるプレゼントは、国民の血税から賄われていますのよ。そこのところ分かっております?」
「これは必要経費だ!」
ロザリンドの隣にいる軍人たちが無言で何度も頷いている。
「返してこないと、わたくしはジェイラス殿下の存在を一生無視しますわよ?」
「それは困るな。今日のところは僕が引こう」
渋々といった様子で、ジェイラス王太子は指輪の箱を懐に閉まった。
「あの……お邪魔のようですから、わたしは出直しますね。失礼いたしました」
ロザリンドは失恋した男性を慰める手管は持っていない。
そっと扉を閉めようとすると、漸くジェイラス王太子たちはロザリンドの存在に気づいたようだった。そして慌てて、こちらへと駆け寄る。
「本物のロザリンド嬢だ! 待っていたよ」
ジェイラス王太子はロザリンドを紳士的にエスコートし、応接のソファーに座らせた。
「お久しぶりです、ジェイラス王太子殿下。三年ほど前の王家主催の夜会でご挨拶をして以来でしょうか?」
デビュタントの時に、大勢の貴族たちの中の一人として挨拶をした。
覚えていないだろうと思っていたが、ジェイラス王太子の記憶力は良いらしく、ロザリンドのことすらも記憶しているようだ。さすがだ。
「そうだね。あの時は、ロザリンド嬢が僕にとってこんなに近しい存在になるとは思わなかったよ」
「近しい存在……?」
ロザリンドが首を傾げると、ジェイラス王太子はポンッと手を打った。
「ウィリアムは言ってなかったのか。僕はウィリアムの幼馴染みだよ。それと、オーレリアもね」
「初めまして、ロザリンド様。オーレリア・スペンサー王太子補佐官ですわ。とてもお会いしたかったですわ。面倒な男たちばかりがおりますが、これからどうぞよろしくお願いいたします」
オーレリアは先ほどの冷淡な表情から一転して、花がほころぶように慈愛の笑みを浮かべた。
その後ろでジェイラス王太子が悶えているが、話題にしない方がよい気がしたのでロザリンドは無視をして、オーレリアへ軽く頭を下げた。
「初めまして、オーレリア様。ロザリンドです。こちらこそよろしくお願いいたします。先日はお手紙をありがとうございました。おかげで、苦しむ旦那様を素早く処置することができました」
ロザリンドは『ヴァレンタイン』の姓を名乗ることを躊躇してしまう。
所詮、自分はお飾りの妻だ。ウィリアムだって見限りかけているほどの出来損ない。ずる賢くて未練がましい悪女だ。
「お役に立てたのならば良かったですわ」
オーレリアは自ら用意した茶器をテーブルに置くと、ジェイラス王太子の隣に腰掛けた。ロザリンドは彼らと向かい合うかたちだ。
「あの、こちらに旦那様がいらっしゃると聞いて来たのですけど……」
そう言ってロザリンドは封筒を持つ手に力を入れた。
「ウィリアムねぇ。ちょーっと時間がかかる仕事を与えちゃったんだよ」
「そうなんですか。旦那様が忘れて行った、ヴァレンタイン侯爵家の書類を持ってきたのですけど……」
「それはもしや、今日締め切りの納税内訳書ではありませんか?」
オーレリアはカップに紅茶を注ぎながら、訝しげにロザリンドに問いかけた。
「はい」
「……本当に学習能力のない駄犬ですわね」
オーレリアが小さく呟いたが、ロザリンドにはよく聞こえなかった。
もう一度言ってほしいとロザリンドがオーレリアに言おうとすると、焦った様子のジェイラス王太子が割り込んできた。
「ほ、ほら! 提出先は国務省だけど、書類を見るのはオーレリアだからね。直接、オーレリアに渡してしまいなよ、ロザリンド嬢! 大丈夫、僕が許可するから」
ジェイラス王太子にここまで言われてしまったら、断ることは出来ない。
ロザリンドを気遣ってのことだろう。
(でも、渡したら旦那様に会えないよね。ちょっと……寂しい)
ロザリンドはオーレリアに封筒を渡した。オーレリアは軽く中身を確認すると、ロザリンドを安心させるように微笑む。
「確かに受け取りましたわ。今、ウィリアム宛に、わたくしが受け取ったことを証明する手紙を書きますね。少々お待ちくださいませ」
そう言ってオーレリアは立ち上がり、端に置かれた机に向かった。
ロザリンドは折角なので、オーレリア手ずから入れた紅茶に手を付ける。爽やかな香りがロザリンドの鼻腔をくすぐった。
「……おいしい」
「口に合ったようで良かったよ。オーレリアの紅茶は世界一だからね!」
