表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フェアリー・クインテット  作者: 芝森 蛍
望郷の協奏曲(コンチェルト)
75/138

第四章

 エメリヒのピスカのへの告白から翌日。クラウスはマーヤに言われた通り、一人ブレンメ家を尋ねていた。

 一人、と言われたからには当然ピスカはそこにはいない。

 ピスカはピスカで、突然の告白に昨日こそ顔を顰めていたけれど、朝起きてみればいつも通りを装って妖精らしさを取り戻していた。

 妖精従き(フィニアン)はいないこの時代に、妖精と人間の契りのその一端。

 契約とまでは行かなくとも、互いを意識するには十分な問題である事は確かで、言ってしまえばきっとどこかで人と妖精は身を寄せ合っている。

 人の里に混じる妖精は自分を妖精である事を知っている。けれど人間の側は、人化をした妖精の区別方法などない時代で、クラウスだってその気になって隠されればきっと見分けなどつかないほど、彼女達は妖精力の扱いに長けているのだろうけれども。

 そんな世界の裏側はいいとして、何よりも問題だったのは人間と妖精のその関係を、よりにもよって妖精の女王たるタイターニアの前で(つまびら)らかにした事だ。

 正確には、きっとタイターニアが(そそのか)してそうなるように仕向けた……。妖精らしい悪戯と楽しさを求め、偽りのない感情を言葉にする事を強いた一時の戯れなのだろう。

 実際、あの後タイターニアは満足そうな笑みさえ浮かべて、どこか恋に恋するように熱に浮かされていた。……否、その感情を肌で感じ取って、慈しむように何度も頭の中で再現しているようだった。

 景色を壊した勇気のある一歩はあの時隣にいたマーヤから。認識を誤魔化すあの繭から外に出て、まるで今見たものがなかったかのように振舞う彼女には戦慄さえ感じたけれども。

 そこまでエメリヒの事を理解していて、その上で彼を手玉に取るのだから少しだけエメリヒに同情してしまう。

 マーヤほどではないにしても、クラウスにだってアンネというイレギュラーがいるから。その経験者としてアンネよりも尚恐ろしいマーヤに恐れを抱くのだ。

 あれを愛というには捩れすぎている。

 全てを分かった上で許容するなんて、彼女の心は極端に広いか狭いかの二極だ。個人的には後者だと思うクラウスだが。

 そんな一幕は、少しだけ慌てたエメリヒを置き去りに、全てを知ったマーヤの手のひらの上で踊り紡がれて。やがてクラウスが森の外まで送り届けた事でどうにかそれ以上の騒動なくクラウスの視点では終わりを告げた。

 あの後、マーヤがエメリヒにどんな言葉を紡いだのかは定かではないけれども。少なくとも彼の告白を目の当たりにした時の彼女の横顔は、見間違えでなければ少し怒っていた気がしたクラウスだった。

 それから一夜。オーベロンへの報告も終えたクラウスは再び宿に戻り一睡超えたその朝に。

 新鮮な空気を胸に取り込んで市場を少し徘徊すると、食事を終わらせてブレンメ家へとやってきていた。

 ここへくるまでの途中、近くを通った為にシェーヌの取り寄せを頼んだ店に顔を出せば、発注は終わったから早ければ数日中には届くという話。

 ならばきっとオーベピンの方も同じくらいで、これから交渉に向かうフレーヌもきっと直ぐに手に入る。

 となれば、この地、この時代に居るのも残り数日かと思うと少しだけ寂しさも浮かぶ。

 オーベロン。タイターニア。妖精の国(アルフヘイム)

 空想の存在だったそれらが、確かにこの時代に存在したという事実に、クラウスの思い描く野望の成就と険しい道のりを思い浮かべる。

 あぁ、そう言えば苗達の見返りに聞く事もあったのだと。忘れそうになっていた当初の目的の一つを今更ながらに思い出す。

 時間にしてみれば一週間ほどだろう。

 時間旅行という規格外な体験は、きっと夢うつつに魂にだけ刻まれる実感のない経験。そもそも元いた時代に帰ったところでこの記憶が継承されるのかという不安が残るが、一つ裏を返せばそれは余り考えなくていい問題だろうか。

 オーベロンは言った。妖精力に付随する全ては魂に由来すると。だからこそ魂だけをこの時代に定着させ、この仮初の体に憑依させることで時間旅行を実現しているのだろう。

 ならばここへ来た時にそれまでの記憶があるのならば、逆の記憶もまた魂に刻み込まれ持ち帰る事はできるはずだ。

 もちろん、アルの得意な妖精術のように記憶を弄られればその限りではないだろうが、きっとそんな事を彼はしない。

 今までに掛けられた言葉で、どこか根拠もなく確信しているから。

 クラウスは、それに手を伸ばしてもいいのだと。この夢は、妖精の王にさえ肯定された野望なのだと。

 だからその芽を摘むような事は、彼はしないはずだ。もし彼の気分がその時々で変わってしまうかわいそうなものだとすれば、妖精らしいことだと笑うだけだ。

 そんな事を考えつつブレンメの門を叩く。さすがの名家というか、名前一つで話題になるほどの家に見合った、立派な門と一等地の屋敷。地形的に、小高い丘の一角に立ったここからは、振り返ればミドラースの地を僅かにだが見渡す事ができる。

 無法者として、あの屋敷の屋根の上に立てばどれ程爽快な景色をその目に焼き付ける事が出来るだろうか。

 見上げた空は青く抜けて白い雲を幾つか揺蕩わせた、夏らしい帆布。

 この一瞬でさえ、切り取れば芸術的な一枚になりそうなものだと想像して、それから脳裏に過ぎったあの短命な画家の事も少しだけ考えたりもして。

 そうこうしていると青銅の格子の奥から一人の少女がこちらへと歩いてきた。

 豪奢な服は裾広く広がり、緩やかな曲線を描いて彼女らしい雰囲気を纏う。(うぐいす)色の長く総やかな髪は、ゆったりとした印象を抱かせ、指で(くしけず)れば心地よさそうなほどに砂糖菓子の如く揺れる。

 上等な身形は客を持て成す為の心遣い。そこまでの好意と、それからその蜂蜜色の瞳に宿る鋭いほどの意思に招かれた側として光栄に思う。

 別に誰かと比べるわけではないけど、彼女こそ権威の上に立つ者としての風格を纏うに相応しい少女だと。


「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」


 被った仮面は格式あるお嬢様の微笑み。その奥に隠された嫉妬のような恋心に今から既に楽しくなりつつ、彼女に先導されるまま屋敷への道のりを歩く。

 綺麗に配慮の行き届いた青々とした芝の庭。一軒家なら幾つ入るだろうかと見渡して目に付くのは、白く大きな噴水。

 似たようなので言えばクラウスがここへ来る前の時代。元の時間での、ブランデンブルク城下町。その目抜き通りに建造された噴水だが、あれよりも優美なその造形は一塊を削り出して作られているのか滑らかな流線型の模様を幾筋か表面に走らせていた。

