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フェアリー・クインテット  作者: 芝森 蛍
水守人の福音歌(ゴスペル)
27/138

第五章

 特に変わったこともなく時は流れて、試験当日となる。

 朝早くから準備を手伝っていたクラウスは、次々にやって来る生徒たちの数に少し驚いていた。

 夏の実技試験は殆どの生徒が参加しない。そのため多数が観戦へと回るわけだが、向上心のある生徒以外はあまり見に来ないのが常だ。普通に授業と実技をこなしていればハーフェンまでの進級に事欠く事はないからだ。

 しかし今回の実技試験はそれまでとは随分と異なっていた。

 試験に興味のあるハウズはもちろんドルフ、トーア、ハーフェンからも少なくない人数が観戦に訪れ、中にはフォルトに在籍する一流の生徒も見る事ができた。

 これはもしかして誰かが情報を流したのだろうか。特に今回は特例が多い。

 知る人が知れば目を引くヘルフリート、その契約者たるテオが勇み足のようにハーフェンに挑戦する事もその要因の一つだろう。

 顔立ちが整っていて、尚且つフォルト級に届き得る実力のテオの名前は全生徒の知るところだ。そこにヘンリックの忘れ形見ともされるヘルフリートが加われば注目度も増すというもの。……まぁ彼目当ての観戦者はその殆どが女性徒なのだろうが。

 そしてニーナ。彼女は今回ドルフからハーフェンという異例な進級試験を受ける。その背景には前年度末に起きた降級事件が関わっているのだろうが、そこがこの観戦者の多い理由なのだろう。

 良くも悪くも、この結果はニーナの事をより深く知る場になるだろう。きっとどちらに転んでも反発と賛同が起こるはずだ。それはきっと避けられない。

 噂を流したのは恐らく偶然耳にした反発派なのだろう。ニーナの事を見定めるため。けれどそれは真実の証明にもなりえる。

 もし複数の目で以てニーナへの根拠のない反発が湧いたところで、ニーナには傷一つつける事はできない。そういう意味では問題さえ起きなければ理不尽を正すいい材料だ。

 そういった背景から今回の試験は観戦者が多い。まさかここまでになるとは思わなかったため、クラウス達も少しだけ頭を抱えているところだ。

 それでもやるべき事はしっかりとやらないといけない。

 あまりやりたくなたっか方法だが仕方ないか…………。


「おはよう、アンネさん」


 少しだけ持ち場を離れて目当ての人物を探し出す。

 まだ日の昇りきっていない少し肌寒い朝、木陰で佇むアンネを見つけて声を掛ける。


「おはよう。何だかすごい事になってるね」

「その件で少し話が」


 校庭に集まった人の絨毯を見つめながら呟くアンネ。その返しに少しだけ探って事実を拾う。

 どうやらやはり今回のことについて彼女は絡んでいないらしい。そうであればクラウスの知らないところで手を回してくれているとことだろう。とぼけたわけでもなさそうだからこれは事実だ。

 彼女がここにいるのは恐らく別件。ヘルフリートに関する報告を国に上げる為なのだろう。


「そっちから少し人を回せないかな?」

「ユーリに頼んだら?」

「それができたらここまできてないよ」


 アンネはどこか抜けているというか、考える事がクラウスに傾倒しすぎていてその外側には視界が向きにくい。だから時々こんな会話になったりする。それで実害は出てないのだからまた面倒くさいいんだけど。


「……あぁ、そういえばなんか騒いでた気がする。…………分かった。ちょっと時間掛かるかもしれないけどどうにかしてみる」

「お願い。貸し一つってことで」

「先に言われたら何か釘刺されたみたいでやだな、それ。それじゃ」


 小さく呻いて去っていくアンネ。その後姿を少しだけ見つめてクラウスも休憩に戻る。

 仮設本部に向かうとそこには委員会の面々が揃っていた。


「どこ行ってたのよ」

閑所(かんじょ)


 分かりきった質問に用意しておいた答えを返すとユーリアは居心地悪そうに視線を逸らした。

 彼女の横に並んで立つと、ニーナが喋り出す。


「とりあえずおはよう。もう気付いてると思うけど少し見る人たちが多いのよね」

「それで会長が試験を疎かにする事は許しませんよ」


 言葉の先を折ると小さく溜息を吐く。次いで彼女の言葉を遮るように継ぐ。


「先ほどアンネさんに声を掛けてきました。会長の分は気にしないでください」


 言ってそう簡単に頷くニーナではない。けれど彼女には譲れない試験も存在する。

 幾つかの沈黙の末、仕方なく彼女は頷いた。


「…………分かったわ。四人で大変だろうけどよろしく頼むわね」

「五人だ」

「それじゃあ六人だ」


 試験にはテオも参加する。元々三人のところにアンネが加わって四人。そう言葉にしたニーナの声にヴォルフが告げる。次いで上がったのはテオのそれ。


「……レベッカに声を掛けておいた。六人とはどういうことだ?」

「俺の友人に一人声を掛けてあります。クラウスは知ってるだろうがマルクスだ」


 マルクス。確かテオの友人の一人だったか。情報として知っているのは勉強がある程度できて、実技方面も通常以上ということだけだ。


「俺の抜けた分はマルクスに埋めてもらいます。どうですか?」

「……グライド君の推薦ならまず間違いはないでしょうしね。いいわ。後でここに来るように伝えておいて。話はあたしの方で通しておくから。ヴォルフもそれでいいわね?」

「あぁ」

「よろしくお願いします」


 ニーナの声に二人は頷いて答える。

 とりあえず欠ける穴は何とかなりそうか。あとは個人の負担が少しずつ増えるだけ。

 観戦している暇がある事を祈りつつ腕章を着けて外へと出て行く。

 そろそろ試験の開始が宣言される。気を引き締めなおそう。


「クラウス、指揮系統だけ一本化しておきたいから何かあったら全部あんたのところに話持って行くけどいいわね?」

「……分かった」


 信頼だと受け取ってユーリアの言葉に頷く。それとほぼ同時アンネが顔を見せて少しだけいつも通りを取り戻す。


「それではこれより、夏季進級試験を開始する! 受験者は指定場所に向かい待機せよ! 健闘を祈る」


 大きく響いたのは開始を宣言する教員の文言。それとほぼ同時、クラウスの元に今回の対戦表が配られる。


「うわぁ……」

「そんな気はしてた」


 アンネの呻きにユーリアの覚悟の言葉が重なって、クラウスも決意する。

 二日に分けて催される宴のような試験。その二日目の最終戦に刻まれた二人の名前。

 それは彼と彼女が手繰り寄せた運命なのだろうか。それともただの気まぐれだろうか。

 意図されたにせよされてないにせよ、この組み合わせは今後の命運を分けるだろう。


「……とりあえず残り二人が来るまでは僕はここにいるから、見回りをお願い」

「りょーかいっ」


 可愛らしく額に手のひらを掲げるアンネ。その不慣れな仕草に頷いて別れる。


「クラウスさんはどちらが勝つと思いますか?」

「そうだね。難しいところだけど、僕の中では勝つのは最初から変わってないよ」


 あえて明言せずに答えると、フィーナは探るように目を閉じる。恐らく意識的に感情流入を読み取ろうとしたのだろう。けれど残念ながらそれ以上考える事をやめたクラウスから真実が漏れ出る事はなかった。




 何かに集中しているときというのは時間の流れが早く感じるもので、気付けば一日目も終わり間際だった。

 委員会としての活動も、予想していたよりは随分と楽なものだった。

 観戦者が多い分場所が少なくなり、雰囲気がある程度抑制されて直ぐに行動に移そうと思う者が少なかったからだ。そういう意味では大人数が作る空気というものは馬鹿にならないものだと実感しつつ、時たま試験の方を見る時間があった。

 残念ながらニーナの姿を見つける事はできなかったが、テオは順調に勝ち続け初日の三戦を全て勝利で収めていた。これで後の試合を負けても彼は進級はできるだろう。尤もそこで満足するならあそこまで強くはならないのだろうが。

