第二章
『妖契の儀』が執り行われた翌日。人の疎らな教室、その自分の席に腰を下すと鞄の中から数枚の書類の入った封筒を取り出す。
これは昨日寮に帰ると寮母から手渡された校内保安部隊に関する細かい書類だ。中には人員と恐らく表向きの大それた行動理念。それから手書きの次回招集日を記した書類が入っているばかりだ。クラウスはその中の人員が記された書類に目を通す。
静かに目を走らせ始めると、隣に浮いていたフィーナは肩の上にちょこんと降り立って同じように紙面を覗き込む。
今こそこうして落ち着いているフィーナだが昨日の簡単な能力の確認が終わって、寮に帰ってから就寝に至るまで不思議な鼻歌を歌い軽やかにクラウスの周りを踊り舞う程に上機嫌にしていた。まぁ分からないではないが、少し煩わしかったのも事実だ。
「こうない、ほあん……これ昨日のせいとかいちょうさんとのお話ですか?」
「ん、そうだよ。……あぁ、そうか。フィーナは僕たちの言語読めるんだね」
「はい、難しい言葉ばかり並べられなければ」
フィーナの疑問に答えてまた一つ便利な恩恵を目の当たりにする。
言語。特に妖精との間に喋って言葉を交わす際の問題はほぼないといっていいだろう。これは契約の恩恵の一つだ。
一つ、と示す通り恩恵には幾つかの種類がある。その中の一つに知識の共有化が含まれるのだ。この際の知識と言うのは一般生活において培われる言語野においてのことであり、特にハーフィーやクォーターなど人間の血が流れている妖精には色濃く表面化する恩恵だ。
純粋な妖精と人間の間で交わされる契約や繋がれた回路による恩恵ではこの知識の共有が行われない場合が多々あり、知識の共有においては人間の血が大きな役割を果たしていると言われている。どちらかと言えば珍しい種類の恩恵だろうか。
「これは一緒に活動する人たちの簡単な個人情報だね。他言厳禁だよ」
「わかりました」
ひらりと紙面を振って示すと神妙な面持ちで頷くフィーナ。とは言っても、今後この学院で学ぶにつれて専攻する分野だとか得意な属性だとかである程度は他人について知れてしまうのだが、それはそれ。ここにはクラウスがクォーターであると言った情報も含まれている。あまり外聞するのはいろいろな人に影響が出すぎてしまう。
「…………ふむ」
職員課で目を通してからこれで二度目。目の前の書類を読み込んで頭の中で幾つか思考を走らせる。
今回のこの話。声を掛けられたのはクラウスを含めて四名。そこに生徒会長であるニーナ女史を加えて五名。内、この春妖精と契約したばかりの妖精従きとしての新人が三名。上級生一名。一体どんな選定基準なのやら。
それに生徒会直轄の組織なのに中に生徒会長本人が含まれているのは何かの間違いなのだろうか。……と希望に縋ってみたり。
大体申請の形式が部活動と同じなのに顧問の名前がどこにもないだとか、押印がなぜか生徒会長本人のものだとか突っ込みどころがありすぎて書類の情報が頭に入ってこないのは彼女の策略なのだろうか。それとも単に自分がどうでもいいことに目端を利かせてるだけなのだろうか。
「やることやって、後はなるようになるしかないか……」
呟いてせめてもの仕返しにニーナの身の上を丸暗記しに掛かる。何かに役立つとは思えないが。
「……エルフ」
とそこで耳元から上がった声と同時、クラウスもその文字が刻まれた場所に目を向ける。
種族、エルフ。書物を紐解けば稀に名前を見かける人間とも妖精とも異なる種族。クラウスはそう記憶している。
外見的特長として妖精に似た長耳を持ち、エルフは妖精術とは系統の異なる精霊術を扱うと言われている。中には妖精と交信するエルフも存在を確認されている。
絶対数が少なく中々目にする機会のない種族であることは確かだ。
人間にとっても珍しい生き物であるならば、それはきっと妖精にも同じように適応される事象であり、例に違わず隣の妖精も興味と忌避の板ばさみに苛まれているようだった。
クラウスにしてみればニーナは生徒会長でありそれ以上でも以下でもない。彼女が珍しいエルフだからといって別に差別する理由にはならない。何事も平和が一番だ。
そんなことよりも彼にとってはその下に書かれた個人情報のほうが頭に引っかかった。
階級、ドルフ級。
この学院には全部で五つの階級があり、上から順にフォルト級、ハーフェン級、トーア級、ドルフ級、ハウズ級となっている。
教師を含めてもこの学院にはフォルト級は両手の指で足りるだけ。実質の実力者はハーフェン級が大半を占めている現状だ。
トーア級は今年クラウスが属することになった階級で、妖精憑きと妖精従きを隔てる目安となる中級生。ドルフ級は妖精についての応用学、ハウズ級は基礎について学ぶ階級だ。
手元の資料を参照する限り、ニーナの年齢は17歳。クラウスの一つ上であり生徒会長と言う役職も相まって、ハーフェン級ないしフォルト級の生徒だと勝手に思い込んでいた。それがよもや自分の一つ下であるドルフ級とは……。
何か訳ありと言うことだろうか。知らなかったほうがよかった情報を得た気がして少しだけ憂鬱になる。
「フィーナはエルフに会ったことは?」
「昨日の事を除けば……ありません」
「だったら昨日感じたままの印象でいいんじゃないかな? 人間ともうまく行かない上にエルフと、って言うのは少し難易度が高いようにも感じられるかもしれないけど、彼女もこの学院の一生徒だから変に気兼ねするのは彼女に悪いでしょ」
「そう、ですね……」
クラウスの言葉にいくらか先入観を払拭できたのか、フィーナは健気に笑ってみせる。そんな笑顔にクラウスも笑顔を返して手に持っていた書類を鞄にしまった。
「とりあえず今日は校内を探検してみようか」
「はいっ」
気晴らしに、そして何より歩み寄るために。提案に頷いてフィーナは花を咲かせる。
時間は朝一番の授業を迎えようとしていた。
午前中の授業に何も変わった事はなく、時間は流れて昼休み。
昼食を食べ終えたクラウスとフィーナは連れ立って校内探索へと足を出す。
行き違う人々や妖精の流れに身を任せて辿り着いた最初の目的地は購買だった。
「……この時間ならまだいるかと思ったんだけどなぁ」
「いる……って誰がですか?」
幾つかの打算と共にここを最初に訪れたのだが空振りに終わったようだ。目当ての人物は見つけられなかった。
「そういえば言ってなかったね。校内保安部隊の人員の中に僕の幼馴染がいるんだよ」
「そうだったんですか」
「幼馴染といっても今の僕たちは寮生活だから毎日顔を合わせるわけじゃないんだけどね」
売れ残っていた麺麭を一つ買って千切って肩上のフィーナに差し出しながら次の目的地へと歩き出す。
「よく購買で買って食べてるって言ってたから先に顔合わせとか済ませちゃおうと思ったんだけど」
「……んく。大丈夫ですよ。クラウスさんがいてくれますから」
咀嚼しながら喋らないとは育ちのよさの表れだろうか。それとも単に分けた欠片が大きすぎたか。
そんなことで素直な感謝への気恥ずかしさを誤魔化しながら次の一口を千切って渡す。
「では次。……ここが職員課」
指差し確認で示して通り過ぎる。
「……えっ、それだけですか?」
「特に言うことないからね。職員が冷暖房完備された閉鎖空間に屯してるだけだし」
「な、中の人たちに聞こえたらどうするんですかっ」
昨日の憂さ晴らしに少しだけ聞こえの悪い言葉を選んで継ぐ。慌てたフィーナが可愛らしくて、さらに言えば頬に食べかすがついているのが気の抜ける景色だった。
「フィーナ」
「え、あっ……!」
指で示して教えると気づいた彼女は赤面してクラウスの後頭部へと回り込む。飛べるってのは自由度が高くて羨ましい。
そんな他愛もない会話を繰り返しながら休み時間を使って校舎の半分くらいを見て回った。
最後に訪れたのは生徒会室。行く先分からない自治組織に誘った張本人の根城。一体彼女は何を願って自分をあの組織に連れ込んだのだろうか。今一度顔を突き合わせて聞き質せば答えは見えるのだろうか。
暗雲渦巻く疑問を胸に秘めて踵を返す。肩の上に腰を下したフィーナもどこか浮かない表情でその扉を見つめていた。
教室に帰ると幾人かの鋭い視線が向けられ、すぐに外れる。そんないつもと少しだけ違う何処か張り詰めた空気の中に、一つだけ含まれたいつもとは違う視線に足を止めた。
