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フェアリー・クインテット  作者: 芝森 蛍
嵐と砂塵の祝歌(キャロル)
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第二章

 暑く騒がしかった夏も次第にその鳴りを潜めていく。夏季休暇が終われば学院は二学期へ。学院祭など行事が沢山存在し、春に入学した生徒達も学院に慣れて最も風紀の緩みやすい時期だ。同時に気が緩むからこそ問題が目立ちやすく監視する側としては仕事がしやすくなる。

 校内保安委員会はその名の通り学院の風紀を取り締まるために作られた組織だ。もちろん表向きではあるが名前通りの活動もしなくては存在を疑われる。

 進級試験の直後はだらだらと薄く延びた時間の連続。面倒くさい事この上ないなと思いつつ、朝の空気を胸に吸い込む。


「おう。はよう、クラウス」

「おはよう、テオ」


 見上げた空模様は気持ちのいい青空。白い雲が幾つか風に揺蕩(たゆた)い視界の中でゆっくりと流れる。

 とりあえず嫌な想像ばかりしていても仕方ないか。そう思い思考を切り替えた直後、背中に声が投げかけられる。

 振り返って挨拶を返せばそこに立っていたのは幼馴染たるテオ・グライド。整った顔立ちは今日も今日とて自信に溢れ、こちらを見つめる黒色の瞳は磨かれた黒曜石のように透き通っていた。

 直ぐに視線が首元に向かう。そしてそこに着けられた赤色の襟締(えりじめ)を見て少しだけ安堵する。


「とりあえず、進級おめでとう」

「ん……あぁ、そうか。今日から級が違うんだったな」


 足並み揃えて歩きながらまずは何よりも幼馴染の進級を祝う。

 祝辞に返った声には後頭部を掻く仕草が加わる。彼にとってもクラウスにとっても通過点であるが故にか、それともただ単に気を抜いていただけか。トーアからハーフェンに進級した事実に実感がないらしい。

 まぁそんなものだろう。クラウスだって進級は名前程度の感慨しかない。

 それに彼にはハーフェンの上、フォルト級を目指してもらうことになっている。名実共にこの学院の最高階級へ。殆どの生徒が辿り着かない頂であるが故に、彼には相応しい。一度英雄の片棒を担いだヘルフリートにとってはまだまだ序の口かもしれないが。

 そんな事を考えつつ雑談を繰り広げながら学院へ向かっていると、視界の先に見慣れた人影を二人見つける。


「おはよう、クラウス君、グライド君」

「……おはよう」


 片や朝から柔らかくも芯のある可愛らしい笑みで。片や無愛想に必要最低限以下の文言で言葉を突きつけるいつもながらの無表情で。

 軽く前かがみになった仕草で緩く波打つライトブラウンの頭髪が揺れる。こちらを見つめる瞳は空の青さに負けないほど透き通った綺麗な水色。心なしかいつもより上機嫌に見える口元は鮮やかな桃色に彩られ僅かな色気を醸し出す。纏う雰囲気の半分は演技だろうか。そんな彼女は級友でありクラウスの共謀者たるアンネ・ルキダだ。

 その隣で抜き身の剣のように真っ直ぐな姿勢で立つのはアンネの親友にしてクラウスの友人。今日も変わらず目に飛び込んでくるのは流麗で利発な雰囲気を纏う濡烏の長髪。真っ直ぐで強気な炎を灯す紫色の瞳は、宝玉と見紛(みまご)うばかりに妖艶さを振りまく。景色を置き去りにして彼女は彼女らしくユーリア・クー・シーとしてそこに君臨していた。


「おはよう、アンネさん、ユーリア」


 二人の道行きが倍の数に増えて辺りに音が増える。

 自然にクラウスの傍を埋めたのはユーリア。横目で窺うと彼女はどこか不機嫌そうに口元を結んでいた。

 彼女のそんな考え込むような表情に声を向ける。


「朝からどうしたの? 何か浮かない顔をしてるけど」

「……ちょっと考え事」


 問い掛けには言葉を選ぶような間を開けて答えが返る。

 それは今は言えないということだろうか。だとするなら悪いのはこの風景か……。後で時間を見つけて話でも聞いてみよう。

 言葉の裏を返してそこから類推される未来を幾つか描き出す。問題は必要ないのがテオかアンネか、またはその両方かであるという事。テオは今回の事については関係ない。ユーリアも無闇に他人を巻き込みたくは無いはずだ。となるとテオはいない方がいいはず。

 問題はアンネだ。アンネはユーリアの件を少なからず知っている事だろう。だとするならば情報の共有のために一緒にいた方が話しやすい。

 けれどアンネが知っているという話をクラウスが知っているという事を、ユーリアは知らない。そうなれば自ずと彼女の望む風景も、そしてアンネが知っているだろう話の内容も想像がつく。

 きっとユーリアの件ではアンネとクラウスの知っている事実は異なる。それはきっとその必要があるから。ならばアンネとクラウスが情報を共有してはいけない……。

 面倒くさい制限だと思いつつ現状を俯瞰する。

 未だアンネとクラウスは互いの問題を共有してはいない。その上で、クラウスは問題解決のためにアンネを使おうとしている。いつどこで引かれた一線が決壊するとも限らない危うい状況だ。けれどクラウスとアンネが別の考えを持っているという事は、それ相応の考えがユーリアもあるということ。

 クラウスは今回相談役のつもりだ。もちろん必要となれば動きはするがそれまでは第三者として干渉を続ける。だったら今はまだアンネとの情報を共有するわけにはいかない。まずはユーリアの考えを優先的に、だ。

 無駄は存在するかもしれないが、その方が間に不必要なものがなくなって状況を動かしやすくなる。ならとりあえず今はユーリアに合わせるとしよう。


「何か力になれる事があったら声をかけてね」

「あったらね」


 色々な情報を組み合わせて方針を組み立てると思考を入れ替える。

 惰性で会話を交わしていると再び視界の先に人影を見つける。

 一人は自信に溢れた立ち振る舞いでその豊満な胸を張って彼女らしく存在する。首元にはクラウスとしては見慣れた赤色のリボンが揺れていた。肩上で切り揃えられた穹色の頭髪からは長い耳殻が、彼女を彩る魅力として当然のように突き出している。

 そんな女性徒の隣でいつもながらの無表情を貫くのは大柄な体躯の上級生。寡黙な雰囲気は接し(にく)ささえ纏って彼らしさを表す。

 そんな岩塊のような彼の隣では寄り添うようにして小柄な少女が待っていた。夏季休暇前までは短かった(ひわ)色の髪は少しだけ伸びて肩に掛かっている。あの様子だと随分な美人になる事が想像できた。

 それからあと一人、生徒会長たる彼女の隣には一人の男子生徒がいた。青磁色の短い頭髪に象牙色の瞳。長耳もないことからエルフでもそのハーフでもなさそうだ。人間寄りのハーフィーという可能性は捨てきれないが。