 今日最後だった彼の試合を見届けて、校庭に囁かれる幾つかの労いの言葉に耳を傾けつつニーナの姿を探す。

 木陰に見つけた彼女はこれまでに見せたことないほど研ぎ澄まされた冷たい瞳で大地を見つめていた。

 少しだけ躊躇ったが、周りに他の生徒もいなかったので声を掛ける。


「お疲れ様です。よかったらどうですか?」


 買ったばかりの飲み物を差し出せば、徐に上がった視線で射抜かれて思わず肩が強張った。

 次いで、取り繕うようにいつも通り笑ったニーナはクラウスの手から奪うように受け取る。


「……ありがと。後は皆帰った後でしょ、暇なら座ったら?」

「…………ではお言葉に甘えて」


 クラウスも飾った笑顔で答えてみたが、彼女からの視線には疑念が混ざっていた。


「…………ちょっと考え事してたの。気にしないで」

「分かりました」


 今度は完璧に作った笑みで答えて息を吐く。

 隣のニーナはしばらくの間考えに耽るように顔を伏せていたが、やがていつも通りの表情で顔を上げたので話題を提供する。


「順調ですか?」

「見てなかったの?」

「見れなかったんです。予定ではもう少し暇だったんですけどね」

「あたしの勇姿を見るって約束だったじゃない」

「頷いた記憶はありませんよ」


 クラウスが答えるとニーナはその横顔をじっと睨む。


「それで、どうだったんですか?」

「勝ったわよ、全部」

「それは何よりです、おめでとうございます」

「随分と他人事ね」

「自分以外は全部他人ですよ」


 ニーナが重く溜息を一つ吐き、それから茜色に染まりつつある天蓋を見上げる。


「…………何か問題はあった?」

「特には」


 長い間は言いたい何かを飲み込んだものか。深く追求する事は避けて立ち上がる。


「明日もありますから、疲れはしっかりと取ってくださいね」

「…………ねぇ」


 去ろうとした背中に声が掛けられて振り返る。

 目が合って、マリンブルーの瞳が不安と猜疑に揺れていることに気がついた。

 彼女の疑問は何だろうか。何にしても口にはし辛い事だろうが。

 幾つか当たりをつけて先に言葉を返す。


「……もし何かあれば声を掛けてくださいね」


 笑顔で告げて答えを聞かないまま彼女の傍を離れる。


「クラウスさんって時々何でも判ったような返答をしますよね」

「そう聞こえるように答えてるからね」


 唐突なフィーナの声に答えて笑う。


「そう答える時はね、大抵特に確証がないときだよ。相手に都合のいい解釈をさせて行動を起こさせるための一つの罠なんだ」

「クラウスさんは悪役より悪役ですっ」


 怒った風な口調に「たしかに」と同調して歩を進める。

 もう殆どの生徒が帰り始めている。クラウスもそろそろ最後の見回りをしておこう。

 既に見慣れた景色を一回り。それから仮設本部に戻るとニーナ以外の全員が腰を落ち着けて休憩していた。


「お疲れ」

「これ今日の報告書。学院長に提出お願い」


 息吐く暇もなくユーリアから差し出される書類。どうやら最後の最後で全てをクラウスに投げるらしい。もしかしてこのためにクラウスを総指揮に祀り上げたんじゃなかろうか。

 まぁ彼女も疲れているだろうし一度は頷いた事だ。最後まできっちり仕事はこなすとしよう。


「皆おつかれー」


 そんな事を考えているとニーナが戻って来る。彼女は中にいる人数を数えて漏れがない事を確認すると少し早口で告げる。


「とりあえず今日の分はこれで終わりね。手伝ってくれた人はありがと。また今度お礼でもさせてね。それじゃあ解散っ」


 もしかして早く帰りたかったのだろうか。それとも先ほどクラウスに渡された報告書類から逃れるためだろうか。

 後者ではない事を願いつつ各々に帰途に着く。

 クラウスは輪から外れて学院内部へと向かう。目的地は学院長室だ。

 途中購買へ寄って見たが流石に開いておらず買い食いをする事はできなかった。

 目的地の扉を叩くとしばらくの後返事が響く。どうやら居てくれたらしい。挨拶を入れて扉を開ける。


「ちょっと待ってぇぇぇええええっ!?」


 扉を半分開けて、耳に届いた叫び声に体を強張らせる。

 何事かと思考が先を求める中、次いで言葉が投げかけられる。


「お願い、そのまま動かないで……。今扉動かすと風とかで積んだ書類が飛んじゃうから……」

「…………わかりました」


 重く真剣な声にそれしか答えを紡ぐ事ができず扉に手を掛けたまま固まる。それから数分して、ようやく内側から声が響いた。


「ど、どうぞ……」


 伺うような声音は先ほど大きな声を出したことに対するものか。話題にはしたくなさそうだったので触れずに部屋の中を見回す。

 校内保安委員会が発足した当初を思い出す書類の量。目と頭が痛くなるほどの文字の羅列。どうやらこれ全部を彼女たち二人で相手していたらしい。

 机に伏せるようにして視線を落とすエルゼが不満のように零す。


「見てるだけは楽でいいわよね」

「話し相手くらいにならなれますけど」

「気が散るからいらないわ」


 エルゼの暴言にかリリーが目で詫びて、いつも通りだと少しだけ落ち着く。


「……今日の分の報告書です。特に問題は無かったので暇な時にでも目を通しておいてください」

「ありがと。まぁ特に気になるのは明日だけかしらね」

「最終戦ですか?」


 呟きに、エルゼは手を止めて顔を上げる。

 そこで気づく。もしかしてこの書類の量は明日やる分まで含まれているのではなかろうか。だとするならばやはり彼女の興味の矛先は…………。


「どっちが勝つと思う?」

「思うのは勝手ですからね。僕の中では既に勝敗は決まってますよ」


 言外に明言はしないと伝えるとエルゼは少しつまらなそうに唇を尖らせた。そんな仕草でさえ、彼女に似ていると脳裏で重なる。


「気になるならその目で確かめてはどうですか?」

「……そうね、そのときに色々判断させてもらうわ」


 彼女から託された問題に釘を刺された気がして少しだけ憂鬱になる。けれどもう答えは準備した。後は彼女が望む時に提示するだけだ。


「それではまた明日」

「えぇ、また明日」


 幾つか言いたい事聞きたいこともあったが飲み込んで部屋を後にする。

 そうして廊下に出たところで背中に声が掛けられた。


「あの……」


 振り向けばそこに居たのはリリー。なにやら個人的な話があるらしい。


「どうかしましたか?」

「エルゼと、その……」

「あぁ」


 口に出すのは憚られたか、言葉を濁した彼女の想像するところを汲み取って幾つか答えを考える。


「大丈夫ですよ。どっちも見放すつもりはありませんし、僕にとっては必要な事ですから。悪いようにするつもりはありませんよ」

「そう、ですか……」

「ただ、学院長の研究論文。あれに触れないわけにはいかなくはなりましたが」


 少し悩んだように零すとリリーは小さく笑う。

 エルゼの論文を紐解いていけばきっと彼女も話に巻き込まれることだろう。その未来を想像しての笑みなのかもしれない。だとするなら、彼女が最も笑える方法をクラウスは取れればいいと思う。