睨むようにこちらを見つめる一人の少女。不機嫌そうな表情でただクラウスに向けて視線を注ぎ続ける彼女。
長く黒い艶やかな頭髪に、妖艶な雰囲気を湛えた紫苑色の瞳。
冥府の女王かと見まごうばかりの深く、そして鮮やかな色彩を放つ少女。彼女の頭の上には亜麻色の髪を頭の横で一つまとめにした黄色い目を持つ妖精がにこやかに笑っていた。
「ユーリっ」
「アンネ、黙ってて」
呼びかけは少女の隣から。恐らく彼女と話をしていたのであろう友達の女生徒は諌めるような声音で黒髪の少女の肩を揺らす。
アンネと呼ばれたその少女は黒髪の彼女の言葉に可愛らしい小さな背丈を更に小さくして怯えるように手を拱く。仕草にライトブラウンの波打つ後ろ髪がふわりと揺れた。
アンネに語気強く言った黒髪の女性徒は友達を一瞥もしないまま変わらぬ糾弾のような視線をクラウスに向ける。
口元に手をやって現状に涙目になりかけるアンネ。
と、そこで徐に立ち上がったユーリと呼ばれた少女は静かな歩調でクラウスの前まで歩くと、立ち止まって値踏みするようにクラウスの瞳の奥を覗き込んだ。
数瞬の交錯。敵意さえ滲ませた視線に、クラウスはどこか嘆息するような心持で彼女からの言葉を待つ。
やがて沈黙に耐えかねたように黒髪の少女は桜色の唇をわずかに開けた。
「……退いて」
「悪い」
それは何に対しての謝罪なのか。言いつつ横に避けると肩を当てんばかりの勢いで足を出して通り過ぎる彼女。
その後を友人であろうアンネという少女がパタパタと追っていく。すれ違い様に小さく謝罪の言葉を言ってよこしたのでクラウスは手を振って答えた。
嘆息しつつ自分の席に腰を下す。途端に教室の中の空気が肌で感じられるほど緩和していくのが分かった。彼女たちは一体何を話していたんだか。
「あのぉ……んぐ」
それまで静かにしていたフィーナだったが、周りの空気が落ち着いてきた頃にようやく声を掛けてきた。クラウスは彼女の疑問が言葉になるより先に最後のパン一欠けらを彼女の小さな口に突っ込んで制しつつ答える。
「さっきの黒髪の子は保安委員の一人だよ。フルネームはユーリア・クー・シー……だったかな」
「はむっ。……でも、その…………」
「言いたいことは分かるけどね。彼女にも彼女なりの理由があるってことで」
随分とあやふやな答えだがそこを汲まないことには話がややこしくなりすぎる。そんなことを思いつつ、視線は彼女が出て行った教室の入り口を追っていた。
ユーリア・クー・シー。人間、16歳。妖精従き。クラウスと同じトーア級の生徒。
書類上の簡潔且つ無味無臭な情報だけ述べればどこにでもいる一般生徒だ。
そんな彼女もクラウス同様、校内保安部隊の一人だ。
情報を付け加えるとすれば彼女は実技においてクラウスと比べるまでもなく優秀で、特に風系統の妖精術では同階級内に右に出るものはいないとさえ言われている。
神童と言ってもいい彼女や、一応主席候補であるクラウスの幼馴染。そこにこの学院の生徒会長と上級生と言う中に何故か選抜されたクラウス。この五人でもって校内保安部隊の構成となっている。
客観的に判断しても何故クラウスが選ばれたのかがよく分からない。……が、きっと何か御眼鏡に適うものが自分の中に眠っているのだろうと前向きに盲目に検討しておく。
これから一緒に活動していくであろう女生徒。その最初の接触が何とも記憶に残りやすい形になったのは今後の課題だろうか。
溜息一つ。それから教師の弁舌を子守唄に放課後の予定へと思考をシフトしていく。
とりあえず昼休みに回れなかった場所をフィーナと探検して。時間があれば昨日も行った能力査定を細かいところまで済ませて書類の作成。その位だろうか。
目まぐるしい予定表に今から億劫になりながら窓の外に視線を向ける。すると窓ガラスに反射して教室の後ろのほうが薄らと確認できることに気がついた。
注視してみると幾人かは小声で話し合いやお菓子を摘んでいるのが見えた。妖精が増えてもこの辺りは変わらないか。と言うか妖精まで一緒になってないか、あれ。
一般教養の授業なんだからもう少し真面目に受けたらどうなのだろうか。そんなことを考えながら欠伸を噛み殺す。
「クラウスさん、寝ちゃ駄目ですよー」
耳元に小声で囁くフィーナの声が一番その気を引き起こしやすいのは気づいていないのだろう忠告に従う振りだけ見せておく。
呆れたような溜息を耳に聞きつつガラス窓に目を凝らすと反射した景色の中に件の女生徒を見つけて目を留めた。
彼女──ユーリアはじっとクラウスの方を、否クラウスを睨みつけるように静かに視線を注ぎ続けていた。灰被りな後頭部を見つめても何も面白いことなんてないだろうに。
そんなことを考えつつぼんやりと窓に映る彼女を見つめていると、それに気づいたのかユーリアは慌てて視線を逸らした。
「ていっ」
直後、目の前にいきなり現れたフィーナの眼鏡の上からの目潰しに仰け反って椅子から転げ落ちそうになった。
放課後。午後の授業が終わりちょっとした出来心と打算もあってユーリアに声を掛けようと席を立つ。
「あ、あのっ……」
彼女はどこへ、と視線をまわすより先に掛けられた声にクラウスは反射的に振り返る。
そこに立っていたのは昼休みにユーリアと一緒にいた女生徒。
彼女は胸の前で右手で左手を包むようにしながら視線を少し外す。名前は確か──
「どうしたの、アンネさん」
「あの、そのっ」
名前を覚えていたことにか一瞬たじろいだ彼女は、それから一つ深呼吸する間を挟んで小さい背丈の所為か上目がちに提案を告げる。
「アンネは、名前……。アンネ・ルキダ、です……」
「……あぁ、ごめんね、ルキダさん」
どうやら名前で呼ばれたことが気になったらしい。最もな意見だ。
訂正して返すとアンネは少し気持ちを持ち直したようで、こちらの瞳を見つめ続けて口開く。
「少しお時間よろしいですか?」
随分と下手な申し出なことで。
笑顔を浮かべて頷くと先にたって歩き出すアンネの後ろに着いて行く。廊下に出て、辺りを気にするようにせわしなく顔を回す彼女の様子が少しだけ頼りなく見えて後ろから声を掛ける。
「……何処か人目に着かない所のほうがいいかな?」
「えっと……」
たれ目がちの気弱そうな瞳がライトブラウンの前髪の奥へと隠れる。随分と引っ込み思案で、けど何処か計算されたような振る舞いに少し考えて言葉を続ける。
「屋上にしようか」
「…………はい」
傍から見聞きすればこれから色恋の話にも発展しかねないような雰囲気で。けれど先程彼女が最初に見せた真摯な眼差しはその空気を纏っていなかった。
静かに頷いたアンネを引き連れてクラウスは階段を上り始める。
この学院では昼休みと放課後の限られた時間のみ屋上開放がされている。それは温かい日の下で学友と昼食を共にしたり、部活動に勤しんだりと自由と伸びやかを売りにしたようなこの校風に感謝するべきなのだろう点であり、妖精憑きや妖精従きの監獄とも噂されるこの学院の数少ない良心なのかもしれない。
階段を上りきると予想通り既に開放された屋上の扉を開けて開けた視界に足を踏み出す。
頬を撫でる花色の柔らかい空気を胸いっぱいに吸い込んで。快晴の天上から降り注ぐ淡い陽光に身を晒して足を止めた。
「それで、僕はいきなり刺されたりするのかな?」
「えっ…………?」
唐突な開口にそれまで静かに後ろを着いて来ていたアンネが肩を強張らせて辺りを見回す。しかし無粋な闖入者も命を狙う追跡者も屋上の陰からは出てこない。
アンネの視線がクラウスを捉えれば、彼は飄々とした笑顔で頬を吊り上げていた。
「冗談だよ。ごめん、驚かして」
「……い、いえ」
目に見えて胸を撫で下ろすアンネ。そんな様子にクラウスはくすりと笑って金属で出来た欄干に体を預ける。これで彼女も少しは落ち着いただろうか。
「……それで、話ってのは?」
「えっと、昼休みのことで」
少しの間を空けて本題に触れると彼女はゆっくりと話し始める。
「あの時はごめんなさい。悪い気分にさせたのかなって」
「それは……僕が教室に入ってくる前のこと?」
「はい」
彼女の言葉に記憶を掘り返してその時の情景を再構築する。あの時はフィーナと話をしていて、空気がいつもと違うことに気がついたのは教室に足を踏み入れてからだ。その前となると……話は聞くべきだろうか?
