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狼侯爵と愛の霊薬  作者: 橘 千秋
第一章
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11話 初めての共同作業

 ロザリンドが本日の研究時間を使い切り、自室でほっと一息ついてると、使用人たちがバタバタと駆け回る音が聞こえてきた。



「……何かあったのでしょうか」


「普段は完璧な皆が騒ぐなんて珍しい。シンシア、心配だから見てきてくれる?」


「かしこまりました、奥様」



 シンシアはロザリンドに一礼すると、騒ぎの元を確認しに行った。


 ロザリンドはシンシアの入れた紅茶に、ティースプーンで掬ったブルーベリージャムを一さじ加える。ブランデーケーキのおいしさを経験してからというもの、甘いものにロザリンドは夢中になっていた。



「ああ、美味しい。茶葉とジャムの品質と、シンシアの腕がいいんだね」



 のほほんとロザリンドが緩んでいると、扉が少々乱雑にノックされた。扉から顔を出したシンシアは酷く混乱しているように見える。



「お、奥様! 大変です、健康の権化といっても過言ではない旦那様が……た、体調を崩されて、ただいま帰宅されました!」


「なんですって!?」



 ロザリンドは勢いよく立ち上がると、久方ぶりに走り出した。明日は絶対に筋肉痛だ。



「旦那様!?」



 エントランスホールに行くと、そこには数人の従者に抱えられているウィリアムがいた。意識はないのか、グッタリとした様子だ。なんて痛ましい姿だろうか。



「……旦那様。こんなに無理をして……」



 軍務大臣の仕事はやはり過酷なのだとロザリンドは確信した。



「奥様。こちら、オーレリア・スペンサー王太子補佐官からの手紙です」


「ありがとう、オルトン」



 ロザリンドはオルトンから手渡された手紙に目を通す。そこにはこう書かれていた。



 ヴァレンタイン侯爵家夫人 ロザリンド様へ


 初めまして。わたくしは王太子補佐官兼ウィリアムの幼馴染みのオーレリア・スペンサーと申します。

 急を要するため簡潔に書きますが、ウィリアムが体調を崩したので自宅へ帰すことにしました。

 体調不良の原因は、十中八九、滝に長時間うたれたことでしょう。

 どうかその辺りも考慮して、ウィリアムに接してください。

 仕事の方はこちらで調整しておきますので、安心して静養するようにと馬――ウィリアムにお伝えください。

 それでは、ウィリアムのことをどうかよろしくお願いいたします。


 オーレリア・スペンサーより



「……滝に? 軍人は水中戦もするんだ」



 ウィリアムは本当にすごい人だ。ロザリンドはますます自分の旦那様へ尊敬の念を深くさせる。



「いえ、そんなことはないと思います、奥様」


「? まあいいや。オルトン、旦那様を自室のベッドに寝かせてあげて。わたしが診察する」


「かしこまりました」



 オルトンはウィリアムを抱えている従者たちの元へ駆け寄った。

 ロザリンドは側に控えていたシンシアへと視線を向ける。



「シンシア。わたしの部屋から医術道具一式持ってきて。トランクに入っているから」


「かしこまりました」


(待っていて、旦那様。わたしがすぐ楽にししてあげる……!)



 ロザリンドは背筋を伸ばし、ウィリアムの部屋へと向かった。



 そしてウィリアムの部屋の扉の前で僅かに緊張しながら、意を決して足を踏み入れる。

 ウィリアムの部屋は茶色を基調としたシックな内装だ。意外にも本棚が充実している。



「奥様、旦那様をベッドに寝かせました」


「医術道具一式ですっ、奥様!」



 シンシアから医術道具一式が入っているトランクを受け取ると、ロザリンドはベッドに横たわるウィリアムに近づいた。そしてシャツのボタンを外し、彼の上半身を露わにさせる。その行為に羞恥の感情はない。今のロザリンドは医師の顔をしていた。