 彼は確かと記憶を旅するのと同時、隣のテオの方が震える。そうだ、思い出した。


「全員元気かしら?」

「会長と比べられると殆どの生徒は元気がないことになりますよ」

「いい度胸ね」


 開口一番、皮肉な言い回しで言葉を返すとニーナ・アルケスは真正面から言葉をぶつけてくる。

 そんないつも通りの会話で互いの様子を交し合って満足する。彼女も彼女らしく今日も元気らしい。


「マルクスも一緒にいたんだな」

「生徒会長に呼び止められたんだ。待ってればその内テオが来るからって」


 クラウスがそうしている横でテオが先ほどの男子生徒と挨拶を交わす。

 彼と会うのは進級試験のとき以来か。あの時も挨拶だけで殆ど会話をしていなかったからほぼ初対面ということになるだろうか。


「マルクス・アルテルフです。皆さんおはようございます」


 礼儀正しく折った腰に挨拶を返す。

 アルテルフ。確かコルヌ家と同じで爵位を持っている家柄だったか。もしアンネやレベッカとの出会いがなければ彼に頼ったかもしれなかった未来。名前としてはコルヌの方が大きくはあるが。

 記憶の中の情報と照らし合わせてありえたかもしれない未来を想像すると個人的に今に天秤が傾いた。

 ニーナ、ヴォルフ、レベッカと見慣れた人物にマルクスも加えてまた倍になった集団で学院へと向かう。

 人が増えればその分賑やかに。先ほどまで考え事に耽っていたユーリアも周りの空気に合わせていつも通りに話し始める。

 そんな光景を一歩退いた視点から見ていると肩の上の相棒が声を掛けてきた。


「賑やかですね」

「そうだね」

「居心地が悪いですか?」


 思わず言葉に詰まる。

 確かに彼女の言う通り息苦しさはある。けれどそれは馴染めない事に対してのものではなく、自分がここにいることに対してだ。

 自分は絶対的に誰とも相容れない。だからこそ必要以上の接触はいらないし、無意識に作られる輪の中には絶対に入らない。

 納得している事とは言え、改めてその場に直面すると自分の小ささを再確認する。


「……望んだ立ち位置だからね」

「わたしはいつでもクラウスさんの味方ですから」


 どこか寂しい笑顔で告げるフィーナ。

 返す言葉がないことも。言葉が返らない事も分かった上での意思表示。クラウスの徹底した無関心は彼女にとってそれ以上ない存在の否定だ。

 フィーナは既に気付いている。

 クラウスはフィーナさえも見ていない。

 そんなクラウスの隣で自分を保とうなど、真似出来ない。彼女の芯の強さに改めて感心する。


「……もし僕がフィーナを置いて行ったらどうする?」

「その時は、行っちゃう前に見つけ出して…………背中を押してあげますよ」


 何と温かい言葉だろうか。何と冷たい態度だろうか。

 だからこそ、彼女と契約を交わしたのかもしれない。そんな事を考えて首を振る。

 結局選ぶのは全て妖精の方だ。人間側は彼ら彼女らの決断に着いていくしかない。

 フィーナの優しさに甘えたまま、彼女を置いていく未来。そうならなければいいと願う心がどこかにある傍らで、想像の末に突きつけられた未来はそんな希望さえ磨耗していく。

 できる事なら彼女にも最良たる結末を一方的に投げつけてやりたいものだ。

 肩上で足をふらふらと揺らす小さな体躯。その指先ほどの小さな頭を軽く撫でてまた未来へと歩き出す。


「だったらそうならないように、行く時はしっかりと声を掛けることにするよ」

「お願いしますね、クラウスさんっ」




 学院に着くと昇降口前は少しだけ慌しい空気に満ちていた。

 春も含めると六度目のこの光景だが未だに緊張から来る焦燥感には慣れない。特に今回はクラウスの周りでの変化が多いからだろうか。

 掲示板の前まで行くとそこには既に新たな教室の組み分け模造紙が張り出されていた。

 新たな、と言っても夏の進級試験で合格した生徒が風変わりな編入をするだけで、クラウス達階級の変わらない生徒はこれまでと同じ教室で同じ生徒と授業を受ける。クラウスやユーリアたちにとっては新たな同級生との出会いと小さな別離に過ぎない。

 ただ、試験を受けた人物の友人でもない生徒は、掲示物を見て先の試験の結果を知ることとなる。

 そういう意味では大抵のものが目を通す情報だ。


「俺の名前はーっと……」

「あー! あぁあっ、あぁぁぁああぁぁ…………」


 テオが自分の名前を探す傍らで驚きに(そば)んだ色を混ぜた悲鳴が上がる。

 一体何の嘆き声かと。顔を向ければそこにいたのはニーナ。彼女は呆然と立ち尽くしたまま憎むように紙を見つめていた。

 隣に立って上から順に名前を追えば直ぐに先ほどの嘆声の理由に至る。


「会長、こんな人の目のあるところで嬌声を出さないでください」

「だってぇ…………」


 とりあえず核心には触れないように注意をしてみる。が、当人はそんなこと気にも掛けず縋るように悲しげな声で答えた。

 まぁこればかりは仕方ない。納得してもらうほかは無いだろう。


「……近いだけが全てじゃないですよ。距離を活かすのも一つの手です」

「うぅぅ……。朝から占いまでして期待するんじゃなかった…………」


 助言を聞いているのかいないのか。肩を落としたニーナはふらふらとした足取りでそのまま昇降口へと向かっていく。

 ニーナが口にした占いというのは恐らくエルフに伝わる精霊術や信仰対象を用いてのものだろう。人や妖精のそれにも似たようなものがあるが、そもそも人間や妖精はエルフのように敬うべき対象が殆どいない。

 一応神頼みなんて言葉もあるが神様の存在を信じている者は殆どいないのだ。

 その点エルフの信仰観念。研究者の間では宗教観念とも呼ばれたりするが、それは人間や妖精のものと比べるとしっかりしている。

 (フラム)(ウィルム)(フェリヤ)(グラド)。四つの属性(エレメント)に分かれる存在。ヘルフリートが内包するイフリートやサラマンダーの名もその一つで、それらの属性や司る生物に対しての敬拝は、エルフという存在を語る上で外せない彼らの立派な文化だ。

 恐らくそこから派生したものが占いだ。まぁ占いであるから当たりもすれば外れもする。

 今回は占いと現実の間に大きな溝があったのだろう。

 そんな事を考えながら遠ざかっていく背中を眺めているとテオが戻ってきた。


「ん? あれ、会長は?」

「テオと教室が別れたことに失望して一人で向かったよ」

「そっか…………」


 事実を端的に告げるとテオはどこか考えるように声を返した。

 彼に告げた通りテオとニーナは同階級でありながら授業を受ける部屋……教室が別れてしまったのだ。彼女にしてみれば告白して答えを保留されている身。出来るだけ距離を詰めて魅力を売り込みたかったのだろうが現実はそう甘くはなかったというわけだ。