「んと、教室に入る前のことは僕は知らないんだ。だから話したくないことだったら無理に話さなくてもいいよ。元々聞いてないから別に何か感じたってものもないし」
「……その、アルフィルク君が教室に来る前に私達が少し大きな声で話をしてて。そこにアルフィルク君の名前が出てて…………」
「あぁ、なるほど……」
きっとそれは単なる噂話だとか、陰口だとか。そういう類の話をしている最中にクラウスが教室に入っていったものだから……ってことだろう。交わされる噂話など思いつく限りではこの体の、生い立ちの事くらいしか心当たりはない。それはもう慣れた、と言うかうんざりだ。
「となるとさっきの謝罪は二人の問題、ってよりは教室の空気にっていう方向かな」
「その…………」
口ごもる辺り恐らく的を射ているのだろう。そんなことで律儀に謝りに来る辺り彼女の人となりがよく分かる。
「それと、友達の事も……」
そこもか……とクラウスは思ったがそれも数瞬。少し考えて話を広げる。
「その友達ってのはクー・シーさんのことかな」
「……………………」
今度は返事も返さず黙り込んでしまうアンネ。どういう意味での沈黙か。少しだけ悩んで笑って口にする。
「別に誰かを嫌いになる要素なんてないし、誰が悪いなんてことはないから。気にしないでいいと思うよ」
「……………………」
「もし何かあったときは当人たちで解決するから。だから彼女から聞いたことは秘密にしといてね」
振り返って人差し指を一つ立てる。その仕草に視線を外して居心地悪そうにしていたアンネだったが、やがてぎこちなく笑顔を浮かべて応えてくれた。
とりあえずこれで一段落だろうか。考えすぎた推察を溜息をと共に吐き出して胸の内から消し去ると、少し前から気になっていた疑問をぶつける。
「……そういえばルキダさん、契約妖精は?」
「あの、昨日は、私……体調が悪くて保健室で……」
「ん、あぁ、そっか」
疑問に恥ずかしそうに答えるアンネに少し頭を捻って昨日のことを思い出す。
昨日クラウスが呼び出しをされた際、教師が言っていた言葉。
──午後からは予定通り『妖契の儀』を執り行う
予定通り、と言うことは予定外のことがあったと言うことを暗に指しており、その予定外がアンネの不参加と言うわけだ。
通常『妖契の儀』を欠席した生徒は数日後改めて個別に儀式を行う。それまでの数日間は『妖契の儀』以前と変わらず妖精憑きとして過ごす事になる。つまりは妖精従きが周りにいる中でその人物だけ一人身と言うわけだ。
心に余裕がなくなれば辺りの景色が一変する。今回のこの謝罪の話もそう言った心情の変化から空気に敏感になりこうして呼び出すまでに至ったのだろう。
「『妖契の儀』はいつ?」
「来週中、って聞かされました」
刹那に見せた寂しい瞳。半分を欲する彼女の影と、少し前の自分が重なって。少しの同情心から応援の言葉を掛ける。
こんな言葉、なくても彼女のような人物ならクラウスのように偶然や奇跡に縋らずともしっかりと互いに並び立つ相棒を見つけられるのだろうけれども。そんなお節介よりも、少しだけ理不尽に振り回された彼女に実りある素敵な出会いがありますようにと願って。
ただ一掴みの縁あれ────
「いい相手が見つかるといいね」
「ありがとうございます」
クラウスの言葉に素直に頭を下げるアンネの様子が可愛らしくてクラウスの心の内まで温かく震えた。
「中に戻ろうか。まだ冬が終わったばかりで少し肌寒いからね」
「そうですね。また体調を崩してもいけませんから」
そうして苦笑するアンネの顔は、太陽のように優しく暖かいものだった。
教室前の廊下まで戻ると視界の先にユーリアの姿を見つけた。クラウスより先に気付いていたのであろう彼女は早足でこちらに近寄ってくる。
「………………」
向けられたのは沈黙でも軽いかもしれない威圧感。近くで見た深い紫色の瞳はアメジストの宝石のように透き通っていた。
「ユーリ、その、これは……!」
「アンネに、何かヘンな事してないでしょうね」
慌てた様子のアンネの言葉を遮って鋭い視線と険のある声でユーリアが問う。
どう答えようかと数瞬迷って、それから笑顔で返した。
「何も。僕はただ彼女に誘われて少し話をしただけだよ」
訝しむ様に眉根を寄せるユーリア。しかしそれも一瞬のこと、次の瞬間には踵を返して歩き出していた。
「アンネ、いこ」
「……うん」
ちらりとこちらを伺ったアンネは小さく頭を下げて言葉少ない友達の非礼を詫びるとパタパタとユーリアの後を追っていった。
ユーリアの去った廊下の先を少し見据えてクラウスは教室へと戻る。自分の席へ行くとそこには頬を膨らませたフィーナがこちらを可愛らしく睨んでいた。
「声くらい掛けてくれてもいいじゃないですかっ」
「悪かった。購買で何か買ってあげるからそれでどうかな」
「乙女の嫉妬は高くつきますよ」
上辺だけの軽口を叩いて。重いだろう鞄を両手にぶら下げて飛んできたフィーナからそれを受け取ると彼女を指定席へと誘う。
「では購買へレッツゴーです!」
軽いのは言葉だけじゃなくて財布の紐もですか、そうですか。
妖精との付き合い方を改めて肝に銘じながら上機嫌な相方の指し示すほうへと歩いて行く。その最中頭を巡るのは彼女たち妖精の特徴だ。
妖精との契約には恩恵があるというのはこの世界に住む人類ならほぼ全員が知っている事実だ。だが妖精従きと契約妖精との間に紡がれる回路やその契約が齎す副次的効果まで事細かに意識して覚えると言う人は少ない。なぜなら知識はなくともそういう事象があることに変わりはなく、妖精との契約を行えば意図せず扱えるようになってしまうからだ。後天的に植えつけられる常識といってもいいだろうか。
その副次的効果の中に、これはどんな意味があるのかと疑いたくなる内容の恩恵や、別になくとも構わないのではないかと思う恩徳があったりする。
特に言えば妖精従きが見る夢に契約妖精が出てくる比率が増えたり、互いの胸の内に燻る感情を少しばかり共有するだとか、契約妖精は契約相手の妖精従きに恋愛感情めいた情緒を胸に抱くというものだ。
前者は愉快な話だ。時には感覚が断続的に交信し夢の中で冒険をする夢旅人も出てくる。後者に至っては妖精従きとの間に子を設けたりする礎になったりもするようだが、それはこの際置いとこう。
妖精達が抱く擬似恋愛感情。擬似とはいえ主人に抱く感情は恋愛のそれと遜色ないほどの感情であり、妖精と妖精従きが共に立つための重要な特恵だ。
その為、クラウスとフィーナのような性別の異なる妖精従きは人間が他の異性と仲良くしていれば嫉妬に似た感情を募らせるのだ。もちろん、擬似感情ではあるので愛憎するような話にはならない。尤も、抱く感情が擬似のそれを超えてしまえばこの話の埒外ではあるのだが。
そう言った裏付けがあって、痴話喧嘩のような会話はよく耳にする。
先のフィーナの嫉妬も、授業中に約束した校内探索の約束があるにもかかわらず、アンネと外へ行くことを伝え損ねたことによる可愛らしい食い違いだ。
「クリームパンはクラウスさんの敵ですねっ」
大抵の場合は妖精との約束や欲求を満たせばこのように解決してしまうので大事にはならない。何より幸せそうな笑顔を見られるのだから悪いことばかりでもないはずだ。
肩上で先ほど購買で買ったクリームパンを食むフィーナに優しく微笑んで。
「それじゃあ校内探索やっちゃおうか」
「ふぁいっ」
行儀がいいのか悪いのか分からない相棒と共に見慣れた校舎を別の視点から見て回り始めた。
どこから回ろうかと校内の地図を頭の中に広げる。
この学院の構造は単純明快だ。北に特別棟。中庭を挟んで南に通常教室棟。それから南校舎の更に南に校庭、最南端に武道場や多目的会館などがある。
通常教室棟の構造は五階建てに屋上つき、内装は下から順に階級の高い生徒が一層ずつ占めている。ここブランデンブルク王国では唯一の国立校だけあって志願者や受け入れ人数も相当なもので、全校生徒は千名越え。上の階級にいくほど人数が少なくなるとはいえ単純計算で一つの階級に二百人の生徒が犇いている。その生徒たちが通常座学の授業を受けるのが南棟だ。