「でもあれがあるからこそ、悩む事ができますからね。感謝はしてますよ」


 本心の欠片を言葉にするとリリーは考えるように俯いた。彼女にとっては判断のしかねるものだったかもしれない。


「ほら、そろそろ戻らないと学院長が怒るんじゃないですか?」

「……そうですね。引き止めてすみませんでした。それではまた」


 礼儀正しいリリーにこちらも姿勢を正して答え、再び歩き出す。

 沈黙意を嫌ったようにフィーナが尋ねる。


「それで、どうやってあの大きな問題解決するんですか?」

「どうしようかね。とりあえずは目の前を片付けない事には前には進めないからさ」


 逃げの言葉だと分かりつつ焦点を目の前に合わせて未来予想図を開く。

 フィーナに語った通り今は目の前だ。ありえていい未来は一つだけ。

 その結末への道をただひたすらに突き進む。




 翌日は前日よりも観戦者の人数が多かった。恐らくテオとニーナの対戦が呼び水になったのだろう。賑やかなのはいいことだ、問題さえ起きなければ……。

 そんな想像も杞憂へと変わりつつ一試合目が終わる。テオとニーナは示し合わせたように勝ちを手にし続け、成績上では拮抗したまま衝突を迎える。

 テオは既に進級は確定だ。対してニーナはテオに勝たなければいけないはず。だからこそ、最後の壁としてテオは手を抜かないはずだ。

 それは彼の性分から逸れる事だし、何より楽しくはないだろう。

 尤もテオならそんな事を一欠片も考えず純粋に全力を出すのだろうが。


「いよいよ、ですね」

「フィーナが緊張してどうするのさ」

「だ、だって……!」


 肩上から飛び立って焦ったように答えるフィーナ。彼女がこうであるから、クラウスも冷静でいられるのだろう。


「大丈夫。どっちが勝ってもいいように計画は立ててあるから」

「もっと純粋に応援してあげてくださいよっ」


 少し怒った風に言って腰に手を当てる。小さいのもあいまって威圧感も何もないのだが。

 彼女の機嫌を損ねると面倒を被るのはクラウスなので表面上だけでも関心を向ける。


「クラウス、見回りしなくてもいいの?」


 そんな背中に声が掛けられる。振り返る前に彼女が並び立って、校庭の方を見つめながら続けた。風に長く艶やかな黒い長髪が揺れる。


「見世物じゃないけど、ここにいる殆どは次の試合が目的で集まった生徒ばかりよ」

「だからこそ、試合中の騒動は起こりにくいよ」


 冷静に告げると隣の彼女は一瞥を寄越した後静かに溜息を吐いた。


「だから気を張るのは勝敗がつく寸前だけだよ」

「そんな気がするから逆の可能性を聞きたかったの」

「何かあればその場で介入すればいい」


 少し荒い言い方で言葉を区切って踵を返す。


「どこ行くのよ。そろそろ始まるわよ?」

「呼び出しされてるんだ。判断権は臨時でユーリアに任せるよ」

「またそうやって…………」


 言いかけた言葉は突如響き渡った歓声の奥に埋もれていく。どうやら本日の目玉が始まるらしい。


「……クラウスっ! 後で少しだけ時間頂戴!」


 背中に多数の声を聞きつつ歩を進めて、それに負けないほどに突き刺さった彼女からの声に肩越しに手をあげて答える。

 また面倒事かと、少しだけ億劫になりながら同時に打算を重ねる。

 もし彼女個人に関わる相談なら距離を詰めるいい機会だ。出来るだけ他人に利益を回さずに解決したい。

 そのためにも、これからこそが大切なのだと思考を切り替える。

 向かう先は昨日も訪れた学院長室。彼女が求めるは出題の答え。

 重い決意を胸に足を出す。

 まずはニーナを……エルフにぶつかろう。




              *   *   *




 進級試験。毎年二度行われるそれは既に体系化されたものだ。

 開会式があって、試験ごとに割り振られて、試験に臨む。授業で行われる戦闘実技のそれと似ていて、結界内に対戦者たる二人を放り出して戦わせるだけだ。

 だからこそ、大抵の場合遭遇戦となる。見知らぬ景色で走り回り、先に敵を見つけたほうが有利を取れる可能性が上がる。

 そのため大抵は奇襲から始まるものだ。

 闘う地形にも左右されるが、事前準備が難しい分奇襲には個人の能力が大きく関わって来る。主に属性(エレメント)がその一つだ。

 (グラド)の属性を持っていれば風景に溶け込みやすくなる。搦め手を得意とし、防御に限れば他の追随を許さないほどだ。その点、攻撃面では特技の性質に左右される。

 反面、(フラム)の属性は正面からぶつかる事を得意としており、奇襲には不向きだ。しかし瞬間的威力で言えば四属性中最強を誇り、一気呵成に責める事を得意とする。

 (フェリヤ)は空間把握能力に秀で、奇襲の先を取る事ができる。正面突破では炎に劣るが、偏在する風は応用力に富み弱みの少ない戦闘を組み立てる事ができる。決定打が少ないのが弱点だろうか。

 (ウィルム)は主に生体操作……治癒術などを扱い、持久戦に強いのが共通認識だ。長引けば長引くほど疲弊する戦闘において、終始安定している属性といえるだろう。その代わり安定しているという事は特出した力を持たないという事。大抵の場合は相手の弱った後半に力を集中するのが鉄則だ。

 それぞれに長所と短所があり、組み合わせによっては戦局を大きく左右する。そこに技術が絡めば戦闘は複雑化し、やがて均衡を生む。

 その結果こそが争いの終幕なのだろう。

 先ほど結界の中に解き放たれてから基礎の基礎を反復して思い出していた。

 基礎を忠実に。そこから得意を伸ばし短所を補う。自分が思う最も理想とする成長の仕方。

 だとするなら今回は奇襲から始まる事はないのかもしれない。

 自分が水で、相手が炎で。相反する二つの属性を持つ自分と彼は、きっとどこまでも愚直にぶつかるのだろう。だからこそ、一瞬を逃した者が負ける。

 大きく深呼吸をして辺りに気を配る。気配はない。


「大丈夫だ。戦いは常に刹那の連続だって聞いた事がある」

「知ってる。その刹那を連続させて想像するから流れができるんだって」


 脳裏を言葉は過ぎれば相棒も同じく口にした。

 彼──ディルクとの繋がりは十年程になる。彼の前の契約者たる自分の父が死んで、全ての世界が嘘であればいいと言い聞かせながら空元気に過ごしていた日々に、視界に止まった忘れ形見。

 きっとあの日あの時から、あたしは彼と一緒に傷を舐め合うだけの不毛な契約を交わしたのだ。


 ────あなたはなにをまもっているの?


 一字一句間違わずに思い出す事ができる。そしてそれに返った彼の言葉さえも。


 ────オレと、オレが愛する者を守るんだ


 それはもしかすると初恋だったのかもしれない。

 淡く疼いた感情は子供心にとても嬉しくて、そこに込められた言葉の意味を朧気にしか理解しないまま。けれど信じてもいい真実のようにあたしの胸の中に楔を打ち込んだ。

 けれどそれは契約を交わせば消えていって、残ったのはただの安心感。誰よりも傍で自分の半分のように心を預けられる存在。

 それは彼の事を死んだ父親に重ねていたからかもしれない。

 不安感から逃れるために、よく似たものを求めた先がディルクだった。彼にしてみればあたしのことを父の遺物に感じたかもしれない。

 そんな不安定な大地の上で揺れる事を嫌って互いを手繰り寄せた。

 唯一の拠り所であると錯覚したのだ。


「くるぞ」


 その錯覚も、今はもう殆ど残っていないけれど。

 耳元にディルクの声を聞いて感覚を目の前に引き戻す。

 木々に囲まれた森林地帯。近くには湖があって、夏場なら避暑地の候補だ。こんな場所があるならば一度は行って見たいものだ。

 相棒の指し示す方角。そちらに意識を向けた刹那、炎の柱があがって目の前の木が燃え落ちる。

 土煙を上げて視界を遮る中、遠くに揺らめく橙色の炎を見つける。橙は下から二つ目の炎の色。既に準備は終えているらしい。

 やはり正面から。構えた炎の槍の切っ先がこちらを向いて止められる。


「……ちょっと違うな」

「何が?」

「オレの記憶ではあの技はあんな大層な鎧じゃなかったぞ」

「へぇ、それは楽しみだ」


 知らず震えた声に相手を伺う。ヘンリック・アヴィオールの使った炎の絶対防御、極炎法衣(ラーヴァ・スケイル)。それを彼なりに改良した技なのだろう。大本は変わらないだろうが細かい所では差異が出る。全てを今ある知識だけに頼るな。

 自分に言い聞かせて水の妖精弾を作り上げる。


「会長。手は抜かないでくださいよ?」

「もちろん、負けても言い訳はなしだから……ねっ!」


 視界の中央にしっかりと相手の姿を捉え、腕を振るう。動作に合わせて水弾が飛んでいき、途中でいくつもの小さな水滴に変化する。

 さながらそれは軍で使われる散弾銃の弾のように、点ではなく面で制圧する攻撃が今回の敵、テオに襲来する。

 直ぐに彼は槍を回転させて全てを弾いてみせる。同時に、炎の熱で水の弾が水蒸気へと変化する。

 立ち込める水の気体は彼の視界を遮る。

 しかし、それで止められるならニーナは動き出してはいない。

 横に大地を蹴った次の瞬間、先ほどまでいた場所を炎の弾が通り過ぎていく。

 避けたら後はディルクに任せる。自分は彼を探す。

 直ぐに回した視界で、回避をとった自分の正面から彼が迫り来るのを見つける。

 あぁ、既に最初から彼の手のひらの内か。

 ニーナが確実に炎の弾をかわせたのは彼の重心が一方に傾いていたから。けれどそれすら計算の内だったらしい。ニーナの飛び退く方向を制限して追い詰め、自分は先回りをして急接近する。小手調べのつもりだったが初撃から全力らしい。