 吹き出る水が天から降り注ぐ陽光に照らされて光の粒のように輝く。透き通った水色と、純白の台座。そして辺りを彩る広大な芝生の大地。

 まるで物語の中の大豪邸だと軽く眩暈すら覚えつつ。何よりも主役たる煉瓦(れんが)色の圧倒的な存在感たるブレンメ家の居城に、口先だけの感想などわいてこない。

 どう形容すればこの格の違いを伝えられるだろうかと。まるで伝記作家になった気分でその筆舌に尽くし難い整った屋敷の外観を見上げて一つ息を零す。


「ふふっ、安心してください。これが別荘なんて言いませんから」

「別荘は持ってるんだ……」

「わたし個人が所有してる事になっている別邸があるらしいですよ? 行った事ないですけど」


 それは一体何の為にある建物なのだろうか。

 主なきその別荘にまた少し想像を馳せつつ、その家の中でブラウニーなどの妖精が住み着いている景色を想像して笑う。

 全く、格どころか、住んでいる世界すら違う気がして来る少女だ。

 クラウスの記憶でも元いた時代にこれほど裕福そうな家を持つ家名はそういない。

 クラウスの中に存在する聞きかじった記憶を、目の前の少女は正真正銘の令嬢なのだと正して改めて視線を合わせる。

 そんな恋する少女の話に付き合って、ただ少し妖精の悪戯の真似事をするクラウスは……やはり人というには少しだけずれすぎているのかも知れないと。

 今更ながらに打算と偶然で手繰り寄せた奇縁に感謝をしつつ、クラウスとしての目標をしっかり思い返しながら歩みを進める。

 そうしてマーヤに連れてこられたのは屋敷の裏手。柔らかい芝生の感触を足裏に確かめながら辿り着いたそこには、これまた物語の一幕のような、白い丸机に椅子が二つ。近くには綺麗な姿勢で佇む仕着せに身を包んだ使用人の姿。

 野外の陽光の下に設えられたその景色は、まるで優雅にお茶を嗜む深窓の令嬢が座っていてもおかしくない御伽の世界だった。

 一言、使用人に言伝をしたマーヤは椅子を引かれて片側に座る。

 思わずそんな流麗な気品漂う仕草に見惚れて、本物である事を再認識。女性である事の誇りを纏った彼女を前に、クラウスとしても紳士足れと更に心に命じて呼吸を整えれば、使用人が引いてくれた椅子に腰を下ろした。


「やっぱりお茶は室内でするよりも自然に囲まれて嗜むものですよね。舌だけでなく、目と耳でも楽しむ。だからこそこの時間が何よりも尊いんですっ」


 僅かに染まった頬は可憐に持ち上がって、彼女が演じる最高の笑顔を作り出す。

 あぁ駄目だ。そんな甘い微笑みは、男に見せるのが勿体無い。クラウスでさえ釣り合わない。

 だからこそ彼女が彼女足る為の秘策にして負け知らずの交渉材料にしなくては。

 そんな事を考えて、もしそんなに完璧ならば彼女はとっくに人間などやめてしまっていると少し嬉しくなる。

 彼女が人間ならば、まだどうにかクラウスは同じ土俵に立っていられる。


「さぁどうぞ。今年二番の葉を使った紅茶です。ご賞味ください」

「……どうして二番なんです?」

「一番があるからです」


 あぁ、そういう。

 別に順番で賓客に格をつけているわけではない。ただ単純に、今客に出したものより上質なものを『持っている』事に意味を持たせる。そういう交渉。

 もしクラウスが彼女のような名家に生まれていたのなら、そんな贅沢な交渉の札を切れただろうかと。

 けれどそうならばきっと今のクラウスはそこには存在しないのだろうけれども。

 音のない綺麗な手前でクラウスの前に用意されたカップ。出来る限りの知っている礼として、カップの持ち手には指を通さずつまむようにして持ち上げる。

 鼻先を擽った甘いほどの香り。きっと砂糖ですら入れていないというのにその果物の芳香に────


「……ポムですか?」

「あら、ばれちゃいましたね。茶葉に切ったポムの皮を混ぜてるんです。でもどうして分かったんですか?」

「旅のお供に料理をする際に時々使うんです。マーヤさんのお口に合うほど大層なものは作れませんけど」

「そういうのも一度食べてみたいんですけど……。包丁すら握らせてくれないので」


 言って後ろに控える使用人に視線を向けるマーヤ。

 どうやら彼女専属の付き人らしい。

 しかしそこに込められた嬉しそうな音に、彼女を取り巻く環境の温度を知る。

 因みにポムは赤く丸い果物だ。生から果醤(ジャム)のような加工品、焼き菓子の飾りなど、様々な場所で見かける一般的な果実だ。

 クラウスは生食があまり好みではないが、それは閑話休題。


「たった一工夫ですけど美味しいんですよ? 因みにわたしの一番です」


 その種明かしはずるいと。そんなもてなしをされて、それ以上の期待などクラウスに何を求めているだろうか、この少女は。

 今年二番の葉を使った、彼女の一番好きな紅茶。

 その小悪魔では足りないほどの魅力に少しだけ後ろ髪を引かれながら。


「……あぁ、そうだ。預かり物がありますよ。この席のお返しに見合うかどうか分かりませんけれど」

「…………? 何ですか?」

「彼女……タイターニアからのせめてもの気持ちだそうです」


 言って取り出したのは透明な水晶の中に閉じ込められた、一輪の花。確かローザという名前の茎に棘のあることが有名な花田。目の前のその花弁の色は、虹色。

 青いローザは自生しない。だから奇跡という花言葉を持つというのは有名な話だが、さすがのクラウスも虹色のローザなど想像すらした事がなかった。けれど確か、何かの本でそれ相応の花言葉はついていた気がするが、あれは何だっただろうか……?