北の特別棟には主に実技授業をする際の多種多様な教室が存在し、そちらの棟に職員課や生徒会室などがある。例外的に購買は生徒がよく利用するので南棟だ。
昨日の案内では北棟の大まかな部分を見て回った。となると今日は南棟とその先の多目的会館の方だろうか。
「と言っても昨日みたいに沢山の教室が並んでるようなところはないんだけどね」
「さ、流石にこれ以上細かく分かれた教室の名前を覚えるのは遠慮したいです……」
一体どこへ収まったのか。自分の半分ほどの大きさのクリームパンを食べ終えたフィーナはクラウスの上半身を肩から頭へ移動しながら辟易した様子で答える。
「はははっ。今日はそんなことはないから安心していいよ。とりあえず今居るここが普通に授業を受ける南棟だね。下の階から順にフォルト、ハーフェン、トーア……」
「あのっ、その名前って何なんでしょうか? 少し前に見た生徒会長さんの紙にはどるふって書いてありましたけど」
「あぁ、そこは共有されないのか」
フィーナの質問に思考を切り替えて返す。
「この学院の生徒には全部で五つの階級が振られてるんだ。それがさっき途中まで言ったやつだね」
そう切り出せばフィーナは興味を持って頷き返す。
「一番下の階級はハウズ級。これは僕たちの言葉で家のことだね。次がドルフ級、村」
順に語ってそれぞれの意味を付け加えていく。
トーア級、門。ハーフェン級、港。フォルト級、砦。
これらは全てその妖精憑きや妖精従きが最大限妖精力を行使した際、どの程度の災厄を齎すかという能力の大きさに基づいており、同時にその人物に科せられた戒めである。
妖精や妖精従きはこの世に蔓延っているが故にその影響力は大きく、権利を振りかざすことが出来るというわけだ。
「僕はトーア級だから一応町とかの門を一つ壊滅させる程度には力を認められているけど、今では専らお偉い方の選定指標でしかないかな」
けれどそれも少し前までのこと。今では名前程度にしか認知されはしないし言葉通りの力を持つ妖精従きも少ない。飾り物である場合が多数だ。
「……クラウスさんてすごい人だったんですね」
「上には上がまだまだ沢山居るよ」
フィーナの賛辞に慢心せず重く心に受け止める。名前だけとはいえその重みや周囲への影響は少なくないのだから。
「で、その五つの階級を位の低い人たちが苦労し励むように上の階から並べたのがこの棟だよ」
「……横並びには出来なかったんですか?」
「土地が足りなくなっちゃうよ」
下の階級の者が苦労を背負うという人間の風習に妖精である彼女は異議を申し立てる。
妖精の社会は殆どが横並びだ。一定以上の妖精術が扱えれば、そして妖精憑きと契約を行えば一人前として認められそれ以上の上下関係はない。
……そんな風に自由だから自分は過去に妖精へと憧れを抱いたのだろうか。
脳裏を掠めた妖精の姿に頭を振って目の前の景色に焦点を結ぶ。いつの間にか足は昇降口へと辿り着き、足元には外履き用の靴が準備してあった。
「……人間のそういうところ、わたしはよく分かりません」
全く持ってその通りだ、苦笑しか返せない。
「でも人間は数が多いからね。統治機構がないと煩雑になっちゃうから仕方ないんだよ」
「………………」
諦めた様に呟くと、フィーナは唇を尖らせて頭の上で唸っていた。
校舎の外に出て、先ほど説明した校舎の外観を簡単に眺めてから二人は次の目的地へと向かう。校庭を超えて辿りついたのは多目的会館だ。あまり使われることはない建物だが、大きな行事などを行う際の開閉会式の場になったり、就学の儀を執り行う際に使用したりする。
それから武道場等部活動を行ったりする運動施設が幾つか。こちらは特に説明することはないため、前を通って簡単に紹介だけをしておく。
「……と。とりあえず目新しいものはそれくらいかな。あとは敷地の外れに廃校舎があるけど、いく?」
「廃校舎……って何か出たりするんですか?」
「雰囲気はそこそこだね。耳にした話だとバンシーの声を聞いたって人も居るみたいだけど」
有名な脅し文句を口にするとフィーナは無意識にかクラウスの髪の毛を強く掴む。小さく笑って「そういう話があるだけ」と付け加えると目に見えて緊張を弛緩させる姿が可愛らしかった。
バンシーとは家人の死を予告する女の妖精だ。声を聞いた者の家では死者が出るといわれているが、そもそもこの妖精は家に出るものであって人も住んでいない廃屋に出るという話が笑いどころなのだが、彼女はまじめに考えてしまったらしい。
「今では廃校舎はそういう場所を想定した実技授業の教材扱いだよ」
「そ、そうだったんですか……」
彼女の恐怖心を正しい知識で上書きして歩を進める。とりあえずこれにて敷地内の探索は終了だ。この後の予定もないので寮に帰って自主勉強に勤しむなど学生の本分を全うすればいい。
「他に何か聞きたいことはある? 時間あるから大体のことには答えられるけど」
「……あの、生徒会の、校内の…………」
「あぁ、校内保安の?」
「はい。あの集まりとかってないんですか?」
向けた疑問に相方は首を傾げて尋ねる。頭の中の情報から回答に当たるところを抜き出して言葉に。
「……明日の放課後だったかな。生徒会室に集合ってあったはずだけど」
「そうですか……。あ、明日って言うと昨日クラウスさんの言ってたわたしたちの書類も提出しないといけないですよね?」
「そう言えばそれもあったね。それじゃあ今日はそれを仕上げちゃおうか」
「はいっ」
フィーナの疑問に提案を返すと彼女は頷いて先導するように前を飛び始める。羽ばたくたびに翅から舞い落ちる七色の鱗粉が太陽の光を反射して輝いていた。
翌日の授業は野外での戦闘実技だった。この戦闘実技という授業は月に一度トーア級以上の階級の生徒が参加して行われ、武力での戦闘を想定し教員の作り出した結界内という土地勘の働かない閉鎖空間で行われる集団戦の戦闘訓練だ。
話は簡単で三人から五人で班を組み、一つの結界内には二つの班が入り、どちらかの大将か、大将以外の相手を全員を戦闘行動不能状態にするまで戦闘を続行する。大将は結界内に入った瞬間双方の組の内一人が無作為に選び出される。
攻撃方法は妖精力や妖精術を使い、それ以外の要因に因る傷害行為の禁止となっている。
また結界内では実際の武力戦闘を想定しているため、体に起こる衝撃や異常は仲間の治癒術を除いて肩代わりや治療の一切は行われない。もちろん使用できる妖精術の規模に限度が設けられていたり、結界を出れば負った傷は快癒するため大事に至ることはないが、不注意で捻挫などをすればその弊害は戦闘中個人に留まらず仲間にも及ぶ。
自由で安穏な校風であるフィーレスト学院には似つかない……けれど自由の意味を今一度確認させられる戦の宴だ。
一緒に参加する戦友はその授業の都度気の合う仲間とで集まって即席の班を作る。友達の少ない人物にとっては少しばかり気の引ける授業だったりする。
クラウスはといえば、彼の体に流れる血の事もありあまり多くの学友を有しては居ない。その為想像に易い通り仲間決めが始まって既に十分も経とうとしてはいるが、彼の周りには彼を慕う相棒のフィーナ以外に人影も、ましてや妖精の姿も見当たらない。
「……まぁ分かりきってたことだけどね」
何処か達観したような溜息と共に眼鏡の位置を直して面倒くさそうに視界を回す。いくら野外実技とはいえ一度も参加しないのでは流石に教師の目に留まる。何処か人のよさそうなところでも見つけて飛び込まなければ。
脳裏でそんな事を考えながら品定めをするように人垣の間を渡り歩いていると唐突に背後から声が掛けられた。
「あ、あのっ」
勧誘であるならば是非もない。声に振り返りそこに立っていた人物に目をとめる。
どこか間延びした声音。たれ目がちの双眸の奥には水色の瞳。ゆるく波打った柔らかそうなライトブラウンの頭髪は、彼女の纏う雰囲気に素朴さと暖かさを包み込んで目の前の人物らしい物腰を感じさせた。
「おはよう、ルキダさん」
「は、はい。おはようございます、アルフィルク君」
こちらを見上げるアンネに挨拶を落とすと彼女は何処か慌てたような口調で丁寧に返事をよこした。
