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狼侯爵と愛の霊薬  作者: 橘 千秋
第一章
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10話 水に流せない過去

 王宮訓練場の裏手には、大きな滝がある。


 普段は王宮に潤沢な生活用水を引くために利用されているが、今日はひと味違う。


 何故なら……



「静まれ静まれ静まれ静まれ静まれ静まれ静まれぇぇええええええいいい!」



 ウィリアムが滝に打たれて修行しているからだ。



(くっそ! 自然から湧き出る冷水で身を清めているというのに、一向に熱が冷めない!)



 ウィリアムは悩んでいた。


 先日見た、ロザリンドの素顔が脳裏から離れない。あの純真で儚く、だが凜としている美しさと可愛さを兼ね備えた麗しの美少女は紛れもない、ウィリアムが求めた聖女だ。



(やはり、ロザリンドに聞いて……いや、ダメだ!)



 ウィリアムは最低の結婚条件を押しつけ、死人の少女を愛していると言ってしまった。今更ロザリンドに「君が聖女なのか?」などと口が裂けても言えない。愛さないとか言っておいて、聖女だと思ったらコロッと態度を変えるなんて、最低野郎じゃないか。



(私の紳士道に反するぞ!)



 何より、聖女の話をしたときに、ロザリンドは「わぁ! とってもすごい人ですねぇ」としか言わなかった。ロザリンドが聖女じゃなかったのならまだいい。しかし、聖女だった場合、ウィリアムのことをロザリンドは欠片も覚えていないことになる。



(そんなことになったら、私の硝子のように繊細な心はボッキリと折れてしまう……絶対に立ち直れないぞ!)



 思考は複雑に絡み合い、ウィリアムを悶々とさせた。

 それでいつもは剣を振るって武術の訓練をするところを、精神修行に費やしているのである。


 

「大変っす、ヴァレンタイン卿!」


「どうした」



 長年の部下が、血相を抱えてウィリアムの元へ駆けつける。ウィリアムはその並々ならぬ様子に、緊急事態だと察して滝から出た。



「姫閣下からの伝言が……」


「オーレリアか? 聞こう」



 嫌な予感がしながらも、ウィリアムは部下に続きを話すように促した。



「では、おっほん。『ウィリアム? いつまで仕事を滞らせているつもりですの。来月分の軍予算申請書の提出は昨日まででしてよ。それとも、ご自慢の筋肉鎧で戦うのかしら。とても経済的でよいですわ。軍の予算は0で相違ないわね?』だそうです!」


「わ、忘れてた……!」



 書類自体は完成している。しかし、3日前にオーレリアが不機嫌そうに催促していた。確実に今、オーレリアは怒っている。彼女を怒らせると酷い目に遭うことは、長年の付き合いから嫌でも知っていた。


 ウィリアムの顔が蒼白になったことが分かったのか、部下が足に縋り付いてきた。その顔は鼻水と涙をまき散らし、とても醜いものとなっている。



「どうするんすか! 前に食材消費報告書を提出し忘れたときなんて、後ですんげぇひもじい思いをしたじゃないっすか。姫閣下はいつでも徹底的に責める女ですよ!」


「急ぎ、書類を提出してくる。午後は帰ってこないかもしれない。後は補佐官に一任する」


「了解っす! ご武運を、ヴァレンタイン卿!」



 ウィリアムは着替えを取ると、書類が置いてある軍の詰め所へと走り出した。










 王太子執務室で待ち構えていたオーレリアはカンカンだった。



「オーレリア、来月分の軍予算申請書だ……」


「どうしてもっと早く持って来られないのでしょうね、この鳥頭は。期日は守るためにあるのですわ。本当に、何度言えば気が済むのでしょう」


「……すまない」



 ウィリアムは少しでもオーレリアの不興を買わないようにと、へこへこと頭を下げる。足を組み、冷たい表情の美女と、平謝りする凶悪な顔つきの大男の絵はさぞ滑稽に違いない。


 隣でそれを見ているジェイラスは堪らず噴き出した。



「あっはは……馬鹿だねぇ、ウィリアムは」


「……他のことに気を取られていた」


「他のことってなんだい?」



 ウィリアムは咄嗟にジェイラスから目をそらした。



「へえ。オーレリア、どうやらウィリアムは何かやましいことがあるみたいだよ?」



 オーレリアは提出期日を破ったウィリアムへの復讐なのか、予算書に目を通しながら適当にジェイラスに相づちを打つ。



「それはいけません。軍が不正を行っているのかもしれませんわね。何せ、期日を守らないほど締まりの無い連中ですもの。……徹底的に調べ尽くすべきですわ、ジェイラス殿下」