 目の前で振り被られた槍が横薙ぎに視界の外から迫り来る。彼のことだ防御ごと引き裂くつもりなのだろう。流石にそれに気付かないほど馬鹿ではない。これでも従軍経験はある。身の守り方は数十通り単位で体に染み付いている。

 手のひらに水の壁を作って、振るわれる槍の上に逆立ち。それから勢いそのままに距離を取って、着地前に展開した妖精弾を反撃に放つ。

 手の内を知っているのはお互い様だ。だからこそ決定打に欠ける。

 ニーナの放った妖精弾は両断され、霧のように宙に消えていく。

 どうやらニーナについて調べたらしい。戦闘の癖を知られている。

 ニーナは属性の通り水を扱う戦局を得意とする。また、エルフで妖精と契約を交わすが故に妖精術と精霊術の両方を扱う事ができる。

 妖精術は妖精力を使い何かを生み出す能力。精霊術は既にあるものを繰る能力だ。

 妖精術で作り出した水の弾は精霊術で操る事ができる。その分異能の消費は倍にはなるが相手の虚を突く事ができるのだ。

 また特殊な条件として妖精術で作り出したものを操る時は精霊術で操るその寸前まで維持を続けていなければならない。これは妖精と契約した弊害とも言うべきものか、妖精術と精霊術を同時に扱う事ができないのだ。

 そして妖精術は他の妖精術の干渉で霧散してしまう。妖精力で構成されたもので斬られたり防がれたりすれば、もう精霊術の届く範囲外だ。

 また精霊術は既にあるものを操る能力。辺りが水浸しになれば無限に水を繰る事ができる。だからこそ、彼も水一滴ですら残さない。

 恐らくあの槍に対水属性の妖精術に対する命令式が組み込まれているのだろう。それでも限界はあるはずだ。物量で押し切れば全てを消し去る事はできない。元々水は炎に強いのだ。彼はその圧倒的火力で強引に捻じ伏せているに過ぎない。

 手はいくつかある。となれば手近なものから試すとしよう。


「ディルク、少しだけ任せていい?」

「もちろんだ」


 小さく囁いて後ろに距離を取る。その最中伸ばした腕の先に方陣を描き出す。

 方陣は妖精術の発現の証だ。見てみぬ振りは出来ない。テオはすぐさま距離を詰めようとするが、目の前にディルクが現れて阻まれる。

 ディルクは両手を翳し、複数の水の塊を作り出す。ただそれだけの事なら彼にとっては方陣を描くまでもない。

 そこから妖精力で干渉し、制御して嗾ける。

 水の弾幕。

 そのまま斬り進もうとしたテオは咄嗟に足を止めて妖精力を練る。右の手だけで腰の高さに振り被り、左手の先には円陣……。

 それはクラウスから譲り受けた連結術式。次いで、もう一つ方陣を重ねると振り被った槍の柄を掴んで横薙ぎに振るう。

 刹那、それまでは細かった一本の槍が、幅を広げ炎の板へと変化する。

 宛らそれは巨大な炎の壁を扇ぐようであり、薙ぎ払われた一撃にディルクの放った弾幕は瞬時に蒸発するように消えていく。

 あれが噂に聞いた彼の特技の代替技。随分と使い勝手がよさそうだと思いつつ、それを作り出した眼鏡の彼を思い出して小さく頬を引き攣らせる。

 連結術式──彼の持つ全ての技能がそのまま形になる特技なんて卑怯の極みじゃない。


「ディルクッ!」


 悪態を吐きつつ相棒に叫ぶと、彼は意思を汲んで次の方陣を描き出す。

 大きく振りぬいたテオ。その頭上に月かと見紛う程大きな水の塊を作り出し、押し潰すように開放する。

 とりあえず今即興で出来る最大威力。城の門程度なら粉砕する局所破壊衝撃────


「つっぶれろぉ!」


 落下する途中でそれが水の槌へと変わって振り下ろされる。

 直後、衝撃に風圧が起きて辺りを土煙の中に閉じ込めた。




              *   *   *




 扉を叩けば、返って来たのは随分とのんびりと構えた挑発のような返事だった。

 入って部屋の主の促しに腰を下ろすと、彼女の相棒たるリリーがカップを目の前に用意してくれた。

 小さな体でもてなしをしてくれる彼女に、今日の見回りのお供にと持ち歩いていた妖精用の小さな飴玉の残りを渡す。

 少し驚いたリリーだったが、断る理由が見つからなかったのか受け取ってくれた。と、同時に肩上から催促が入る。


「クラウスさん、わたしにもくださいっ」

「言うと思った……」


 呆れながら衣嚢の中に手を突っ込むが残念ながら見つからない。どうやら今リリーにあげたのが最後だったらしい。

 しかしあげないと後で高くなる。しかたなく自分の分をあげると彼女はその玉の大きさに目を輝かせた。

 彼女の事だからそのまま食べるのかと思いきや、人化の術でちゃんと大きくなって口の中に放り込んだ。どうやらいつも通り舐めたかったらしい。

 鼻から笑い声を漏らしたフィーナがクラウスの横で足を揺らしながら口内で飴玉を楽しむ様子を少しだけ眺めて、この部屋の主に言葉を向ける。


「丁度今最終試合をやってますよ。見に行かなくてよかったんですか?」

「ワタシにとってはこっちの方が重要だもの」


 薄情だと思いつつ彼女らしさにいつも通りの思考を動かす。


「それじゃあ答えを聞かせてもらおうかしら」

「どちらについてですか?」


 曖昧なままの会話に主語を求めるとエルゼは顔を逸らす。いい大人が子供っぽいことしないでください。


「……好きな方にすれば?」

「では学院長が望まない方から」


 笑顔で答えると彼女は顔を顰める。そんなに他人の口から名前を聞くのが嫌なら自分でどうにかすればよかったのに。


「学院長、貴女は最初から納得していなかった。そうですね?」

「当たり前でしょう、責任を取りたがったのはむしろワタシなのよ。あの子にあんな責め苦を与えるつもりは最初から無かったっ」


 クラウスの問いに当然だとばかりに答える。


「だから貴女は不運に見舞われた自分の子を助けたかった。ありえたはずの時間に戻したかった」

「……子を愛するのは親の権利で、果たさなければならない義務よ。例えどんな背景があったとしてもね」

「けれど学院長である貴女が表立って彼女を庇えば、穿たれた溝が広がるかもしれなかった。だから自分からの接触を極力少なくした」

「結果それは、あの子が自分を苛む要因の一つになったけれどもね。だけどワタシは、今だってあの子を親として愛しているわ」

「だったらそれを伝えればいいだけですよ。学院長としてではなく、母として──エルゼ・アルケスとして」


 クラウスの糾弾するような視線にエルゼは黙り込む。

 きっと彼女は忘れてしまったのだ。愛した夫を失って、それを忘れるように国に尽くし続け。そのうちに親が子を愛するそのやり方を、記憶の奥に封じ込めてしまったのだ。だから彼女は我が子の前で、学院長としてしか振る舞う事ができなかった。


「結論だけ言わせて貰えば、彼女は貴女を憎んでいます」

「っ!」

「学院で騒動が起きたとき、彼女は一人で闘った。彼女に心で味方するはずの貴女が、干渉する事を避けたから」


 言葉の槍は彼女の良心を刺していく。刺して、貫いて、破っていく。


「彼女はエルフの血で否定される事よりも、そのことに傷ついた。だからこそ、彼女は誰よりも強い心で誰よりも優しくなる事を決意したんでしょうね。その気のない反面教師がいたから簡単だったことでしょう」