「ルキダさんはチームメイト探し?」
「はい。その、それで、よかったらアルフィルク君も……」
「僕でよかったら仲間に入れてもらえるかな?」
「はいっ」
アンネの言葉に笑顔を浮かべてこちらから提案をすると、彼女は花咲く優しい笑みで頷いて肯定を向けてくれる。
なんて言うか、昨日も思ったけど太陽みたいないい子だよなぁ。こんな自分にも声を掛けてくれるし。優しい雰囲気ってそれだけで一つの大きな武器な気がする。
と、一人感慨に打たれる片隅で冷徹な思考の一部が現状を俯瞰して落としどころを見つけ出す。
きっと彼女も自分と同じ性格の人なのだろう。これは今に限ったことではあるのだが、現在彼女に特定の妖精は居ない。それでも強制参加であるこの授業からは逃げられないし、妖精が居ないからといって妖精術が行使できないわけではない。その幅や練度が少しばかり低下するだけ。
妖精の居ない彼女、そして視界を上げれば嫌でも目に付く他人の契約妖精。あの屋上でクラウスが感じたように、アンネと自分は何処か似ていると錯覚し共感する。そういう背景が生み出す心細さと共振が求めた先がクラウスだった。話はきっとそんなところ。
まるで盤面を凄然と見下ろす第三者のように現状に理由をつける。これはクラウスが培ってきたこの十六年間で身につけた一つの処世術。周りに厭われ嫌疑され続けてきたクラウスが現実へ下した一つの裁定。最小限の信用と最大限の被害妄想。
信用しないわけではない。信用していないだけ。
その線引きを、今の彼女にだけは少しだけゆるくする。
「他に共犯者は?」
「悪いことは駄目ですよ? 私、悪いことする人って嫌いです」
「冗談だよ」
あの屋上で交わした会話と同じ声音でそう言ってのけると、彼女は小さく笑みを零した。
「それで、他の仲間は?」
「……一応ユーリが居ますけど」
「クー・シーさんね。今どこに居るかな?」
「私、呼んできますっ」
話題を繋ぐとアンネは軽快な足を鳴らして人ごみの中へと消えていく。
あの優等生さんと同じ班か。ちょっと気を引き締めないと。
そんなことを考えながら、先ほどから髪の毛を小さく引っ張っていた相方のほうへ首を向ける。
「……さっきの、ルキダ、さん。お連れの方が見えませんでしたけど……」
「彼女は『妖契の儀』のときは体調不良で休んでたからね。妖精との契約をしていないんだ」
「そうだったんですか」
疑問に答えると納得の声と共に彼女は少し強くクラウスの髪の毛を掴んだ。それとほぼ同時、先ほど人の波へと体を滑り込ませていったアンネが彼女の友を引き連れて戻ってきた。
「………………」
こちらを見つけるや否や眉間に皺を寄せるユーリア。一瞬にして凍てついた空気にアンネが慌てて仲裁に入る。
「あのねっ、顔を知ってるほうがいいかなと思────」
「別に……足をひっぱらなければ、いいけど」
むっすりとした表情で一睨み利かせて。アンネの言葉を遮って一線を引いた彼女はクラウスから視線を外す。
「よろしくね」
「アンネ、他の仲間は?」
「えっと、その……まだ…………」
どうやらその耳にこちらの声は届きにくい仕様らしい。行き場を失った喉もとの言葉をどうにか飲み込んで小さく息を吐く。
「ではこれより実技訓練を始めるっ! 班を作った生徒は各々で近くの教員のもとへ向かい、結界に入って戦闘訓練に励むべし!」
辺りに響き渡った厳令に一つ息を整えて歩を進めるユーリア。彼女の後にクラウスも着いて行く。
しばらくして教員の姿を見つけると、その近くにはすでにもう一つの組が戦闘の開始を待っていた。
彼らが今回の相手か。目を向けて予め戦力を把握しておく。
人数は四人。見知った顔はなし。ある程度前から仲間内で決めていた人数構成なのか、随分と落ち着いている様子だ。
そんな相手側の内の一人がこちらにユーリアの顔を見つけて眉根を寄せる。どうやら彼女の名前は意外と広くまで浸透済みらしい。これは一波乱起こせそうだ。
脳裏に過ぎった感慨に少しだけ心を躍らせながら件の少女を横目に見る。
「対戦相手が揃ったので戦闘を開始する。双方準備はよろしいか?」
「はい」
「えぇ」
恐らく相手の長格である男子生徒が、こちらからはユーリアが答えて直後、視界が明滅して感覚が別次元へと置換されていった。
眩しさに目を閉じて、次に開けた視界は鬱蒼と茂る森の中だった。今回の戦闘地形は森林地帯らしい。
とりあえず辺りに敵の気配は無し。思考を戦闘用のそれへと移行しながら何気なしに確認した左手の甲に旗を模した刻印が浮かんでいることに気がつく。どうやら今回の戦闘ではクラウスが大将らしい。
肩上の相方に様子を伺いつつその印を仲間へと見せる。
「大丈夫?」
「はい、問題ありません」
「大将は僕みたい。クー・シーさん、僕たちの隊列は?」
「アンネ、前を頼める?」
「うん、任せて」
こちらからの問いかけに徹底して反応を見せないユーリア。その清々しさと鮮烈さに感嘆さえ滲ませる中で冷静に思考を重ねる。
アンネが前、ユーリアが後ろ。ユーリアの得意分野は風系統の妖精術。校内保安委員会の書類による前情報ではその中でも狙撃型に重点を置いていたはずだ。
アンネが前ということは壁役に適した属性……恐らくは地系統。
前に壁、後ろに狙撃手。どうやら戦力外通告を渡されたクラウスは両手に花で庇護されていろということらしい。涙が出るね。
「リーザ」
「はいはーい。遠見の術をかけるわね?」
ユーリアが彼女の相棒へと声を掛ける。リーザと呼ばれた妖精は亜麻色の片結びを揺らして異能を発露させると仲間全員に妖精術を行使する。
彼女は確か前に教室でユーリアに会った時にいた妖精だ。どうやらユーリアの契約相手だったらしい。
そんな事を確認していると突然視認距離が遠方まで伸び、木々の合間を縫って遠くまでを視界が捉える。これは遠見の妖精術。遠くを視認できるようになる代わりに、近距離の状況把握が難しくなる術だ。
「近くはわたしが索敵してるから皆は遠くをお願いね」
陽気にそう言ってのけたリーザは空へと向けて舞い上がり、辺りに空気の層を作り出す。ユーリアの得意系統が風なら、その随伴者たる彼女もまた風の使い手だ。どうやら辺りの風を感じ取って近場の障害物等を空間的に認識しているらしい。頼れる空間把握能力だ。
さらに言えばユーリアもまた仲間のことを考えてくれたらしい。目の前に広がる道は障害物の少ない道で、全員が視界を共有できるように全員に遠見の術をかけてくれたのだ。
「君がクラウス君だね? わたしはリーザ。よろしくね」
「クラウス・アルフィルク。よろしくリーザさん」
「敬称はいらないよ。そっちの妖精さんもよろしくね」
「フィーナです」
そうして優しさなのか事務的なものなのか分からない気遣いに思考を裂いている横から、小さな体躯が飛来して耳元で囁くように告げる。近くが見えないのを分かっていてしているのだから小さな悪戯なのだろう。
簡単に挨拶をして言葉を交わすとフィーナの背中を小突いて促す。意図に気付いたのか、彼女は翅を羽ばたかせてユーリアとアンネの近くによると及び腰がちに挨拶をする。
耳で捕らえた返答は一方はそっけないもの、もう一つは柔らかい笑みに彩られた言葉だった。
これで少しでも彼女の中の人間に対する躊躇いなどが和らげばそれに越したことは無いのだが、それは追々橋渡しをして行こう。
「…………止まって」
「────せいっ」
フィーナの今後について考えていると前から切り詰めたアンネの声が響く。足を止めて息を潜めるのと同時、それまで優雅に空を漂っていたリーザが方陣を出現させた。
直後、背後で何やら大きな物音。気付いて、振り向くより先に低く尖った声がクラウスの背中に突きつけられた。
「肩貸して、耳閉じてなさい。鼓膜破れるわよ」
突如いつもはフィーナが陣取る肩の上に重く長細い金属の塊が乗っけられ、その重さに思わず膝を折りそうになる。言葉を返す間を惜しんで彼女の言うとおり防音の妖精術を耳に掛けると、刹那に空気を裂いて震撼させる轟砲の音が森の中に響き渡った。
どこか遠くの出来事のように残響する破裂音、そして辺りに充満する弾けた妖精力。