「妖精の力で編んだこの世に一つしかない虹色のローザです。妖精の力を閉じ込める結晶に入っているので枯れる事も消えることもないそうですよ」

「ローザが愛を表すのなら、本当の意味で永遠の愛ですね」

「花言葉は……あぁ、そうっ、無限の可能性ですね」

「可能性は無限でも、真実も愛も有限ですよ」


 悲しい事を言う少女だと。けれどその水晶を受け取った彼女は、大事そうに胸に抱えて微笑む。


「けれどありがとうございます。クラウスさんに相談する前にどうにかなっちゃいました」

「というと話は彼のことですか?」

「はい。誰の許婚なのか、しっかりと教えないとですね」


 宿る不敵な笑みは、それがクラウスに向けられていなくてよかったと思うほどに鮮烈な色をしていた。

 そんな風に流れるような話題への導入。温かい紅茶と、そして優しく甘い焼き菓子を摘みながら彼女の相談を聞いていく。


「まず嫌なのはエメ君がわたしを差し置いて別の人に尻尾を振ってる事ですっ」


 随分と果断な言動だと。そこまで真っ直ぐに嫌だと否定できる、彼女の気概の強さに少しだけクラウスが怖気付く。

 ここへ来る前にもアンネやユーリアを怒らせたクラウスだが、マーヤのそれは彼女達のものとは一線を画す。

 その瞳に宿る炎こそがその証だ。

 絶対なる糾弾にして疑う余地のない悪に対する彼女の感情論。さすがのクラウスもここまで導火線に火花を散らす女性の片棒を担ぐのは初めてだ。

 もしかするといい経験になるかもしれないと。少しだけ打算的な事を考えてそれから気を引き締めなおす。


「その上で、わたしが知っている事を知らない……。(あまつさ)えそれをわたしに隠してる……。悪ですよっ! 疑う余地なく悪ですよっ!」


 今にも机に拳を叩きつけそうな剣幕に机の上を見渡す。流石に一時の癇癪でこの席が台無しになるのは避けたい。焼き菓子も美味しかったし。


「言うなれば浮気、ですか?」

「浮気? 何でそんな低俗な……。あれはただの勘違いですっ。エメ君は自分の気持ちがわかってないだけなんですっ」


 どんどんと熱を持つ彼女の弁に少しだけ面倒臭くなりつつ、けれどやるべき事は一つだと極論として頷く。

 クラウスに出来る事は────彼女の肯定だ。

 暴走した感情は理解を得る事で収まるのが一般的。その為には、クラウス個人の瑣末な感想など取るに足らない要素だ。

 当人同士なら言い争いに発展しそうな問題だが、嬉しい事にここにいるのはクラウス。事人間関係においては悪くない成績を修める優秀な好青年だ。


「……そうですね、マーヤさんがいるのに他の人に気持ちを傾けるというのは同じ男として恥ずかしいです」

「だからこそ正しい制裁があるべきよね?」


 制裁まで出てきた。一体彼女はエメリヒをどうしたいのだろうか?

 ……いや、そんな事は分かりきっている。これはきっと、お嬢様だからこその独占欲にして虚偽など何処にも存在しない正しい感情だ。

 欲しい者は手に入れる。手に入れたものは傍に置く。幼い頃からそうして来たからこそ染み付いた、彼女の常識だ。

 だからこそ、言わば一つの所有物のようにエメリヒの事も『許婚』として傍に置くべきだと信じているのだ。


「けれど僕はただの旅人です。余りできるお力添えはないように思えますけど……」

「終わった後の事はわたしの責任ですっ。だから終わらせる為の方法……エメ君の気持ちを正しく白状させる為に力を貸して欲しいんですっ」


 正しい白状とは何だろうか。クラウスの言う正しい間違いの親戚だろうか。

 大方マーヤにとって都合のいい……許婚としての自覚ある宣言というのがらしいところだろうが。

 さて、ならばどうやってその正しい白状とやらを彼の口から明言させるかだが……。


「とは言ってもそこまで大きな問題にするのは避けたいですよね? マーヤさんにもマーヤさんの都合があるでしょうし」


 もちろんそれは彼女個人の事だけではない。ブレンメ家の令嬢として、節度ある家名に恥じない振る舞いを求められる事は想像に難くない。

 だとすれば下手に現状を悪化させてブレンメ家の名前に……。

 否、ブレンメ家の名前にエメリヒの名前が傷つけた証を残すのは得策ではないはずだ。事を片付けるなら穏便に。


「でしたらやはり示談ですよ。当人同士での話し合いならば波風立てることはないはずです」

「その具体的な方法は?」


 随分な丸投げだが、それは裏を返せば彼女の信頼と期待。一方的とはいえクラウスの事を買ってもらえるならそれに見合った結果を示すのがクラウスのやるべき事だ。そうすれば結末に、クラウスの望むものも手に入るはず。


「そうですね……。例えば一芝居打つとか」

「芝居、ですか?」

「結局は彼がはっきりしないから悪いんです」


 いや、彼の気持ちははっきりはしているのだけれども。それは彼の都合であってマーヤの言い分ではない。彼女からしてみれば面白くない景色だ。

 だからこそそれを、マーヤに有利な方へと傾がせる。


「幸い、ピスカは答えを返してませんからどうとでもなります。きっとそこにただ人間以上の興味なんてありませんよ」


 もし人里に興味以上の感情があれば、ピスカの事だ、オーベロンの目を盗んで外に出ていてもおかしくない。けれどそうならばピスカはもっと外の世界に詳しいはずで、あの幻想の都たる妖精の国よりほど近い場所にあるミドラースという土地や、そこに住む人々についてもっと知っていてもおかしくはないはずだ。