 他人事に。言葉に感情を一切乗せず。名前だけは未だ伏せたままそれ以外を突き付けて言葉にしていく。


「同時に誰よりも母親を憎んだ。必要な時に傍にいてくれなかった貴女を切り捨て、糧としたんです。抑圧された衝動は時に破壊を生みます。そういう意味では彼女を軍属から外したのは正解だったかもしれませんね」

「貴方に何が分かるのよ…………」

「わかりませんよ」


 震えた呟きにただ無情に言葉を返す。


「事ここにいたっても着地地点は僕には見えません。だから今回僕はこの件について何もしてません」

「なっ──」

「僕にはただ事実を俯瞰して重ねた二つの視点から現状を客観視するだけです。徹頭徹尾僕には関係のない問題ですよ」

「だったら何故あの時頷いたのよっ! ワタシの頼みに頷いたのは冷やかしだったわけ?」

「……この光景を作るためです」


 冷たい言葉に暖かい吐息を落として続ける。


「今まで貴女が溜め込んできた感情を零れる限界まで引き上げて、吐かせて。彼女の中でも一区切り着く今日まで待っただけです。行動に移すだけで結論を求めないでいいなら、頷いたあの時に彼女を目の前に連れてきて関係を悪化させてます。それもいいかなとは思いましたけど」


 どうやら隣のフィーナには聞くに堪えない言葉たちだったらしい。この部屋の全てを感覚から除外してただ飴玉を舐めていた。

 無関心ならそれでいい。どうせこちらは彼女にも殆ど関係のない話だ。


「結局は当人の問題です。そこに首を突っ込んで恩を売るほど価値のあるものではありませんし」

「貴方今どれだけ非情な事を言ってるか分かってる?」

「知りませんよ。分かってたらきっと言ってないでしょうがね」


 どこまでも部外者であると一線を引いて言葉を交わす。交わす、というよりは一方的かもしれないが。


「僕は貴女に利する事を何もしてません。これからはどうか分かりませんが」

「…………どういうことよ」

「言葉の通りです。もし学院長が変化を望むならその場を整える程度の手助けはします。必要なら立会人にだってなりますよ?」


 今後の予定を少しだけ言葉にして反応を窺う。

 これはエルゼと彼女の問題だ。彼女が望むなら答えるが、それをクラウスに放棄するようであればそれまで。クラウスには彼女たちの問題に首を突っ込む資格も理由もないのだ。

 出題者と回答者。その関係を逆転させた空気はしばらく沈黙を漂わせる。


「……見逃して、クラウスさんに得はあるんですか?」


 そんな空気を裂いたのはリリーの声。彼女の問いに答えようかと迷っている間に、言葉が重ねられる。


「違いますね……。見逃して、クラウスさんは損をしませんか?」


 言い方が少し違うだけ。それなのに問われた意味は別物に聞こえた。

 損をしても得をとればそれはどうにか理由をこじつけられる。けれど得をしても損で残せなければそれはただの負けだ。

 得が先か損が先か。どちらに焦点を据えるかで視界はこうも変化する。

 クラウスとしては損が先の方がやりやすいのだが。いや、得から損を導き出しているのか……。

 得を計算し被る損を先に得て、後の得で取り返す。面倒くさい手順だ。この方法では得に逃げられるかもしれないのに。

 その核心に触れるリリーの質問は苦手な部類だと思いつつ、彼女との会話は危ないと悟る。下手に返せば、クラウスの思惑が露見してしまう。


「……それが計算できなければ、あの時頷いてはいませんよ」


 リリーにはその答えはどういう風に聞こえただろうか。

 しばらくの静寂の後、彼女は小さく「そうですか」と答えて黙り込む。

 クラウスも考えすぎて思考迷路に迷わないようにこの話題は直ぐに頭の中から消す。

 本心と建前の入り混じった会話。その終着点を求めてエルゼは長く考え込む。

 やがて、フィーナが飴を舐め終える頃に重い溜息が一つ零れた。結論が出たようだ。


「それで、どうされますか?」

「────舞台準備を、お願いしてもいいかしら?」

「分かりました」


 静かな部屋に響いたエルゼの言葉にいつも通りに頷く。

 その瞬間、エルゼはクラウスの思惑にようやく気付いたようで軽く頭を抱えた。


「……リリー、連絡係頼んでもいい?」

「はい」


 彼女もまたいつも通りに、けれどどこか嬉しそうに答える。

 小さく呟かれた「酷い茶番」という言葉は誰のものだっただろうか。そんな事を頭の片隅で考えつつ次いでもう一つの話題を口にする。


「それで、本題の方ですけど」

「本題って……ワタシにとっては今の話の方が重要なんだけど」

「とりあえず利用はさせてもらおうと思います」


 抗議を無視して端的に言葉にすればエルゼは口を閉ざす。

 まぁこれは確認のようなものだ。彼女はクラウスの野望を知っているだろう数少ない中のひとりだし、クラウスにとっても彼女の存在は隅に置けない。特に彼女の研究結果を知れば無視は出来ない。

 だからエルゼにしてもクラウスにしても、それ以外の結論は最初から無かったはずだ。


「……あと幾つか目を通して得た僕の見解を一つ────」


 呼吸を整えて口にする。それは言葉にしてしまえばあっけなく、言葉以上の意味を持って世界に波及するはずの真実。


「エルフはエルフじゃない」


 流石にこればかりはフィーナも聞き逃す事はできなかったか。少しだけ肩を強張らせて居住まいを正し、クラウスの方を見つめる。

 フィーナにだけはクラウスの考えを漏らさず伝えている。元より回路で繋がれている彼女には隠し事は難しい。ならば最初から全て知った上で動いてもらう方が楽だと思ったのだ。


「────その言葉を聞けて安心したわ」

「あとはそうですね、今後のためにそれは隠さなくて大丈夫ですよ」


 言いながら自分の耳を指差す。

 気付かれていないとでも思っていたのか、少しだけ驚いたエルゼは彼女によく似た半眼でクラウスを睨んだ後に溜息を吐く。それから彼女は方陣を一つ描き出してそれを消失した。

 突如、彼女の顔横の空間が歪んで、そこに今までなかった長耳が出現する。

 それはエルゼと、その娘たる彼女の証たる人外の証。人と同じ体を成し、人にはない異能を繰る種族。

 こうして目にして、便利なものだと思う。

 術式複合を利用した認識阻害術式。クラウスの使う幻術は知覚阻害で、異変に気付けば破るのは容易(たやす)い。けれど彼女のそれは術を掛けた対象が誤認するのではなく、対象に掛けた知覚阻害で他人の認識を阻害する技だ。クラウスのは個人に掛けるもの、エルゼのは物体に掛けるもので、それぞれ個人用と集団用と考えればいいだろうか。彼女は特に物を隠す事を得意とし、そこにあるものを他人に知覚させない。対象の隠蔽だ。


「隠さない方が僕のためにも、そしてエルゼさんのためにもなると思いますよ」

「……そうやって吹っ切れてればあの子ともこうはならずに済んだのかしらね」

「それは貴女次第ですよ。そしてこれからも」


 投げ遣りに言って立ち上がる。それと同時に、フィーナが人化の術を解いてクラウスの肩に腰を下ろした。

 さて、そろそろ外に戻ろう。あちらも決着がつく頃だ。


「学院長は見に行きますか?」

「そこの窓から見えるの。特等席よ」

「そうですか。それでは失礼します」

「えぇ。そっちはよろしく頼むわね」


 別れを告げて部屋を後にする。後ろからリリーが着いてきているのは彼女が連絡係だからだろう。妖精使いの(あら)い方だ。


「……あの、ありがとうございます」


 そのリリーから感謝の言葉を貰って、言葉を返す。


「僕は何もしてませんから」

「……一つ確認をしても?」

「何ですか?」


 続いた問いに振り向けば彼女は納得したように零す。


「──やっぱり損してたんですね」

「そうだね。あそこでエルゼさんが頷かなければ僕は得を得られてなかったはずだよ。まぁこんな賭けは今回限りかな。あんな不安定さで勝負したのは初めてだよ」

「それであそこまで大見得を切れるんですから、クラウスさんは賭け事には向きませんね」

「かもね」


 リリーの言葉に笑って足を出す。

 確かに。完全な運試しに相対すれば三割勝てればいいほうだろう。尤も、それが純粋な運試しであったならの話だが……。

 そういう意味ではいい教訓だったと納得して目の前に焦点を合わせる。そうして踏み出した足はようやく確かな道を踏みしめる事ができた気がした。




              *   *   *




 立ち込める水蒸気の奥。蜃気楼のように揺れる影と気配に小さく舌打ちする。

 ゆらりと揺れる影。その刹那、目の前に突き出された切っ先に息を呑んで、咄嗟にしゃがんで回避する。同時に目の前に水の壁ができてこちらへの接近と敵の武装の無力化を瞬時に図る。