「旦那様。少し心臓の音を聞かせて」



 ロザリンドはウィリアムの胸に聴診器を当てた。そして心臓の音に異常がないことを確かめると、軽い触診をした。



「ん……ろざ、りんどか……?」


「起きた、旦那様? ちょっと口を開けてくれる?」



 意識の戻ったウィリアムが、小さく口を開けた。ロザリンドはウィリアムが嘔吐えずかないように注意しながら器具で舌を押さえつけ、彼の喉の状態を確かめた。



「旦那様、身体に痛みはない?」


「特にない。私は健康だ……」


「嘘。高熱に軽い喉の腫れ……風邪だね」


「私は健康だ……」



 朦朧とした意識の中で目を潤ませながら、ウィリアムは自分が健康だとうわごとのように呟いている。


 ロザリンドはそれらをまるっと無視した。普段健康な人が、病気に罹ると駄々っ子になるのは珍しいことではない。



「オルトン、旦那様を騎士服から楽な服に着替えさせて。わたしは薬を作ってくる」


「かしこまりました。……シンシアは奥様の側に」


「はい!」



 ウィリアムの額に汗で張り付く髪を、ロザリンドはサラリとはらう。



「私は健康だ……」


「もうちょっとの辛抱だから、旦那様」



 ロザリンドは急ぎ、シンシアと共に離れ家へと向かった。










 ロザリンドは風邪薬を自己新記録の速度で作り上げた。

 そして薬包紙に包んだそれらを、ウィリアムの元へ大事に運ぶ。



「旦那様、大丈夫?」


「ダメだ……健康だが……死んでしまう……健康なのだが……」


「旦那様、支離滅裂。熱が上がったのかな?」



 ベッド脇の椅子にロザリンドは腰掛けた。そして薬包紙で小分けにした風邪薬を一つ取り出す。



「旦那様、薬を飲もう? 安心して、わたしの作った薬は一撃必殺だって評判だから」


「奥様ぁ、それ殺しちゃってますよ!」



 シンシアはロザリンドに訴えかけた。



「嫌だ……薬だけは……苦いのは……嫌だ……」


「旦那様はまだ薬が苦手なのですか。まったく、いい大人でしょうに」



 嫌だ嫌だと身を捩るウィリアムを冷たく見下ろしながら、オルトンは言った。



「困ったね。時間がないから丸薬じゃなくて、粉薬にしちゃった」



 あんなに楽しく一緒に薬を作ったウィリアムが、薬を苦手にしているとは思いもしなかった。こんなとき、ファリスだったら問題なくウィリアムに薬を飲ませていただろう。



(……違う。わたしはファリスじゃない。自分でどうにかしないと)



 どうしようかと悩んでいると、扉がノックされた。シンシアが確認しに行くと、小さな硝子製の器を持って戻ってきた。



「料理長から、甘いゼリーの援護物資です!」


「さすがは最古参の使用人です。旦那様のことをよく分かっていますね」


「これがあれば旦那様も薬が飲めるね」



 シンシアからゼリーを受け取り、ロザリンドは再びウィリアムに向かい合う。



「嫌だ……絶対に飲まんぞ……!」



 ウィリアムは口を両手で押さえつけて、断固たる抗議の姿勢を見せた。



「……オルトン。どうして旦那様は薬が苦手なの?」


「おそらく、幼少期に飲んだ薬の苦みがトラウマとなっているのでしょう」


「ブラックコーヒーは飲めるのに?」


「旦那様は子供のようなところがあるのです。ああ、これでは先代様に顔向けできません……!」



 オルトンは悲しそうに目を伏せた。



(前に顧客の恋多き貴族夫人が言っていた。男性は、いくつになっても少年の心を持っているって)



 そうは言っても、辛そうな顔をしているウィリアムをそのままにはしておけない。ロザリンドはゼリーを一旦キャビネットの上に置き、ウィリアムの逞しい腕に触れた。



「旦那様、お願い。……薬を飲んで? 苦しそうにしている旦那様を、わたしは……見たくない」



 僅かにウィリアムが身体を震わせた。



「旦那様、男でしょう! 奥様が健気にお願いしているのですから、薬ぐらい大人しく飲んでください」


「あの……使用人一同、旦那様の早い回復を切に願っています!」



 ロザリンドに続いて、オルトンとシンシアもウィリアムへ懇願する。

 ウィリアムは口から両手を離し、捨てられた子犬のような声を紡ぐ。



「……分かった。ただし!」


「ただし?」



 ロザリンドが首を傾げると、ウィリアムは視線を彷徨わせる。



「く……く、く、くくく、口に、口移しで……」


「「……旦那様」」



 オルトンとシンシアが何故か沈んだ声を出した。

 ロザリンドは拳を握り、ウィリアムを真っ直ぐに見た。



「分かりました!」


「え? 本当か、ロザリンド!?」


「うん。旦那様は目を瞑って口を開けていて」



 ロザリンドはウィリアムの頭の下にクッションを敷き、彼が指示通りの体勢になったことを確認すると、薬包紙を開いた。ウィリアムへ微笑みを向けたロザリンドは、薬包紙をそのまま彼の口に突っ込み、粉薬を舌の奥にサラサラと流し込む。