 以上から、ピスカはそこに人間である以上の興味を見出していない。


「僕から口添えします。あの二人が結ばれたところでそこには混乱しか生み出さないでしょうから」


 もちろん知っている。いつかは人と妖精が契り、妖精従きという存在が生まれる事を。その先に、クリスやクラウス、フィーナのような混じり者が生まれる事を。

 けれどそれはこの時代からもう少し先の未来の話だ。

 状況を俯瞰するに、オーベロンたち妖精側もまだそこまでを望んでいるわけではないだろう。まずは人と妖精の友好な関係を築くところから。

 その為にも、今はまだ諍いの火種はないに越した事はないはずだ。


「それにほら、ピスカは僕の旅の連れ、ですからね」


 笑顔で言って、言葉の裏に意味もない含みを持たせる。

 マーヤは、恋に恋する少女だ。だからうら若き乙女として、そういう話に興味がないわけではないだろう。勘違いをしてくれるならそれで十分だ。

 少し考えが至ってしまえば、クラウスのその言葉もこの場限りの方便だと気付くかもしれない。

 彼女は知っている。あの妖精の国を……タイターニアという存在を。何気なく交わされたピスカとタイターニアの会話を。

 そこから類推すればピスカの本当の居場所も、それからクラウスの嘘だって暴かれてしまう。

 しかしそんな事は、例え分かったとしても見て見ぬ振りをする些細な問題だ。

 なぜなら彼女にとっての最優先事項はエメリヒだから。そこに異邦人であるクラウスや妖精であるピスカが関わったところで、それは僅かな火種に過ぎない燻りだ。

 何よりも必要なのはエメリヒの心……都合のいい彼の気持ちだ。


「それでどうにかなりますか?」

「希望的観測は必要ありませんよ。なるかならないかではなく、そうするんです」


 可能性を考えるのは正しい。だからこそその中に理想があって、それを望むならそれこそが真実だと信じて現実にするだけだ。

 失敗の可能性を考えるよりも、成功の可能性をあげる方が生産的だ。


「……怖くありませんか?」

「どうしてですか? 自分を疑えばそれで最後ですよ」


 クラウスは持たない。持たざるものだから、新しく得てそれを生かす。今あるものを駆使して事を成す。

 全てを持っている彼女には少し理解できないかもしれない。けれど今の彼女なら、納得は出来るはずだ。


「欲しいモノは手に入れる。その為に尽くすことに意味なんてありませんよ。今だって、そうですよね?」


 エメリヒの心が欲しい。そう願う彼女に、クラウスのこの気持ちだけは理解できるはずだ。


「欲しいと思ったのならそれに見合う努力をするのは当然です。その努力の中で、いかに楽をするかを考えるのが楽しいんですよ」


 無駄な労力を使うほどクラウスには余裕はない。だからこそ最短で目的に近付く為にマーヤに手を貸すのだ。


「…………似ているようで、違いますね」

「全く同じなんてつまらないじゃないですか」


 マーヤの言葉に言葉を返せば、彼女は小さく肩を揺らした。

 結果は同じだって、過程までが同じだとは限らない。数式だって前提が違っても答えが同じになる場合だってあるのだ。

 この世に全く同じものなど存在しない。だからこそ、戦争や平穏を願う声は絶えない。


「だから違うものに魅力を感じるんですかね?」

「そうかもしれませんね」


 既に纏まった会話。どうでもいい話で最後を有耶無耶にすれば、カップの中の琥珀色の液体は、いつの間にか底が見えていた。

 気付けば随分と経っていた時間。流石にそろそろ宿へ帰らないとピスカに何と言われるか分からない。


「……さて、ではそろそろ僕はお暇させてもらいましょうか」

「あら、残念ですね。よろしければお昼を一緒にとも思ったのですが」

「ありがとうございます。けれどそれはまた別の機会にということで」


 言いつつ席を立てばマーヤ自ら見送りまで買って出てくれた。

 お嬢様然とした彼女に送り出されて、クラウスはブレンメ家を後にする。

 歩き出した道から一望できるミドラースの町は綺麗な円形。傾斜に繁る果物の木や花の色は視界を色鮮やかに彩る。

 町の中心に市場がある所為で出来上がったその放射状に広がる道の景色は、宛ら蜘蛛の巣のようだと錯覚して町へと降りていく。

 しばらく下り道を行けば空気に人の温もりと生活の後が混じる。

 段々と増えてきた人通りは、歩くにつれて人の身形も変わる。

 そんな事、クラウスには関係のない事だけれども。ここでも元いた時代でも、ある程度恵まれていてよかったと少しだけ感謝をして。

 そうして帰ってきた宿屋で、一階の酒場も切り盛りする女店主へ挨拶をして貸し当てられた部屋へ。一応扉を叩いて開けば、中で暇を持て余したピスカが所在無さげにぼぅっと窓の外を眺めていた。


「ただいま」

「んー、おかえり」


 クラウスが宿を発つ頃には何やら用事があるとかで町に向かったピスカ。

 妖精の思い付きは、人間にしてみれば簡単な事柄であることが多い。その為、人間と妖精が同じように用事に時間を取られても、大概は妖精の方が先に身を持て余すことになるのだ。

 とはいえ彼女たちにしてみれば必要な事。人間のようにやりたくないことに時間を割くようなことはしないのが妖精という種族だ。

 だから大抵の場合は用事を終えた妖精というのは気分がよかったりする。

 その例に漏れず、随分と有意義に過ごしたらしいその背中に、気分のよさそうな色を確認する。

 ピスカの機嫌がいいならこちらとしてもありがたい。折角行動を共にしているのだ。しかめ面よりは余程いいだろう。


「もうしばらくしたら昼だけど何か食べる?」

「そうだねー……。取りあえず食べる」


 もちろんと言えばそうだが、妖精にも味覚や好みはある。

 野良の妖精などは、その住み着いた場所で気晴らしにと自然に生っている木の実を千切って嗜む事くらいはする。

 子供の頃は、それを目印に妖精の姿をよく探したものだが──いや、これ以上の記憶の旅はやめようか。その結末は、クォーターのクラウスにとっては推して知るべしだ。

 何にせよ、食事というまでには至らなくとも、好みで手を伸ばすくらいの興味はある。

 例えばそれが極端に膨れ上がって人の文化にも伸びれば、フィーナのような楽しみの一つにだってなる。

 けれどピスカの場合は、最初こそ食べた事のない味に驚愕はしていたものの、それも数度嗜めばそれ以上の興味とはならなかったようで。

 食事に、ただ興味以外の目的を見出せなかったピスカには、既にどうでもいい事象に成り下がったようだった。

 妖精全体で考えて、どちらが多いなど不毛な論議だが、クラウスが考えるに人の血や波長が混ざっている妖精にこそ、人に似た興味関心が多く現れる傾向に思う。


「ずっとここにいても暇でしょ。外に出ない?」

「別にー、ピスカはクラウスの監視だから」


 答えつつ、けれどその監視対象たるクラウスの言葉に素直にこちらへ向き直るピスカ。そうしてようやく合わせた顔は、心成しか上の空に見えたクラウスだった。




 もうしばらくすれば昼飯時の市場周辺。朝の市からその装いを変えるのは店の種類。

 新鮮な野菜や果物を取り扱う露天は減り、その品揃えは余り劣化のしないものへ。加えて、たたんだ店の空間には新たに軽食販売の屋台が並ぶ。

 昼食には少し早い時間だが、既に幾つかの店は開店し始めている様子。その殆どは食べ歩きのできる小さなものばかりだが、中にはしっかりと昼飯になりそうな分量のものも見て取れた。

 この時間帯から、段々と増える食事処は空気に空腹感を擽る香辛料と素材の匂いを漂わせ始める。こんな場所にいれば弥が上にも食欲を唆されるというもの。興味などなくても、一度知ってしまった味はどうにも消えてくれないのが辛いところだ。