 しかしそんな思惑は目の前の光景で霧散する。後ろに下がって距離を取る中で捉えた槍は純正さと強い拒絶を表す白い炎。

 ヘンリックの極炎法衣通りなら、四つ目の温度変化。既にそこまで掌握してるのかと戦慄しつつ彼の生存を強く確認する。

 どうやらさっきの水槌での攻撃は通らなかったらしい。となるともっと威力を上げなければ……。

 視界の悪い戦場でどうにか戦術を組み立てる。

 元々自分はそこまで器用な方ではない。水の属性の代表技である治癒術式には恵まれたがそれまでで、別に戦闘が得意というわけではないのだ。

 前にハーフェンに上がれたときもやっと三勝を掴んだほどで、今回の四勝は運に味方してもらえただけだ。もちろん実力がなければ運が味方する事も少ないのだろうが。

 また、今までの試合では小手先の戦術がどうにか通用した。それは一度ハーフェンに在籍した利というもので、他の生徒より少しだけ妖精術の扱いに長けていただけに過ぎない。それに精霊術もある。対エルフの経験が少ない生徒たちの意表を着く事は難しくなかった。

 軍属で得た知識と精霊術。それが今までの試合で結果を齎したに過ぎない。後、付け加えるとすればディルクとの回路だろうか。

 あまり他人に知られて気分のいいものではないが、件の降級騒ぎで自分の素性はある程度知られている。

 エルフであり、あの人の娘であり、そして入学当初から相棒を持つ異端児であること。特にディルクとの契約はもう十年近くに及ぶ。

 回路を介して、波長の変化も起き始めている。それは妖精術の扱いが効率化されることに繋がり、実力の向上へと昇華される。

 彼の存在は今になってみれば欠かせないものだし、彼以外との契約でこうなる未来は想像できない。

 それらの偶然と必然が重なって勝利を拾い続けただけ。そんな勝利は勝ちとは呼ばないし、いつかは壁にぶつかる。それがきっと、目の前の彼なのだろう。

 技量で自分を凌駕し、内包する妖精力の総量も多い。加えて契約妖精は反則とも呼べるほどの異能を秘めた英雄的妖精で、彼の手の中には先の大戦で猛威を振るった先代の契約者の遺産がある。

 それは壁というにはあまりにも堅く高すぎて、崖というにはあまりにも深く急な障害。

 けれど自分のためには越えなければならない問題。何より今回の試合には自分さえも賭けている。負けるわけにはいかない。

 晴れた水蒸気の向こう、腰を落として構える彼の姿に一つ息を吐く。

 手の内は限られているが思考は冷静だ。まだ勝機もある。


「っ!」


 動作の始まりを鋭敏に察知して目の前に水の盾を作り出す。瞬間、先ほどまで視界の先にいたはずのテオが眼前から槍を振り上げていた。前傾で視界から外れてあたかも瞬間移動したかのように錯覚させる。このまま押し切られれば彼の思う壺だ。

 退くより前へ。逆袈裟の一閃を紙一重で交わして懐に潜り込むと、そのまま水の盾を下から見舞う。

 狙い通り顎へと入った一撃は、けれど炎の鎧に防がれて消えていく。

 しかし衝撃にテオはよろめき後ろへと下がった。どうやらあの鎧は物理衝撃までを緩和できるわけではなさそうだ。

 それに今し方打ち抜いた彼の顔の下半分から肌色が見える。今みたいに一点に異能を集めてぶつければ鎧も剥がせるようだ。ヘンリックの頃はそんな事はなったはずで、そうなると彼のあの鎧は耐久性に乏しいのだろうか。

 活路を見出しつつ、修復されていく(かぶと)を見て辟易する。

 壊れたままでいてくれればもっとよかったのに……。

 小さく心の中で呻いて方針を固める。

 鎧を剥がしてそこから攻撃を通す。それを出来るだけこちらに被害が及ばないようにしながら実行する。

 随分と難度の高い理想だと考えつつ構えを取る。後の先を取る戦い方。反撃を叩き込んでそのまま打ち倒す。

 治癒術式頼みの闘いにはしたくないがその可能性も考慮しつつ出方を窺う。

 彼にも対策はあるはずだ。だからこそ、均衡を破るのは一瞬の隙──

 それを見逃さまいと神経を尖らせて、踏み切る。

 斬り結び、霧散しては再び振り被る。手にした水の槍は逆巻く水流を纏い、一点突破のみを目指して振り下ろす。

 時たま彼の振るう得物が形を変えて迫り、その度にこちらの策を揺るがされる。

 連結術式。その汎用性を改めて実感しつつ幾百も幾千も、ぶつかっては隙を探す。

 そんな神経をすり減らす中で、先にこちらの足が掬われる。

 まるで心をどこかに置き忘れたように振るわれる刃が弾かれて宙を舞う。口から漏れたのは間の抜けた声。

 次いで脳内を警鐘が鳴り響く。

 気づいた時には目の前に無表情に槍を突き出すテオがいて、避ける事も忘れ脇腹からじわりと感じる熱さに膝を折る。

 それから起きた事に自分でも処理が追いつかないまま顔を上げれば、自分は地面に伏せり、彼は遠くで防御の姿勢をとっていた。それとほぼ同時、体のたくさんの場所が鈍痛に見舞われる。


「すまねぇ、咄嗟に二人の間で水を爆破させたんだ……」

「あぁ……うん。ありがと…………」


 耳元に響く相棒の声に上の空で返す。

 まだ理解は追いつかない。けれどどうやらディルクが助けてくれたようだ。それでこちらの体が痛いのでは余り好転しているとは思えないが。仕切りなおす時間を取れたのは不幸中の幸いか。

 手を突いて立ち上がれば体中の鈍痛よりも脇腹の裂傷が持つ熱に感覚を奪われる。

 ……とりあえず治癒。せめて動けないと話にならない。

 傷口に手を当てて方陣を展開する。練られた妖精力が循環して熱を持った創痕の痛みが僅かに引いていく。

 治癒術式は傷口を塞いで回復するわけではない。妖精力で神経を麻痺させ痛覚を和らげ、血流を操って一時的に回復力を増すだけだ。尤もこの結界内では負った傷は幻想で、結界外に出れば何の問題もないのだが。今だけを思えば治癒も選択肢の一つだ。

 呼吸を整えてゆっくりと立ち上がる。前に両手を翳せばまだ自由に使える妖精力は残っていたようで、数個の妖精弾が形成される。

 とは言っても互いにそろそろ限界は近いはずだ。必要な時に妖精力を使うニーナとは違い、あの鎧は常時展開する妖精術。幾ら総量が多くてもずっと使い続けていれば消費速度はこちらを上回る。

 大技を出せないのはあちらも同じ事。そろそろ決着がつくはずだ。


「ディルク。あたしそろそろいけそうだけど、勝負かけていい?」

「もちろんだ。次で決めようぜ」

「……ありがと」


 自信に溢れた相棒の言葉に小さく笑って覚悟を決める。

 視界の先に白く眩い鎧を纏ったテオの姿を捉える。その手には炎の槍は無い。どうやら全ての維持を鎧の方へ回しているようだ。

 得物が見えない分こちらの対応が増える。まさかそこまで計算だとは思いたくないが、危地でさえ自分の有利に変えてしまう彼の佇まいには感嘆すら覚える。

 けれど相手の虚を突くのはこちらも同じ事。もし知られていても想像を上回る攻撃で落としてしまえばいい。


「次で終わらせましょうか、全力で勝ちを奪いに行きます……!」

「譲れないのはこっちも一緒。悪いけど、敗北の味を知ってもらうわよ?」


 怖いほど落ち着いた声音で言葉を交わして集中する。彼の一挙手一投足、視線から呼吸に揺れる肩の上下でさえ見逃さずじっと見つめる。

 右の方で水の跳ねる音が響く。それは蛙か何かが飛び跳ねた音だったはずだ。

 気付けば目の前に彼の姿があった。

 大地を踏み切る音さえも置き去りに彼の気配が後から現れる。対処しようなど愚策だったか。

 刹那に悟って彼を捉えるように水球を作り出す。しかし触れた先から水が蒸発していく。見れば炎の色が白から銀へと変化していた。

 この期に及んで隠し玉とは酷い話だ。けれど退く事はできない。

 遅れてディルクの放った妖精弾が彼の背から迫る。焼け石に水どころか注意すら引けない。

 形の定まらない水牢がヘルフリートを捕捉しようと伸びる。それを見たテオは炎の弾を作り出して阻んだ。


「ディルクッ!」


 それを見逃すわけにはいかない。

 ヘルフリートを庇うように距離を取るテオに水牢の水を波のように嗾ける。炎の鎧に防がれて、辺り一面が濃霧のように水蒸気に隠される。この濃度なら、迂闊に炎は使えないっ!