 まぁ別れたと言えど隣の教室。休み時間など都合がつけばいつでも会いにいける距離だ。それに別部屋だからこそ起こる光景も存在する。悪い事ばかりではないはずだ。後はそれに彼女がいつ気付くかというだけだ。


「で、グライド君の方はどうだったの?」


 そんな事を考えていると横からアンネの小さい体躯が出現する。今まで姿が見えなかったところを考えるに自分たちのところへ編入してきた名前を見に行っていたのだろう。もしかしてクラウスに友人が少ない理由は性格よりもそう言った行動力に問題があるのかもしれない。


「俺はブラキウム先輩と同じ部屋だったよ。あ、もう先輩じゃないのか。でも年上だしな…………」

「好きな風に呼べばいい」


 低く唸るような呟きにテオはしばらく考えた後に一つ頷く。


「分かりました。まぁ多分一番呼びやすい先輩のままになると思います」

「そうか」

「行きましょうっ」


 テオの言葉に首肯したヴォルフは、その後レベッカに腕を引かれて歩き出す。

 あの様子なら二人の関係もその内公のものになるんじゃないかとさえ思えて来る。もちろん、コルヌという名前がある限り公然の秘密止まりだろうが。

 けれど彼らの幸せは彼らが望んだものだ。二人が今幸せならそれに他人が口を挟むべきではない。


「順調そうですね」

「順調なんじゃなくてあれが本来の有り様だよ。少し前までがおかしかっただけ」

「そうですね」


 フィーナの呟きに訂正を返すと彼女は目を細めて優しく笑う。

 彼らについては知る人だけが知っていればそれでいい。それがきっと彼らにとって最もいい結末の形だ。

 そうこうしていると不意に背中を叩かれる。


「んじゃあ先に行ってる」

「うん。そのまま真っ直ぐ突き進んできて」

「おうよっ」


 横を通り過ぎるテオに言葉を返すと威勢のいい声が返ってきた。

 クラウスの目に狂いがなければ、彼はハーフェンの(くらい)に留まる器ではないはずだ。だからこそ、彼には出来る限り自由に前に進んでもらいたい。その上で、クラウスは彼を利用するだけだ。

 きっと追いつく事のない背中を眺めながら足を出すと知らずユーリアの隣に並んだ。そんな二人をアンネが後ろ歩きで前から眺めてはにやりと笑う。


「ユーリさぁ、もうクラウス君の事はいいの?」

「……どういう意味よ」

「春と比べると随分仲良くなったみたいだし」

「嫌でも一緒にいる時間が多ければ知らなくていいことまで知らされるから諦めたのよ」

「本当~?」


 小悪魔に笑うアンネにさすがのユーリアも取り繕った仮面が剥がれて追いかけ始める。

 傍から見れば仲のいい光景だ。だからこそ、クラウスには今のアンネの絡み方には違和感を覚えた。

 また考える事が増えるかも……。嫌な想像を巡らせつつ溜息を吐くと、隣に気配を感じて足を止める。

 横を見ればそこにいたのはマルクスだった。


「クラウスさんは」

「クラウスでいいよ。僕も呼び捨てで呼ぶから」

「分かった。……で、クラウスは寂しくは無いの? 確か幼馴染なんだよね?」

「寂しくないといえば嘘になるけど、それ以上に今は祝ってあげたいかな」

「ぼくは寂しいんだけどね」


 漏れた言葉小さく笑って再び歩き出す。

 彼のようにクラウスが爪弾き者だと知っても態度を変えない者も幾人かいる。

 そういう意味では貴重な存在で、ともすれば友人足りえる貴重な存在だ。


「僕でよければ昼食の相手くらいは勤めるよ」

「それはいいね。テオも巻き込もうか?」


 少しだけアンネの社交性を見習ってみようか。そう思って口にした提案には小気味のいい答えが返ったのだった。




 変わったのは少しの顔ぶれ、けれど時の流れはいつも変わりなく平等に。

 昼食の時間にもなれば新たな級友も殆どが空気に馴染んでいた。

 クラウスも軽い会話を交わして幾つか人脈を作りつつ昼時を過ごす。

 午後からの授業は夏季休暇前と遜色ないほどに安定した空気で流れて、教鞭も順調に振るわれていく。特に座学の方での問題もなさそうだ。

 気になる事があるとすればトーアでは『契約の儀』が存在する事。殆どの生徒が冬の進級試験を受けて春から新しい階級に属する。そうなれば自然と契約は纏めて行われるのだ。

 例年通り今年も新たな力を手にした生徒が興味本位で問題を起こす事もあった。尤も、クラウス達が直面した悪戯騒ぎの方が大きかったため陰に隠れてそこまで大事にはなりはしなかったが。

 妖精との契約には何かしら問題が付き纏う。それはこの学院に限らず世界中で言われている事だ。

 もっと言えばその最終発展型ともいえるものが戦争ということになるのだが、まぁ今回はいいだろう。

 妖精との契約。春の『妖契の儀』ほど大きなものではないが、差がつかないようにこの時期に進級した生徒にも同じ通例が存在する。

 名前こそないがやる事は変わりはしない。妖精と妖精憑き(フィジー)の契約だ。

 春がそうであったように今回も警戒するに越した事はない。まぁ周りに一歩先を行く友人たちがいるから春のときほど大騒ぎにはならないだろうが。未然に防げるならそれに越した事はないのだ。