 さてでは何を食べようかと視界を回しながら食指の動くものを探していると、頭の上に乗ったピスカが面白くなさそうに声を掛けてきた。


「…………で、さっきまで何処行ってたんだ?」

「聞けば自分の首を絞める事になるかも知れないのに?」

「ピスカはクラウスの監視役。知っておかないとその時の方が危険なの」


 随分と任務に忠実な事で。

 ピスカも、きっと想像はついていて訊いているのだろう。ならばもう少しやり方はあるように思うクラウスだが、ピスカがそれでいいというのだからそれ以上はやめておこう。


「……ブランメ家のお嬢さん、マーヤさんのところ。相談事があったらしくてそれを聞きに行ってた」

「どんな話?」

「えっと…………あぁ、そうだ。『夏の夜の夢』」

「何それ」


 この時代にはない話かと確認をしながら大まかなあらすじを答えていく。


「簡単に言えば妖精絡みの戯曲にして喜劇。夏の夜に起こる夢の物語」


 『夏の夜の夢』はフェルクレールトの大地で語り継がれる誰もが知る御伽噺(フェアリーテイル)だ。

 登場人物は多いが、話の中心にいるのは四人の少年少女たち。許婚の男女が一対。しかしその少女の方は別の男に心を向けその二人は相思相愛。更には少女の友人であるもう一人の少女は許婚の少年に思いを寄せるといった、四角関係からなる物語。

 そこに関わって来るのが妖精達、オーベロンやタイターニア。そして全ての妖精の原形とも噂され、妖精の悪戯好きという概念にも似た性格に多大な影響を持つパック。

 幾つもの偶然と必然が交じり合って、一度崩壊しかける人間関係は、しかし最後には全て丸く収まり無事に幕を下ろす。


「少し役どころは違うけどね。僕とピスカの契約を恋人同士と置き換え、ピスカと彼の関係を許婚に。そして彼とマーヤの繋がりを許婚から片想いに変えればそこまで相違はないはずだよ」


 彼──エメリヒはピスカを好いている。しかしピスカはクラウスと仮の契約を交わし、そんなエメリヒにマーヤは御執心。

 その上、クラウスとマーヤはある種の共犯として互いを認識しあっている。人間三人に妖精一人が混ざる異質な配役だが、大本は狂わない。

 偶然にしてはできすぎているほど、オーベロンとタイターニアもこの時代には存在する。クラウスが思うに、物語の中ほど二人の関係は拗れては居ないようだが……さてその辺りはどうだろうかと邪推。

 ここまで来て、けれど決定的に足りないのは物語に転換と混乱を齎す悪戯の化身、パックの姿。道化師とも称される物語の大事な核だ。

 だからきっと、『夏の夜の夢』とは少し違うのだろうけれども、似ていると言えばその通りかもしれない。


「僕の居た未来で、過去に高名な作家が残したお話。きっとあれがあったからこそ、人と妖精の間に確かな縁ができあがるんだとは思うけど」


 それまでは童話や民謡と言えば、異形なる生物に立ち向かう勇者のお話か、恋や愛と言った群像激にも似た物語が多かった文化に、目の前に現れた妖精という種族を組み込むことで話の流れは一気に変わる。

 きっとまだ妖精との歴史はそう長くない時代。それは互いの理解をより深める口実や材料として民草に浸透する想像。

 やがて夢見がちな空想と現実が混ざり合い、人間と妖精の間に確固とした繋がりが形作られる。

 風刺画なんて絵があるように、空想のお話にだってその時代背景を象徴する比喩や秘密が隠されている。それをクラウスのように客観視して冷静に分析さえ出来れば、こんな視点だって生まれる。それが正解かどうかは別として、だけれども。

 ただ偶然に書いたものが後から結果を持ってきただけかもしれない。けれどそんなことはどうでもいいのだ。事実に、妖精と共に紡いできた歴史はそうであると語っている。


「よくもそんな趣味の悪い遠回りなお話が好きになれるものだね。単純に結末だけがあればいいじゃないか」

「過程がないと結末には何の意味もないよ。艱難辛苦を乗り越えて物語の勇者が悪を打ち倒すように、読む者にどうなるか分からない過程があるからこそ、最後に迎える大団円に意味が生まれる。この世界に紡がれる歴史だってそうだろう?」

「…………よく分からない。妖精にとって、一生なんてただ無為な時間だ」


 それが価値観の違いかと。

 後の世に転生という魂の移り変わりをする事になる妖精が、この時代でどんな最後を迎えるのかは知らない。ピスカの言うように自由に妖精力を出し入れできるのなら、契約などなくとも妖精力を取り入れ続ける事で存在し続ける事は可能だからだ。

 そんないつどうなるかも分からない話を想像したところで、それはクラウスには関係のない話。

 けれど、そんな風にどんな過程を経るか分からないからこそ、そこに意味があるとクラウスは思うのだ。

 どうして妖精がクラウスのよく知る回路を欲し、転生をするようになって、妖精変調(フィーリエーション)が起きたのかという、そこまでの過程。

 それが分からないからこそ、その根源を妖精の国に見出して──それ以上を見出して、クラウスは野望を胸に抱くのだ。


「個人的には辻褄合わせよりも、最後に何か大きな爆弾があって、その先を読者の想像に委ねる話の方が僕は好きだけどね」

「知らないよ、そんな事」


 茶化すように告げれば、ピスカは溜息と共に呆れて忘れてくれる。

 それでいい。どうあっても、クラウスとピスカは交わらない存在だ。だからこそ、最後の一線は引かなければ。


「ピスカこそどうするの?」

「え……? あ、うん」


 逃げるように話題を転換すれば面食らったようにピスカは口を噤んだ。

 恐らくだが、ピスカは昨日のエメリヒとの一幕をクラウス達が見ていた事を知っている。知っていて、それがタイターニアの戯れだと諦めている。

 ならばピスカ個人にとってはどうなのだろうか。

 エメリヒは人間だ。妖精が見えるかどうかは定かではない。あのときピスカは人型ではあったし、タイターニアも妖精の国の中に居た。妖精の国を守護し司るその柱の一つが、自分の意思一つをまともに操れないという事はないだろう。