ジェイラス王太子は手を両頬に添えながら、ロザリンドを真っ直ぐに見てきた。
ロザリンドはじっくりと観察されいているような、居心地の悪さを感じる。
「あの、何かおかしいところでも?」
ジェイラス王太子の視線に耐えかね、ロザリンドは問いかけた。
「んー? すごい眼鏡だなと思って。そのレンズ透けてないけど、ちゃんと見えるの?」
「見えます。腕のいい硝子職人が偶然作り出した、この世に一つだけの貴重な一品です」
「珍品の間違いじゃないかなぁ」
ジェイラス王太子の呟きにロザリンドは同意するように頷いた。
「確かに、珍品の方が希少さが現れていますね。さすがはジェイラス王太子殿下です」
「僕、そんな褒められ方したの初めてだ。あははっ、ロザリンド嬢は思っていた通りに楽しい人だね」
「お褒めいただき光栄です?」
突然ジェイラス王太子が大笑いしたが、機嫌を損ねた訳ではなさそうなので、ロザリンドは喜んでおいた。
「ロザリンド嬢は、いい意味で貴族の女性らしくないね。君がウィリアムの妻になってくれて良かったよ」
「……本当に、そうでしょうか?」
ウィリアムの妻なら、ロザリンドよりも高位の令嬢や美しい淑女の方が相応しく思える。ロザリンドは自分で言うのもなんだが、かなりの悪女だ。優しくて強くて地位も名誉もあるウィリアムの隣に立つことは、許されないことのような気がした。
「ねえ、ロザリンド嬢。君はウィリアムのことをどう思っているの? 正直に言っていいよ。ヘタレとか、顔面凶器とか言っても怒らないから」
「ヘタレ……? 旦那様は心根が優しくて……でも、とっても身も心も強く、皆に慕われる素晴らしい人です。お顔も少々凶悪ですが、わたしは凜々しくて素敵だと思っています」
ロザリンドがそう言うと、何故かジェイラス王太子は口をポカンと開けている。
「お、驚いた。君は本当に聖女だね」
「わたしは聖女なんて、たいそうな人間ではありません」
ロザリンドは、自分はもっと俗物的な人間だと理解している。
聖女だなんて、名乗るのもおこがましい。
しかし、ジェイラス王太子はロザリンドのことを見当違いに高く評価してくれたらしく、目をぱちくりとさせた。
「何を言っているんだい? ありのままのウィリアムを受け入れてくれる女性なんて、ロザリンド嬢以外にいないよ。さすがは母上――女王陛下が執りなした縁談だけある」
「……女王陛下が?」
ロザリンドは動揺した表情を悟られないように顔を引き締めた。
(女王陛下が旦那様との結婚に関わっていたなんて……そんなの、聞いていないよ!)
確かにこの結婚は最初からおかしかった。
セルザード伯爵家は、これといった特徴のない、ありふれた貴族家だ。それなのに、格上のヴァレンタイン侯爵家に娘を送り込める訳がない。まして、ウィリアムはロザリンドを最初から歓迎していた訳ではないのだ。もちろん、ロザリンドは女王陛下と面識などない。
(……もしかして、女王陛下はわたしの秘密を知っている?)
あり得ないことではない。むしろ、執政者としてなら、ロザリンドに目を付けるのも当然のことだ。そうなると、ウィリアムはロザリンドのために犠牲になったことになる。
ロザリンドは手に持ったカップが小さく震え、中の紅茶が波打つ。
「貴族令嬢なのに、戦地で医療活動をしていたんだってね。将来的には薬師を専門とするのかい?」
「そのつもりです。生涯をかけて作りたいものがありますから」
ロザリンドは平静を保つのに必死だった。
ジェイラス王太子の言葉の一つ一つを注視し、慎重に言葉を重ねる。
(ジェイラス王太子は、わたしのことを知っているの? ……何より、旦那様は?)
「ロザリンド嬢の作りたいものってなんだい? 興味あるな」
ロザリンドは腹をくくることにした。
ジェイラス王太子が何を考えているのか分からないが、ロザリンドは正確に現状を知る必要がある。
もしも彼がロザリンドの秘密を知り、悪用しようとするなら、ロザリンドは命を絶つ覚悟も持ち合わせていた。
「死の霊薬です」
ロザリンドの言葉をジェイラス王太子は訝しんだ。だが、ロザリンドは気にせず続ける。
「ジェイラス王太子殿下。一番大切な人を犠牲にして多くの人々を救うか、助けを求めるすべての人を犠牲にして、一番大切な人と共に死ぬか。……もしも選択できるなら、殿下はどちらを選びますか?」