「……と言うことで、皆はくれぐれも危険な事はしないように。やりすぎるとあたしみたいになるわよ?」


 そう言ったわけで校内保安委員会の面子は契約を行うその場に同席をした。

 数にしてみれば数名で、初対面と言えど顔と名前が直ぐに一致するほどだ。今年は夏の進級者が少なかった方だろう。

 ニーナの注意事項に、その言葉の重みに頷く生徒。彼らもクラウス達と同じでニーナの降級騒ぎの時には在籍をしていた生徒たちだ。

 脅しとしてはこれ以上ない言葉だろうと思いつつ、そうして茶化す事のできるニーナを改めて尊敬する。

 己の嫌な過去を武器に出来る者はそう多くない。出来るのはきっと乗り越えて納得をした者か、底抜けな馬鹿のどちらかだ。彼女は一体どちらだろうか。


「あたしからは以上よ。何か質問はあるかしら?」


 問い掛けには沈黙が返り、その様子にニーナは満足げに頷く。とりあえず今日の目ぼしい仕事はこれで終わり。後は生徒会室に戻って書類仕事だけだ。

 肩の荷を一つ降ろしつつ教員の解散の言葉を耳に聞く。

 進級生と少しの間連れ立って歩き、その内一人二人と別れていつもの面子だけになる。

 それとほぼ同時、肩を叩いたのはテオでゆっくりと歩調を落とす。


「何?」

「ちょっと面倒な事になった……」

「と言うと?」

「会長が休み時間の度に俺のとこまで来るんだよっ」


 あぁなんだ。心配して損した。

 潜めた声で零すテオの渋面に小さく笑って返す。


「そろそろ答えを出すべきなんじゃないの?」

「こんな時期に浮いた話を作ったらどうなるかわかるだろう?」


 それは経験則か。だとするならば贅沢な悩みだと思いつつ言葉の裏を返して一人ほくそ笑む。指摘すれば言葉の綾と逃れるのだろうが。


「引き伸ばすほど辛くなるのはテオの方でしょ? 近々学院祭もあるしそっちの方が大変だと思うけど」

「だぁぁ、そうだった……。どうしようっ?」

「決めるのはテオだよ。後、相手の気持ちに気付いてるなら答えは決まってるようなものだと思うけどね」


 指摘を重ねるとテオは苦しそうに唸って懊悩する。

 そんな不幸にも満たない苦悩を笑いの種にしていると生徒会室へと辿り着いていた。


「納得いく判断は当人にしか出来ないからね」

「分かってるよ…………」


 呟いて、今日も今日とて委員会の仕事へと足を踏み出す。

 二学期の大きな仕事といえば学院祭だ。妖精憑き、妖精従き(フィニアン)が通う教育機関では妖精の見えない者が通う教育機関とは違い体育祭のような行事は無い。その代わり、月に一度の模擬戦闘の実技授業に力を入れているのだが。

 妖精の見えない者が通う学び舎で行われるような運動系の行事がないという事は、学院祭のような文科系なお祭りでも年度に一度となればその勢いは強くなる。体を動かさない分有り余った力が行き場を求めて暴れ出すのだ。

 特に学院祭の三日前からは泊り込みも許可されるために仕事が増える。恐らく一年の中で最も忙しい時期だろう。

 事前にできる事といえば管理のしやすい体制を整えることと、過去例から予測される問題の対抗策を練る事。あとはその時になって臨機応変に動くほかない。

 とは言えニーナの進級、それからヘルフリートの名前も含めて委員会の存在は大きい。手段さえ問わなければある程度の問題は事前に防ぐ事はできるはずだ。その線引きが少し大変ではあるが。


「会長、申請はいつからの予定ですか?」

「来週の頭じゃなかったかしら?」

「全員ここに来てもらうつもりですか?」


 その日に舞い込んだ投書や問題を解決しながら口頭で未来を煮詰めていく。

 懸念される状況は多いに越した事はない。その分考えて対抗策を出すだけだ。


「生徒会室が潰れますよ?」

「うぅん…………。かと言って承認はあたしか実行委員に限られるわけだし……」

「そうですね……。最終確認は書類にして、間に幾つか確認するところを設けましょうか」

「あれか? 例えば教室単位とか」

「そうなるかな。記入の誤りを一々こっちに回してこられても対処が追いつかなくなるからね」


 テオの言葉に頷いて頭の中で整理する。

 要は伝達の統制だ。

 学院祭では教室毎や、数人単位で出し物をしたりする。一人が二、三ヶ所の出し物に参加するなんてのは珍しくない。そうなれば申請書類は膨大な数になる。そんな数を一々一箇所で処理していたのでは不満が出るのが目に見えている。

 そこでまずは教室毎の実行委員に、その後内容を見極めて生徒会か実行委員本部のどちらかに書類が回るようにすればいい。もっと細かく分けるなら間に階級毎のまとめ役を挟むといいだろう。

 予め記入用の書類の書式を一つに纏めて見やすくし、各纏め役には判断基準となる手引書を配布。記入の漏れや間違いなどは早い段階で申請元に返して円滑に事が運ぶようにする。

 もちろん問題は幾つか存在する。書類の集まる纏め役の処理能力や反応速度の遅さだ。処理を分散させればその分伝達に時間を要するし、恐らく一番問題が集まるだろうクラス単位での処理能力には負担が掛かる。

 最も安易な解決策としては実行委員を増やす事だが、最終的にそれは全員が疑問を持って最高責任者のところに詰め寄る事と変わりは無い。それでは実行委員の意味も一本化した伝達や問題解消の体制も意味がない。

 実行委員になるべく負担が掛からず、体制の崩れない絶妙な人数。

 そこを間違えてしまえばきっと全てが水の泡となってしまうことだろう。


「教室単位で……四人。内一人が代表者。代表者の内同階級内で二人が階級代表。階級代表十人の内一人を委員長、二人を副委員長。二人を生徒会との連絡役……。これでどうですか?」

「実行委員って去年何人だっけ?」

「……確か五十人程ではなかったか? 各教室から二人ずつだった気がしたが」

「てことは約倍か……」


 ニーナは呟いてクラウスに視線を向ける。どうして教室毎の人数を増やしたのか、その理由を知りたいのだろう。


「去年がその数でうまく機能してなかったんです。それでもどうにかなったのはニーナ会長が、そのときの生徒会副会長と実行委員長を兼ねてたからですよ。上部の伝達だけがうまくいっていたんです」


 別に誰かを責める訳ではない。が、去年のそれがきっかけで彼女は生徒会長へとなり、そして妄信した生徒会役員が沢山の仕事を抱え込んで放り投げた事で処理能力が飽和して、結果ニーナは踏み間違えて降級事件のきっかけの一つとなった。悪かったのが誰かと問われればクラウスは飽くまで第三者視点として全員と判断を下すだろう。全員の見込みが甘く欠けていたのだ。

 その後副会長をしていた生徒は自主退学して空席となったところにクラウスが据えられたのだ。


「一番の問題だったのは、生徒からの申請を最初に受ける実行委員たちが全てを会長に投げたからですよ。だから今回はその徹を踏まないために下の人たちにもしっかりと働いて正常な判断をしてもらうだけです。一人より二人以上の方が異変に気付きやすいですからね。人数を理由にもされ辛いですし」


 同じ過ちは繰り返さない。失敗は成功の母だ。

 それに彼女には胸を張っていてほしいから。生徒会長であることに、エルフであることに。


「…………分かった。今ならまだ間に合うと思うから相談しに行って来る」

「それくらいなら任せてもらっても大丈夫ですけど」

「曲がりなりにもここの代表はあたしだからね。それに楽をしたいのはあたしも同じだから」


 肩を竦めてそう言ったニーナは手早く書類を纏めると生徒会室を出て行く。


「しかし楽しみだな。今年はどんな催し物が見れるのやら」

「そういえば僕たちも今年から露天はやってもいいんだよね」

「そうね」


 呟きにはユーリアが声を返す。

 露天はその名の通り屋根のない場所で開く店の事だ。フィーレスト学院ではトーア級以上になると校庭で露天を開く事を許可される。店の種類に制限は殆どなく如何わしい物以外なら大抵は許可される。まぁ殆どは火を起こすようなものばかりだが、中には体を動かすようなものや趣味の個人販売のようなものも存在する。