 そうでなくとも無から有を生み出す妖精術。その気になれば妖精大の大きさでも人間にその姿を見せる術はあるかもしれない。

 だからエメリヒについてを考えるのは余り得策ではないはずだ。

 ならばその気持ちを向けられた側。多少ではあるが人の里に興味を持っていたピスカは、どんな答えを返すのか。

 マーヤとの約束を思い出しつつ、エメリヒに干渉するよりもピスカに肩入れをした方が話を解決するにはいいと思ったからこそ、彼女にはそう答えたのだ。


「話は僕との仮の契約とは違うでしょ。妖精の国まで巻き込む事になるよ?」

「分かってるっ。分かってる、けど……」


 怒った風に返った言葉は、けれど覇気なく小さく縮こまっていく。

 その気持ちは分からないでもないけれど、ピスカは覚悟しておくべきだったのだと、今更ながらに考える。

 人間は、妖精とは違う。だからこそこの時代ではまだ相容れない存在で、妖精従きも存在していない。

 そんな種族が出会えば、人間同士でさえ拗れる異性間の問題が簡単に済むはずないのだ。

 ましてや、ピスカはきっと妖精の国でも名の通った妖精だ。ピスカのその本来の妖精としての姿……妖性について、クラウスは半分察しがついている。

 そもそもオーベロンに指名されてクラウスの相手をするほど信頼されているのだ。

 だからこそ、もしそうであるのなら余計に面倒臭い。

 ピスカ一人での問題ではなくなるし、クラウスが口出しを出来る話でもないのだ。


「まだ気持ちは纏まらない?」

「気持ちと、取るべき選択肢は別……」


 それはピスカが妖精だから。

 妖精の国という妖精の世界の中で背負った責務と、ピスカ個人としての興味。その天秤が今揺れている。

 どちらを優先するにせよ、そこにはきっとピスカ自身の気持ちが必要だ。

 一度決めた事を覆さない為に、その小さな妖精の体で最善手を探し出す。

 クラウスだって一時期は悩んだ問題だ。だからその気持ちは痛いほど分かるけれど。

 だからこそ決める事が必要だ。例え片方を見捨てる事になろうとも、本当に必要な事に嘘を吐いたままでは、両方に失礼だから。


「…………妖精は自由だよ」

「そういう幻想を、人間の側が押し付けてるだけじゃない?」


 確かにその通りかもしれないが、ならばこそ自由でないのなら選ぶ事がより大切なのだ。

 何かを捨てる事に躊躇をすることこそ、クラウスにとっては考えられない事だ。

 自分本位で生きて何が悪い。上っ面だけ辺りに合わせていれば大抵どうにかなるものだ。


「クラウスほど自分に正直なら悩まないで済むんだろうね」

「一番楽な生き方だよ」


 どうでもいい会話で着地地点を誤魔化して会話を放り投げれば、やがて沈黙が耐えられなくなったかピスカが零す。


「…………少し一人で考えさせて」

「じゃあこれ。お腹が空いたら食べるといいよ。僕はこの辺りにいるから、気が向いたら声を掛けて」


 食事をするには十分な銀貨一枚。食事だけなら毎日三食しっかり食べても五日は持つだろう。

 多すぎるほどだが、そもそもこれはオーベロンから貰った費用。使わないという方が失礼で、ならば必要な事に糸目をつけるほどクラウスは今まで金銭で困った事はない。

 引き止める事もせず見送れば、貨幣を一枚抱えて飛んでいくピスカはやがて雑踏の中へと消えていった。

 誰にだって悩みはあると。他人事に考えてそれから足を止める。

 さて、取りあえずクラウスに今できるだけの発破は掛けた。後はピスカの問題で、ならばクラウスにとってこれから自由時間だ。

 オーベロンの頼み事もタイターニアの届け物も、そしてマーヤからの相談も。とりあえずは停滞。

 ようやくこの過去へ来ての自由らしい自由を見つけて少しだけ考える。

 これまで幾つも得てきた情報。それを頭の中で整理をしながら、幾つか蟠る疑問にクラウスなりの見解を突き立てていく。

 そうしてしばらく考え事をしながら、食べ歩ける食事を片手に歩みを進めていると視界の先に見たくない後姿を見つけた。

 数瞬声を掛けようかと迷う。その刹那に、何の拍子か振り返った彼は運悪くクラウスの姿を見つけて少し驚いた風に目を見開いた。

 流石に顔が合って無視をするのも後が面倒臭い。ここは素直に声を掛けるとしよう。

 ゆっくりと近付いて目の前まで来た彼に仕方なく投げかける。


「一人?」

「あぁ、少し用があったというか……。えっと、それで、その、もう一人、は…………」


 単刀直入というか誤魔化すのが下手というか。

 直ぐに視線の泳いだ言葉は辺りにお目当ての影を探して彷徨う。

 隠す気はあるのだろうが、彼にそれは難しいのではないだろうかと。

 心の内で溜息を吐きつつ気付かない振りで彼────エメリヒの欲しそうな言葉を零す。


「もう一人……? あぁ、ピスカか。今は別行動だよ」

「そっ」


 途端にその肩から緊張が解けていく。あからさまなほどのその態度に、少しだけ親近感さえ抱きつつ歩を出せば、エメリヒが静かに横へと並び立った。


「用はいいの?」

「え…………? あ、んー……いい。というかお前は──」

「別に、僕はエメリヒがそうなら構わないけどね。せめて人と話すときは相手の事を考えたら? 少なくとも、名前があるのにものみたいに呼ばれるのはいい気はしないと思うけど」


 揺れた肩に一瞥。

 別にクラウスはそれほど彼の事に興味があるわけではない。どちらかといえば現状を左右する便利な駒、という認識くらいだ。

 起こす問題は少しだけ面倒臭いが、分かりやすいが故にどうすれば解決するのかも、その先にクラウスが何を得られるのかも想像しやすい。

 もちろん騒動を起こされるのは面倒だが、それさえもクラウスが今までに経験してきた丸投げという名の信頼に比べればまだ簡単な方だ。特に今回は人間関係だし。


「っ…………えっと、クラウス、はいいのかよ」

「何が?」

「クラウスこそなにか用事があったんじゃないのか?」

「別に? 強いて言うなら時間潰しかな。旅人が一々立ち寄った町で問題に首を突っ込むはずないからね」


 有り触れた回答を突きつければ黙り込んだエメリヒ。

 それは旅人という根拠のない事実に彼が気付いたからだろうか?

 旅人であるならば、いつかはミドラースから去る。そうすればクラウスの連れという事になっているピスカも一緒にいなくなる。

 彼にしてみれば否定したい未来だ。

 元々クラウスにしてみればよく分からない話だ。

 話をした事もなければ、ただの一目惚れ。更には許婚が居るというのにただ自分の気持ちを最優先にして。

 せめて相手がどんな性格で、何が苦手とか。そんなことくらい知ってから行動に移すべきだろうと。

 若気の至りと言ってしまえばその通りだが、どうしてこんな思慮のない少年がマーヤの許婚なのだろうかと疑問にさえ思う。

 どうせ彼もまたマーヤと同じような家柄の少年なのだろうけれども。


「…………いつここを発つんだ?」

「さぁね、今日かもしれなければもっとずっと先かもしれない。目的が達せられればその地に用はないよ」

「目的?」


 面倒臭い。他人に聞く前に自分で想像しようとは思わないのだろうか?