 ウィリアムがオーレリアの怒りどころが分かるように、ジェイラスとオーレリアもウィリアムのふとした動作から心情を読み取る。幼馴染みとは、なんて厄介な関係なのだろうか。



「それで、ウィリアム。何があったのか僕たちに教えてよ」



 ジェイラスはニヤニヤと笑いながらウィリアムに迫った。



「……それは言えな――」


「白状しないと、枯れかけた熟女が好みだと淑女網を通じて言いふらしますわ」


「事実無根だ!」



 オーレリアの容赦ない追撃に、ウィリアムは項垂れた。



(どこで道を間違えたのだろうか……いや、昔からこの二人は悪ガキだったな)



 不本意ながら、ウィリアムは白旗を上げることにした。



「……ロザリンドが……その、『聖女』かもしれない」


「ええ!? 聖女……ロザリンド嬢が!?」


「戦後、執念深くウィリアムが探し回ったのに見つからなかったのですわよね。……それに、貴族令嬢が戦争地帯に行ったなどという話しは聞いたことがありませんわ。ふふっ、勇敢な女性は国の宝ですわ」


「あくまでもかもしれない、だ」



 ウィリアムがそう言うと、ジェイラスは一枚の手紙を差しだした。



「いや~、貰ったときは意味が分からなかったけれど納得。これ、さっき母上の側近から渡されたものだよ。ウィリアム宛だ」



 ウィリアムは無言でジェイラスから手紙を受け取ると、恐る恐る目を通した。

 手紙に書かれている文章は、たった一行だけ。



『ねえ、最高の褒美だったでしょう?』



 女王の妖艶な笑みがウィリアムの目に浮かぶ。



(女王陛下は全部知っていたのか……!)



 グラグラとウィリアムの中が沸騰するように熱くなる。


 全てを分かっていたのに隠していた女王に思うことがある。それに何故、貴族令嬢のロザリンドが戦地にいたのかということも。


 しかし、そんなことよりもウィリアムの心は歓喜に満たされる。



「……生きて、いたのか」



 恋い焦がれても決して手の届かない、最果ての世にいたと思っていた聖女が、いまやウィリアムの庇護下にある。たとえ仕組まれていたことだとしても、ウィリアムには奇跡に等しい幸せだ。



「……まあ、良かったんじゃありませんの」


「ちょっとだけ素直になったオーレリアも可愛いよ! 結婚して!」


「嫌。それよりもウィリアム、入室したときから思っていたけれど、顔が真っ赤じゃありませんこと?」


「最初は走ってきたからだと思ったけど、確かにずっと赤いのはおかしいね。それにウィリアムの手先、震えてない?」



 ウィリアムは小さく息を吐き、呆れたようにジェイラスとオーレリアを見た。



「何を馬鹿なことを言っているんだ」


「馬鹿なのは貴方でしょう。知っていますの? 馬鹿は体調管理出来ないんですわ」



 オーレリアは椅子から立ち上がるとウィリアムの脛を蹴り飛ばした。そして強制的に跪かせると、彼女はウィリアムの額に手のひらを当てた。



「……熱いですわ」


「人間が熱いのは正常な証拠だ。……というか、蹴り飛ばさなくともいいだろう! 人体の急所だぞ!」



 ウィリアムは脛を手で押さえながら、涙目でオーレリアを睨み付けた。



「喚かないでくださいまし。……ジェイラス殿下、王宮の侍医にかかるのはウィリアムの外聞に良くないのですわ。軍務大臣が弱いところを見せるのは極力避けたいところ」


「そうだねぇ。ウィリアム、今日はもう家に帰りなよ。これは命令だから」


「私は風邪など、20年引いていない!」


「その記録は昨日で打ち止めですわね」



 オーレリアは至極面倒そうに言った。

 ウィリアムは反論しようと立ち上がるが、視界が歪み、ぐらりと床に倒れそうになってしまう。



「……嫌だ……風邪など引きたくない……」


「ウィリアム、体調不良の心当たりはないのかい?」


「……少々滝に打たれた」



 ジェイラスはウィリアムの肩を抱き、ゆっくりと立ち上がらせた。まるで自分の足ではないかのように、歩行が安定しない。



「少々ってどれぐらい?」


「二時間ほど……」


「まあ! 慢心するなんて、救いようのないゴミ屑ですわね。しっかり手紙に書いておきますわ。ロザリンド様に呆れられてしまえばいいんですの」


「……すまない」



 ジェイラスとオーレリアによって、ウィリアムは人知れず、王宮に駐めておいたヴァレンタイン侯爵家の馬車に押し込められるのであった。




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