 また申請さえ通れば個人の範疇のものはその売り上げを当人が得る事もできる。尤もお金を取る事に問題がなければ、だが。


「何か売りたい物でもあるわけ?」

「売れない物なら沢山」

「……何よそれ…………」


 問いに答えるとユーリアは訝しむ。答えるかどうしようか迷っているとその間に耳元から声があがった。


「妖精術です」

「……は?」

「この前は妖精術が売れるかなって言ってました」

「クラウス」

「もちろん冗談だよ。だから売れないものって言ったでしょ」


 糾弾よりも尚苛烈な非難の視線。流石に直ぐに折れて断りを入れる。

 妖精術。それは妖精の操る人間にとっての異能だ。それに価値をつけると言う事は妖精に価値をつけることと同義だ。そしてそれが許されてしまえば、人の価値だって決まってしまう。

 本気で考えたつもりは無い。ただ冗談として口にした言葉をフィーナが覚えていただけの話。

 けれど裏を返せばそれは彼女が覚えておくに足る理由があるということ。


「フィーナも、気に障ったなら謝るよ。今後一切そんな事は考えないから」

「お願いしますね、クラウスさん」


 感情を宿さない冷たい声で言って沈黙が横たわる。気付けば手が止まっていた。


「クラウス」

「何ですか?」


 声に顔を上げれば視線の先にはヴォルフ。彼は薄墨色の瞳でクラウスを射抜いて告げる。


「もう少し人間らしく振舞え」

「……分かりました」


 思わず肝を冷やす。

 人間らしさ。切っても切り離す事のできないその違和感はクラウスを鈍らせ、尖らせるだろう。

 常識と非常識の狭間で揺れながら思う。

 少なくとも、今はまだ人間でいたい。

 

「ただいまー……って、何? どうしたの?」

「何でもないですよ。会長が遅いから流れが止まっているだけです」

「何それ酷いっ」


 そんな事を考えているとニーナが戻って来る。直ぐに異質な空気に気づいた彼女の言葉に被った笑みの仮面で返すと、むくれて嘆いた。

 彼女の事だ、きっと上辺だけなら察したはず。だからこそ、いつも以上に意識して空気を取り戻す。

 そうして再び動き出した委員会は小さな忌避感を内包したまま僅かに空気を軋ませていた。




 歪んでいるのはきっとあの場所だけではない。そんな事を思いながら学院での生活を過ごしていると、ある日の昼休みにユーリアに声を掛けられた。


「クラウス、昼一緒に食べない?」

「……いいよ。どこか場所移す?」

「そうね」


 視線でアンネの姿を探してそれから思い出す。そういえば今日は休んでいたのだったか。もしかしてそのことも含まれているだろうか。

 そんな事を考えつつ席を立ってユーリアの後を追う。

 辿り着いた先は屋上。既に幾人かの生徒が来ていて昼食を食べていた。ユーリアの隣に腰を下ろして弁当箱を広げる。


「相変わらず美味しそうね」

「ただの積み重ねだよ。ユーリアも挑戦してみたら?」

「やってるわよ…………」


 弁当の中を見て零れた感嘆。気になって提案してみれば返ったのはどこか怒った風な答えだった。

 そう言えば前に一緒に外に出かけた時に食材を買っていたか。あれはどうやら練習の為だったらしい。


「もし力になれる事があったら遠慮なく言ってね」

「クラウスに頼ったら負けだと思ってるから」


 一体何と戦っているのやら。彼女が勝てないものにクラウスは勝てないだろうとどうでもいい事を考えつつ、会話と共に昼ごはんを嚥下する。

 因みにユーリアの手元には購買で買ってきただろう麺麭(パン)と飲み物だ。


「それで、今日はどうしたの?」


 飲み物で口を潤して本題を口にする。するとユーリアは手を止めてしばらく沈黙を落とした。

 いくらか想像できるが彼女の本題と逸れてはいけない。言葉を待っているとやがて小さく声が零れた。


「…………お見合いの、事」


 まぁ彼女の今の一番大きな問題といえばそれだろう。

 思考を切り替えつつ言葉を返す。


「何かあった?」

「夏季休暇の終わりに帰省して、そこでちょっと話し合いがあって。直接聞いた訳じゃないからどこまで正しいか分からないけど……。お見合いの日が決まったって。多分学院祭の終わる頃だと思う」

「なるほど…………」


 恐らく偶然聞いたのだろう。それで何かの糸口になればとこうして教えてくれたわけだ。


「…………幾つか聞いてみたい事があるんだけどいいかな?」

「知らない事は答えられないから……」


 ユーリアの言葉に少しだけ考えて尋ねる。


「相手の人はどんな人?」

「……知らない。というか教えてもらってない」

「今後は?」

「ないと思う」


 身分を隠さなければいけない相手……ということは無いだろう。ヴォルフのときのような話は出来るだけ勘弁だ。

 となれば視点を変えてみよう。隠したのはユーリアの親族の都合か。では隠さなければいけない理由は何だろうか?

 幾つか推論は出来る。未だ相手を選定中とか、話を大事にしないが為の配慮とか。

 お見合いが齎すものはユーリア一人で抱えられるものではない。クー・シーとして何か思惑があってのことだろう。そうでなければ在学中にお見合い話など普通ならそんなことにはならないはずだ。

 ではそうまでする理由とは? 家のため、個人のため……。


「ユーリアの家は武門の家柄?」

「……そうね。お父さんも単純に考えれば私の上官だし。過去にも(つるぎ)を捧げる以外で国に貢献したような事はなかったはずよ」


 ブランデンブルクには爵位や騎士階級がある通り、貴族などの上流階級からなる階級社会だ。そんな国で自分の家の事をこんなに語るのは、大抵が自慢の為の見栄か自嘲かのどちらかだ。まぁ今回は必要だから信頼して話してくれているのだろう。クラウスとしても特に言い触らすつもりは無い。


「そうなると…………あれかな」


 いくつか考えていたうちの一つが大きくなっていく。階級社会で、武門の家系で、お見合い。

 そう来れば一般的な話の終着点は一つだ。


「……政略結婚、よね」

「多分どこかから話が入ったんだろうね」


 言葉で埋めつつ考える。

 クー・シーの家は今の党首……ユーリアの父親の代で国に近しいところまで上り詰めたのだろう。

 国軍総隊長。ユーリアが口にしていた通り陸軍での階級は大将。率いるのは総軍や軍集団で十万人単位の部隊だ。また空軍としての階級を中佐、グリフォン隊の総隊長でもあったはずだ。

 ブランデンブルクにおいては陸軍と空軍の両方に籍を置く事は珍しくない。というより陸軍上がりの空軍という形が定着しているため、空軍にいる騎士たちはその殆どが陸軍でも階級を持っているのだ。