 それが彼が育ってきた環境だと嘆けば相容れないと切り捨てる。

 ならば逆に信じていればいい。他人の言う事を疑わずに盲目に。


「様々だね、旅人の目的なんて。自分探し、観光地巡り、人探し。あぁ、ピスカと二人旅っていうのは少し安直かな?」


 出任せなら幾らでも出てくる。特に彼にとっては効果的なものは数え切れないほど。

 流石にここまで煽れば彼でも分かったらしい。足を止めて睨むように見つめてくるその視線に、けれど意にも介さず気付いていない振りをして歩く。

 男相手に遠慮をするつもりはない。クラウスは男に友情以上の感情なんて感じない。

 (もっと)も、エメリヒに対してはそれさえも抱くほど余裕などないが。

 というかそもそも、男の友人などクラウスにいるのかと問うてみて。浮かんだのが幼馴染と便利な駒だった事に自分らしさを再認識する。

 誰に共感されるでもない非情な感情。けれどそれは、裏を返せばクラウスなりの優しさだと。

 目指す場所があるから、そこへ辿り着く為に必要な駒には興味は抱こう。けれど、そこに巻き込んであげられるほどクラウスは他人の責任を背負えない。

 これはクラウスの、親切心にして最後の一線だ。

 その内側に、僅かに足を踏み入れたのが幾人かの少女たち。

 クラウスの契約妖精と、幼い頃からの繋がりと。クラウスが欲した唯一。

 クラウス一人に背負える責任など、精々がその程度だ。


「ふざけるな……」

「何が?」

「クラウスの都合で────」

「僕の人生は僕のものだ。僕の都合で語って何が悪い」


 正論には足りない反論を叩きつけてあからさまに息を零す。

 相変わらずクラウスとは相容れない。別に挟んでいるつもりはないが、間にピスカがいるからだろうが。クラウスにとっては本当にどうでも良い事なのだ。

 それこそその怒りは彼の都合。勝手に想像して勝手に憤怒して。ならば勝手に喚き散らして意味もない感情に振り回されていればいいと、彼の存在を頭の中から消す。

 返らなかった声にその程度だと見切りをつけて足を出す。

 後でマーヤには怒られるかもしれないと。過ぎった想像にどうやって対処をしようかと、取るべき方便たちを探しながらエメリヒを置き去りにする。

 そもそも最初から鼻には付いていたのだ。

 男としての振る舞いに難があると。それを疑わない傲慢とさえ言えないその横柄さに。

 第一印象のままだったと諦めて、それ以上無為な時間を費やすことをやめる。

 エメリヒは、クラウスにとって相容れない、認められない存在だ。

 ……いや、違うか。一度は子供の頃にそう憧れた我が儘だったのかもしれない。

 小さい頃から親にははみ出し者だと教え込まれ、故郷では腫れ物のように扱われ、(あまつさ)え幼馴染の兄にはある種の否定まで叩きつけられた。

 クラウスが何かをしたわけではないと思いたいが、しかしそれらはクラウスに起因する要因だ。

 だからこそ早くから諦めて、大人になりたいと願った。

 子供の我が儘を、切り捨てた。子供らしく振舞う事を忘れたのだ。

 だから、少しだけ憧れていた。

 何の苦労もなく、子供らしい子供を演じられる同年代に。感情論で物事を語る幼馴染に、憧憬の念を抱き、そして嫉妬した。

 普通なら手に出来ていたはずの有り触れたものが、けれどクラウスにはない。

 一言に感情と言ってしまえばそれまでだ。けれどクラウスだって、欲しくてこの自分を手に入れた訳ではないのだ。

 周りが責め立てるから。クォーターである事を理由にするから。

 ならばと出来る限りそうは見られないように……必要な時にそうだと振りかざせるように。クラウスはクラウスを演じることを他人に強要された。

 言わばこれは、他人が作り出した都合のいいクラウス・アルフィルクなのだ。

 泣き方を忘れたのも、その一つ。直ぐに怒らないのもその一つ。

 子供らしく癇癪を起こすより、大人らしく何事もないように振舞う方が正しいと思ったから。

 波風を立てない事が、クラウスとしても平穏だったから……。

 そんな近くで、子供らしく振舞う彼らに、クラウスはどこかで嫉妬していたのだろう。

 羨ましかったのだ。根拠の無い感情論で世界を我が物顔にできるその傲慢さが。頼れば助けてくれる人たちがいた、その有り触れた幸せが。

 憎い、というのとは違う。単純に、自分にはないから羨ましかった。

 憎んだところで、それは彼らと同じだから。ならば関係のないことだと切り捨てるほかなかった。

 こんな達観して、物分りのよすぎる子供に育ったのは、根底にそんな過去があるからだ。

 だからこそ無意識に強要し、クラウスの中に作り上げさせた故郷という場所を考えないようにしていた。あの場所で起こった全てを記憶から消してしまいたかった。

 その点で言えば、アルには感謝をしてもしきれない。例え一時、あの学院祭の屋上までだとしても、クラウスは夢を信じて進んでこられたから。

 おかげでまだ諦めないでいられる。

 代わりに、思い出せた弊害として直面しなくてはならない問題もまた一つ生まれたのだけれども。

 何にせよ、話を元に戻せばエメリヒはクラウスが憧れた過去にして、嫉妬されて然るべき対象だという事だ。

 だから致し方のないこと。諦めればそれでいい。

 彼に憤るのは間違いだ。それは捨てたものなのだから、今更未練をぶつけるほどクラウスの覚悟は緩くない。

 けれどしかし、そんな色々なクラウスの事情は別にして、マーヤとの約束が脳裏を過ぎればやはり少し不合理な事をしたかもしれないと、自分の情けなさに溜息を吐いたクラウスだった。