それは時間にしてみれば一瞬のことで、気付けば辺りの景色は先ほど後にしたはずのフィーレスト学院の校庭に。クラウスの肩の上からは列車砲のように突き出た長い鉄心……彼女を象徴するような鈍色の銃身が降り注ぐ陽光を反射して顕在していた。
あまりの出来事に言葉をなくしたクラウスは後ろに振り返りそして目にする。
無骨な金属製の銃身。彼女の背を大きく超えた長い全長。
「防音術は間に合った?」
「………………あ、あぁ、うん……」
未だどこか浮世離れして響くユーリアの言葉に上の空で返しつつ彼女の持つ大きな銃へと視線を縫いとめられる。それに気付いたのか、彼女は嘆息して肩を揺らし静かに紡ぎだした。
「全長2メント2セミル、重量15キロン750グリム。ボルトアクション式一発装填、有効射程400メントの対装甲狙撃銃……デグチャレフPTRDよ。尤も弾は妖精銃弾だけど」
冴え冴えと輝く火薬兵器の圧倒的な存在感に呼吸さえ奪われる。しかし頭は至って冷静で彼女の口から零れた言葉を耳が捉えその意味を咀嚼する。
まず単位。メント、グリムなどの数字の後につく言葉は全て物の長さや重さを表す単位だ。
長さは1メントを基準に百分の一が1セミル、その十分の一が1ミリル。1メントの千倍が1キレント。
重さは1キロンを基準に千分の一が1グリム、更に千分の一が1ミルム。1キロンの千倍が1タラーだ。
人間の身長は大体150セミルから180セミルの間が一般的だ。ニーナ生徒会長の齎した校内保安部隊の部員情報に書かれていたことが正しいならユーリアの身長は確か161セミル。その横に聳え立つ狙撃銃は彼女よりも40セミルも大きいことになる。
重量も約16キロン。人間の体重は人にも寄るがクラウスほどの年齢だと平均値は男が約60キロン、女性が約50キロンほどだろうか。
クラウスの肩とユーリアの腕。先ほどの射撃の際、単純にその二つで均等に全重量を担ったとするならクラウスの肩には約8キロンもの鉄の塊が乗っていたことになる。
更に彼女の最後に語った言葉。妖精銃弾とは、目の前のユーリアが持つような質量兵器から射出される弾丸を、過去の歴史に散見できる銃弾から妖精型空薬莢へと置換し、その中に妖精力を込めた妖精憑きや妖精従きが非殺傷目的で扱う特殊銃弾のことだ。
妖精銃弾は銃弾同様銃から発射し、着弾の衝撃と同時に妖精力で作られた外殻が破裂、中に込められた妖精力の質量に応じた威力衝撃を志向性を持って対称に齎す。また派生の特殊弾薬として中に込めるものを変えることで閃光弾や徹甲弾など特異的な効果を発揮する銃弾を作り出すことが出来る。
その特殊銃弾を400メント先まで撃ち届けることが出来るのが彼女の傍らに鎮座するデグチャレフPTRDという名の狙撃銃だ。
「私の愛銃の一つよ。一時とは言え仲間なんだからこれくらい覚えておいて」
ユーリアの言葉に頷いてどうにか思考を繋げにかかる。先ほど結界内で起きた出来事。あれはきっと前を歩くアンネが敵影を見つけ、発した言葉にユーリアがクラウスの肩を借りて銃を構え、狙いを定めて敵の大将を見事一発で仕留めた。そうして片方の大将が戦闘行動不能状態に陥ったために戦闘が終了して、校庭へと帰還したのだ。
敵の大将もわからず、銃声でこちらの場所も割れる。先制攻撃が出来るとはいえ状況の主導権はこちらにあったのだからもう少し様子を見てから落ち着いて発砲すればいいものを……。もし狙撃相手が大将で無かった場合はどうするつもりだったのだろうか。
終わったことを後悔しても仕方がないとはいえ、頭の中で色々と考えてしまうクラウスの性格上幾多もの不安要素と反省点が浮かび上がる。
頭を抱えたくなって、けれどそんな仕草を見せれば戦闘で尖った神経を逆撫でしかねない。頭に持っていきかけた右手で先ほどの発砲の衝撃に少しずれただけで済んだ眼鏡を直して口を開く。
「……とりあえず銃をしまおう? そんなご大層なものを衆目に晒してると周りから奇異の視線で見られるよ?」
「誰のためだと思って…………!」
「まぁまぁっ」
ともすれば喧嘩にすら発展しかねない剣幕で詰め寄ったユーリア。その数瞬前に、クラウスとの間に入り込んだアンネが優しく仲裁を掛ける。友の笑顔を曇らせたくなかったのか、ユーリアは上げた手を下して一つ溜息を吐いた。
「両班は少しの休憩時間を取って再び戦闘訓練へ参加をしなさい。次の訓練開始時には勝敗申告を忘れないこと」
様子を伺っていた教員も荒事にならなかったことに小さく頷いて戦闘訓練の終了を口にする。
教員を挟んで互いに整列をし、対戦相手に挨拶をするとそれぞれに歩き出す。クラウスは先を歩くユーリアの背中に向けて声を掛けた。
「……クー・シーさんの特技は分かったよ。けどこれは集団戦だ。今みたいに仲間の手の内も分からないんじゃ、この先他の班と当たってもいい戦果は期待できないと思うよ。……だからこの休憩時間を使って一度それぞれについてよく知るべきだと思うんだけど、どうかな?」
クラウスの言葉に足を止めたユーリアは、クラウスが言い終わるのと同時振り返って鋭い眼光で睨むように見つめる。その目から視線を外さずに見つめ返すと、彼女は小さくそっぽを向いて歯切れ悪く呟いた。
「わかった。……けど! 一度言って覚えないようならもう二度と言わないから」
早足に歩を進めるユーリアに着いていつぞやに数度お世話になった校庭外れの陰に辿りつくと、足と止めた彼女がこちらを振り返った。
「時間を無駄にするのは嫌なの。さっさと始めるわよ」
変わらぬ突っ慳貪な物言いに早くもなれてきた自分が居ることに気がつきながら彼女の言葉に頷く。
こちらの返答は端から彼女の脳内には準備されていなかったのか、答えを聞く前に食い気味で話し始める。
「一応自己紹介から。私はユーリア・クー・シー、16歳。見ての通り人間よ。得意な属性は風、特技は風の集束。相棒はリーザよ」
「はぁい、ユーリアの右腕リーザよ。得意分野はユーリアと同じ、風。ユーリアとの契約で授かった技能は契約召喚。これはさっき使った銃みたいな持ち運びに苦労するものを遠隔で呼び出す技よ。条件は呼び出す対象に刻印を施しておくこと」
事務的に淡々と告げるユーリアと対照的に可愛らしく片目を閉じて明々に自己紹介をするリーザ。この二人の組み合わせは見敵必殺の協力技が単純で、しかしそれが型に嵌るのだろう。
「さっきも見せたけど主な攻撃方法は狙撃銃を使った知覚外の攻撃。今使えるのは紹介したデグチャレフPTRDだけよ」
「あと中・近接用の自動拳銃が一つ。……はいこれ」
次々と追加されていく情報を頭の中で整理しながらまとめていく。ユーリアはどちらかといえば後衛向き。更に言えば援護があったほうが実力を発揮できるのだろう。
「コルト・ガバメント。装弾数7+1発の妖精銃弾換装。私の信頼する銃の一つね」
「一応他にもあるけどそっちは今使えないの」
「使えない……? ってどういうことですか?」
横から向けられたフィーナの疑問にユーリアは少し顔を曇らせる。クラウスは彼女の心情を探りつつ表面上の理由だけを読み取ろうとする。
「…………私は、軍属だから。もう二つある銃はどっちも国から下賜されたものってだけ」
視線を逸らして答えるユーリアが気にはなる。けれど今は彼女の個人的な内情を探るのが目的ではない。必要であれば今後聞けばいい。
「……つまり、軍属の銃だから軍の仕事でしか使えないってことだね?」
苦々しい顔で頷くのは何に対しての感情だろうか。脳裏を過ぎった逡巡に首を振って好奇心を押し殺すと視線をアンネのほうへと向ける。
彼女は視線の意味に気付いてか、優しく解きほぐすように自分の紹介を始めた。
「えっと、アンネ・ルキダです。ユーリア……ユーリとは昔からの付き合いで、私はユーリと違って沢山喋るのはちょっと苦手だけど、えっと、それで……」
「そんな個人情報はいいのよ。属性とか特技とか妖精とか、もっと言うことが他にあるでしょう?」
自分の言葉にすら泥沼に嵌っていくアンネにユーリアが呆れたように助け舟を出す。彼女たちの関係はクラウスと彼の幼馴染のようであると既視感を抱きつつ先を促す。