 考えれば当たり前だが人は飛べない。グリフォンやドラゴンなどの飛ぶ(すべ)を失えば陸を行くしかないのだ。そのため空軍を経験するにあたり、軍に二つの籍を持つのだ。

 海軍も同様の形をとっているのだが、今回は置いておくとしよう。

 空軍としての階級にも目を見張るものはあるが問題は陸軍の方だろう。

 大将は貴族の階級で子爵に相当する。エーヴァルト・コルヌ、彼が伯爵の位で、子爵はその下に該当する。

 称号を持つという事は簡単に言ってしまえば力を持つということと同義だ。けれど力だけでは全てを成す事ができない。力には見合った見栄を。

 軍の階級に爵位があるが故に求められる階級社会の問題だろう。

 今回のお見合いの話もそこから来た話のはずだ。

 ユーリアは今でさえ神童と謳われるほど武勇に秀でている。そこにクー・シーと言う家名がついて否応にも将来を求められているのだ。

 そして彼女は一人娘。国としてはクー・シーの存在を誇示したいのだろう。だからこそ将来のあるユーリアに今から手を回しておこうという事だ。

 結果それはお見合いという形となってユーリアに突きつけられ、その実態を政略結婚としてクラウス達は認識している。


「期待はもう慣れたわよ。けど期待と強要は違うわよね」

「そうだね。だからこそ、何か決定的な否定が欲しいよね……」


 そうして、根本に帰る。

 彼女の望みはお見合いを避ける事。今のユーリアにその気は無い。

 けれど上の方は期待を通り越してユーリアに望んでいる。このまま何もしないのではそのうち本当に話が進展してしまう。

 ではどうやってその不条理を覆すか。


「…………ひとつ」

「何か思いついた?」

「というより記憶の中に重なる事が」


 悩む、より先に拭いきれない違和感を言葉にする。


「この状況、前にも同じ感じのがあったんだよね」

「…………ヴォルフさん、ですか?」


 喉に刺さった小骨を取り除いてくれたのは唐突に声を発したフィーナだった。

 いつの間にか思考の外に外れていて、彼女の声に驚いたのも束の間、直ぐに納得する。


「あぁ、それだ。この無理難題感、あと動けない理由……」


 言葉にして一層気持ちを沈めつつ、けれど今回は前とは違う事に気づく。


「似た前例があるならそこからどうにかできないの?」

「出来るよ、というかする。今思いついた」


 流石にこの場面で虚勢を張る事はできない。呆れられる事覚悟で素直に言うと、隣のユーリアは想像通り溜息を落としてくれた。

 逆にその反応で安心したかも。


「とりあえず放課後にでも話をつけてみるよ。ユーリアも────」

「もちろん私も一緒に行くわよ。これは私の問題なわけだし」

「決まりだね」


 こういうとき、ユーリアとの会話は気が楽だ。

 クラウスにとって優柔不断は何よりも可能性の模索の旅だ。そして、大抵はそれに結論をつける事はしない。それはその方が自由に動けるからだ。

 けれどユーリアには即断即決、信じたものを疑わない強さがある。だからこそ、誰よりも先に名乗りを挙げ前へ進むための原動力となるのだ。

 引き金を引けば銃弾が発射されるように────

 火薬という名の理由はいつだって些細なきっかけで爆発するものだ。




 午後の授業では学院祭の実行委員を決めたりなどがあって、そこにクラウスの名前が挙がったりもしたが流石に受ける気にはならなかった。おそらく面倒ごとを爪弾き者に押し付けたかったのだろう。

 ただでさえ校内保安委員会の事で大変なのに、今回はユーリアのことで個人的に動き回る予定だ。学院の行事に割く余力はない。

 柔らかく断ると委員選びは難航してその日の内には決まらなかった。アンネが居たなら少しは空気が変わっていたかもしれない。

 そんな事を考えながら時間を過ごして放課後。クラウスとユーリアは委員会へ向かうより先に、とある人の下へと向かう。

 クラウスは下の階に、ユーリアは上の階に。階段のところで分かれると踏み入れる上級生の階層に気を引き締める。

 目的の教室に着くと出入り口のところに丁度テオがいた。


「テオ」

「ん? おう、クラウスか」


 例え上級生になったところでそう簡単に関係が変わったりするわけではない。特にテオは自分というものをしっかりと持っているからか、相対するクラウスの方もいつも通りでいられる。


「ヴォルフ先輩いる?」

「いるぞ。今日日直だったから日誌でも書いてるんじゃないか?」

「そう、ありがと」

「何か用か?」

「そんなところ。テオは先に行っておいて」

「……分かった。何かあったら言えよ」

「必要にならないのが一番だよ」


 変わらないやり取り。言葉の外で会話を交わしてテオと別れる。テオが、ヘルフリートがいるからこそというのも、こうしてクラウスが動ける一つの要因かもしれない。

 教室を覗き込むと部屋の真ん中にヴォルフの姿を見つける。上級生に挨拶をしつつ彼の下へ向かうと、気配に気付いたか彼は徐に顔を上げた。


「あとで少しお時間をいただけませんか?」

「委員会の前か?」

「そうですね……できれば早めに」

「分かった。少し待っていてくれ」

「はい」


 笑顔で話を取り付けてとりあえず邪魔にならないように教室の外で待つ。

 しばらくすると日誌を小脇に抱えたヴォルフが教室から出てきた。


「日誌の提出、先にしますか?」

「問題ない。担任はあの人だ」

「ん、あぁ。分かりました。では僕の方から」


 返った彼の言葉に少しだけ思い出しつつ足を出す。

 確かヴォルフやテオの担任は随分と気の長い人だったか。ゆったりとした雰囲気を纏う人物でよくぼーっとしているところを校内で見かける。この前はただ歩いているだけなのに廊下の行き止まりで頭をぶつけていた。それでいてこの学院では五指に入る実力者だというのだから人は見かけによらない。

 因みに担当する妖精史の授業は居眠りする生徒が続出するらしい。


「それで、何の話だ?」

「少し話を通してもらいたい事がありまして」

「…………コルヌか」

「はい」


 正面から告げるとヴォルフは胡乱(うろん)な瞳でクラウスを見つめる。まぁたしかに、レベッカのことであれだけしておけば根に持たれるのは致し方なしか。

 しかし今回はただ協力を乞うだけ。別に前のときみたいに現状を振り回そうなどとは思っていない。


「別に怪しい事はしませんよ。今回は彼が伯爵である事が重要ですから」

「…………知っていると思うがコルヌの家は」

「女系、ですね。だから本当の党首はレベッカさんの母親だという事も知ってますよ。体裁の問題として表向きはエーヴァルトさんが伯爵として公の舞台に立っていることも」


 コルヌの家は女系、女の家系だ。その党首は代々女性。だからこそレベッカ以外に兄弟姉妹はいないことになっている。特にヴォルフは本当のコルヌの血を引いているわけではない。特に慎重に関係を保っているはずだ。