「これでぇぇえっ!」


 力の限り叫んで胸のうちに蟠った異能を爆発させる。

 描き出すのは特大の方陣。幾何学な文様を描いたそれは、妖精力で生み出した水に加え、近くの湖から全ての水を流用して辺りの景色を隠すほどの大きな水の棍棒を作り出す。

 テオが極炎闘衣の維持に妖精力を使うように、ニーナも妖精力を断続的に使って莫大な水を制御化におく。防御など意味を成さない勇猛無比な一撃を叩き込むために。

 勢いよく振り被り、撓った棍棒が横殴りにテオに迫る。

 次いで起きたのは激しい衝撃と……虚空に弾ける水の飛沫。

 視界を奪う水蒸気の奥に見えたのは、山かと見紛うばかりの体躯。一瞬見えた景色に、爬虫類を思わせる赤褐色の鱗と宝石のようなエメラルドグリーンの瞳が映る。

 ヘルフリートのドラゴンとしての姿。エルフである自分にとっては最高位の炎の精霊、イフリート。

 全く、全く……全く。どこまでも卑怯な奥の手だ。こんな壁、城でもぶつけない限り壊せはしない。

 さすが英雄的妖精だと感嘆して、笑う。


 だからこそ──ニーナの思惑通りだ。


「集え水鳴りっ、仇なす敵騎(てっき)貫く刃と化せ!」


 新たな命令を授ける(みことのり)。ニーナの言の葉に呼応して、飛び散った無数の水の飛沫が再び形を成す。

 先ほどの一撃を防がれたのはヘルフリートの強靭な体。炎の鎧で消されなかったが故に飛び散ったこん棒の欠片たちに精霊術が干渉して変化を起こす。

 宙に舞う数多の水滴が細長く伸び、先端を円錐状に尖らせて、テオとヘルフリートを囲むように宙空に浮かぶ。

 そうして出来上がったのは────幾百もの水の槍。


「貫けッ!!」


 叫んだ言の葉を引き金に幾条もの軌跡を描いて標的に殺到する。

 鱗を穿ち、大地を砕き、皮膚を抉る。

 響いたのは雷のような轟音で、立ち込めていた水蒸気は風圧に押し流される。

 いくらドラゴンの体と言えどそれ全てで全方位からの攻撃を守れるわけではない。隙間を縫いテオに当たれば動けなくなっていても不思議じゃない。

 これがニーナの最大攻撃。これで倒せないのなら────


「────俺を殺す気か」


 首筋を撫でる冷気よりも尚冷たい炎の香り。考えるより先に足が動いて後ろへ飛ぶ。

 その刹那、虚空より伸びてきた炎の槍が無造作にニーナの腹を貫いた。

 次いでテオの口角が吊り上り、その様相を土煙の中から露にする。

 肩に、腕に、脇に、脚に。炎の鎧の(ほど)けた体の至るところに水の槍を刺したまま雄大に立つテオ・グライド。

 その大きく勇ましい背中(・・)を見つめて思う。

 きっと彼のそんな豪胆さに、繊細さに、大胆さに、不敵さに、自分は惹かれたのだろうと。自分にないものを持つ彼に羨望と嫉妬を綯い交ぜにして、見上げていたのだろうと。


「……うん、殺すよ」


 だから今日で、それを終える。

 背中を見ているだけではもう満足できなくなったから。自分の中の虚像のテオ・グライドを殺して、隣に立って一緒に進むために。


「テオ、後ろだっ!」

「水の、人形っ…………!!」

「────散水(ちすい)


 槍で刺し貫かれたニーナが崩れて水に変わり、弾ける。

 散水。ニーナの特技。この特技によって弾けた水は、防御方陣を透過して対象に当たる。単純だからこそ、その使い勝手に助けられる。

 水のように澄み渡り浸透する散弾が、至近距離から彼の体を撃ち貫いた。




              *   *   *




 校庭へ戻ると丁度試合は最後の攻防を行っていた。

 結界内の様子を映す大きな画面を目端に捉えつつ視界を回す。

 懸念した観戦者数増加による騒動は、けれど杞憂に終わったようでその殆どが画面の方へと意識を向けていた。この様子なら問題はなさそうだろう。

 結界内部を映す画面は映像だけを届けるもので、音までは拾わない。けれど集中すれば脳裏にその場の臨場感が想像されるほどに、ニーナとテオの試合は張り詰めた空気に満ちていた。

 クラウスが気持ち半分に見る傍らでリリーが息を呑む。それは主人の元へ返った時に伝えるべき言葉を逃さないためのものなのかもしれない。

 エルゼにとってもリリーにとっても、それほど彼女の存在は大きいのだろう。

 やがて大きく歓声が上がる。どうやら決着がついたらしい。画面の中央にはどこか寂しそうに佇むニーナが映っていた。

 クラウスの当初の想像通り彼女が勝ったらしい。ならばこの後も予定通り進められそうだ。

 そう脳裏で考えながら、視界の先にユーリアの姿を見つけて近づく。こちらに気付いた彼女は少しの間じっとクラウスを見つめて、それから徐に画面の方に視線を向けた。


「……随分とあっけなく終わったわね」

「堅実な勝利の証拠だよ。戦場で相手の恐怖心を煽るわけじゃないからね、そこまで派手な見世物にはならないよ。……いつもの会長ならそれもあったかもしれないけどね」

「それはそれで後が面倒くさいかも……」


 付け加えるように呟くとユーリアは呆れるように呟く。その溜息はこのあとの仕事を思ってのことか、それとも彼女個人の煩いか。

 少しだけ邪推して、頭の中に彼女に関する情報をいくつか並べていく。

 先ほどここを去る前に掛けられた言葉。


 ────クラウスっ! 後で少しだけ時間頂戴!


 一体何の話だろうかと少し身構えつつ、情報の少ない中で答えを幾つか組み上げる。

 今までにヴォルフ、テオ、ニーナにエルゼと、いくつもの交渉や相談を持ちかけられてきた。それらには全てどこかにクラウスの介入があって、そう事が運ぶように仕向けた節がある。

 目的は簡単で、言葉にするのは難しい。強いて言うなら関係の構築だろうか。

 実力を持つ上級生。首位を直走る可能性の塊の幼馴染。この世界に影響の一端を及ぼすエルフの生徒会長。

 クラウスが欲した必要な欠片はクラウスとは殆ど無縁の者たちで、だからこそ中心になって動くべきクラウスは彼らとの関係性の構築を試みた。

 問題があるなら首を突っ込み、近くを歩いて解決まで導く。相手からしてみればクラウスに相談を持ちかけ共に過ごす中で距離が縮まる。

 それらは全てクラウスに恩を売り、クラウスとの繋がりを作るためにクラウスがある程度仕向けた策だ。もちろんアンネやコルヌ家といった想像の及ばなかったイレギュラーもあったが、今のところはどうにか順調に組み込めている。それらの偶発的な出会いさえ、想定の範囲内だ。