「ふんごぉっ!?」



 ウィリアムは目を見開いて暴れ出した。



「シンシア、お水! オルトンは旦那様を押さえつけて!」


「「はい!」」



 シンシアはウィリアムが吐き出さないように、絶妙な角度から彼の口に水差しで水を流し込む。オルトンも武術の心得があるのか、器用にウィリアムの身体を馬乗りになって押さえつけた。


 ウィリアムが薬を二度三度嚥下するのを確認すると、ロザリンドは彼の口に甘いゼリーを運んだ。ウィリアムは光のない眼差しでそれを咀嚼する。



「……ロザリンド。何故、薬をそのまま口に入れた」


「え? 旦那様は『口に移して』って言ったよ。わたし、感動した。こんなにすぐ幼少期のトラウマを克服するなんて……やっぱり、旦那様はすごい人だね」


「あははっはぁ……」


「さすが奥様でございます」



 オルトンはハンカチで目元を拭いながら頷いた。



(体力もあるし、薬を飲めば旦那様の風邪もすぐによくなるね)



 ロザリンドは嬉しさで顔をほころばせながら、ウィリアムに次々とゼリーを乗せたスプーンを差し出す。食べられるときに食べておいた方がいい。食事は風邪を追い出す力になる。



「旦那様、甘い?」


「……全然甘くなかった」


「病気だと味覚が狂っちゃうときがあるんだよね」



 ロザリンドは空になった器をシンシアに渡し、ウィリアムに掛け布団をかけた。



「旦那様、もう寝ていいよ」


「しかし……」


「ずっと側にいるから。安心して?」



 病気のときは一人だと不安になるものだ。ロザリンドは安心させるようにウィリアムの頭を撫でた。


 医師免許を持っているロザリンドの存在に安心したのか、ウィリアムは数分と経たずに眠りに落ちてしまう。



「奥様、後は私共が……」


「わたしが旦那様を見るよ、オルトン。大丈夫、徹夜には慣れているから。後で冷たい水とタオルを持ってきて」


「かしこまりました」



 オルトンはシンシアを連れて退室した。

 ロザリンドは、辛そうに息を上げているウィリアムの手を、起こさないようにそっと握った。



「頑張って、旦那様」



 ロザリンドは祈るように呟いた――――













 ウィリアムの額に冷たいタオルを置いたり、体調確認を小まめにしていると、あっという間に朝になった。ウィリアムの熱はすっかり下がり、呼吸も安定している。もう安心だろう。


 ロザリンドはウィリアムの書棚から本を一冊借りて読み始めた。



「……ロザリンド? どうしてここに」


「起きましたか、旦那様。体調はどう?」



 本をパタンッと閉め、ロザリンドはウィリアムの額に自分の額をくっつけた。



「な、なななな……!」


「熱はない。良かった。あ、本を勝手に借りてしまいました」


「それは、構わないが……ロザリンド、もしかして一晩中ここに?」


「言ったでしょう。ずっと側にいるって」



 ロザリンドがそう言うと、ウィリアムの顔が瞬く間に紅潮する。

 熱がまたぶり返したのかもしれない。


 ウィリアムはのっそりと起き上がった。しかし、彼は俯いている。



「……か」


「か?」


「乾布摩擦してくるぞぉぉおおおおお!!」



 ウィリアムはベッドから飛び上がり、駆けだした。そして、その健脚であっという間にロザリンドの視界から姿を消してしまう。


 ロザリンドは驚きで目をぱちくりとさせ、状況を認識すると慌てた様子で叫ぶ。



「や、病み上がりに乾布摩擦はいけません!! だ、誰か止めて! 旦那様がご乱心だよぉぉおおお!」





 結局オルトンによって捕獲されたウィリアムは、一日中ベッドの上で拘束されるのだった。




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