 それにエーヴァルトの伯爵という話も、実際はコルヌ伯爵夫君(ふくん)というのが正しい。恐らくその辺りの事から彼は伯爵と呼ばれる事を嫌っているのだろう。


「……余り方々に迷惑の掛かる事は慎むべきだと忠告だけしておく」

「肝に銘じておきます」


 重く受け止めつつ、いつも通り笑顔で返す。そんな会話をしているとユーリアと予め決めていた集合場所に辿り着く。既にユーリアは来ていて彼女の方が早かったらしい。彼女の隣には肩まで伸びる鶸色の髪を揺らした少女が一緒にいた。


「────これ酷くないですか?」

「確かに。普段教室にいるときもそんな感じで……」

「ユーリア、お待たせ」

「────!」

「あっ…………!」


 どうやらクラウス達を待っている間に何か話をしていたらしい。声を掛けるとユーリアは肩を揺らした。驚かせただろうか? それとも聞かれて驚くような会話をしていたのだろうか?

 そんなユーリアの隣で、こちらに気付いた下級生──レベッカはクラウスの隣に立つ人物に小さく声を漏らす。

 ヴォルフがこちらを一瞥したが気付かない振り。


「こんにちは、レベッカさん」

「こんにちは、です」


 挨拶を交わしつつその視線はヴォルフの方へ。心なしかその黒橡(くろつるばみ)色の瞳は嬉しそうに彼の姿を見つめていた。

 彼女にとって今やヴォルフは最愛の兄だ。夏季休暇前までは複雑な事情ですれ違っていた二人だが、今ではあの頃のような溝も存在せず随分と歩み寄っている様子。レベッカにとっては少し辛い事実で、あの頃思い描いていた理想にはもう戻る事はできないだろうけれど。だからこそ彼女にとって今の居場所は何よりも大切なレベッカでいられる温かいものだ。

 まぁ第三者として一つ言わせて貰うとすれば、長年燻り続けた恋心を直ぐに消すのは難しいという事だろう。現に今も彼女の瞳の奥はどこか甘い色を灯してヴォルフの事を見つめていた。それさえも今の彼女にとっては楽しみの一つなのかもしれないが。

 そんな事を考えているとヴォルフは何かに気がついたように肩を揺らす。


「……少し髪が伸びたか」

「え……? あ、はいっ。ユーリア先輩みたいに綺麗じゃないかもしれませんけど伸ばしてみようかなって……」


 ヴォルフの指摘にレベッカは少しだけ驚いて、それから蜂蜜でさえも溶かしてしまいそうなほど甘く柔らかな笑顔を浮かべる。

 髪先を指で弄る仕草を見つつ改めて思うが、彼女もユーリアやアンネ、ニーナ達に引けを取らないほどに随分と整った顔立ちだ。少女らしい柔らかさと女性らしい芯の強さを内に秘めた彼女はまだまだ成長途中で、だからこそ纏う独特の雰囲気は知らず辺りの空気を惑わせる。同年代に今のような笑顔を向ければ勘違いを起こす異性も少なくは無いだろう。

 きっとレベッカは綺麗で可憐なコルヌを背負って立つ立派な淑女に育つに違いない。今からそんな事を予感させるほど彼女の笑顔は女性らしさに彩られていた。


「似合わない、ですか?」

「いいや、よく似合うと思う……」


 視線を逸らして答えるヴォルフ。それが今の彼の精一杯なのだろう。背けたその横顔は照れているように見えた。


「そうですか。よかったです、お兄様に気に入ってもらえてっ」


 語調を跳ねてそう告げるレベッカ。そんな晩熟(おくて)な恋人関係のような会話をもう少し見ていたい様な感覚に囚われつつクラウスは口を挟む。


「それでお二人に来て頂いた理由ですけど──」

「っ!? あ、あぁ…………」

「…………いいですか?」

「問題ない、続けてくれ……」


 そんなクラウスの声にヴォルフが肩を震わせて目に見えて焦った。……やっぱり彼には家族愛を超えた何かの気があるのかもしれない。

 そんな事を思いつつ促しに頷いて口を開く。


「お二人に少し口添えをしていただきたいんです」

「委員会を通さないのか?」

「今回の相談は個人的なことですので」


 笑顔で答えると彼は考える間を開けてユーリアに視線を向ける。

 流石にこの辺りの事は頭の回転の速い彼だ。恐らくここにユーリアがいることからある程度のあたりを既につけたことだろう。そしてそれは詳しい事を除けば当たっている。やはりクラウスの次にこういうことに鋭いのは彼かアンネだろう。いや、アンネは多少天然とクラウスに対する妄信が入っていたりするから客観的に物事を捉えているのは実質彼一人か。