「得意な属性は地で特技は土の遠隔爆発。土に触れたら発動できて大体半径10メントくらいのなかで爆発を起こせるよ。妖精は、まだいないけど……」
最後に契約妖精について付け加えたあたりで、アンネは自分の胸元を小さく掴んだ。その際にちらりとクラウスへ向けた視線には小さく不安の炎が揺らめいていた。
流石に逸る気持ちは拭っても拭いきれないのだろう。けれど彼女のことだ、きっといい相方に巡り合える事だろう。
「最後は僕かな。僕はクラウス・アルフィルク。人間と妖精のクォーターで、その所為か得意な属性は無し。特技は妖精力の波長に干渉する調波。これは術に干渉することで効果を安定や肥大化させたり、術を不安定にしたり出来るんだ。相棒はこの子、フィーナだね」
「フィーナです。クラウスさんとは逆の比率のクォーターで、同じく得意な属性は無し。特技はそこら辺にある妖精力を引っ張って使うこと、かな?」
クラウスの身の上を少しでも知っている二人は殆ど驚かない。その事実に少しだけ胸の内で感慨に打ち震えながら、クラウスの後に身の上を述べたフィーナの説明にアンネが首を傾げ、それにくすりと笑う。流石に分かり辛いか。クラウスも最初に寮で聞かされた時は少し頭を捻ったのだから仕方ない。あの時は今以上に説明べただった。
「フィーナの特技は空気中にある妖精力を自分のもののように使うことなんだ。余剰した妖精力の再利用や自分が内包する妖精力を殆ど使わなくても妖精術を発動できたりするんだよ」
何処か規格外染みたフィーナの潜在能力にアンネは息を飲み込み、ユーリアは眉根を寄せた。確かに聞いただけではその使い勝手の良さと力の巨大さに畏怖さえするだろう。
「けどフィーナ自体は人間と妖精のクォーターだし、属性もうまく扱えないから巨大な妖精術を使うことは出来ないんだよね。少し持久戦に強くなるくらいでさ」
「私へっぽこですから……」
照れる様に頬を染めるフィーナは恥ずかしそうにクラウスの髪へと顔を埋める。そんな彼女の背中をクラウスは指で軽く突くと視線を二人に戻して口を開く。
「……こんな感じだけど、さっきよりは互いのことをよく分かって班っぽくはなったんじゃないかな?」
「…………まぁ、悪くは無い、かもね」
向けた笑顔に視線を逸らしたユーリアだったが、少しの間を空けて小さくそう呟く。そんな様子をユーリア以外の全員で笑うと彼女は右手にずっと握っていたコルト・ガバメントを地面に向けて発砲したのだった。
それから特にクラウスに向けて険のある視線を向けていたユーリアをアンネが宥めたり、各々が他人の能力を理解する間を挟んで。三人は第二戦目の参加に向けて校庭へと戻る。
その道すがら前を歩くユーリアが辺りの喧騒にかき消されないように少し大きめの声で問いかけた。
「……それで、聞いて何しようってわけっ?」
「うん、今のでそれぞれのことがよく分かったからね。仲間っぽく全員が全力で戦える戦略や戦術を組めるんじゃないかなと思って」
燻っていた思い付きを言葉にすると、ユーリアは足を止めて振り返る。
「こんな即席の編成で連携をとろうっての?」
「そういうことになるかな」
勤めて柔らかい口調でそう告げる。睨み合う様に対峙する二人を横から落ち着きの無いアンネがいつ仲裁に入ろうかと気を伺う。
ユーリアはそんな友を一瞥して、それから大きく息を吐き出すと冷静な紫色の瞳でクラウスを射抜く。
「……別にできないとは思わないけど、それってつまり班の中で上下関係を決めようって事よね?」
「…………そう受け取ってもらってもいいと思うよ」
クラウスの返答に糾弾のような視線を向けるユーリア。流石に軍属というだけあってその威光は生半可なものではない。
それでも引けないのは、クラウスがユーリアに歩み寄りたいと思ってしまうからだろうか。
「僕は戦ごとに関しては素人だから、クー・シーさんからしてみれば馬鹿なことを言ってるみたいに聞こえるかもしれないけど。これは戦いだから。戦うなら勝ちたい。仲間も一緒に勝たせてあげたい。そう思うからやれるべきことはやるのがいいと思うんだ」
「………………………………」
沈黙の時間はどれほどあっただろうか。値踏みするような視線に晒され続けたのが刹那にも永久にも感じられる時間を空けて、ゆっくりと試すように彼女が口を開いた。
「……なら次の試合、アンタが指揮をとってみなさいよ」
ともすればそれは信頼のように。
答えを返すより先に目を逸らしたユーリアは背中を向けて次ぐ。
「あと家名で呼ばれるの、私は嫌なの」
「わかった。じゃあ、えっと……ユーリア、さん」
「……ふんっ」
足を出すユーリアに着いてクラウスも歩き出す。
彼女の横に駆け寄って並んだアンネの顔は、前を見据える親友の表情を見てか優しく微笑んでいた。
第二戦目の相手は上級生であるハーフェン級の生徒五人組だ。舞台は廃屋。試合開始前に挨拶をした時に得た情報から恐らく前衛二人、後衛二人。残りの一人は回復役か司令塔だろうと推測を重ねる。
脳裏を巡るのは人数的な不利問題とそこを生かした策謀。
廃屋の階下にチームで固まって身を潜めたクラウスたちは辺りを警戒しながら行動予定を練っていく。
「フィーナは人化。前衛はユーリアさんがお願い。僕とフィーナとユーリアさんは三人組で行動する」
「私が壁役ってこと? それにアンネを一人にするの?」
「壁じゃないし、見捨てたりもしないよ。一番最初に接敵するのがユーリアさんってだけ。今回の攻撃の要はルキダさんで行く」
「え、私……?」
「その為にルキダさんを守り抜く」
今回のこちら側の大将はアンネだ。一つ前の戦闘と同じように前にアンネを置けば注意を引く役割のアンネが真っ先に狙われる。
それにユーリアの狙撃。これは距離を取らないとその真価を発揮は出来ないし、狙撃手が一人になるのは相手に同様の役割があった場合致命的だ。
そう言った推測から前後の配置を逆転させ、尚且つ一点集中の火力の元に一撃で勝利を収める。
こうして勝利に至るまでの道のりを思い描くのは簡単だ。けれどそれを実行するに足る仲間の存在と緻密と偶然の上に成り立つ空想論を現実にする力こそがきっと戦いの終わりを齎す。
味方にすべきものはいつも足りない。きっとそんな光景がユーリアの戦ってきた戦場なのだろう。
だからこそ、信じられる成功だけを胸に灯す。
「──拙い説明でごめん。けどこういう敵の想定を崩す戦い方もありなんじゃないかなと思って」
「…………なんだか、卑怯ね。この作戦」
「けどそれしかないんだったらするべきだと私は思うなっ」
アンネの賛同はクラウスの原動力となり、口から言葉を迸らせる。
「それだけってわけではないけど、正攻法ばかりが正解じゃないよ。今回は偶然に任せるだから」
「……あんた、詐欺師にでもなったら?」
半眼で呻くユーリアの言葉に笑みを浮かべながら眼鏡の位置を直す。そうこうしているとフィーナの人化の妖精術が完了し、白銀の衣を頭頂より着流した少女が現れる。相変わらず背中には四枚の翅が廃屋の外から差し込む光を受けて七色に煌いていた。
クラウスは手を差し出して彼女の妖精力の波長を自分のものへと同調させる。
「……さて、何か反対意見はある?」
「……別に」
「が、がんばりますっ」
それぞれの性格を現したような返答に頷いて立ち上がると、歩きなれない様子の人型フィーナの手を引いてやりながら一人残るアンネに声を掛ける。
「それじゃあ予定通りに。何かあった時は僕の名前を呼んで」
「はい!」
可憐な笑顔で頷くアンネと分かれると、クラウスはユーリア、フィーナと共に階段を上って索敵に出た。
「……さっきも言ったけど今回の作戦は偶然に助けられる部分が多いと思うんだ」
「その偶然を故意に起こそうとしてるアンタが言うんじゃないわよ」
「わっととっ!」
敵を探し始めて数分。確認のために話題を振ると訝しげな表情で吐き捨てたのはユーリア。苦笑いを返すと同時、フィーナが瓦礫に躓いてこけそうになる。なんと緊張感の無い。
索敵は怠らず。けれど空気は戦場とは何処かかけ離れた雰囲気を纏って行軍していく。
