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狼侯爵と愛の霊薬  作者: 橘 千秋
第一章
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1話 遅すぎる卒業

 今から4年前。フランレシア王国では、隣国のベルニーニ神国との戦争が起こる。

 理由は些末なもので、フランレシア王国の女王制を悪だと唱えたベルニーニ神国の資源略奪のための侵攻だった。


 戦争によって、たくさんの死者が出る。

 両国の国力は拮抗しており、戦乱は長期化するかと思われた。


 しかし、戦争はフランレシア王国の勝利という形で、半年足らずで終結を向かえる。

 武官も文官も総力を上げて成し遂げた勝利だった。



 戦争が終結すると、フランレシアは復興へと向かう。


 焼き焦げ、荒れ地とかした大地には植物の芽が芽吹く。


 戦争を経験していない、新たな生命の誕生。


 閉ざされた家から出た人々は、交流を再開し、街は賑わいを見せる。


 たった四年で、フランレシア王国は元の緑豊かな国へと戻った。


 しかし、人々の心には消えない傷が残されている。


 人々は前を向き生きていく。

 それが残された者の義務であり、死者への最大の手向けだからだ――――








 女王の名を戴いたエレアノーラ国学院では、貴賤を問わず学生に門戸が開かれていた。女王の忠臣貴族の子女たちが目を光らせているため、身分差による目立った虐めは行われていない。まさに、開かれた学び舎だ。


 エレアノーラ国学院は『学びたいだけ学べ』という教育方針を掲げている。学院には様々な専攻学科が用意されていて、主専攻は選ばなくてはならないが、他の専攻も同時に学べるようになっていた。


 卒業単位が足りていたとしても、自分が満足するまで何年も学び続けられる。

 そんな夢のような学院だ。


 だが実際には講義の難しさから留年し、やがて年齢や資金の問題で退学する者も多い。

 それ故、卒業単位が満たされれば卒業するのが常である。


 しかし、その常識を打ち破る生徒がエレアノーラ国学院に在籍していた。

 彼女は最年少8歳で学院に入学し、歴代最短の3年で卒業単位を満たす、天才。

 そして、さらに7年も留年して学院に居座り続けている変人だ。


 人は彼女のことを『ものぐさ姫』と呼んだ。

 ものぐさ姫は貴族令嬢だというのに研究室に引きこもり、ひたすら薬学の研究を行っていた。社交界に出たのは、デビュタントの一回きり。貴族たちに忘れ去られてもおかしくはない。


 しかし彼女の作る薬はこの上ない良薬。貴族たちもこぞって注文をするほどだ。だから、ものぐさ姫の存在は有名だった。彼女がデビュタントの一回きりしか社交界に出ていないこともあり、様々な噂がはやし立てられる。

 

 そんな優秀だが怠惰でおよそ貴族令嬢らしからぬものぐさ姫には、終ぞ縁談の噂は無かった。


 だが、ついに縁談がまとまったという。

 相手は世にも恐ろしい、狼侯爵。学院中がその話題で持ちきりだった。


 それをものぐさ姫――ロザリンド・セルザード伯爵令嬢が知ったのは、自分以外の生徒全員に噂が浸透して三日経った頃だった。













 エレアノーラ国学院の個人研究棟。その中でも特に異臭を放っている部屋がロザリンドの研究室だ。本棚に入りきらず乱雑に床に積まれた本、経過観察のために並べられた毒々しい色の薬、薄汚れた絨毯に散乱したゴミ。

 しかし、それらを気にすることなくロザリンドは調合台に経ち、新薬の実験をしていた。



「えっ……わたし、結婚するの?」



 ロザリンドは間抜けな声で、同じく個人研究室を持つ学生のクリスティーナに問いかける。

 驚いた拍子に手に持っていたフラスコの中へ、当初予定していたのと別の液体を混ぜてしまった。


 ボンッと小さな爆発音と共に黒煙が舞う。


 引きこもり生活のおかげで不揃いの金髪と、おろしたての白衣、そして顔が真っ黒になる。眼鏡の乳白色のレンズも煤だらけになっているだろう。目の前が真っ暗だ。



「ゴホッ……何しているの、ロザリンド。というか、自分の結婚なのに知らなかったの!?」



 クリスティーナは驚きの声を上げた。

 しかし驚きたいのはこっちだ。結婚なんて寝耳に水。本人が知らぬとはなんということだろう。

 ロザリンドは眼鏡をかけたまま、起用にハンカチでレンズを拭いた。

 視界はクリアになったが、ロザリンドの心は暗雲が立ちこめている。

 