「お願いできませんか?」


 クラウスが尋ねるより先にユーリアが口を開く。彼女は今回の根本を抱えている重要人物だ。特に自分の事だからか、こういう時率先して前へと出てくれる。

 それはどこか幼馴染の無鉄砲さにも似ていて、クラウスとしてはとても慣れ親しんだやりやすい相棒だ。


「……私の言葉はそこまで力を持っているわけではない。もちろんあの時言ったように可能な手助けは惜しまないつもりではあるがな」


 どこか楽しそうに片頬を吊り上げて告げるヴォルフ。


 ────レベッカとの事を一切口外するな。その代わり、私が君の力になろう


 あの放課後に彼の口から聞いた言葉を思い返す。

 クラウスの野望の行く先を見届けたいと。可能であるならば彼が望む理想の景色を見せて欲しいと。

 その言葉を今一度噛み締めるようにヴォルフの気持ちを受け取る。

 そうして視線はヴォルフからレベッカへと向かう。


「レベッカさんはどうですか?」

「……わたくしも先輩にはお世話になりましたから、お手伝いを出来るなら喜んで。ですがコルヌと言えどわたくしはまだ子供で…………」

「大丈夫ですよ。御党首様に一筆お手紙を書いて頂ける様にお話をするだけですから」

「それくらいなら、多分……」


 考えるように顔を伏せながら答えるレベッカ。とりあえず問題はなさそうだろうか。だとするならばあとは日時の問題だけだ。


「やはり話は早い方がいいのか?」

「そうですね。余裕はあるつもりですけど早いに越した事はないです」

「できれば今日でお願いします」

「……分かりました。そこまで急ぐ用事も入ってなかったはずです」


 レベッカが答えるより先にユーリアが果断な言葉で言い切る。彼女自身の問題だから少し気が急いたのだろうか。語調も心なしか強く感じた。

 ユーリアの真っ直ぐな瞳にレベッカ頷く。言葉の強さに押し切られたか。何にせよレベッカが言うのだから頼らせてもらうとしよう。


「ではわたくしはこれで。先に帰って話を通しておきますので、お仕事が終わり次第こちらに来てください」

「……分かった。出来るだけ早く向かうようにするよ」

「はい、それでは失礼します」


 話は早い調子を打って纏まり、礼儀正しく一礼したレベッカが去っていく。

 彼女の後姿を見送るとクラウス達も生徒会室へと向かう。とりあえず最初の問題はこれでよさそうだ。あとは成り行きに少しだけ介入させてもらうとしよう。

 方針を固めつつ足を出す。

 そうして辿り着いた先で、クラウス達は気の短い二人から棘のある言葉を投げつけられたのだった。




 その日の委員会の仕事も終わり、クラウスとユーリアはヴォルフと一緒にコルヌ家へと向かう。

 コルヌを訪れるのは退学問題の時以来で二度目だ。ユーリアにとってはもちろん初めて。その為か彼女は少し緊張している様子で隣を歩いていた。


「……随分慣れてるわね」

「一度顔を出してるからね」

「あの時も随分と鷹揚だったはずだが?」


 ユーリアの声に答えるとヴォルフがどこか楽しげに指摘する。やっぱり彼は根に持っている……。


「クラウスなら仕方ないか……」

「ユーリアまでそれ言わないでよ。言われるたびに傷つくんだから」


 呆れた様子のユーリアに半眼で呻くと彼女は視線を逸らす。彼女も随分とクラウスの扱いに慣れたものだ。是非やめて欲しい。

 そんな会話をフィーナとリーザが顔を見合わせて笑う。

 余り空気が硬くないのはいいことだが欠け過ぎている感は否めない。それでいて目的が神経質な事だと思いながら歩き続ける。


「あの先輩、一つ聞いてもいいですか?」

「何だ?」

「先輩は普段レベッカさんとはどうしているんですか?」

「どうして、とは?」

「その、学院で会ったりしたときとか」


 そんな中でユーリアがヴォルフに問い掛ける。交わされる会話は随分と砕けた、そして踏み入った内容。

 一応ヴォルフとレベッカの事は委員会の面子には彼らの口から説明がされている。もちろん詳しい事は伏せて、退学問題の概要はブラキウムとコルヌの問題ということになっている。

 けれどユーリアの直感は侮れない。クラウスも普段の会話の中に幾度か肝を冷やす事があったし、雰囲気から察しているのだろう。放課後の時もレベッカがヴォルフの事をお兄様と呼んでいて、少し危険だと思ったからクラウスも割って入ったものだが。


「……別に、学院の生徒として接しているつもりだ。元はといえば親同士の繋がりだからな」

「そうですか。という事は放課後のは例外みたいなものなんですかね」

「そうなる、か。妹みたいだとは思うがな」


 その表現はどうかと思いつつ静観する。

 ブラキウムとコルヌの問題というのは正しい。けれどそれは真実を歪曲させた表現だ。色々な混乱を招かないためにヴォルフとレベッカの繋がりは今後も隠匿され続ける。

 その中で彼らは歩み寄りを見せていて、けれど最終的なところで手を取り合う事は難しい。

 認めることも望む事も許されているのに、ただ近くに居る事が許されない。

 そんな関係をきっと本当の意味で兄妹とは言わないのだろう。兄弟を持たないクラウスにはあまり共感のできる事がない問題だが、だからこそ冷静な視点でそれは歪んでいると思うのだ。

 けれどその溝をクラウスが埋める事はできない。クラウスには精々人間と妖精、それから混血達の間を取り持つ事だけ。人間と人間の関係を修復する事は出来やしない。

 それほどまでに一人の力はとても無力だ。


「そろそろ着くぞ」


 自分の非力さを噛み締めながら顔を上げれば、視界の先には大きな屋敷が存在していた。

 ……とりあえずは目の前だ。できない事を悔やんでも仕方がない。できる事から紡いで、過去に出来なかった事を、出来るかもしれない未来に繋ぐだけだ。

 深呼吸一つ。気持ちを入れ替えて踏み出す。

 前のとき同様、青み掛かった黒髪を一つ括りにした女性の使用人が先導してくれる。歩く仕草に髪先が小さく揺れる。

 アンネの話では彼女がこの家の本当の党首──レベッカの母親らしい。

 では何故そんな人が使用人服に身を包んでいるのか……。一瞬思い浮かんだよからぬ想像を恐らくの真実で塗り替える。

 コルヌは代々女系。一番自然に代理党首の傍に居られる形を突き詰めた結果だったのだろう。誰かの趣味で……なんて事は恐らくないはずだ。彼女の趣味かも知れない事は否定できないが。

 まぁ深く首を突っ込んで知らなければよかったと後悔しても仕方がない。今はやるべき事をやるだけだ。

 隣を見ればユーリアの表情はいい緊張感で引き締められていた。その度胸のよさは従軍によって鍛えられたものだろうか。

 考えて、響いた扉を叩く音に姿勢を正す。部屋の中から入室を促す声が響いて、断りを挟んでから扉が開かれる。

 見据えた視界は前のときと殆ど変わらず、視界の中心にエーヴァルト・コルヌを置き、その隣にレベッカが立っていた。表情を見るにどうやら話はうまく通ったらしい。ならば安心してことの成り行きを見守る事ができる。

 そう考えて、続けてレベッカの逆に映る人影に焦点を合わせて────


「あ、やっば……」


 そこに頬を引き攣らせた表情、使用人姿のアンネ・ルキダがいることに息を呑んだ。

 一瞬固まった思考が直ぐに回って納得を引き出す。

 今日、アンネは学院を休んでいた。そしてそれは彼女がクラウスの為に得た国仕えという居場所の維持のための、所謂公的な仕事のためだというのもクラウスは理解をしていた。

 けれどそれが、まさかコルヌの家に関することだとは、流石のクラウスにも予測できなかった。というかこの状況を知っていたなら少なくとも今日だけはずらしたはずだ。

 レベッカだけならばまだどうにかなる。少女とは言え彼女もコルヌの血を引くもの。そういうことには理解があるはずだからだ。直接の関係も薄いはず。

 重ねれば、ヴォルフもまだいい。言葉を重ねれば理解をしてくれるはずだからだ。

 けれどユーリアは違う。彼女はここにいる誰よりもアンネに近い。近すぎる。

 だからこそ彼女には知られたくなかった。その為にずっと目を盗んでやってきたのだ。

 知られてしまえば、それは結論クラウスに矛先が向くから。テオも、ニーナも、ヴォルフでさえも巻き込んできたクラウスの物語に、彼女まで引っ張り込んでしまうから。

 その一線だけは死守してきたはずだった。

 視線が隣の彼女を追う。そうして彼女の横顔を見る。


 そこにあったのは、驚愕よりも、非難よりも、憤怒よりも冷たい──真っ直ぐで冷静な瞳だった。

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