「運も実力のうち、だよ。……さて、そろそろ接──」
「伏せてっ!」
変わらず緊張感の欠けた会話を続けようとクラウスが口をつく。その刹那、前を歩いていたユーリアが叫んだ。
咄嗟に地に伏せ、そのまま横に転がって柱を盾に身を隠す。
「……敵の数は?」
「確認するから待って」
耳に木霊する壁の破砕音。初めての戦場に身を投じるフィーナはその一瞬にして張り詰めた戦意に満ちた空気に顔を強張らせる。
「撃つわよ?」
「少し待って……」
いつの間にかクラウスの通路向こう側に陣取ったユーリアがその手にコルト・ガバメントを握って、先ほど妖精弾が飛んできた暗闇の奥を柱越しにじっと見つめていた。
ユーリアの確認する声に静止をかけて相棒の肩を優しく叩く。
「……大丈夫。フィーナはただ二つ事を起こすだけでいい。その二つはフィーナだからこそ出来るんだ」
笑顔で告げて彼女の意思を奮い立たせる。妖精とはいえ異性を矢面に立たせるのは気が引けるが、それでも一番安全な役割なのは確かなのだ。
「出来るよ、なんたってフィーナは僕の自慢の妖精だからね」
感涙に震えるように、彼女の華奢な肩から伝わってきた覚悟をまっすぐに受け止めて。
「はいっ」
勇敢たる相棒を暗闇の中へと送り出す。
「……ごめん、お待たせ。お願い」
「──っ!」
頷く間を惜しんで進路上に身を躍らせたユーリアは大理石の彫像のような惚れるほどの流麗な動作でガバメントを構える。
照準器を覗き込む数瞬の後、トリガーを引かれ銃の内部で推進力を得た妖精銃弾が発火炎を置き去りに漆黒の闇間に吸い込まれていった。
直後、右目を閉じたまま妖精銃弾の飛んでいった方へ顔を向けると視界の先で光源が発生し、その周囲を照らし出していた。
「敵影……三つ」
妖精銃弾の特殊弾、照明弾。発射後一定距離を開けて被殻が弾け、辺りを少しの間光で塗り潰す特異弾だ。大抵の場合は暗闇での敵影視認に使うが今回はそれだけに留まらない。
「手筈通りに……っ!」
言葉を残して発光の残滓が残る敵の渦中に向かって疾駆する。
右手に妖精弾を顕現させそれを目に付いた前方の人物へ嗾ける。空を切って飛来した妖精弾は狙った人物の胸許で弾けて一時的な昏倒現象を引き起こす。妖精弾、その中で昏倒効果を有した変異弾。クラウスの得意とする技の一つだ。
既に光落ちた暗闇の中、宵闇を見通すクラウスの右目が犬の嗅覚のように的確に敵の位置へと足を運ばせる。
左目はまだ闇に慣れていない。平衡感覚を掻いた片目での戦闘行動だが、敵のように両目を潰されるよりはまだましだ。
しかし敵も戦闘経験を積んだ上級生達。光を欲して撃ち放った火炎の一撃が辺りを紅蓮の戦場へと飾り立てる。
けれどもそこにクラウスの姿は無い。直ぐに辺りを警戒して背中合わせに陣形を組む判断力の良さは敵ながら天晴れだ。逆に彼らのように手練だからこそ手の内が読みやすくて助かるんだけども……。
クラウスが身を隠した鉄筋の柱。今度はその反対側から足音が響く。逡巡も挟まないまま先ほどと同様に炎属性の攻撃技が炸裂する。
視線が引っ張られ、少しでも気を引ければそれで十分。託した役割を遂行してくれた儚い雰囲気を纏う相棒を脳裏に描く。
彼女の役目は簡単に言えば囮と索敵だ。暗闇で音を出しそちらに敵の注意を引き付ける。この場に三人居るという事実を撹乱に用い、アンネの存在を記憶の内より遠ざける。
それが終わった後は、妖精の姿に戻って後ろに控える敵の援護部隊を索敵し、その中に敵の大将がいれば仲間にその位置を知らせること。
隠密行動は小さい体躯の妖精向きだ。その小さな体に宿った大きな勇気に頼らないといけない自分の未熟さを叱咤し、彼女の勇敢な意思に感謝を重ねて、彼女に負けないためにこの作戦の要となる妖精力を発露させる。
心の内に渦巻くのは賞賛と憐憫を綯い交ぜにした感情。
「足元失礼」
呟いて予め階下で準備していた仕掛けを起爆させた。幻崩の術。対称に視界の阻害や認識齟齬を発生させる技。これは例えば、架空の橋を魅せたり、それに足をかけて落下をしても当人には橋を渡っているという幻覚を魅せる技だ。
使いどころは選ぶが、うまく使えばこれ一つで分隊や一個小隊を術中に嵌める事も出来る。
クラウスの異能の発露は接敵以前から彼らに幻の景色を見せ付けることで機能していた。その幻影がクラウスの指示一つで虚像へと摩り替わり、彼らに事実を突きつける。
刹那に、三人で組んでいた陣形が足の裏から瓦解し、彼らは掴むものも無いままに自由落下を始める。彼らにとっては偶然地面が崩落して落下したように思えただろう。けれど目に見えているこの彼らは意識の残滓。幻術の解けた彼らは今頃は既に地表付近に居るころだ。
そう感慨を巡らせた直後、先ほど開いた奈落にも似た縦穴から間欠泉が噴出するように爆煙が立ち昇った。
どうやら下では問題なく計画が実行されたらしい。
視界を埋め尽くさんばかりの噴煙から逃げるようにクラウスは階下へと駆け下りていく。後のことは上の彼女たちの役割だ。そう難しくないし、彼女の腕なら一発足らずで終わるだろう。
信頼を武器に仲間へ戦場を任せ、階下の爪痕を確認しにクラウスは階段を飛ぶように下りていった。
* * *
床を踏みしめる彼の足跡を後ろに聞きながら、ユーリアは一人沈黙を従えて着々と詰めの準備を重ねていく。
手にはデグチャレフPTRD。視界はリーザの掛けた遠見の術で暗闇の奥までを夜目の梟のように鮮明に。辺りに流れる空気さえも味方につけて床に伏せた彼女は合図を待って静寂に身を溶け込ませる。
その傍らで考えるのは先ほどここを離れたクォーターの少年のこと。
彼のことは彼と会うより少し前から知っていた。何が目的か、軍から下された命の中に彼の監視が含まれていたからだ。
その監視対象たる彼とこうして背を預けるようにして戦う不思議。その居心地の悪さに少しばかり嫌悪感を抱きながら、先ほどから胸の奥底で燻る感情を冷静に読み解く。
それは呼吸。息を吐けば吸うように、彼の言葉と声が耳が捉えたその時からどこか安心感と疎外感を燃やし始めていた。
彼の指揮は的確だ。奇術とさえ言っていいほどの謀略を抜きにすれば、ユーリアが今までしてきたどの仕事のどの上官よりも心を許すことが出来るほどに。
けれどこれは彼の思い描き繰る指揮の緻密さに抱いた感情だ。彼自身は監視対象でしかない。しかしそう言った理屈を抜きに、彼の発する何かがユーリアの心の奥を感情的に突き動かす。
彼は、何をその胸の奥に抱えているのだろうか?
彼に関する一番古い記憶。トーア級に進級してから行われた『妖契の儀』。そこで彼が交わした契約。
その出来事を観察していたユーリアが一番最初に感じたのは、永久凍土よりも尚冷たい孤独の感情。
彼の相棒へとなった、かの妖精との出会い。その数少ない偶然を手にした彼が、あの時見据えていた遠く寂しい眼差し。
あの瞳は、一体何を見つめていたのだろうか?
彼に対する心の燻りは彼と自分の間に横たわる疎外感となってユーリアの心を締め付ける。
クラウス・アルフィルク。その名前を呼んでみれば答えは出るだろうか?
過度な接触は控えるように言われているが、現状はどう贔屓目に見てもその過度に抵触する。
このまつりのような戦の宴が終わって級友に戻った時、意識的に距離を置くのは得策ではないだろう。それに校内保安委員会のこともある。だったら────
「……ユーリア?」
「…………何でもないよ」
何処か不安そうな相方の声に、頭を振って静かに答える。
何を馬鹿なことを。私は彼の監視者。それ以上でも以下でもない。
「────っ!!」
視界の先で光明が瞬く。あれは彼の右腕たる妖精の少女が発する信号。
────フィーナが目印を出したらその下に居る敵を撃ち抜いて。その人が敵の大将だ
照らし出された視界の先、切れ長に漂う噴煙の隙間から覗いた人影に合わせた照準に狂いが無いことを確認して、引金を絞る。
間を空けず、長い銃身から勢いよく射出された妖精銃弾がコンマ以下の時間を駆けて目標へと到達し炸裂する。
脳裏に過ぎった顔に溜息をつくと、次に開けた瞼の向こうは見慣れた国立フィーレスト学院の人が犇く校庭だった。