 面倒臭い事を思い出したと自己嫌悪してどうにかそこから立ち直ると市場の一角に腰を下ろす。

 見渡す景色は盛況そのもの。道端に座り込むクラウスには目もくれず行き交う人々はその手に美味しそうな食事を持っている。

 見上げた空は天頂にかの光が輝くお昼時。とはいえクラウスは随分前からこの区画にいる。漂う匂いでさえお腹が膨れるほどに堪能した食指はこれといって動かない。

 もう十分に食べた気がする満足感は、けれど生理現象として明確に空腹を刺激する。

 そろそろ本格的に何か食べないと……冷やかしとしてこの場から立ち退きを指示されるかも知れないと。

 仕方なく丁度向かいにあった屋台。焼き物を扱う露天に顔を突っ込んで店主に声を掛ける。


「すみま────」

「串焼きひと…………あっ」


 と、それとほぼ同時隣から響いた声。聞き慣れた音に立てた人差し指を辿ってその腕の主を見やれば、人間大に大きくなったピスカがそこにいた。


「何だ、ピスカか」

「何だとは何だ、失礼だな……」

「注文は?」


 あぁ、そう言えばそうだったと。軒先に掛けられた品書きをざっと見渡して、それから仕方なく頼む。


「……串焼きを二つ。彼女のも一緒に支払いで」

「あいよっ」


 目端に捉えた揺れた肩。けれど追求する事は避けて愛想のいい店主の声に笑顔を返す。

 降りたのは沈黙。

 網の上で弾ける肉の香りと匂いが天幕に篭って充満する。

 やがてしばらく待てば、出来立てを合わせて三本。ピスカのものと合わせて二本、という意味だったのだけれども、まぁいいか。

 作ってもらったものに文句をつけるのも面倒臭い。しっかり三本分払うと礼を告げて露天を後にする。

 後ろから着いて来る足音は少し距離を開けて。別に責めるつもりはないと、とりあえずピスカの分を一本取り出して渡す。


「はいこれ」

「ん、ありがと……」


 視線は合わせないまま、壊れ物にでも触るかのように受け取るピスカ。その白く細い指が微かにクラウスの手とぶつかって、まるで色恋に初心な生娘がするように慌てて胸まで手を引いた。

 そこまであからさまに反応されるとクラウスも言葉の綾にできなくなる。

 別にそれを責めるわけではない、ピスカはピスカで、クラウスにとってはそれ以上でも以下でもない。

 自分から隠したいと申し出たのだ。それをクラウスが暴いたところで、けれどその逃げるような判断をクラウスは責めたりしない。


「冷めるよ?」

「どうして…………」

「……確証って程じゃなかったけどね。強いて言うならそのわざとらしいほどの演技と口調かな?」


 どんな気持ちでクラウスの追求から逃れようとしたのかは想像がつく。それはこの時代背景と、妖精という種族……オーベロンや妖精の国という存在を添えればとてもありえる話だ。


「そんなに心配しなくても責めたりしないよ。そうするに足る理由も、大体分かるし」

「暴かないと気が済まない……?」

「そういうことじゃないよ。これは納得。心残りを残す方が性に合わないだけ」


 だから別段特別視するような事ではないだろうと。胸元に差し出せばピスカ────彼女は静かにそれを受け取った。

 結論だけ言おう。ピスカは、女性の妖精だ。

 これだと語れる確証など何処にもない。暴くほどの意味があるとも思えない。

 ただそれは彼女が秘密にしたかった、ただそれだけの理由の──覚悟だ。

 オーベロンの遣い。クラウスの監視役という建前を隠れ蓑にした、彼女の役割。

 それはきっと全てクラウスの為なのだろう。

 この体は、借り物だ。魂だけを憑依させた仮初の器だ。見た目が似ているのは魂にその根源が刻まれているから。妖精力に由来するその殆どが宿っているから。

 言わばこの姿は、クラウスの人間的な魂ではなく、妖精従きとしての回路が成した妖精力の記憶によって編まれた繭だ。

 しかし魂だけの存在に妖精力は扱えない。それは今までクラウスが関わってきた現世での問題で学んだ事だ。

 妖精だって転生して肉体を得るまでの間は、殆ど何も出来ない。その記憶でさえも魂に干渉範囲を持つ妖精だけが朧気に受け継ぐ。

 だから本来ならば、魂が妖精力を持つとしてもそれだけでは指先一つですら動かせないはずなのだ。

 その手助け。この仮初の体に意味を持たせその魂を癒着させる為の媒介として、ピスカはいてくれる。

 彼女と交わした契約も仮初だと言ったが、実際そこにはフィーナと交わしたような恩恵はない。

 クラウスには、ピスカの心が見えない。

 逆に、彼女は妖精であるから、魂に干渉してこちらの心を覗く事は出来るはずだろうけれども。

 ピスカとの契約は、クラウスがここでクラウスとして人の体で存在する為の、言わば接続機器だ。

 彼女がいてくれるから、彼女がその妖精の力を僅かに貸してくれるからこそ、魂だけのクラウスが肉体を得てこうして歩き回れている。

 だからそう、クラウスは今────妖精術が使えない。

 この町で宿を取ったその夜に、少しだけ試してみたが、まるで何も感じなかった。

 想像が、形に結びつかない不思議な感覚。だからこそ、この体の事を考えるに至った。

 そうして理由を見つけたのが、ピスカだ。

 それから得た結論はもう一つ。きっと今のクラウスには、回路と呼べるものが体の中に存在していない。ピスカとの契約は、クラウスの魂に直接結びついている危ういもののはずだ。

 一応契約という媒介があるから、妖精術ではなく妖精力を介する妖精語での会話は出来る。しかしクラウスに出来るのはそれまでで、恐らく彼女がいてくれなければ、クラウスは妖精状態のピスカでさえ見逃してしまう。

 言ってしまえば、妖精の見えない者。彼らと同じか、少しだけ詳しい程度の一般人だ。

 それじゃあ何故隠そうとしたのか。それはきっと、クラウスの事をピスカが嫌っているから。

 クラウスの心の奥底を覗いて、そこに宿る人ならざる夢に嫌悪したから。

 妖精の国の再興。その幻想の都を、クラウスの手で作り出そうという野望。

 今までに誰もがなしえなかった夢を、今もまだその実現を疑わずに追い続けているから。

 そしてそれを────オーベロンが肯定しているから。

 もしそうでなければ、彼がここにクラウスを呼ぶ理由も、そこから類推される一連のピスカの言動も破綻するべき理論だ。

 あぁ、そうだ。彼女は、察しのいい者なら直ぐに気付くべき最後の鍵。

 オーベロンに……妖精の国に仕え、原初の妖精という言葉を欲しいままにし、人への興味と悪戯を振り回す。更には事色恋の話に巻き込まれ、その物語の中で二面性を遺憾なく発揮する天性の詐欺師────道化師、パック。

 ……否、その枠にさえ留まらない、もう一つの顔。変身を得意とし、妖精の中でも最も恐ろしい存在として描かれ、フェアリーという妖精の更に一つ上位種の、文献にさえ殆ど現れない、名の知れた妖精。


「ね、プーカ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