 しかしユーリアとのそれは違う。

 クラウスにとってのフィーナは都合のいい契約妖精に過ぎない。元よりそのつもりで契約を交わしたのだ。それを許容されたのは少し想定外だったが。或いは彼女が自分と同じクォーターだからかもしれない。何にせよ彼女の存在はクラウスにとっては関係がなかった。

 それと同じように、または対極にあるように、ユーリアに求めるものは誰よりも強い居場所だ。

 彼女との繋がりは同級で、同じ教室で授業を受けている事だけだ。彼女が神童と呼ばれるからクラウスが目をつけたというのもある。けれどそれは数ある理由の一つに過ぎない。本質はもっと別にある。

 きっとクラウスは味方よりも敵が多い。だからこそ、誰よりも安心できる味方として、彼女を選んだのだ。

 ユーリアと過ごしてある程度の人となりは理解しているつもりだ。だからきっと誰よりもクラウスに近い場所に立つはずの彼女がどういう風に転んでもいいように、クラウスは彼女に対しての詮索や知識をできるだけ避けてきた。

 そうして待っていた。クラウスからではなく、ユーリアから接触してくる機会を。彼女の意思で縮まる距離を。

 彼女の全ての決定権は彼女に委ねてきた。

 その集大成が、先程の言葉。

 彼女にとっては大きな前進かもしれない。けれどクラウスにとっては彼女以上の意義を持って、たった少しだけしか進まない未来予想図への途上。

 全てを詳らかにして利用すると言えれば、どれ程楽でどれ程苦しいだろうか。

 そんな曖昧で不安定な道の上で揺れながら彼女の歩み寄りを受け入れる。

 彼女に対しては何も対策を練っていない。だからこそ、彼女から持ちかけられる話の内容も確証のないものばかりで、当たっている気もしない。着地地点どころか開始点さえ見えていない。

 けれどだからこそ、彼女に対しては何よりも純粋に向き合う事ができる。

 そうして、また一つ大きな歪みを生み出すのだ。それが最後に自分の欲望を満たす事を確信して────


「とりあえず仕事を片付けちゃいましょう。その後で、少しだけ付き合って……」

「分かった。それじゃあいこうか」


 答えれば逃げるように歩き出すユーリア。

 どんな風に転ぶだろうか。無数に感じられるこの先の未来を並列に処理しつつ前へ進む。

 見据えた視界の先には握手を交わすニーナとテオが歓声に包まれていた。




 幾つかの騒動を未然に防いで、遠くに教員の言葉を聞き流す。

 肩に腰を下ろす相棒がどこか上の空でじっと前を見つめる。その視線の延長線には立ち尽くすニーナの姿があった。

 いい頃合かと考えて声を掛ける。


「お疲れ様です、ニーナ会長」

「ん……あぁ、うん。勝っちゃった」


 振り返って答えたニーナは自分の手のひらを見つめて欠落した現実感を求めて彷徨っていた。


「いい事じゃないんですか? 理想通りの返り咲きですよ?」

「まぁそうなんだけどね……。新しい壁がまたできたというか…………」


 言葉の意味を図りかねるように視線を向ければ、ニーナはどこか慈しむように左手で右手を胸元に引き寄せる。それは覚悟だろうか。それとも博打だろうか。どちらにせよ彼女にとってはこれからが本番らしい。


「それで、あの人は何だって?」

「気付いてたんですね」

「当たり前よ。あれでも一応あたしの母親だもの。あの人があたしの事を考えてるように、あたしだってあの人の事を考えてる」


 その言葉はどういった心境から出たものだろうか。願わくば彼女の意思であればと思う。


「それとクラウス君もね」

「……何の事ですか?」

「…………言いたくないならそれでいいけどね。とりあえず、色々ありがと。お陰でようやく前に進める気がする」


 浮かべた笑顔をディルクが仰ぎ見る。ここから先はクラウスの介入する余地はなさそうだ。

 ニーナの言葉に少しだけ思い返す。

 彼女の感謝は恐らくクラウスの行動に対するものだろう。

 特に今回はニーナとエルゼの間に挟まれ、そこにテオが絡んであちらへこちらへと忙しかった。その中で、何よりもクラウスのためにニーナの特別進級が必要で、クラウスはそのために幾つか動き回った。

 ニーナの特別試験受講。その細かい後押しと根回し。

 いくらニーナとエルゼと言えどその強制力には限界がある。とはいえクラウス一人でどうこう出来る話でもない。

 そんな状況下でクラウスが頼ったのは便利な権力である国。自分とその間を取り持ってくれるアンネだ。

 エルフであることや、降級問題の事。色々と調べて、客観的な意見を揃えてそれらを元に彼女の特別受講を支える一柱とする。

 そこまで大きな事をやったつもりは無いが、それでも不安定さを減らす事には貢献できたはずだ。

 尤もエルフの問題全てがこれでなくなるわけではないが、現状打開の一つになればとは思う。

 そんな地味なあれやこれやに、彼女は律儀にも感謝を伝えてくれたわけだ。恩と感じてくれるなら、それこそがクラウスの求めた結果なのかもしれない。


「さて、後には退けないから少しだけ頑張ってみる」

「よい結果に転ぶ事を願ってますよ」

「最後まで徹底して他人事ね」

「他人だからこそ、傍観したくなるんですよ」

「いい性格してるっ」


 笑顔でそう言い放つニーナ。

 褒め言葉だと受け取って視線を外すと彼女もつられてそちらを見る。視界の先にいるのは我が幼馴染。


「もし一人で不安なら付き合ってもらったらどうですか? 彼も立派な男ですよ」

「……そうね。男だから、付き合ってもらおうかしら。あと、ニーナがクラウス君と他人でよかった」


 それではまるでクラウスが友達を売った様に聞こえるではないか。

 心外だと肩を竦めて促す。

 それからニーナに場所を伝えてそれをリリーに託す。これで舞台は整っただろう。後は彼女たちの問題だ。そのうち結末だけ聞かせてもらうとしよう。

 意地悪な笑みを浮かべてテオを捕まえるニーナの姿を眺め、踵を返す。


「うまく行くといいですね」

「気付いてたんだ」

「流石にあれだけ嬉しそうな声を聞けばわたしでも気付きます」


 他人だから。そう割り切って小悪魔に話題にするフィーナ。

 妖精に祝福される恋路。その矛先がクラウスに向かない事を祈りつつ笑い返す。

 さて、それじゃあ僕もまた一歩踏み出すとしようか。




 見慣れた学院の中を歩いて目的地へと辿り着く。扉を押し開ければあの時と同じ茜色の陽光に視界を奪われた。

 しかしそれも一瞬で、気付けば真ん中に人影を捉える。

 あの時と違うのはそこに佇む人物。

 太陽の光を受けて輝く濡烏の長髪が風に吹かれて僅かに揺れる。纏う雰囲気はいつもより僅かばかり暖かくて、ほぼ同じ背丈の後姿が遠くも近くも感じられた。

 欄干に体を預ける彼女はそこから眼下の校庭を静かに見下ろしていた。無言で隣に立つと声が掛けられる。


「…………何かいいことでもあった?」

「どうだろうね。ただ一つ肩の荷は下りたかも」

「それはよかったわね」


 見下ろした景色の中に先ほど別れた彼女と、その対面に立つよく似た雰囲気の女性。それから可哀相になるほど場違いな幼馴染の姿を見つける。

 今回クラウスは本当何もする事がなかったと、少し不満感を感じつつ息を吐く。


「それで、呼び出しの用件は?」


 緋色に染まる空を見上げて問う。隣から、少しだけ緊張した空気と共に長い深呼吸が聞こえた。

 それから彼女は体重を預けた欄干から体を起こしてゆっくりと後ろに下がる。

 規則正しくもどこか危なっかしい足取りに自然と振り返った。

 ようやくそこで彼女の顔を見る。

 こちらを見つめる幻想的な紫色の瞳が強い意思を灯してクラウスを射抜く。その妖しさに思わず息を忘れる。


「クラウス」


 響いた名前は現実味を欠いて、それ以外の一切の音が辺りから遠ざかっていく。降り注ぐ色さえも曖昧になっていく感覚の中で、不意に温度のない風が頬を撫でた。

 そうして、桜色の唇が僅かに開く。


「私を連れ去ってくれる?」


 呟きは、夏を経て秋へと紡がれていく。

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