「一週間ぐらい外に出ていなかったから……」



 どうして外に出ていなかったのだろう。……新薬の実験をしていたからだ。



「そう言えば、なんか臭いわよ、ロザリンド。あとその引きこもり体質、どうにかしなさいよ。貴女の相手、あの狼侯爵らしいじゃない。実家から連絡は来ていないの?」


「……実家には10年帰っていないし、連絡も……一年ぐらい音信不通。それにしても結婚か。しかも侯爵位持ち……」



 ロザリンドは苦悶の表情を浮かべる。

 相手が侯爵ということは、結婚すれば侯爵夫人にならなくてはならない。なんと面倒なことだろうか。最低の結婚相手だ。独身貴族を謳歌して、既婚貴族に後ろ指を指される人生を送りたいのに。ままならないものだ。



「クリスティーナ。えっと……狼侯爵ってどんな人なの?」



 貴族令嬢とは名ばかりのロザリンドは、社交界の情報にとんと疎い。

 クリスティーナは呆れたように溜息を吐いた。



「ウィリアム・ヴァレンタイン――確か28歳だったと思うわ。先の戦争で、ベルニーニ軍を壊滅させるほどの活躍をした軍人よ。元は次男だったらしいのだけど、戦争で兄が他界して襲爵したみたい。それも、狼侯爵の策略じゃないかって言われているわ。逆らう貴族は片っ端から叩きつぶして、陸軍大臣の座にいるんだもの。それも頷けるわ。あと、昔は女癖が悪かったんだけど、戦後は鞍替えして、男色家になったらしいわ」


「つまり、戦争の英雄だけど悪逆非道の男色家の変態が……わたしの結婚相手ということか。どうにか回避を……無理ね」


「諦めるの早すぎるでしょう!」



 ロザリンドはこの結婚が策略めいたものだと確信していた。

 ロザリンドの母は幼い頃に他界している。その後、伯爵である父が迎えた継母は、物覚えが良かったロザリンドが気に入らず徹底的に虐げた。継母によるロザリンドの暗殺事件が起こってから、父は漸く重い腰を上げ、わずか8歳のロザリンドをエレアノーラ国学院に放り込む。それは愛からくるものではなく、ただ単に政略結婚の駒になるロザリンドを失うのを避けるためだ。


 以来、ロザリンドは一度もセルザード伯爵家に帰ってはいない。さらに結婚するのが嫌で、何年も学園に居座り続けていた。幸い、貴族たちに薬を販売しているため、お金には困っていない。実家の援助などなくとも平気だった。


 しかし、ロザリンドももう18歳だ。結婚適齢期真っ盛りである。今回の結婚は、上位の貴族との縁を望んだ父と、ロザリンドの苦しむ姿を見たい継母による共謀だろう。おそらく、逃げることは叶わない。というか、逃げるのが面倒くさい。



「クリスティーナ。今までありがとう。6年間楽しかった」



 ロザリンドとクリスティーナは同い年だ。入学した歳は違うが、同じ師の元で学んだ仲。しかし、その師が戦争で死んだこともあり、複雑な縁ともいえる。おそらく、腐れ縁というやつだろう。



「わたくしはたぶん今年卒業だけど……ロザリンドは今日卒業ね。今まで楽しかったわ」



 本当に急な話だ。あと三ヶ月みっちり新薬の実験と開発のスケジュールを立てていたというのに、卒業とは、なんとも口惜しい。


 だが、まあ……よく10年もったともいう。最近は教師陣の卒業しろという無言の圧力や、学生たちからの異臭に関する苦情に参っていたところだ。遅かれ早かれ、ロザリンドは学院から追い出されていただろう。


 クリスティーナとの別れ挨拶が済むと、タイミング良く研究室がノックされた。

 そして表れたのは、10年ぶりに見る実家のセルザード伯爵家の使用人たちだ。


 ロザリンドはこの日、10年にも及ぶ学生生活を終え、エレアノーラ国学院を卒業した――――





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